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とある王宮のとある一室。山のような書物が埋め尽くすその部屋に彼女はいた。
化粧気のない顔で豊満とも貧相とも呼べない平凡なスタイル。かろうじて身につけている質素なドレスだけが、彼女を高貴な身の上だということを証明している。
彼女の名は、アテナ・グレモリー。三大貴族の一角であるグレモリー家のご令嬢であった。
「ふふ、いい香り………」
アテナは慣れた手つきで珈琲を注いでいた。飾り気のない簡素な机の上で、純白のティーカップはコールタールのような黒い液体を懸命に受け止めている。
珈琲の芳醇な香りを一通り楽しんだアテナは、役目を終えたティーポットを片付けると、今度は棚からお茶菓子を二つ取り出した。焼いた小麦粉の生地に砂糖をまぶした、お茶請けにぴったりの一品だ。
それらを手際よく机に運ぶ姿は、まるで花畑を散歩する働きバチのように軽やかな足取りだった。
「うん、この出来ならマルセルも納得せざるを得ないでしょう」
コンコンッ
アテナが自身のドリップした珈琲の出来栄えに満足していると、部屋に来訪者を告げる鐘の音が響き渡った。金属と金属がぶつかる重厚な音に、アテナはやっと来たかと言わんばかりに肩をすくめる。
※
「どうぞ、入ってください」
誰?と、問いかける必要もない。彼はいつも決まってこの時間にやってきては、微妙な笑みで私が出迎えるのを待っている。顔が良くて、珈琲が苦手な私の大事な人………ほら、思ったとおり。開かれた扉の向こうには彼がいた。
「いらっしゃい。マルセル」
彼の名前はマルセル・リフィル・カルド。顔がいいだけが取り柄のこの国の王子様で、私の婚約者でもある。
はて、今日はいつもに増して神妙な顔をしているようだけど、めずらしく風邪でも引いたのだろうか。
「すまない。今日は部屋に入るつもりはない」
「それはどうして?」
「今日は君との婚約を破棄しにきた」
「えっ!?」
マルセルがあまりに淡々としているものだから、一瞬、自分の耳を疑ってしまった。でも冗談を言っているようにはとても見えない。
「理由を聞いても?」
動揺を悟られまいと、私も精一杯の冷静を装って返事をした。そうでもしないと、すぐにでも泣き出してしまいそうだったのだ。
出会い頭でマルセルが神妙な顔をしていたのも、この事を伝えにきたからだろう。そんなに後ろめたいのなら、婚約破棄なんてやめればいいのに………今ならまだ、許してあげないこともない。
「僕には、君を幸せにすることができないから」
「っ、」
その宣言は私にとって十分過ぎる理由だった。マルセルもそれを分かっての発言だろう。
「………分かりました。その申し入れを受けましょう」
こうして私とマルセル王子の婚約は破棄された。私の返事に安堵のため息を吐いたマルセルは、そのまま足早に部屋を後にする。その背中を見送った私は、静かに一筋の涙を流した。
もうマルセルとは婚約者でも何でもないのに、赤の他人が部屋から出て行っただけなのに、どうしてこんなにも胸が痛むのだろうか………ああ、せっかくマルセルのために用意していたお菓子と珈琲も、全部、全部無駄になってしまった。
惨めだ。
胸の中をおぞましい何かが渦巻いている。マグマのようにドロリとして灼熱を発するそれは、今にも我が身を焼き尽くしてしまいそうで………そうか、これが誰かを憎むということなのか。
なるほどどうして、この衝動はなかなかのものだ。仮に千の謝罪と、上等な供物を用意されたところで鎮まることはないだろう。
復讐してやりたい。
そんな醜悪な思いが私の心を蝕んでいった。誰から構わず当たり散らしでもすれば、幾分かはマシになるのだろう。でも、独りぼっちになってしまった私に、そんなことをできる相手はいない。私にできるのは、この激情をいつものように心の奥底に押し込んで、固く固く蓋をすることだけ。
私は外の世界を拒絶するように、後ろ手で部屋の鍵を閉める。これでこの空間は、私の小さなお城に様変わりだ。
