結婚してるなんて聞いてませんけど!? 〜新婚夫婦の秘密を押しつけられた令嬢の受難〜
「人の新婚から夫を取り上げて何してくれるのよ〜!!」
花瓶を床に叩きつけるような声が、社交場の真ん中に響いた。
その声の主――ミリアンヌ夫人は、頬を真っ赤に染め、涙でドレスを濡らしていた。
対するのは、氷のように冷静な表情をした令嬢、セレスティア。
「……取り上げた、とは心外ですわ。わたくし、その方が結婚していらっしゃるとは一言も聞かされておりませんのよ」
ざわ……と周囲がざわめいた。
婚約発表の席の前夜、セレスティアは相手の男性――侯爵家の嫡男レオンから告白を受けた。
誠実そうで、落ち着いた物腰の青年。
「両親の了承も得た」と言われ、彼女は信じた。
だが、実際には――その男はすでに、先月ミリアンヌ夫人と極秘結婚していた。
理由は「政略上の事情」で公表が遅れていただけ。
それを、彼も、彼の妻も、彼の家族も、使用人すらも、全員が黙っていた。
「だって、あなたが積極的に近づいたんでしょ!? 社交界で噂になってるのよ!」
「ええ。たしかに、近づいたのはわたくし。でも、既婚者だなんて知らなかった。
むしろ“婚約者を探している”と言われたのですわ」
セレスティアの声は静かだったが、確実に怒りを含んでいた。
周囲の貴婦人たちも、少しずつ彼女の味方に回り始めた。
「そういえば、あの男の結婚式、誰も招かれてなかったわよね」
「まるで隠してたみたいに……」
「新婚の奥様も、なぜ黙っていたのかしら」
「……まさか、あなたたち全員で、私を嵌めたわけではありませんわよね?」
セレスティアの鋭い問いに、レオンは青ざめ、夫人は俯いた。
「違うの……ただ、あなたが彼に惹かれてるのを見て、どうしても黙っていられなくて」
「それで、結婚していると一言も言わなかったのですね?」
沈黙。
その沈黙こそが、すべての答えだった。
結局、社交界の評判は一気にひっくり返った。
「既婚を隠して未婚女性に言い寄った侯爵家嫡男」
「夫を黙って庇った新婚夫人」
――二人はそろって非難を浴び、領地へ引きこもることになった。
一方、セレスティアは王女殿下の庇護を受けて、正式に「無実」として名誉回復を果たした。
「最初から“結婚している”と一言言ってくだされば、誰も傷つかなかったのに」
セレスティアは、秋の風の中でひとり呟く。
誰もが口を噤み、真実をねじ曲げた結果、最も罪のない者が傷つけられた。
――結局、悪いのは、
黙っていた新婚の妻と、嘘をついた夫。
それだけのことだった。
相手からの先んじる悪意がない限り、他人のものをわざわざ欲しがる人はいません。




