16 見えざる真の功労者
(※ 基本は火曜・土曜の朝9時に更新。ときどき追加更新することもあります)
日頃のご愛読に、心から感謝しております。
これからも、どうぞ温かく見守っていただければ幸いです。
第2章 小人の靴屋 第16話 見えざる真の功労者
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
法案可決から、わずか2日――
可決直後から続く取材。
フラッシュの閃光の中で繰り返されるのは、「自由党復活」という言葉ばかりだった。
だが石橋の胸中にあったのは、党の再生そのものよりも、田部派の連中を見事に黙らせたという痛快さだったのかもしれない。
だからこそ、本来ならもう少し喜んでもよかったはずだった。
――あの夜、一通の封筒を手渡されるまでは……
開封したのち、彼はその内容を誰にも語ることはなかった。
ただ目に見えて沈み込み、少しずつ表情から力が抜け落ちていった。
この日も、執務室のソファに深く沈み込み、長く動かない。
テレビでは、沖縄地方に二つの台風が近づき、互いに干渉する“藤原効果”で進路を失い、島嶼部がほぼ孤立状態にあると報じている。
だが、その音声は壁に反響こそしても、石橋の意識の中には一切入ってこなかった。
まるで厚い硝子越しに聞く、別世界の出来事のように。
いったいどうしてしまったのか。
まるで演じる役を終え、舞台袖に退いた役者のようだった。
手にした台本はもう閉じられ、次の台詞を探す気配すらない。
災害対応の連絡が、ひっきりなしに届いているなか――ただ頷くだけ。
その判断も、指示も、すべてが人任せになっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
手元の書類に視線を落としたまま、石橋は微動だにしなかった。
(どうして……? あれほど執念を燃やしていたのに。
法案を通した途端、まるで燃え尽き、煙に巻かれてしまったかように……)
吉川には、その奇妙な挙動の理由が見当もつかなかった。
疲労でも、病でもない。
むしろ得たいの知れない空白に近い。
説明のつかない戸惑いと、理解できない苛立ちが、胸の奥に積もり続けていった。
(あの法案を通すまで、どれだけの時間と労力をかけたと思ってるのよ……)
ふとした瞬間に、不満がこみ上げる。
あれ以来、石橋からは一言の労いもない。
ただ能面のような表情で、惰性に操られるゼンマイ仕掛けの人形と化していた。
(いったい何がどうなっているの……?)
対照的に、“匿名の情報提供者”からは、称賛の声が届いていた。
「貴女が作成した制度は、極めて優れたものでした。
総理への働きかけも的確でした。
今後もさらなる活躍に期待しています」
淡々と並ぶ言葉――それが、かえって虚しかった。
総理を支えて28年。
その心は常に寄り添っていたはずなのに、たった一枚の紙切れが、すべてを無意味にしてしまった。
もし、この達成を正当に評価してくれていたなら。
もし、誰かがほんの少しでも寄り添ってくれたなら。
救われたかもしれない。
(……考えるのも、もうばかばかしい)
現実には、その孤独な達成感は誰の記憶にも残らず、功績として語られることもない。
やる気だけが、静かに、確実に、剥がれ落ちていった。
そこへ追い打ちをかけるように、沖縄地方からの救援要請が雪崩れ込んでくる。
「離島の避難所、屋根が吹き飛んで浸水しています」
「那覇空港の復旧が進んでいません」
「海上輸送が止まり、物資が届きません」
「国としての対応は、いつですか?」
ファックス、電話、メール――
別の秘書官に振り分けられるはずのものまでが、吉川のデスクに重なり、山のように積み上がっていった。
疲労に滲む目でモニターに映る被害写真を見つめながら、吐き出しかけた言葉を唇の奥で噛み殺した。
(私が……全部、やるの……?)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
内線電話が鳴った。
鳴り方が違う――相手は、自由党の森村幹事長だった。
「いったい石橋くんは何を考えているんだね。
防災庁の設置権限は、総理にしかないんだ。
もう世論が動いているんだ。
せっかくの“好機”を逃すつもりか。
女は余計なことを考えず、さっさと彼を動かすんだ」
受話器を置いたあと、吉川はしばらく硬直していた。
心拍が速まる。冷たい汗が手のひらににじむ。
立場や役職など関係なく、今はただ沖縄の島民たちの悲痛な姿が脳裏をよぎる。
ふっと、目の前の紙資料がにじんだ。
(……私が……あの人を動かさないと……)
吉川は深く息を吸い込み、執務室へと向かった。
もはや“例の手”にも、反応はなかった。
彼を動かす術は、完全に失われている。
重たい扉を開けた先――
石橋は、相変わらず死んだような目で、何も見ていなかった。
ただ書類をめくるふりをしている。
「……総理、よろしいでしょうか」
「……ああ……わかった……」
単なる相槌なことは明らかだった。
だが吉川は、身体を震わせながら感情を抑えるように、言葉をつづける。
「沖縄の被害は、もう“局地的災害”の域を超えています。
連続台風によって、輸送ルートが断たれ、離島は孤立状態です。
国として動くべきです。……防災庁を、正式に動かしてください」
石橋は、黙っていた。