古い紙の匂いと、引き立ての珈琲の匂いが鼻腔をくすぐる。天井近くまで積み上がった本は、私を守る堅牢な砦といったところか。考えてみれば、私の人生はいつもこの本達に助けられている。
大衆小説から著名な学者が記した知恵の書まで、ここには私が好きな本ばかりを集めていた。その内容に想いを馳せれば、昂った私の頭も幾分か冷えることだろう………けど、今はそれすら億劫に思える。
私は本の間を滑り抜けて簡素なベットに身を投げた。柔らかいマットレスと枕に体を預け、少しの間だけ瞼を閉じる。
途中、部屋の外から誰かの声が聞こえた気がした。おおよそ従者が夕食の誘いをしにきたのだろう。起きなければならないのに、鈍重な体は指ひとつ動かない。そして気がつけば、私は夢の世界の住人になっていた。
そして次の日、
マルセルは死んだ。
寝耳に水とはよく言ったもので、私がその凶報を耳にしたのは優雅に惰眠を貪っていた時のことだ。起きた時にはお天道様はとっくに登っていたしお腹もよく空いていた。
いつもは従者の口うるさい小言で目を覚ますところだけど、昨日は自分で部屋の鍵を閉めていた。おかげでぐっすり眠れたと言えなくもなかったが、後で従者にこっぴどく叱られるのが目に見えている。
そんな憂鬱な未来に項垂れていると、固く閉ざされた扉の向こうがなんだか騒がしい。男と従者が何やら言い争っているみたいだ。気になった私は、部屋の中からそば耳を立てることにした。
「頼むから、大人しくここを通してくれ」
「No!見ず知らずのお方を、ご主人様のお部屋にご案内することはできません」
「お嬢さん………分かってくれ、俺は王より勅命を受けているんだ」
「私には関係ありません。これ以上は実力行使にでますよ」
「ちょ、待ってくれ。俺には大事な使命が、、、マルセル王子が亡くなられたんだ。この件を一刻も早く───がっ!」
突然、硬いものをぶつけたようなけたたましい音がした。ご愁傷様。私の従者を見た目で侮ったのだろう。あれは私の知る中でも5指に入る強者だ。並みの男など相手になるはずもない。
とはいえ最後に男は何と言った?
マルセルが亡くなった?いや、いなくなったの聞き間違いだろう。昔から思いつきで行動しては、周りのことを振り回す。それを生き甲斐にしているような男だった。
きっと今回も、王宮をこっそり抜け出して私のところに夜這いに来たとでも思われたのだ。そうだ。そうに違いない。
「………ああ、もう仕方ありません」
いまいち確信の持てない私は、寝たふりをやめることにした。別に、私を捨てたマルセルのことが心配なわけではない。私は私の中の好奇心という名の悪魔に負けたのだ。
ガチャ
扉を開けると、そこには見知らぬ男を取り押さえる従者の姿があった。彼女の名前はジル。私の大事な大事な従者である。
「おはようございます。アテナ様」
これは昨日から引きこもってた私に対する嫌味だろう。お日様はとっくの昔に昇っている。普段なら言い訳の一つや二つ並べたところたけど、今は床とキスしているこの男のことが優先だ。
甲冑こそ身に付けていないが、腰に剣を携えているところから、どこかの騎士であるのは間違いない。であれば、小柄なジルに組み伏せられたこの姿は中々に可哀想である。私はジルに軽く目配せしてその男の拘束を解くように促す。
「どうなっても知りませんよ?」
「その時はあなたが何とかするのでしょう」
「Yes、でも命の保障はできかねます」
「ですってよ」
男は必死の形相で叫ぶ。
「あんたらに危害を加えるつもりは毛頭ない。信じてくれ」
「こう言ってることですし、離してあげなさい」
「私はアテナ様の身を案じたつもりなのですが………どのみち、私の忠告に耳を傾けるつもりはないのでしょう」
「ふふ、流石はジルね。私という人間をよく分かってます」
「ha、勝手にして下さい」
小さな守護者の説得に成功した私は、床に這いつくばる男を部屋の中に入れた。ジルも交えて話ができればよかったのだけど、あいにくそれは出来ない契約だ。
「招き入れていただき感謝する。俺は───」
この男はランドと言うらしい。聞いてもいないのに勝手に自己紹介された。ランドは王直属の近衞騎士で、ここには王の命令により赴いたのだとか。
