表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

虹の橋を渡る

作者: 黒田釈心
掲載日:2026/02/16


※ペットロスした人は読まないように

※作者の体験ではありません

 もしも、もしも心に扉があるのなら、私のそれはいま開いている。


 ぽっかりと空虚に、空いている。


 晩酌を前に、涙はもう枯れた。


 何もなくなった。


 愛猫が亡くなった。


 17年、精一杯生きてくれた愛猫。

 彼女は俺を愛してくれたと思う。しかし彼女への愛は、俺にあったのだろうか。

 もちろん一所懸命愛したつもりだ。しかし、俺にはそれがどんなものか分からない。

 愛されたことの少ない俺には、とんと分からない。



── 故人に対して、虹の橋を渡るという慣用句を使うことは無礼である ──



 よく、ネットなどで見かける文言だ。

 しかし俺は虹の橋を渡りたい。彼女に会うために。


 60歳を裕に超えたが、お迎えはまだ先だろう。

 幾分衰えたがどんな検査をしても異常はなかった。自分で終わらせる以外に、彼女に早く会う方法を思いつかない。


 いや、そもそも会えるのかも分からない。

 でも、たとえ俺が人でなくなったとしても、あの子に会いたい。そう願わずにはいられないのだ。



── ペットは死後、虹の橋を渡る ──



 彼女は保護猫だった。

 最初はびくびくと部屋の隅に縮こまり、こちらの一挙手一投足におっかなびっくり警戒していた。


 食事を与え、体を清潔にし、抱きしめていたらいつの間にか懐いてくれた。

 給料日には毎回オモチャを買った。オモチャ箱にはいまでも大量に遺っている。

 彼女のお気に入りは40cmほどのマグロのぬいぐるみだった。さすがに大きすぎるだろとニヤけながら、それでも4つ目に買ったっけな。

 彼女はそれを甘噛みし、抱きつき、毛づくろいまでやり、ごろごろと一緒にお昼寝をするのが日課だった。



 彼女はお風呂が大好きだった。

 俺も彼女と一緒に風呂に入るのが楽しみの一つだった。

 彼女が幼いころから毎夜一緒に入っていた。だからだろう。猫は風呂嫌いと聞くが、彼女は違った。

 決して大きくはない人間用の湯船に、ザルのように穴がたくさん空いたカゴを設け、彼女専用の湯船にして、一緒に浸かることができるようにした。小さな隔たりはあれど、一緒のお湯に浸かっていた。

 そのとき彼女は顎をそのフチに乗せ、俺を見つめ、とろんとした表情をする。あぁ、懐かしいな。



 休みの日には、柵を設けたアパートの庭でよく遊んだが、他の猫たちと同じように雪は嫌いだったため、冬はずっとコタツで過ごしていた。

 


 自分で人生を終わらせた者は、はたして虹の橋を渡る資格や権利があるのだろうか。

 定年退職をして、彼女と過ごす毎日はとても楽しかったが、いまは印刷した彼女の写真を肴に、今日も酒に逃げる日々。

 寿命で死ぬまで彼女に会えないのはとてもつらいな。そう考えるに費消する毎日。


 そぞろに散らばる雲。抜ける生ぬるい風。

 ビールの香りと酒の匂いも、すべてをさらうには決して足りない。



「みぃちゃん……」



 ぽつりと、無意識に口に出た。



「なぁに?」



 すぐさま声のする方へ体を向けると、ざらめのような毛色の猫が立っていた。

 もこもこの尻尾。柔らかな瞳。怜悧な面立ち。まさしく彼女だ。


 あぁ、あぁ……と声にならない呻きをあげながら、震える手足を必死に動かし、彼女の下に這っていく。

 俺はおかしくなったのか。いや、おかしくなったとしても、彼女と会えるなら些末なこと。


 触れたと思ったが、彼女はとても冷たい。

 まるで亡くなったときのようだ。

 温めないと。優しくこするが、風呂の方がいい。また一緒に入ろうな。


 抱きしめた彼女は何やらにゃあにゃあと呟いているが、それより風呂だ。彼女を温めないと。風邪を引いてしまう。

 でも体がうまく動かない。


 寒い。いや、彼女を温めないと。

 息が苦しい。でもまずは彼女を助けないと。



「いや、行けるのか。やっと、行けるのか」



 大きくて、小さな願いが叶うとき。

 俺は、虹の橋を渡る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