デジタルの亡霊
僕はコンビニATMの前で、今後の推し活について考えていた。
気がつくと後ろに人が並んでいる。慌てて残高照会を終わらせ、そそくさと店を出た。
推しのユイカは、このところ活動が鈍い。
ネットを中心に活動していて、アバターの姿が基本だが、たまに顔出しもしてくれるアイドルだ。
僕は生配信でユイカの顔を見て、すぐに恋に落ちてしまった。
こんなに品のある美人が、その美貌を武器にせず、純粋に可愛らしい内面でファンを惹きつけている。
これこそ僕の求めていたアイドルだ!
……ったはずだった。
ユイカはネットに現れてすぐ数万フォロワーを得たにも関わらず、体調不良を理由に、だんだんと活動を休みがちになった。
最初こそ心配したものの、これまで反応してくれていた投げ銭にも、グッズを買った報告にも何の音沙汰もなく、次第に彼女への熱は冷めていった。
僕は、改めて貯金残高を思い出した。
半年で半減。もはやホラーだ。
そんな最悪の気分を、もっと深い底へと突き落としたもの。それは、何気なく眺めていたSNSだった。
ユイカが、反社の男と付き合い、妊娠したという噂。
投稿していたのは、夜の仕事をしている子のようだった。職場からホテル街が近いので、ユイカと男がホテルに入る姿を偶然目撃したらしい。
もう、お仕舞いだ。
奨学金を借りて有名私大に通いながら、健気にアイドル活動をしていたはずの彼女。
アイドルに裏の顔はつきものと分かってはいたが、ユイカだけは違うと信じていた。
僕が見つけた、僕だけが本当に愛してあげられる、僕だけのユイカ。
そんな想いは、他の有象無象のファンと変わらない陳腐な思い込みだったのだと思い知らされた。
すぐにSNSを閉じようとしたが、その投稿についた大量のコメントが気になる。
僕は、僕と同じ……いやそれ以上に彼女のことを最低だと叫ぶコメントが見たかった。
だが僕は、壊滅的に気分を害されることになった。
『私の先輩も見たって。ヤバそうな男とホテルに入ってったらしい』
『あ〜聞いたことある。トレードマークの黒髪ストレートそのまんまの姿で、メイクや服装もSNSの写真と同じらしいよwヤバくない?』
『私の通院してる産婦人科で見た。1人で来てたけど、あの格好は絶対そう』
最後のタレコミの生々しさには、目眩と吐き気すら覚えた。
そんな……
最初の噂にショックを受けたとはいえ、どこかで誹謗中傷の類いだと思っていた。
まさか、その噂が本当だと裏付けるような情報まであがっているなんて。
僕がユイカを誇りに思って推し続けた日々は、粉粉に砕け散った。
それから数週間、仕事が忙しかったこともあり、ユイカの件は頭の片隅に追いやられていた。
その日は、連日のように混む時間帯の電車に乗り、不快感を少しでも飛ばそうと、久々にスマホを手にした。
その時だった。
何か視線を感じた。
こわごわ周りを伺うと、隣の車両から、黒髪ストレートヘアの女がこちらを見ていた。
品のある、可愛らしい顔立ち。
ユイカだった。
目が合ったのは、ほんの2秒くらいだろうか。
彼女は僕からすぐに目線を外し、他の乗客に隠れて見えなくなった。
……なんという果報だろう!
仕事を頑張ってよかった!!
ゲンキンなもので、実際に推しに会うと、これまで冷え込んでいた心に、一気に熱が戻った。
もういっそ、元気な赤ちゃんを産んで、最高に幸せですと報告をしてくれたら、僕は満足だ。
「ユイカ、死んでんのヤバくない?」
は……
「11年前だって!ヤバいよね!闇深すぎ」
は……?
「は?」
僕は、声に出していた。
乗客の女たちは、怪訝そうに僕から顔を背け、変な男だと体をこわばらせ黙った。
ユイカには、真相があった。
ユイカは、有名私立大に合格した18歳だった。
しかし、彼女と付き合っていた同級生の男は、志望大学に全て落ちてしまう。
やむなく浪人生活を始めた彼だったが、都内でキラキラした学生生活を送る彼女とは、段々とソリが合わなくなっていった。
その上、彼の家は医学部以外の進学を認めない、厳格な家庭だった。
ユイカに強い未練のあった彼は、次こそは医学部に合格しようと焦るが、再び落ちて、2浪目になってしまう。
俺が不在なのに華やかなキャンパスライフを送る彼女が許せない。
俺を応援しないどころか、2浪するとわかった途端に、別れ話を切り出した彼女が許せない。
美しいユイカを、誰にも奪われたくない。
そして、それは最悪の結末となった。
ボタボタと落ちる赤い血は、数秒前までユイカの身体を流れていたものだった。
男は、懲役7年を終えた後、まともに就職した様子はなく、ほぼ引きこもりの状態だったという。
そして3年後、ユイカは再生した。
デジタルの中で。
僕は、ボーッとなりながらニュース記事を読んでいた。『ここからは有料』に難なく課金し、さらに読み進める。
男は、最初はアバターでユイカを演じていた。
付き合っていた頃の動画をもとに、声も本人のものに加工していた。
SNSには、彼のスマホにあった11年前の彼女の写真を用いて、あたかもリアルタイムのように投稿していた。
そして、次第に『ユイカ』に人気が出ると、今度は生配信を行うため、彼は女装した上、精密な加工でユイカの姿になって彼女を演じた。
男はなぜ、ここまでして、自分が殺した恋人を演じていたのか。
それは想像の域を出ない。
ただし、動画や投げ銭、グッズなどの収益は、全て遺族に渡してきたという。
僕は、ゾッとした。
いい話にするにはあまりにおぞましい。
娘を殺した犯人が、娘になりきって得た金を、どの親が気持ちよく受け取れるだろうか。
死んだ娘として生きてくれてありがとうなんて、気が狂っても思わないだろうに。
ちなみに、どうしてこの事件が表沙汰になったか。
それは、この男が再び罪を犯したからである。
男はここ数ヶ月、ユイカに似た女を見つけては連れまわし、時に錯乱して暴行に及ぶことを繰り返していた。
それがいきすぎて傷害罪となり、再び牢獄へ戻っていったのだ。
その事件がちょうど、ユイカの活動が途切れた時期に重なっていた。
僕は、とてつもないショックに打ちのめされた。
ATMの前で金の心配をした時に、ユイカからキッパリと心を離しておくべきだったのかもしれない。
そして僕は、次に湧いてくる疑問を、必死に頭に押し戻そうとした。
この展開を認めるのが恐ろしかった。
じゃあ、僕が電車で見たユイカは?
SNSの目撃情報は、おそらく男が連れ回した、ユイカに似た女だったのだろう。
僕はその噂を信じた。
実は全く違う人物、もしかすると複数の人物が、ユイカとして目撃されていたにも関わらず、僕の中では、それらの姿がユイカとして統合されていた。
僕が見たのは、噂がつくりあげたユイカの幻だったのだろうか。
だって、僕がユイカに恋をしたその時から、彼女はデジタル上に浮かび上がる亡霊だったのだから。