なるほど自己紹介にあった通り、精悍な顔つきとよく引き締まった四肢は鍛錬を積んだ騎士と呼べなくはない。でも先ほどジルに組み伏せられた情けない姿を見てしまっているので、ランドを精鋭の近衞騎士と認めるのには少し懐疑的なところもある。
「要点だけですが、以上が昨日あった出来事になります」
ランドの話は簡潔で分かりやすく、それゆえ私が下手な勘ぐりをする必要もなかった。
どうやら私の耳に聞き間違いではなかったようで、マルセルは本当に死んだようだ。この場合、私は泣き崩れでもするべきなのだろう。元とはいえ、マルセルは婚約者なのだからそうでなければおかしい。
「ふふ、」
だけど、込み上げてきたのは涙ではなく笑いであった。
「何を笑っているんだ?」
「いえ、お気になさらず………あなたには関係のないことですので」
つい自嘲してしまった。自分でも驚いてしまうほど冷静だったせいだ。
「………そうか」
でもランドには伝わらなかったのだろう。ランドは怪訝に私を睨みつけている。おそらく心の中では私に人の心が無いとでも思っているのだろう。まぁ、それには激しく同意するのだけど。
マルセルの死に対して、私は何一つとして思うところがない。せいぜい、ああ、死んだんだ。ぐらいの感覚である。
いくら昨日のことで恨んでいるからといって、自分がこんなにも冷たい人間だったとは思わなかった。周りの人間が私を蔑んでいたのも、あながち間違いではなかったのかもしれない。妙に納得が出来た私は、思わず笑いが込み上げていた。
それはそれとして、マルセルが死んだことへの純粋な疑問は残る。あのマルセルのことだから自殺だけは絶対にありえないだろう。だけど事故や他殺で死ぬには、この王宮の警備は厳重が過ぎて現実味に欠ける。並大抵の理由では死なせてくれない。
それこそ誰も考えられない方法と、それを実行できるだけの身分がいる………やめよう。これ以上考えたところで私には関係ないことだ。
「それで、話というのこれで終わりかしら」
「いえ、それが………」
「あ、そういえば人が尋ねて来たというのに、飲み物の一つ出していませんでした。今すぐ珈琲を入れますわね」
別にランドとお茶がしたかったという訳ではない。長話に付き合っていたら、ちょっと喉が渇いてしまったのだ。
「な!?」
さっきの怪訝な顔はどこにいったのやら、今度は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。どうやら思っていることが表情に出るタイプの人間のようだ。
それにしても、ふつう珈琲が嫌いなだけでここまで驚くだろうか。公の場ではないとはいえ、ランドも騎士を名乗る身だ。人からのもてなしをあからさまに無碍にしていては、騎士の体裁など保てはしないだろう。この王宮では尚のこと、ここはそう言う場所なのだ。
「け、結構だ」
「どうして?東の果てから仕入れた一級品よ。どんなに味が良くっても、一緒に飲んでくれる人がいないと物足りないわ」
「いらないと言っているだろう!」
推し図るつもりなど毛頭なかったのだが、青ざめたランドの顔色と、その頑なな態度で色々と察せてしまった。ランドは珈琲を嫌がっているのではない。私を怖がっているのだ。その理由は簡単、つまり私は───
「私は疑われているのですね」
「それは、」
「マルセルの死因は毒………食べ物あるいは酒にでも盛られたのかしら」
「!?」
私の悪いクセだ。
ついつい話し相手の隠している事を露わにしたくなる。ランドは沈黙を保っていたが、かえってそれは私の推測を肯定しているようなものだ。
そもそもおかしいとは感じていた。
マルセルの訃報を伝えるためだけに、近衞の騎士がわざわざ私の元を訪れるなんて、知らせを持ってくるだけならその辺の召使で事足りるはずなのだ。つまるところ、騎士ランドは私を捕えにきた審問官の代役といったところか。王宮の秩序を守る騎士の仕事も大変なことだ。
それにしても、私に嫌疑がかかっているなんて思いもしなかった。昨日から一度も部屋から出ていない私に、毒殺なんて芸当ができるわけがないというのに………でも悲しいかな。私には婚約を破棄されたという立派な動機がある。
