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ゴンゴンゴンッ
鼓膜が破れそうな騒音で私は目を覚ました。
まぶたを擦りながら窓から外を眺めると、お空がほんのりと薄暗いのが分かる。星空と朝日の混じった薄紫だ。
その美しさに思わず二度寝の誘惑が私を襲う。だって目覚めるにはまだ早すぎるのだ。たとえ寝過ごしたとしても、朝食が片付かないです。と、呆れたジルが起こしに来てくれる。
「出てこい。アテナ・グレモリー!王命により、直ちに貴様を連行する」
だけど何処かのお馬鹿さんは、そんなことお構いなしに大声を張り上げた。
ドスの効いた男の声は、木製の扉越しでもよく響いてくる。おそらく先ほどの騒音も、この男が部屋の扉を力任せに叩いていたせいだろう。朝っぱらから傍迷惑な輩だ。
予期せぬ早起きを強要され、私は不満を募らせるばかりであった。せっかく心地のよい夢を見ていたというのに、その余韻すらぶち壊されたのだから、恨み言の一つや二つ唱えてやりたくなるのも、当然の心情といえるだろう。
でもそんな私の鬱屈とした気分など意にも介さず、扉はさらに激しく叩かれた。鉄の蝶番がギシギシと悲鳴を上げている。流石に外れたりはしたいだろうけど、このままだといつまで続けられるか分かったものではない。
「そんなに叩かなくても、私は逃げも隠れもしません」
私は辟易しながらも、しぶしぶ扉を開ける。するとそこには鎧で身を守る一人の騎士が立っていた。ランドよりも明らかに年上で、いかにも厳格ですといった面持ちをしている偉丈夫だ。
「ふん、生意気な小娘だ」
こういった高圧的な態度を取られることは慣れていた。むしろ騎士とはかくあるべきだろう。秩序を守ることが仕事の彼らは、相手が誰であろうと舐められてはいけない。ランドのように愛嬌が滲み出ている方が珍しいのだ。
「生意気な小娘はお嫌いかしら?」
「なぬ………」
「ほんの冗談です。でも王命に従う前に、身なりを整えて来てもよろしいかしら?」
さっき起床したばかりなのだから、私は当然のように寝衣に袖を通している。こんな姿で王宮を出歩けば、皆の笑い者になるだけならまだマシな方で、場合によっては不敬罪に問われるかもない。
公序良俗に頓着しない私でも、これが恥ずかしいと感じる程度の良識は持ち合わせている。でも私の の予想では、騎士から色良い返事はいただけないだろう。
「その必要はない。着飾ったところで、貴様の運命は変わらんのだからな」
「はぁ………ではこんなはしたない姿の私は、一体どこに連れていかれるというのかしら?」
「聖神教会の審問会だ。罪人は大人しく着いてくればいい」
概ね予想通りの返答に嫌気が差す。私の予想が正しければ犯人はかなり焦っている。腐っても私も貴族の端くれ。例え何かしらの罪を問われるとしても、それなりの手順を踏まなければ、審問会なんかに召集されたりしない。
さてはて、どうしたものか。
順当に手段を選ぶとすれば、ここは遅延行為に徹するのが上策だろう。理由は知らないけど、犯人は事を急いでいる。ならのらりくらりと時間をかけるだけで、それなりの嫌がらせになるはずだ。
「では参りましょう」
でも私はそんな無駄な事はしない。審問会に呼び出されることは予測していたし、それに対抗する策もジルにお願いしている。
「む!?」
「どうかされました?」
「いや。何でもない」
素直に部屋から出てきた私が意外だったのか。騎士は片目を吊り上げ驚いていた。といってもそれも一瞬のこと、すぐに胡桃のような皺を眉間に集め、不機嫌そうに睨みを効かせる。
よっぽど私のことが気に入らないのだろう。特に粗相を働いた記憶もないのだけど、こうも悪感情を露にされては私としても癪に触る。どのみち審問会までの短い付き合いなのだから、多少は我慢すればいいのに………まぁこれもいい機会だ。この状況を存分に利用させてもらおう。
「ま、待て!審問会に向かう前にこいつを、」
「もしかして私は縛られてしまうのかしら?ふふ、冗談です。屈強な騎士様がこんな非力で生意気な小娘相手に、そんな過剰な措置をする必要なんてありませんものね」
「くっ!?」
騎士はハッとした様子で腰に携えた手錠を手放す。よかった、よかった。皮肉が通じるぐらいの頭はお持ちのようだ。この様子なら、もうちょっとプライドを傷つけてあげれば………
「だが罪人には枷をつける決まりが」
「そもそも罪人かどうかは、審問会の結果により定まるものです。よって、いくら疑わしいとしても今の私は罪人ではありません。騎士なのに、あなたはそんなことさえ知らないのかしら?」
「な、な、な!」
適当な詭弁で捲し立てると、騎士の顔は茹でたタコのように真っ赤になる。別に罪人で有ろうと無かろうと、自身の責任で手枷をかけてしまえばいいのに。結局、この騎士は自身の保身しか考えてないつまらない人間なのだ。
あるいはこの騎士は、グレモリーのことが恐ろしいのかもしれない。若しくは魔女の噂か………頑なに私の名前を呼ぼうとしないのがそのいい証拠だ。
別に初対面の人間から怖がられるなんて、魔女になってから度々経験している。でも本当に怖がっていたのなら、あれだけ煽ったのが無駄になってしまう。
「つけ上がるなよ。魔女の分際で!?」
「っ!!」
でもそれは杞憂に終わる。
