嘘の代償
夕食時、テーブルを挟んで妻と向かい合い、皿の上の肉をナイフで切り取って口に運ぶ。
噛んだ瞬間、わずかに顔がしかめたのを、見逃されなかったらしい。妻が不安そうに尋ねる。
「……美味しくなかった?」
「いや、ちょっと口に合わなかっただけ。味付けの問題じゃなくて、肉そのものかな」
── N県産の牛肉は、美味しくなかった。
それが、すべての始まりだった。
* * *
数日後、私は謝罪会見の壇上に立っていた。
うかつだった。
あの食事の翌日、インタビューの中で、つい口をついて出た言葉だった。
「正直、あのN県産の牛肉は少し固くて……」
政治家という立場で、公の場でああも率直な発言をするべきではなかった。味の感想が真実だったとしても、それが市場や農家に与える影響を思えば、慎重であるべきだった。
今回の件も、本当は嘘をつきたくない。
私は政治家でありながら、可能な限り正直であることを信条としてきた。
だが──
「今回、不適切な発言があったことを深くお詫び申し上げます」
「ですが、自宅で確認したところ、私が食べたのはN県産の肉ではなかったようです」
違う。本当はN県産だった。だがマスコミに確認する術はない。私は、嘘をつく。
「また、味についても、肉自体に問題があったのではなく、私の調理が未熟だったせいかもしれません」
違う。あれを焼いたのは妻だった。味付けもすべて、彼女の手によるもの。
だが、妻の料理が不味かったと言えば、妻への態度が問題視され、別の騒動になるだろう。
私はさらに、嘘を重ねた。
胸が、痛んだ。
──嘘をつく代償を、私はよく知っている。
* * *
会見を終えて帰宅すると、妻が笑顔で迎えてくれた。
「あなた、お疲れ様でした。……私の料理を庇うために、“自分が焼いた”なんて言ってくれたのね」
そして、少しだけ寂しげに微笑む。
「でもね、正直に言ってくれてもよかったのよ? 美味しくなかったのなら、そう言ってほしかった」
「今夜のおかずは、肉じゃがよ」
「ああ、ありがとう。楽しみにしてる」
笑顔でそう答える。
──嘘をつく代償を、私はよく知っている。
それは、初めて彼女の手料理を食べた夜、“美味しい”と言ってしまった代償だ。
あれから数十年。私は今も、その代償を払い続けている。