「確かにあなたのおっしゃる通り、マルセル王子は毒殺され、その疑いは元婚約者のあなたに向けられている」
「黙っていたわりに、あっさりと認めるのですね」
そもそも黙る理由もないだろう。罪人として裁くために必要な動機が私にはあるのだから、さっさと枷をつけて牢屋にでもぶち込めばいい。
ほぼ一日中部屋に引きこもっていた私に、潔白を証明する方法なんてないのだ。私の儚い人生はここで終わり。願わくば、積んだままの本の続きを読んでから死にたかった。
「か、勘違いしないでほしいのだが、俺はあなたの味方だ。黙っていたのも、ただ言葉を選んでいたからで」
「みかた?こんな惨めな私に味方するなんて………よっぽど物好きなのね」
「物好きかどうかはさておき、我がリフィル王はあなたを微塵も疑っていない。真の罪人は他にいると確信を持って断言されておられた」
「へぇ、リフィル王がそんなことを」
これはこれは、思わぬ味方がいたものだ。
リフィル王、つまりマルセルの父君とは婚約していた手前、何度かお目にかかったことがある。性格は情に厚く厳格でありながら、家臣の言うことにも耳を傾けることのできる柔軟な思考の持ち主だ。
世が世なら賢王として名を連ねたことだろうけど、平和が続くこの国では少々求心力に欠ける。本人に富や名声といった我欲がもっとあれば話は変わったかもしれないけど………それは今考えても栓無きことか。
お優しいリフィル王のことだ。義理とはいえ娘になる可能性のあった私に、最大限の温情をかけてくれたのだろう。だから急時であるにも関わらず、こうして近衞のランドを寄越してくれた。
でも、たかだか騎士の一人寄越したところで何が変わるというのか。私には濡れ衣を着せれるだけの動機があり、おそらくそれは周知の事実になっている。
人の口に戸は立てれないのだ。グレモリーの娘が婚約を破棄されたなんて美味しい話は、今頃ところかしこで酒の肴にされているに違いない。
おそらくだけど、今後私は誰かに告発されることになる。そして神の名の下に裁判が開かれ、罪人として断罪された私は、物言わぬ骸となり果てるだろう。
はぁ、全くもって勘弁してほしい。
さっきまで気が動転して頭が回らなかったけど、こんなところで死を待つ必要もない。それこそほとぼりが冷めるまで王都を出るか、いっそのこと国外にでも逃亡でもすれば………ああ、なるほど、リフィル王がどういった意図でランドを送り込んできたのかようやく理解できた。
「あなたは楔なのね」
「それはどういう意味だ?」
「言葉のとおり、私をこの王宮に縛りつけるための楔という意味よ。おおよそリフィル王はこう言ったのではなくて?『グレモリーの娘に協力し、真の犯人を捕まえてこい』、と」
「なぜそれを!?」
相変わらずランドの表情は実に分かりやすい。おかげで私の仮説は、答え合わせをする必要すらなくなった。つまりリフィル王は協力者を差し向けることで、マルセルを殺した犯人を私に探させる腹積もりなのだ。
私も所詮はただの貴族。リフィル王が差し出した手を拒むということは、叛逆の意思ありと見なされてもおかしくない。つまりここから逃げるという選択肢は、先んじて塞がれてしまったわけだ。
従者のジルに懇願すれば、この王宮から逃げるくらいは可能かもしれない。でもその先に待ち受ける未来は暗く閉ざされている。何よりそれではジルも叛逆の罪に問われてしまう。
地獄に落ちるのなら、私一人で十分だ。
「ゴ、ゴホン。どうして分かったのか知らないが、そういうことだ。せいぜい頑張ってマルセル王子を殺害した犯人を探すことだ」
「………」
いや、もう一人丁度いいのがここにいるではないか。仏頂面で他人事と決め込んでいるようだけど、ランドもリフィル王からの私と協力して犯人を探すように命令されているのだ。私が冤罪で処されるとしても、それなりの証拠を揃えないとリフィル王も納得しないだろう。つまり犯人が見つからなければ、ランドも困るというわけだ。
どういう訳か本人はそれほど乗り気ではないようだけど、この際だから利用できるものは利用させてもらう。どうせ逃げることはできない。だったら最後の最後まで、このくだらない運命に抗ってみせる。
