29 車窓に映る景色
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第5章 分断化する世界 第29話 車窓に映る景色
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この春、ななせは大学2年生になった。
南大沢キャンパスへ向かう通学のひとときは、いつしか彼女にとって——思想の時間へと変わっていた。
電車の車窓に流れる街並みを見つめながら、ななせは静かに考える。
——自分はなぜ、この場所にたどり着いたのだろう。
ななせには、すでに取り組みたい社会問題があった。
それは、かつてコロナ禍によって崩壊した、自身の家族のことだった。
あの出来事が、彼女の価値観を決定づけた。
家族の再生とは何か。
孤立や断絶を防ぐ仕組みとは、どんな形をしているのか。
最初から、あの“こころのささくれ”は、我が物顔でななせの胸の内に棲みついていた。
ほんの小さな違和感にすぎなかったはずのそれは、やがて見て見ぬふりができなくなった。
病に伏せた父への激しい苛立ちと、何もできない自分への無力感へと変わっていった。
そしてその後も、言葉にできない“こころのささくれ”に、自分なりの向き合い方を探し続けてきた。
忘れようとしても、ふとした拍子に疼く。
その小さな棘が、いつしか彼女を動かす原動力になっていた。
ななせは、それが何なのか確かめるように——
6年という歳月をかけ、ようやく行動を起こそうとしていた。
いまも癒えきらない痛みは、パンデミックで崩れた家族を呼び覚ます。
そして、父がいつか全快することを願うように、その痛みは彼女の中で償いのかたちとなり、静かに歩みを共にしていた。
ななせは22歳になっていた。
限られた時間を無駄にしないために、彼女は本来なら卒業時に取り組むはずの卒業論文を、2年生になったばかりの今から前倒しで始めようとしていた。
もちろん、ななせにはそれなりの計算もあった。
もし卒業前に一つ仕上げられれば、在学中にいくつもの論文に取り組むことができる。
そんな漠然とした思いが、彼女の胸の奥にあった。
そして何より、ななせには心強い協力者——“Chato”がいた。
健康被害を受けながらも公的な認定を得られず、制度の網目から零れ落ちていく人々がいる。
苦しみの実態が“証明”という言葉に置き換えられないかぎり、その生活は誰の目にも触れないまま、静かに損なわれていく。
自治体ごとに支援の格差は大きく、国はいまだ統一的な基準を示せていない。
同じ痛みを抱えていても、住む地域や収入によって、救われる人と取り残される人が生まれてしまう——
南大沢駅からキャンパスへと向かう空は、薄い雲が青空を覆っていた。
遠くで響く救急車のサイレンが、どこか現実離れしたリズムでななせの耳に届く。
あのパンデミックから数年以上が経った今、街の空気には当時の緊張はほとんど残っていない。
マスクを外した笑顔と、いまだ外せない人々とのあいだに、見えない境界線が揺れていることを、気に留める人も少なくなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ななせはスマートフォンの画面を見つめた。
そこには、相変わらず物騒なニュースが並んでいる。
燃料をはじめ、あらゆる物価が高騰し続け、政府の対応を問う声が相次いでいた。
一方で、国際社会では軍事費の増大が止まらず、日本もその潮流に逆らうことはできない。
世界全体がどこか落ち着かず、ざわついた空気に覆われていた。
ニュースを追えば追うほど、日常の景色が遠のいていくような気がした。
そのとき、ななせの視線がふと止まった。
ニュースサイトの片隅に、一本のコラムがひっそりと掲載されていた。
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「男尊女卑の影から生まれた女性首相」
――西日本通信社(政治部)比嘉世幸
2026年3月——今からおよそ1年前、日本に初の女性首相が誕生した。
その名前は鷹内冴子。
政界の外縁から頭角を現し、派閥にも依らず、鋭い言葉と確かな実行力で世論を惹きつけた。
「WLBを献上し、働いて働いて働いてまいります」
総裁就任時に放ったこの言葉は、瞬く間に賛否を呼び、彼女の存在は「新しい時代の象徴」とも称された。
だが——果たして本当にそうだろうか。
「男女平等」という言葉が、いまほど軽やかに使われる時代はない。
しかし、その軽やかさの裏で、私たちは本来の意味を見失いつつあるのではないか。
フェミニズム運動などを通じて、女性がより生きやすい社会を訴える活動は、本来尊重されるべきものである。
だが、いつしか“平等”という言葉だけが独り歩きし、同一化と履き違えられてはいないだろうか。
平等とは、違いを消すことではない。
むしろ、違いを認め合うことにこそ価値があるのだ。
女性が男性と「同じように働ける社会」を目指すことは確かに大切だ。
だが、男性と同じことができるから平等なのではない。
生物としての性には、能力の差ではなく“機能の違い”がある。