数秒、いや十数秒の沈黙――それが永遠にも思えた。
「——石橋総理!!」
吉川は、一歩前に出て、机越しに真正面から総理の目を見つめる。
「あなたにしか、できないんです!」
その言葉は、懇願でも、命令でもなかった。
ただ、職責としての一撃だった。
すると、石橋のまぶたが、わずかに動いた。
「……僕は、いったい何を……」
吉川は、その瞬間、膝の力が抜けそうになるのをこらえた。
頭を下げたまま、唇をかすかに結び直した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
吉川の短い叱咤が、石橋の意識を現実へと引き戻した。
つい先ほどまで、彼の心は宙をさまよい、何も捉えていなかった。
だが、いまようやく急を要する事態に気付いたのだ。
「防災庁の設立を宣言します。指揮系統を一元化し、関係省庁にも速やかに通達を出しなさい」
遅い――あまりにも遅すぎた。
しかし、これ以上の遅滞は許されない。
そう判断するには、十分すぎる状況だった。
その瞬間、張り詰めた空気が破れるように、官邸から矢継ぎ早に指示が飛び交い始めた。
会議室が手配され、森村幹事長、小谷防衛大臣、森官房長官……
自由党の首脳陣が次々と召集されていく。
会議の目的は、政策を練ることではなかった。
「災害対応において自由党は一枚岩だ」と国民に印象づける――その演出のための場である。
「自由党としては沖縄支援を全面に掲げる。この時を、確実に党の好機に変えるんだ。いいな?」
森村の言葉に、石橋は小さくうなずいた。
かつてなら首相の従順さに眉をひそめる者もいただろう。
だが今では、それを奇異に思う者すらいない。
「今回は、内閣府に 防災庁を設置し、政府全体の司令塔として布陣することと
いたしたところでございます。
災害対応の指揮系統を一元化し、速やかに機能を発揮できる体制を
整えてまいりたいと考えております。」
政府の方針はこうして定められた。
だが会議室から出てきた幹部たちは、互いに呆れ声を漏らした。
「“防災庁”って名前だけで、中身は災害対策本部のまま……」
「民意立案可決までは評価できても……この数日の空白をどう説明するんだ」
「判断が遅れたツケを、現場に押し付けるなんて、到底笑えないぞ」
だが、その声が届く先はなく、ただ虚空に吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
10月に入ってから、沖縄地方は立て続けに台風の被害に見舞われていた。
18号はまだ軽微な被害で済んだが、10月22日に発生した19号は違った。
停滞を続ける暴風雨は沖縄を覆い、住宅を浸水させ、広域停電を長引かせ、主要道路を各地で寸断していった。
そして29日の夜には、20号までもが熱帯低気圧から急速に発達し、非常に強い台風となって沖縄に迫ってきた。
比嘉世幸。西日本通信社・東京支社の記者である。
先日、民意立案制度の可決直後に石橋首相へ「災害対応の見通し」を切り込んだのも、ほかならぬ彼だった。
あの時は——まだ、20号は発生していなかった。
首相が見せた無関心な態度、素っ気ない表情は今も脳裏に焼き付いている。
政府も当然、沖縄への対応を進めているはずだ――
そう信じ、少しでも早い行動を促す思いからの問いかけにすぎなかった。
だが取材の視線を沖縄に向けようにも、復旧のめどは立たず、通信も途切れがちで、現地との連絡さえままならない。
さらにその後の取材で、首相があの直後、“お三方”と呼ばれる自由党の重鎮たちとの会食へ向かったと知った。
比嘉の胸には、たぎり始めた疑念がじわじわと広がっていった。
あの日の単純な問いに、首相はいったい何を返すのか。
まさか手のひらを返して、心配を装うのか……
その疑念を確かめるため、比嘉は首相の言葉を待ち続けていた。
そして――2025年11月1日(土曜日)、官邸にて。
石橋首相が記者会見に臨むとの報が流れ、ついにその瞬間が訪れようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
※ 本作は近未来を舞台にしたフィクションです。
現実の政治・社会と重なる部分があるかもしれませんが、
登場するすべての団体・人物・名称は創作であり、
特定の組織や個人を批判・揶揄する意図はありません。
「国家改革」をテーマとした物語としてお楽しみください。
※ 作中の政党名はリアリズムを高めるため、以下のように置き換えています。
自由党・公免党・民立党・民国党・参節党・一心の会・れいの真誠組・共同党・
社守党・日本維持党・チーム将来 など
(ストーリーの進行に応じて変動・追加される場合があります)
※ 本作は物語を補完しながら進めているため、すでに投稿済みのお話にも、
必要に応じて加筆や修正を行うことがあります。
ストーリーに関わる大きな変更を加える場合には、まえがきでその旨を
お知らせしますが、ここで主にお伝えしたいのは、文章の細かな表現や
ニュアンスに違和感を覚えたときに行う、ちいさな手直しについてです。
※ なお、本作の文章推敲や表現整理の一部にはAI(ChatGPT)の
サポートを利用しています。
アイデアや物語の内容はすべて作者自身のものであり、
AIは読みやすさの調整や資料整理の補助のみを行っています。




