ボクは聴いてしまった
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「静か、声、清らか」の三題噺です。
(以下、本文)
【1】
ボクが耳にした、一番清らかな声って、どんな声だろう?
赤ん坊の笑い声。
ウィーン少年合唱団。
まだ「ホーケキョケキョ」としか鳴けない若いウグイスの声。
妻の「おかえりなさい」。もちろん今でもですよッ。
【2】
ちょっと変化球を二本。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
閑さや岩にしみ入る蝉の声
ほら、声が聞こえるだろ? ただの文字の羅列なのに。
秘密は「漢字カナ交じり文」にあると思う。漢字は表音文字であり、表意文字でもあるから。
ためしに、漢字を締め出してみようか?
かきくへば かねがなるなり ほうりゅうじ
しずかさや いわにしみいる せみのこえ
もっとイタズラしてみようか。
牡蠣食えば金が成る也砲流地
死図傘屋違和西見入る瀬蓑肥
まるでワープロの誤変換だね。聞こえて来るのは騒音・雑音ばかりだ。
文学談義はこれくらいにして、先へ進もう。
【3】
清らかなるは神の声のみ?
そうなのかもしれないが、バチ当たりのボクに神様の声は聞こえない。
これが悪魔の声となると、年がら年じゅう聞こえているのに。
そんなボクでも、良心と言うのだろうか。
「そんな事はやめておけよ」、「やりたくないと言わず、ここはやっておけよ」とヒジを突ついてくれる「アドバイザー」はいる。
これは両親が慎重に育ててくれたものなんだろう。
お金よりも教育よりも、これが両親がくれた最大のギフトだと思う。
【4】
彼女は甘い甘い声の持ち主だった。
大学三年の時に付き合ったガールフレンドの事だ。
ボクの目を正面から見据えて話しかけて来ただけで、まるで全身にキスされたようにゾクッとした。
その頃、ボクは勉強も就職活動もほったらかして遊び狂っていた。
のたくっている人間には、のたくったツレができる。彼女もその一人だ。
最初は暗くて地味な「どこにでもいそうな女」「100万人の中の1人」としか思わなかった。
ツレたちと雑談した時(いや、あの頃はあれを論争と思っていたが)孤立したボクの味方をしてくれた事が何回かあったので、気があるのかと思って手を出した。
あっさり深い仲になった。
男あしらいには慣れていたが、男なら誰でもいいと言う訳でも無さそうだった。
一緒にいて楽しいと言う女ではなかった。
それはこちらも同じだから、鬱陶しさが二倍になっただけの事だった。
それでもガマンできたのは、彼女が家事をしない女、ボクの世話を焼こうとしない女だったからだ。
ボクのして欲しい事はしてくれなかったが、して欲しくない事もしない、ズボラな性格だったのである。
当時の流行り言葉で言う「ブリっ子」とは正反対にいる女だった。
ボクが洋楽ポップス(特にロック)について、曲がりなりにも自分の意見を持てるようになったのは彼女のおかげだ。
デヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』とミック・ジャガーの『プリミティヴ・クール』は是が非でも聴けと言われた。洋楽オタクの間では悪評サクサクの2枚だ。
「だからこそ、今、聴いとかなきゃダメなんだ」と彼女は力説した。
今だからこそ、彼女の言ってた事の正しさが分かる。
白歴史と見るか黒歴史と見るかは別にして、あの2枚を聴いとかないと1980年代のポップスを遠目に見る事ができないからだ。洋楽も邦楽も両方あわせてである。
U2やプリンスやストレイ・キャッツにばかり目を向けてちゃダメなんだ。
その頃のボクは「まだ」酒に弱かった。ちょっと呑んだだけで、人前でもグーグー寝てしまうボクに彼女は言った。
「アンタ、酒で身を滅ぼすよ。気の抜けたビールを『美味しい』と感じるようになったら気をつけな。そこから先は引き返せなくなる。運が良ければ生き残れるよ。」
彼女の予言は的中した。ボクがこうやって生きていられるのは彼女のおかげだ。
そのうち本にも映画にも飽きて来た。ボクが欲しかった答えは、どこにも書いてなかったからだ。
(人が書いた本の中に答えが書いてある訳がないのだが)
ヒマつぶしに、一人でテレビを見ていたら、親子別れのお涙ちょうだいドラマをやってた。
そのクライマックス・シーンで、いきなりボクは号泣した。
「自分のやりたいようにやる」生活も、もう限度だと思った。
いずれ、こう言う時が来ると聞いてはいたが、これがそうかと思った。
スーツを来て会社回りを始めたボクを見て、彼女は「退屈だ」と言って姿を見せなくなった。
別れの愁嘆場はなかった。
そもそも「さよなら」のひと言もなかった。
履きつぶした靴を捨てるような終わり方だった。
その後、彼女は大学をやめ、専門学校に入り直して歯科技工士になったそうだ。
彼女が勤める歯医者にだけは行きたくないものだ。
今、思ってもひどい女だった。
情緒不安定で自己顕示欲のかたまりで、そして大ウソつきな女だった。
でもでも、そんな彼女の寝物語はヒーリング・ミュージックみたいに安らいだ。
ウソに真実を配合した話。
ただし、その配合比率は「1パーセントから99パーセントの間」としか言いようのない話ばかりだったが。
その後40年、ボクは多くのものを手に入れ、そして、それら全てを食らい尽くした。
何もない白い部屋の中で、今こそ思う。
ボクは彼女の声なき声、音のない静かな音楽を聴いていたのだ。
それは清らかではないかもしれないが、人を生かすことも殺すこともできる力を秘めている。
だからこそボクは、文学と引き換えに全てを失う道を選択した。
気まぐれな芸術の女神、ミューズって、そういうものだろう。