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アテナの部屋の前で1人の少女がくつろいでいた。可憐で美しい少女だ。石畳の地味な廊下も、物憂げな彼女がいるだけで、季節の花が咲いたかのような華やかさがある。
少女の名前はジル・グレモリー、名前からも分かるとおり、グレモリーの家系に名を連ねる異才の持ち主である。とはいえ、ジルはアテナと違い外部から引き入れられたよそ者である。そのため真っ当な貴族としては扱われず、今はアテナの従者という立場であった。
「ha、モヤモヤするなぁ」
ジルの吐息にはある種の熱が込められていたが、別に誰かに恋焦がれているとかそういう話では無い。優れた容姿を有するジルにとって、異性など塵芥と同じだった。そんなジルが悶々としてしまうのは、今朝の出来事が原因である。
「あの騎士………ほんと何者なんだろ」
ジルは自らをランドと名乗った近衞騎士のことを思い返す。一介の騎士を名乗るにしてはあまりに貧弱なその男を、ジルはいとも簡単に制圧してみせた。いや、出来てしまったというのが的確だろう。
アテナからは5指に入る強さ。と、評価されているジルであったが、本人はそれほど自身の力を過信してはいない。先方に争う気が無かったとはいえ、ああも一方的にやられたのは何か理由があるはずだ。
ジルの好奇心はランドの真価に向けられていた。リフィル王の近衞騎士といえば、騎士の中でも精鋭中の精鋭が任命される。武芸百般は当然のこと、学問や内政にも精通している正真正銘エリートの肩書きだ。その実力は1人で100の軍勢に匹敵するとかしないとか。
「重心がブレていたのは体調が悪かったから?ならお互い万全の状態で戦えば………良くて辛勝、悪くて痛み分けといったところかな」
ジルは持ち前のイメージ力で何千、何万回の戦いを瞬時にシュミレートした。ランドの体格から想定できる膂力を導き出し、足の運びや体のこなしでどの程度武芸を修めているかを判別する。これにより、ジルは彼我の戦力差をかなりの精度で予測できてしまう。
常人を遥かに凌駕する思考速度と想像力。これがグレモリーに召し上げられた、ジル個人の異才である。この才のおかげで、若干10歳という年齢でリフィル王国に伝わる武芸は概ね修めていた。
「ジル、ちょっといいかしら」
うっすらと開いた扉から顔を出したのは、癖のついた白銀の髪が特徴的なジルのご主人様だ。全体的に色素の薄いアテナからは、いつも儚い印象を受けるのだが、今は見るからに疲れを溜め込んでいた。
アテナはついさっきまでランドと話し込んでいて、おそらく疲れているのもその影響である。ジルもアテナがのっぴきならない状況だというのは理解していたので、これぐらいの異変は見て見ぬ振りを決め込むつもりでいた。
「yah、なんでしょう。ご主人様」
「ねぇ、そろそろその呼び方やめてくれない?」
「それは無理な相談です。ご主人様がご主人様であらせられる限り、私は責務を全うしなければなりませんので」
「はぁ、昔のジルはどこにいったのかしら。アテナお姉ちゃん、と毎日付き従ってくれた無垢で可愛かった私の妹は、」
「なんとでも言ってください。それと、今の私はご主人様の義妹ではありませんのであしからず」
そう言うと、ジルは恭しい様子で頭を下げる。まるでアテナを拒絶するように深々と。
「はぁ、お姉ちゃんはさみしいわ。それより一つお願いを聞いてくださるかしら」
だがそんなことで引き下がるアテナではない。さらっとジルの両手を握り締め、逃げなれないよう動きを封じる。
もちろん、物理的に振り解くことなどジルには容易なことであったが、精神的にはそうはいかない。アテナは仕えるべき主人である前に、大切な家族でもあるのだ。
「む、内容によります」
あくまで仏頂面で対応するジルであったが、アテナは確かな手応えを感じていた。やさしい妹なら絶対にお願いを聞いてくれる。確信にも似た思いに、アテナは思わず笑みをこぼす。
「簡単なことよ」
アテナはジルに耳打ちするようにそっと顔を近づける。一瞬、恥ずかしそうに頬を赤らめたジルであったが、アテナが要件を伝えるとすぐに険しい顔となる。
「お断り申し上げます。ご主人様のお願いは私の職務を逸脱しています」
「そこを何とか。今度、焼き菓子を分けてあげるから」
「お菓子!」
ジルは夜空の星のように目を輝かせた。いくら職務を真面目にこなしていても、中身はまだ10歳の子供である。年相応に甘い物には弱いのである。
「契約成立ね」
「こ、今回だけです。次はありませんから」
ジルのなけなしの捨て台詞に満足したアテナは、ひらひらと手を振りながら自室のドアを閉めた。後は任せたと言わんばかりに。
「うぅ………また、まんまと乗せられてしまいました」
不貞腐れた物言いをしているが、ジルの口元は僅かに緩んでいた。なんだかんだ言いつつも、アテナに頼られてジルは嬉しかったのである。
「でも無茶だけはしないでね。アテナお姉ちゃん………」
部屋主に聞こえないよう小さな声で呟いたジルは、夜の王宮へと消えていった。