息巻いた騎士が、私の倍はある腕を振り上げたのだ。後はその調子で、私を殴るなり何なりすればいい。出来れば怪我が目立つ顔面なんかが最適なのだけど───そうすれば、暴力により自白を強要されていると、審問会の場で堂々と申し開きができる。
例え虚言であろうと、人は眼に入る事実で物事のあり方を判断するものだ。例えこの騎士が惚けたとしても、酷い怪我人というのはそれなりに同情を誘う余地がある。
もちろん痛い思いをするのは怖い。
でも不本意ながら、私はこの問題に他者を巻き込んでしまった。自分自身でも損な性格をしているとは思うけど、ランドにジル、この二人の恩に報いるためには、私は何だってしなければならない。
「ディルベット卿、この拳をどうするおつもりで?」
だけど、騎士の鉄拳が私に届くことはなかった。突然現れてた別の騎士が、私の眼前スレスレで鉄拳を受け止めたのだ。
目の前でガリガリと金属と金属が擦れる音が鳴る。後ちょっとでも受け止めるのが遅れていれば、私の額は割れてそこから血が吹き出したことだろう。
「あ、あなたは………ウィーバー卿か」
ウィーバーと呼ばれた騎士を、私はよく知っている。力強く意思が強そうなのに、自身の半分ほどの体格の少女に組み伏せられてしまうような情けない男。そう、私を助けたのは近衞騎士のランドであった。
「如何にも。重ねて問うことになるが、なぜ宮廷騎士であるはずのあなたがこんなところにいる?」
「ふん、王命に従ったまでのこと」
「はて………本当に王命であれば、まず近衞騎士にお達しがあるはずですが」
「疑うのならこの書状を検めよ」
「確かに………正式な書状のようだが」
「納得したのならこの手を離されよ」
ランドが手を離すと、ディルベットはこれ見よがしに自身の拳を愛撫する。まるでこちらに非があるとでも言いたいように。
「近衞騎士のあなたが来られたのならちょうどいい。書状のとおり、その娘を審問会の連中に引き渡しておいてくれ」
「………いいのか?」
「私とて不本意だったのだよ。あの下位貴族に顎で使われるのは」
言うが早いか、ディルベットは書状をランドに押し付ける。意図は不明だけど、任務を続けるつもりはなさそうだ。
「この恩はいずれ、」
「いや、それには及ばん。むしろあなたのおかげで、私は不名誉な汚点を残さず済んだ」
「それはどう言う意味で?」
「さあな。私の中にも、一端に良心というものがあったらしい」
「………どういうつもりかしらないが。今は感謝を述べておこう」
その後、ディルベットは何も言わずに私たちの前から立ち去った。先ほどまでの騒がしさが嘘のように、あたりは静寂に包まれいる。
安堵したのも束の間、私の足から力が抜ける。踏ん張りが効かなくなったのだ。私はまるで糸の切れた人形のように、その場でへたり込んでしまう。
「おい、大丈夫か?」
「何で………」
「ん?ああ、調べ物の続きをしていたら、虫の知らせがしてな。気になって様子を見に来たのだが、」
「違う!よりにもよって、何であのタイミングで止めに入ったのか。その理由を聞いてるの」
私は醜態を誤魔化すように喚いた。これが恥の上塗りになるのは分かっている。でも素直にありがとうを言えるほど、私という人間はできていない。
それに穿った見方をすれば、ランドが私の作戦を妨害したのも事実。文句の一つ口にしても許されて当然である。
「………アテナはもっと自分を大切にするべきだ」
「あなた、分かったうえで割り込んできたのね」
「否定はしない」
ランドは特に悪びれた様子もなく言ってのけた。薄々勘づいてはいたけど、ランドは私の意図に気がついた上でディルベットを止めに入ったのだ。
ランドのことだから、動機は義憤に駆られたとかそんなところだろう。騎士としてはなんと立派なことか。私が王様なら、名誉勲章を授与するところだ。
「おかげで全てがご破産よ」
「問題ない。アテナが無茶をしなくてもいいように、いい話を聞いてきた」
「へぇ………私の覚悟を踏み躙ったぐらいなのだから、さぞ有益なのでしょうね」
「もちろん。一昨日の晩、マルセル殿下が亡くなられる前に、どうやらマルセル殿下はアイリーン・エルマと会っていたようなんだ」
「え、それってつまり………」
二人が愛引きを、と口にしかけた言葉を咄嗟に飲み込んだ。一昨日の晩なら、私とマルセルの婚約はすでに破棄されていた。二人が何をどうしていようが、私には関係のない話でしかない。
思わず拳に力が入る。これではまるで、自分に言い聞かせてるみたいじゃないか。でも、そういうことなのだろう。マルセルはアイリーンのことを………
「す、すまない。配慮が足りなかった」
「いえ、余計なお気遣いは結構です。それよりも話が本当なら、かなりの可能性で毒を盛った犯人はアイリーンとなりますけど。そのことをどう証明するつもり?」
「………誠に遺憾だが、家名の力を借りる」
「そういえば、あなたはウィーバー家の者だったのね」
「別に隠していたわけじゃない。すでに知られていると思っていた」
三大貴族の一角であるウィーバーは、聖神騎士団の長を務める軍事のスペシャリストだ。この国でウィーバー家以上の兵力を有した貴族は存在しない。
ランドはそんな影響のある貴族の一員なのだ。審問会でその名をチラつかせれば、誰だって耳を貸す事だろう。
「なら時がきたらあなたを証人として呼べばいいのね?」
「ああ、俺の発言なら審問会も無碍にはしないだろう」
「分かったわ………」
大丈夫、こうなることは覚悟していた。さぁ、一世一代の悪あがきというやつを始めようではないか。