社会とは、その違いが交わり、支え合うことで成り立ってきた。
にもかかわらず、現代の議論は「差があること=不平等」と短絡的に結びつけてしまう。
そこにあるのは、違いへの敬意の欠如である。
男女平等ではなく「人間平等」こそが本来相応しい理念なのではないか。
政治の世界では、「女性初の首相」という肩書がしばしば時代の象徴として持てはやされる。
しかしそれは、女性が頂点に立ったというよりも、男性社会が自らの限界を露呈した結果にすぎないのかもしれない。
つまり、「女性が台頭した」のではなく、「男尊」という旧来の幻想が、ようやく役目を終えつつあるのだ。
また鷹内新首相によって、右傾化が進むことへの懸念が世間でたびたび報じられている。
右傾化が進めばフェミニズムは後退する――そう語られることもある。
だが、鷹内氏自身が女性であることを忘れてはならない。
だが、その論調をよく聞くと、結局は「左傾化した国政への回帰こそが正しい」と言っているに過ぎない場合も多い。
問題は、社会の言葉があまりに「左右」という単純な軸で引き裂かれている点にある。
右派・左派、保守・リベラル――私たちは常にラベルで思考を整理し、他者を分類する。
男女平等や自由社会を掲げるのはリベラル派とされ、一方の鷹内氏は保守派として首相となった。
だが、分類のために思考することと、思考のために分類することは、まったく異なる。
今の社会はポピュリズム政策に依って、人の意見よりも“どちら側”かを気にするようになってしまった。
結局のところ、所属する側の立場が揺らげば、人は新たなサブジェクトを持ち出して、同じ議論を繰り返すだけである。
「男女平等」は、左右いずれの旗の下にも属さない。
むしろ、人間平等に基づけば、両者の境界を結ぶ概念である。
そこにあるのは戦いではなく、交わりだ。
性の違いを敵対や比較の軸としてではなく、相補の関係として受け止めること。
――そこにこそ、多様性の本質がある。
私は以前から、女性首相の誕生が本当に為し得るのか懐疑的だった。
それは、鷹内氏の資質を疑ったからではない。
むしろ、彼女のような人物でさえ、政界に根深く残る“男尊女卑”という古い慣習――
いわゆる“ガラスの天井”に阻まれてしまうのではないか、という懸念が拭えなかったからだ。
鷹内氏は、女性という枠を超えて多くの人に信頼される政治家である。
彼女の誕生は、女性が社会の頂点に立ったというよりも、
“男尊”という長い影の中から、ようやく“人”が立ち上がった瞬間なのかもしれない。
男性社会が作り上げた構造の隙間から、彼女はその才覚と行動力で道を切り拓いた。
それこそが、平等の本質――違いを抱きしめ、共に立つということではないだろうか。
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なぜだろう。
ななせは、言葉にできない不思議な感覚に包まれていた。
女性を讃えているわけでも、批判しているわけでもない。
それなのに、このコラムには妙に引っかかる言葉がいくつもあった。
――人間平等。
――男尊という幻想の終焉。
――違いへの敬意。
――違いが交わり、支え合う。
そして――
女性が男性と「同じように働ける社会」を目指すことは確かに大切だ。
ななせは共感しながらも、その一文にだけ微かな違和感を覚えた。
これまで、社会は男性を中心に形づくられてきた。
女性の社会進出とは、結局その枠の中に踏み入ることを意味していたのではないか。
――なぜ、男性のスタイルに合わせることが“平等”になるのだろう。
ひとつひとつの言葉が、胸の奥で静かに反響していく。
もう少しで、何かに辿り着けそうな気がした。
けれど、その“何か”が何なのか――ななせにはまだ掴めなかった。
(……そうだ、帰ったらチャトに話してみよっ)
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※ 本作は近未来を舞台にしたフィクションです。
現実の政治・社会と重なる部分があるかもしれませんが、
登場するすべての団体・人物・名称は創作であり、
特定の組織や個人を批判・揶揄する意図はありません。
「国家改革」をテーマとした物語としてお楽しみください。
※ 作中の政党名はリアリズムを高めるため、以下のように置き換えています。
自由党・公免党・民立党・民国党・参節党・一心の会・れいの真誠組・共同党・
社守党・日本維持党・チーム将来 など
(ストーリーの進行に応じて変動・追加される場合があります)
※ 本作は物語を補完しながら進めているため、すでに投稿済みのお話にも、
必要に応じて加筆や修正を行うことがあります。
ストーリーに関わる大きな変更を加える場合には、まえがきでその旨を
お知らせしますが、ここで主にお伝えしたいのは、文章の細かな表現や
ニュアンスに違和感を覚えたときに行う、ちいさな手直しについてです。
※ なお、本作の文章推敲や表現整理の一部にはAI(ChatGPT)の
サポートを利用しています。
アイデアや物語の内容はすべて作者自身のものであり、
AIは読みやすさの調整や資料整理の補助のみを行っています。




