14 禍福は糾える縄の如し
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第2章 小人の靴屋 第14話 禍福は糾える縄の如し
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
沖縄地方では、停滞する台風に怯える日々が続くなか――
ここ国会議事堂は、朝からすっきりとした青空に包まれていた。
緊張した空気に包まれながらも、街全体はどこか冷めきっている。
激しい反発もなければ、暴動もない。
これほど大きな制度の転換の日だというのに――静かすぎた。
その日は、統合AI支援制度を採決する日であった。
人々はそれを「民意立案制度」と呼び、長く続いた論争は、いま終わろうとしていた。
令和7年10月29日、午後2時――
だが、誰もが奇妙な確信を抱いていた。
結末は、もう決まっているのだと。
「起立、願います――」
議長の声が響いた瞬間、議場の空気がぴたりと止まった。
次々に、議員たちが立ち上がる。
自由党、公免党、民立党、民国党、参節党、一心の会、れいの真誠組、共同党、社守党、日本維持党、そしてチーム将来――
ほぼすべてが賛成に回り、過半数を大きく超えた。
反対席に残ったのは、実質的に高齢議員ばかりだった。
AIという存在を理解できず、
——「ロボットに未来を奪われる」
——「AIを使えば、もう人の社会には戻れない」
と、同じような恐れを感情のまま繰り返していた。
本音では石橋政権を倒したくても、圧倒的な世論の賛成の波に押し流され、声を上げることすらできない議員も多かった。
不思議なほど強い追い風が、彼らの言葉を奪い去っていく。
まるで目に見えない力が、否応なく立ち上がらせているかのように。
「賛成、多数——」
議長の一言で、あっけなく幕は下りた。
歓声も、怒号もない。
どこか遠くで小さな拍手が響いたが、すぐに消えた。
こうして歴史的な法案は、異様なほどすんなりと可決された。
石橋首相にとって、この可決は政権復活の幕開けだった。
胸を張る姿には、久方ぶりの自信が宿り、
「さあ、これからだ」と言わんばかりに視線を遠くへ投げかける。
その高揚をよそに、議場の空気は奇妙なほど現実感を欠いていた。
誰もが、夢の中で歴史の瞬間を見届けているかのように、ひっそりと息を潜めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
採決が終わり、制度可決の瞬間を経て、議員たちが次々と本会議場を後にした。
赤じゅうたんの先には、首相を待ち構える記者たちが列をなし、その視線は一様に石橋に注がれている。
パシャッ、パシャッ――
パシャッ――
幾筋もの閃光が、石橋の表情を白く切り取った。
その心情を知ってか知らずか、険しい顔の奥からは、抑えきれない笑みがこぼれていた。
そして、右手を上げ、余裕を見せながら静かに記者たちに応じた。
「総理、民意立案制度の可決に至るまでのお話をお聞かせください」
「この決断により、自由党は確実に息を吹き返すと考えております。
さらに、可決へ向けた合意形成も、わたしどもが主導し、
熟議と納得の国会運営を通じて、話し合いを重ねてまいる所存でございます」
「総理! 民意についてひとこと」
「選挙によって選ばれた私たちの手で、確かな“民意”をつくり上げたのでございます。
この偉業を成し遂げたのは、ほかならぬ自由党であり、
まさしく国民の民意に裏づけられた結果なのでございます」
シャッター音が重なり合い、石橋の言葉をかき消す。
「総理!」と呼びかける声が止まぬ中、彼は簡潔に答えると足早に出口へ向かった。
そのとき——
ひとりの記者が、場違いとも思える声を張り上げた。
「——沖縄からの災害支援要請には、いつ応えるのでしょうか!」
押し寄せる記者たちをかき分けるようにSPたちが道を作る。
石橋は歩みを止めず、閃光の中を抜け、赤じゅうたんの先へと消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
石橋首相は、足早に議場を後にした。
公用車のドアが閉まると、わずかな静寂が訪れる。
その瞬間、大きく――そして深く息をついた。
これでひとまず、総理としての威厳を保つことができた。
「石橋おろし」を掲げてきた連中を、ぎゃふんと言わせることができたのだから。
胸の奥で、押し殺したはずの高揚感が、じわりと広がる。
窓の外を流れる景色を眺めながら、ふと先ほどの党執行部会議を思い出した。
森村幹事長が、可決後の世論対応や地方への説明日程を並べ立てていたが、石橋は深くうなずいただけだった。
「——あとは君たちに任せる」
その一言で、細部の議論はすべて切り上げられた。
「総理、本日はお疲れさまでした」
声をかけたのは吉川秘書官だった。
ここ数か月で、総理が最も信頼をおく存在となった秘書官である。
「今夜は特別な日ですので、料亭にお席を整えてございます。
総理のための最高の食事です。少しだけ……息抜きなさっては」
石橋は眉をひそめた。
「息抜き、ね……」
不満そうな表情の中、内心では――当然だ、と言わんばかりだった。
