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第6話





フィリエルに案内されるまま、麦は村の広場を通り抜けた。


石畳の上には、かつて屋台が並んでいたであろう支柱の名残がぽつぽつと残されていた。

赤茶けた布が風に揺れ、誰もいないのに、つい人の声が聞こえてくるような気がする。


「ここは……?」


「市場だった場所。昔は魚や野菜、塩干物、布、薬草……なんでも売ってたんだよ。

でも、今は……ほとんど空っぽ」


フィリエルの視線は、広場の端にある小さな石造りの倉庫へと向けられていた。


「……空っぽ?」


「うん。あそこが配給倉庫なんだけど……中、見る?」


麦は無言で頷いた。



倉庫の扉は重く、きしむ音とともに開いた。

中には大きな木箱がいくつか積まれていたが、そのほとんどが空か、ほこりをかぶっている。


「これが……食料?」


「残ってるのは干した芋と、少しの塩。それと……去年の保存魚が少しだけ」


「こんなに少ないのに、みんなで分けてるのか……」


「うん。毎日、少しずつ。家族ごとにちゃんと渡るように、みんなで管理してる」


麦は倉庫の中を歩き、壁際に立てかけられた壊れた網や、干からびた魚の骨に目を落とした。


「……漁は?」


「海には出られない。龍人族の軍艦が近くを通るって噂があって、今は誰も船を出そうとしない。

それに、魚群も減ってる。海が……静かすぎるの」


「農業は……」


「畑はあるけど、土がやせてる。昔は魚の骨を肥料にしてたんだけど、それももう手に入らないから」


麦は倉庫の中の冷えた空気の中で、ポケットの中の鍵をぎゅっと握った。


この村は、静かに、でも確実に“干からびて”いる。


麦はまだこの世界のことを何も知らない。

けれどここに暮らす人々が、黙って耐えるしかない状況に置かれていることだけは、ありありとわかった。



フィリエルが、そっと言った。


「むぎ……大丈夫? 顔、こわばってる」


「……あ、いや……」


麦は首を横に振った。


「ただ……大変なんだなって…

…そんな言葉しか出てこないけど……」


その言葉に、フィリエルは少しだけ目を見開いた。


「……ありがとう」


「え?」


「そう思ってくれるだけで、なんか……うれしい。

この村、ずっと誰にも見られてなかったから。

“嬉しい”っていうのはちょっと違うか…。変な話だよね?

…でも、最近はめっきり減っちゃったんだよね。昔はもっと、他の集落や街との交流も盛んだったのに」


麦は、倉庫の奥の小さな明かり取りの窓を見つめながら、深く息を吐いた。


(俺に何かできればいいけど……)


その思いだけが、胸の奥で、確かに根を下ろしていた。



「むぎ、こっち見て」


フィリエルが倉庫の奥の壁を指差す。


麦が近づくと、木の板張りの壁に一枚の紙が留められていた。

日焼けし、端がぼろぼろになっていたが、そこには何かの地図が描かれていた。


「……これは?」


「この地域の“交易路”の図。昔は、ここから北の都市まで道が繋がってたの」


麦はまじまじと地図を見た。

線で結ばれた道と、赤い印で囲まれた港、麦のいる村の名前らしき記号。


「“交易港カンピル”、それから……“シオナ街道”?」


「うん。海からの物資がカンピルに届いて、それを街道を通じてこの村まで運んでた。

でも数年前の戦争の影響で、カンピルの港が閉鎖されて、道も崩れて……」


「つまり、外とのやりとりが……」


「全部、なくなったの」


麦は息を呑んだ。


道があるのに、通れない。

港があるのに、使えない。


“繋がっていない”という事実が、地図という形で突きつけられると、何か胸の奥が締めつけられるようだった。


その下には、小さな棚があり、そこに“配給札”が束になって並んでいた。


「正式名称は、“配給札パル・ルミア”っていうの。この村では、これが食べ物や日用品をもらうときの“引換券”みたいなものなの」


書かれた文字は見慣れない筆記体だったが、フィリエルが解説してくれた。


「これで、全員……?」


「うん。だから……病気の人や、赤ちゃんがいる家は、ほんとに大変。

たまに旅人が来て薬や乾物を交換してくれることもあるけど……それも、ほとんどなくなった」


麦はそっと、木製の配給札を一枚手に取った。


手のひらでその札をまじまじと見つめた。

細長い木片で、片面には独特の記号のような模様、もう一方には刻印のようなものが彫られている。


「それ、村の職人がひとつひとつ削って作ってるんだよ。

札には“使う人の家名”と“日付”、それから“配給対象”が書かれてるの。これは“芋用”、これは“塩”、これは“火種用”……って感じ」


「なるほど……何に使うかも種類があるのか」


「うん。一人につき一日一枚まで。

例えば家族が4人なら、毎朝4枚の札が渡されて、それで倉庫に来て食べ物や必需品をもらうの」


「……けっこう厳しいな」


「前はもっと融通が効いたんだけど、最近は在庫が少なくて……。

だから札の重さも、昔よりずっと大きくなってる。

……その札一枚が、“一日の命綱”って言っても大げさじゃない」


麦は思わず木札をもう一度手のひらで転がした。

たしかに、持ってみると意外と重い。これは物の重さじゃなく、命の重さだと思った。


「でもさ、それだと、病気の人とか子どもとか足りないんじゃないの?」


「……そう。だから、そういう家には、村の“配給会議”で特例が出されることもあるよ。

でも、それが毎日できるわけじゃないし、余ったものもないし……正直、ぎりぎりなの」


「会議?」


「うん。村の三家族の代表が交代で倉庫の管理をしてて、その人たちが分配の調整をしてる。

でも、最近は言い争いも多い。みんな余裕がなくて……」



ここまで説明したところで、フィリエルは一瞬だけ視線を落とした。


「この札があることで、平等にはなってるけど……

……同時に、“何もない”ってことを、毎日突きつけられるんだよね」


麦は返す言葉が見つからなかった。

木札の模様が、どこか祈りにも似た印象を残していた。


角が丸まり、何度も使われた形跡があった。

手触りが、誰かの生活そのものを語っているようだった。


ポケットの中の鍵が、重たく感じた。


“帰る方法”――

本来なら、それを最優先に考えるべきだった。


でも今は、なぜかその思考が、うまく動かない。


(今すぐ帰れるとして……本当に、それでいいのか?)


問いが頭に浮かび、それをそのまま呑み込む。

口に出すには、まだ早すぎる。


そんな時だった。


「むぎ」


フィリエルの声が、思考の流れを止めた。


「私たちのことは気にしなくて大丈夫。こう見えても、なんとかやっていけてるし」


「え?」


「こうして、誰かが“外から”来てくれて、この村のこと見てくれるだけで……少しだけ、気持ちが軽くなる。

誰にも言えなかったことが、少し言えるようになるの。それだけでも十分」


その声には、力を失いかけたけど、まだ光を手放していない人間の、芯の強さがあった。


麦は、何も言えなかった。


けれど、視線だけは、彼女の真っ直ぐな眼差しをしっかりと受け止めていた。



外に出ると、風が少しだけ強くなっていた。


広場には子どもたちの声が戻り、どこかの家からは火を起こす音が響いている。


麦はその音を聞きながら、思った。


(この世界は、きっと“夢”なんかじゃない。ちゃんと、…生きてる)


ポケットの中の鍵が、カタリと音を立てた。

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