表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

お気軽ショートショート

嘘の代償

 夕食時、テーブルを挟んで妻と向かい合い、皿の上の肉をナイフで切り取って口に運ぶ。


 噛んだ瞬間、わずかに顔がしかめたのを、見逃されなかったらしい。妻が不安そうに尋ねる。


「……美味しくなかった?」


「いや、ちょっと口に合わなかっただけ。味付けの問題じゃなくて、肉そのものかな」


 ── N県産の牛肉は、美味しくなかった。


 それが、すべての始まりだった。


* * *


 数日後、私は謝罪会見の壇上に立っていた。


 うかつだった。


 あの食事の翌日、インタビューの中で、つい口をついて出た言葉だった。


「正直、あのN県産の牛肉は少し固くて……」


 政治家という立場で、公の場でああも率直な発言をするべきではなかった。味の感想が真実だったとしても、それが市場や農家に与える影響を思えば、慎重であるべきだった。


 今回の件も、本当は嘘をつきたくない。


 私は政治家でありながら、可能な限り正直であることを信条としてきた。


 だが──


「今回、不適切な発言があったことを深くお詫び申し上げます」


「ですが、自宅で確認したところ、私が食べたのはN県産の肉ではなかったようです」


 違う。本当はN県産だった。だがマスコミに確認する術はない。私は、嘘をつく。


「また、味についても、肉自体に問題があったのではなく、私の調理が未熟だったせいかもしれません」


 違う。あれを焼いたのは妻だった。味付けもすべて、彼女の手によるもの。


 だが、妻の料理が不味かったと言えば、妻への態度が問題視され、別の騒動になるだろう。


 私はさらに、嘘を重ねた。


 胸が、痛んだ。


 ──嘘をつく代償を、私はよく知っている。


* * *


 会見を終えて帰宅すると、妻が笑顔で迎えてくれた。


「あなた、お疲れ様でした。……私の料理を庇うために、“自分が焼いた”なんて言ってくれたのね」


 そして、少しだけ寂しげに微笑む。


「でもね、正直に言ってくれてもよかったのよ? 美味しくなかったのなら、そう言ってほしかった」


「今夜のおかずは、肉じゃがよ」


「ああ、ありがとう。楽しみにしてる」


 笑顔でそう答える。


 ──嘘をつく代償を、私はよく知っている。


 それは、初めて彼女の手料理を食べた夜、“美味しい”と言ってしまった代償だ。


 あれから数十年。私は今も、その代償を払い続けている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