「他人事、とは良いご身分ですね。もしかして協力すると見せかけて、やっぱり私のことを害するつもりなのかしら?」
「そんなつもりはない。と、初めに伝えたはずだ」
「にしては非協力的な態度に見えますけど………私が処断されてしまえば真実は永久に闇の中。それはあなたも困るでしょ?」
「ああ………だがお前のような冷酷な人間に協力するべきか、正直なところ悩んでいる」
「むぅ、でも私とあなたの利害は一致してるはずです」
「これは損得じゃない。感情の問題だ」
「感情ですって!リフィル王からの命を一時の感情で反故にするおつもり」
感情などという不合理なモノを理由に、リフィル王の命令に背くランドの気持ちが、私には理解できない。王に忠誠を誓った騎士なら、その命令には無条件で従うものではないのか。
リフィル王国にとって王とは国そのもの。それに仕えている者が、個人の感情を優先するなんて許されるはずがない。
「そ、それはその通りなのだが………なら、一つだけ教えて欲しいことがある」
「………いいでしょう。私に答えられることなら何なりと」
「マルセル王子が亡くなられたと聞いて、あなたはどう思った?」
「どうと言われましても、」
また奇妙なことを聞いてくるものだ。
あんな裏切り者が死んだところで、私の心はこれっぽっちも痛まない。死んで当然、とまでは言わないけど、私を蔑ろにした報いを受けたのだな程度の感想だった。
願わくばマルセルには償いさせたかったのだけど………その願いが叶うことは未来永劫ありえない。なら、ランドの問いかけの返答は自ずと決まってくる。
「生きていて欲しかった。そんなところかしら」
「それは………本当なのか?」
「さぁ?私がこれ以上言葉を尽くしたところで、新たな疑問が生まれるだけでしょう。真実かどうかはあなたが決めることです」
「潔いのだな。まるで騎士のようだ」
「あいにくと、こう見えても高貴な血を引くものでして」
「グレモリーの血、か」
ランドの眉間にシワがよる。この様子だと、グレモリーの家柄がどういったものかご存知のようだ。
グレモリー、私の生家。長年リフィル王家に仕える大貴族であり、又の名を才能の蒐集家とも呼ばれていた。その由来はあらゆる才能を一族に加える節操の無さによるもので、貴族では珍しく純血にこだわりがない。
優れた才能はあまねく王家に仕えるべきだ。
そういう思想のもと、金と権力にものを合わせてあらゆる人間を一族に引き入れてきた。
相手が誰であろうと関係ない。時には常軌を逸した行動を取ることもあり、そのせいである逸話がリフィル王国には浸透していた。
悪さをすればグレモリーに連れ去られるぞ。
これはこの国で育った者なら一度は聞いた事のある常套句の一つ。小さい子供がいうことを聞かない時にとても便利らしい。
全く失礼な話だ。実際に人攫いをすることなどあまりないというのに………とにかく、グレモリーはしばしばこの国では畏怖の対象になるというわけだ。かくいう私も、マルセルと婚約するまでは『グレモリーの魔女』だなんて呼ばれ方をしていたこともある。
「もしかして私のことが怖いのかしら?………でしたら命令に反するのも納得というものですけど」
「ち、違う!」
「どうだか………あぁ、そうだ。いいことを思いつきました」
私は戸棚から珈琲豆の入ったガラスの瓶を取り出す。蓋を開けると芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。昨日焙煎を終えたばかりの豆なので、余計にそう感じるのかもしれない。
お気に入りの木の匙を使って、これまたお気に入りのミルに珈琲豆を移す。そして部屋の外で待つ従者にお湯を持ってくるように言いつけると、再び腰を下ろした。
「先程からこちらの真を問われるばかりで、少々不公平を感じてました。次はあなたが試される番でしてよ?」
私はランドに試練を与える。ランドの真意を知るには、これが一番手っ取り早い。
「ど、どういう意味だ」
「そんなに怯える必要はありません。いくらグレモリーに属するとはいえ、こんな小娘ごときに騎士様を脅かせるわけありません」