「総理、これほどの偉業を成し遂げられたのです。
わずかでも結構です、どうか肩の力をお抜きになってください」
その言葉の奥に、単なる労いとは違う、妙な熱意を感じた。
「それから、到着するまでの道中に、こちらをどうぞ。総理のお好きなおむすびをご用意しました」
「……ふむ」
竹皮包みを開くと、塩だけで握られた白いおにぎりと、緑鮮やかなキュウリの浅漬けが並んでいた。
石橋は思わず口元を緩める。子どもの頃から、変わらず好きな組み合わせだ。
「うむ……わかった。場所はどこなんだね?」
むしゃむしゃとおむすびを頬張りながら問いかける。
吉川はミラー越しにちらりと総理の表情を確認し、機嫌が上向いているのを確かめると、ほんのわずかに口角を上げた。
「もうすぐです。あの場所です」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一心におむすびへ手を伸ばす石橋をよそに——
車は官邸とは逆の方向へと進み、やがて都心の喧騒を離れた路地に入っていった。
控えめな灯籠が浮かぶ、老舗の料亭。
口元にごはん粒を付けたまま、石橋首相は吉川に導かれて格子戸をくぐった。
奥の座敷に通されると、その足が一瞬だけ止まった。
部屋の中には、――自由党の元総裁たち。
老いてなお政界に影響力を残す者たちが、静かに彼を迎えた。
吉川を一瞥し、石橋の目が一瞬だけ険しくなる。
だが、それに気づいた者はいなかった。
「さあ、まずは座ってくれたまえ」
前自由党総裁の岸川が促す。
すでに腹はいっぱいのはずだったが、並べられた見事な料理を前に、石橋の胃はまた小さく鳴った。
膳に置かれた小鉢へ自然と箸が伸びる。
思わず顔を見合わせたお三方も、苦笑いを浮かべた。
「石橋君、まずは乾杯だ」
勧められるまま盃を受け取り、軽く杯を合わせる。
石橋は深いため息をつき、隠そうともせず疲れを露わにした。
だが、こうした遠慮ない態度は、石橋にはよくあることだった。
元総理たちも承知の上といった様子で、続く雑談は彼を労う言葉ばかりだった。
「いやぁ、見事だったよ。今日の国会は」
「石橋君、さすがだよ。あの賛成の波をまとめきったのは大したものだ」
口々に賛辞が飛ぶ。
石橋は軽く笑みを浮かべ、箸を進めた。
「これで有終の美を飾ったじゃないか。歴代の首相たちと肩を並べる功績だよ。よくやった」
その言葉で、石橋はこの会席の真意を悟った。
箸を止め、不満を隠さずに言葉を返す。
「いえ、私にはまだやるべきことがあるのです。国民からも続投も強く望まれているのですから……」
いつもの石橋節がしばらく続く。
その論舌は巧みで、誰も割って入ることができず、ただしぶしぶと聞き入るしかなかった。
やがて、保守派の麻丘が盃をおもむろに置いた。
畳に落ちた盃の音が、しんとした座敷に吸い込まれる。
誰もが次の言葉を待つなか、麻丘が低く告げた。
「石橋君――、もう十分だろう」
低く強い声が、畳の上に落ちる。
その一言に込められた二つの意味を、石橋は即座に察した。
「立つ鳥跡を濁さず——だ。引き際こそが肝心なのだよ。君はその民意立案制度という手柄を残した。それを胸に、次へ――バトンを渡す時だ」
石橋も負けずに、視線を逸らさず答えた。
「私はまだ、多くの国民から続投を望まれているのです」
政権支持率がやっと20%を超えた程度で……
元総理たちの呆れるようなため息が、部屋の空気を重く沈めた。
やがて、料理を食べ終えた石橋が口を開く。
「……今夜はもう疲れているので」
言い終えるより早く席を立ち、その一言だけを置いて背を向ける。
それを合図にしたかのように、会席は静かに終わりを告げた。
廊下に出ると、待合で控えていた吉川に短く命じた。
「――さっさと車をまわしなさい」
吉川は慌てたように駆け寄ったが、ただ黙々と職務を果たすかのような静けさだった。
石橋は足を止めず、どすどすと歩き続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
※ 本作は近未来を舞台にしたフィクションです。
現実の政治・社会と重なる部分があるかもしれませんが、
登場するすべての団体・人物・名称は創作であり、
特定の組織や個人を批判・揶揄する意図はありません。
「国家改革」をテーマとした物語としてお楽しみください。
※ 作中の政党名はリアリズムを高めるため、以下のように置き換えています。
自由党・公免党・民立党・民国党・参節党・一心の会・れいの真誠組・共同党・
社守党・日本維持党・チーム将来 など
(ストーリーの進行に応じて変動・追加される場合があります)
※ 本作は物語を補完しながら進めているため、すでに投稿済みのお話にも、
必要に応じて加筆や修正を行うことがあります。
ストーリーに関わる大きな変更を加える場合には、まえがきでその旨を
お知らせしますが、ここで主にお伝えしたいのは、文章の細かな表現や
ニュアンスに違和感を覚えたときに行う、ちいさな手直しについてです。
※ なお、本作の文章推敲や表現整理の一部にはAI(ChatGPT)の
サポートを利用しています。
アイデアや物語の内容はすべて作者自身のものであり、
AIは読みやすさの調整や資料整理の補助のみを行っています。




