その一 ハードロックは辛くない? (7)
あーあ、もう!!!
あけみはイライラして長い金髪の髪の毛をかきむしった。
どう考えても間に合いそうにない。
ライブ当日にボーカルがバッくれるなんて最低だが....。
あけみの頭の中にはいろんな考えがかけめぐる。
もし私が出番までに戻れなかったら....
ストーンズとエアロスミスの曲で
いくらなんでもボーカル抜きのインストルメンタルでってわけにはいかないだろうから、
アキラは出演のドタキャンを決めるに違いない。
となると、30分あいちゃうから、あの長髪をオールバックにして後ろで結んだイベンターのお兄さんはむくれるに違いない。
「ではここで30分間の休憩とします。しばしご歓談ください」ってわけにもいかないだろうし。
当日だから出演料は全額こっちもちだな。それは私がテレアポのシフト増やして支払うしかないな。
あけみの口からは思わずため息が出た。
しかも、それとは別にアキラたちには牛角で焼き肉おごるくらいしないと...。
わぁ、大出費....。
考えれば考えるほどどんどん暗くなっていく。
気がつけばあけみの出番まではあと9分。
もう無理。もういい。もう知らない!
とその時、助手席で外のほうを向いて眠っていた鉄が寝返りをうった。
鉄の頭はあけみの肩に触れそうな位置に。
すやすやと気持ちよさそうに眠っている鉄。
ほんとにさぁ、誰のせいだと思ってるのよ〜!とあけみは鉄を軽く睨んでみた。
「イーっだ!」と声に出して言ってみる。
無反応。
「もう、あんたが電話さえして来なきゃ、ライブに出られたのに!」
「だいたいなんで腰の寒春なんて飲むのよ〜」
「私、本当に怒ってるんだからね!」
いくらあけみが怒鳴っても、鉄は目を覚まさない。
あけみは怒っていた。でも、不思議と鉄を憎む気にはならない。
ああ、怒るのと憎むのって違うことなんだ。と気づいた。
どんなに怒っていたって、鉄を憎んだり、嫌いになったりするわけじゃないんだ。
だってほんとにきれいな顔してるしね。
あけみはしみじみと眠っている鉄の顔を眺める。
最近のはやりじゃないかもしれないがきキリっとあがった太めの眉。
切れ長の目。
すーっととおった鼻筋。
面食いのあけみにはもうたまらない。
あけみは母親にいつも怒られる。
「男は顔じゃないよ。顔なんてついてりゃいいの。じゃがいもでもかぼちゃでも、ついてさえいりゃいいの!」って。
わかっちゃいるけど、でも、やっぱりじゃがいもじゃないほうがいいなぁ。
あけみはもう一度ごっつい腕時計を見た。
出番まであと6分。もうどうやっても間に合わない。
そう覚悟を決めたら、鉄への怒りがなぜかだんだん愛おしさに変わって来た。
かわいさ余って憎さ100倍とは良く言うが、憎さ余ってかわいさ100倍なんてこともあるらしい。ま、怒ってはいるが本気で憎んではいないけど。
鉄の顔を眺めていたあけみは、吸い寄せられうように、思わず鉄のおでこに口づけをしていた。
チュって。軽いキッス。
鉄は全く無反応。本当によく眠っている。
今度は右のほっぺにチュってしてみる。無反応。
あけみはだんだん面白くなってきて、鼻の頭にもキスしてみた。
そしてまぶた。ついでに鉄の長い睫毛をちょっとだけ舐めてみる。しょっぱい。
それから思い切って唇にも軽いキッス。無反応。
悔しい。もう一度キッス。
うん?あれ?今ってちょっとだけ反応あった?
あけみは夢中になって、もう一度チュッ。
と、突然鉄の唇がはっきりと意志をもって、あけみの唇を包み込んだ。
あけみはびっくりして一瞬目を開けたけど、キスシーンだからまたあわてて閉じた。
鉄とのキス。柔らかいキス。甘いキス。唇が溶けていきそうな、
身体中が溶けて液体になってどこかへ流れていってしまいそうなキス.....。
ブッブー!ブッブー!
突然あちこちからうるさいクラクションの音が。
鉄がぱっと唇をあけみから離す。
せっかくの甘い甘いキスを邪魔されたあけみは、
ちょっとちょっと勘弁してよ〜 と思いながら顔を上げてみると、
前の車がいない!
その前にいた車も全然いない!
いつの間にか走り出したらしい。
一時呆然としたあけみだけど、そうだ!ライブ!行かなくちゃ!
溶けかけていた身体をしゃきっと立て直すと
キリッとした顔をつくってあけみはアクセルを踏んだ。