「くっ、」
ランドは口元を固く結ぶ。バカにされたとでも思ったのかもしれない。私にそんなつもりはこれっぽっちもなかったのだけど、いちいち勘違いを正すのも面倒だった。
私がミルを奏でると、豆を挽く小気味のいい音が部屋を満たす。いつ聞いてもこの音は安らぎを私に与えてくれる。
「おい、何をしている!?」
どうやら万人に当てはまる訳ではないようだ。ランドはさっきからソワソワと落ち着きがない。そんなに私のことが怖いのだろうか。
「なにって………珈琲を淹れてます。あなたに飲んでいただくために」
「な!?」
コンコンッ
豆を引き終わるとほぼ同時に、部屋の扉がノックされる。頼んでおいたお湯はもちろんのこと、トレンチの上にはご丁寧にドリッパーにカップとソーサーまで用意されていた。
これだから優秀な従者は困る。そんなに甘やかされてしまうと、自分では何もできないダメ人間になってしまう。とまあ、贅沢な悩みはこれぐらいにするとして、お湯が冷めないうちにさっさと珈琲を淹れてしまおう。
私は挽きたての珈琲豆の上からお湯を優しく注いだ。この時、ムラつきがでないように全体を馴染ませるのがポイントで、後は蒸らす時間で味が変わってくる。ランドもその様子をまじまじと見つめていた。もしかしたら珈琲を淹れるところを初めて見るのかもしれない。
「今日は少し長めに蒸らしてみましょう。昨日は短すぎて雑味が強く出てましたから」
「う、その黒い液体を俺が飲むのか」
「本当にあなたが私の味方であると証明したいのなら………別に嫌なら無理強いはしません」
「証明できなければ?」
「特に何も………引いて言うなら、近衞騎士ランドは噂が怖くて任務を遂行できなかった腰抜け。そのような評価を私の中で下すだけです」
「………はぁぁあ」
ランドはコルクの栓を抜いたような大きなため息を吐く。ランドが何を葛藤しているかは想像に難くない。私の淹れた珈琲に、毒が入ってないか心配なのだ。
当たり前だけど、そんな物は一切入れてない。それは目の前で一部始終を見ていたランドも分かっているはずである。それでも私への疑惑、グレモリーへのレッテル。この辺りが邪魔をして、ランドを怖気つかせているのだろう。それも仕方のないことではある。能動的に恐怖に抗える人間など、この世にそれほど多くないのだ。
さて、それはそれとして蒸らし終えた珈琲豆が余分なガスを吐き出し、ふっくらと膨らんで山となっていた。ここに追加のお湯をドリッパーに注ぐことで、本格的にカップの中に蠱惑的な黒い液体が滴り始める。
「さぁ、そろそろ返事を頂けますかしら?飲むのか、飲まないのか」
「………ありがたく頂こう」
「流石は騎士様ね。その勇ましさには感服します」
「勇ましくなんてない………ただ、高潔なあなたに協力してみたくなった。それだけだ」
「あら、冷酷な私に協力する気はなかったのではなくて?」
「あれは俺の思い違いだった。非礼をどうか許してほしい」
「………許しを乞うのなら、それなりの誠意を見せてほしいところです」
「分かっている。だからこそ行動で示そう」
そう言うと、ランドは珈琲の入ったカップを持ち勢いよく口につけた。
「!?」
私は驚きのあまり言葉を失う。
毒云々の話ではない。中身は淹れたて珈琲なのだ。いまだに喉を焼く程度の熱は持っているはずなのに、ランドは何の躊躇もなく飲み干してしまった。
「はぁはぁ、これで俺の言うことを信用できるか?」
「ええまぁ………それよりも大丈夫なの」
「少し後悔してるところだ」
「………あなたもしかして、とってもおバカさんなんじゃないの?」
痩せ我慢かそれとも強がりなのかは知らないけど、ランドは余裕の態度を崩さなかった。
「よく言われるよ………では改めて、亡きマルセル殿下の無念を晴らすため、私も微力ながらあなたに力をお貸しします」
「こちらこそ、度重なる無礼な態度をここにお詫びします。あなたの協力なくして、私はこの難局を打開することはできないでしょう」
こうして、私は近衞騎士のランドを味方につけた。
だけど本当の戦いはこれからである。私にマルセルの死の真相を突き止められる保証なんて、どこにもないのだから。




