9 布石
サンクディルガの城の中庭で剣と剣がぶつかり合う金属音が幾度も鳴り響く。
剣の稽古の相手になっているのは、従兄妹のロザリンだ。
城に滞在してから三日を過ぎた頃、稽古を再開させた。
子供の頃からふたりはずっとアデルの兄たちといっしょに遊ぶことが多かった。剣術は遊びの延長だった。
女子であるロザリンが剣の稽古をする理由は、アデルと片時も離れたくないからだった。そして、いずれアデルの役に立てるだろうと考えて。
常人離れした力を誇る彼女には剣の腕にはかなりの自信がある。アデルはまるで歯が立たない。苦戦をしいられている。
ロザリンの戦い方は予想できない動きが多い。その上、一太刀一太刀受け取るたびに剣が重く、勢いで押し切る剣は、正面から受け止めるには、かなり勇気がいるし、恐い。
結局攻めよりは守りに入ることが多く、いいようにあしらわれて、消耗した末に、勝負がついた。
「やった、また私の勝ち」
「あー、くそー」
さんざんやられてアデルは地べたに伸びている。ロザリンは通算何万回目の勝利に喜ぶ。子供の頃から負けたことがない。連戦無敗だ。
「あー、疲れた。それにしても、毎日剣の稽古する必要あるのかなー」
「なに云ってんの。日々の鍛錬が大切なんじゃない。そんなことじゃラフィンスを討ち取れないわ」
「しっ、声が大きいよ。誰かに聞かれでもしたら」
周囲を見回す。幸い近くに人はいない。遠く離れた場所にサンクティルガの侍女たちがいるだけだ。(ついでに云うと、アデルについてきた侍女たちはローゼンウッドの祖国に帰してしまってもういない)
「やって損はしないわ。なにより腕がなまるしねー」
そう云ってブンブン肩を回す。力を持て余すように。
サンクティルガをどうこうする、それ以前にロザリンに勝たないと話にならないかもな。と密かに肩を落とす。
「あと、剣だけじゃなくて魔法も使えた方がいいに越したことないわね。あいつ、変な力使うし」
掌からはポンと破裂音がしたが、不発だった。
ムーと眉間に皺を寄せて唸る。いまいち要所要所コントロールできないようだ。
「そっか、魔法も使えた方がいいのか……」
それについては、未知数で予想もつかない。ロザリンも無理そうなのに、自分には果たしてできるのか?
「もう一回対戦する?」
「ちょっと、今日、調子悪い」
ごにょごにょとアデルは歯切れ悪く呟く。
「えっ、どうして?」
「……ちょっ、と。わぁ」
ロザリンが引っ張った拍子にバランスを崩して、ドサッと二人もつれ合うように地面に倒れこむ。程よく地面の草がクッションになり、ロザリンが覆いかぶさる。
彼女の赤い髪がアデルの頬にかかり、至近距離で見つめられる。大きなルビーを嵌め込んだような赤い瞳が彼を捉える。
いつも見慣れている相手なのに、心臓の鼓動が早鐘を打つように高鳴る。ふいに視線を逸らし、云いにくそうにアデルは頬を紅潮させる。
「今日は、なんとなく体調が万全じゃないんだ。ラフィンスの魔法で、女性の体に変えられている、から……」
口に出しては云いずらいデリケートな問題だが。
ふぅん、と頷くなり、おもむろにロザリンはアデルの胸を鷲掴みにして
「やだ、私より大きい」
思わずヘンな声が出そうだった。アデルはこらえる。
「あいつ、アデルが女の子の方がいいの?でも、そうしたら男の子としてのアデルらしさとかどうでもいいわけ?」
「でも、男の俺でもいいって云っていた……」
夜伽での一件を思い出す。どちらでも構わないと。
俺の妃でい続けろと確かに云っていた。
「でもさぁ。性別が変わると不便なとこもあるでしょ。キツくない?」
「…………うん、多少は……」
「何のつもりだろうね、あいつ」
「俺が女で、妃でいる方が、何かと体面的に都合がいいんだろ」
いや、違うわと、ロザリンが力説する。
「絶対、あいつはアデルを女にすることで、いつもと違う様子、恥じらったり、慣れない様子を見て興奮する奴だからよ。ヘンタイだわ!」
「そうなのかな……。いや、でもここにしばらくいて気付いたけど、意外とあの人まともだよ?」
「私たちより十個年上だから、分別のある大人のフリをしているつもりなのかしら、あれで。でも、十歳年下の私と対等に口喧嘩しているっていうことは、あいつの精神年齢も子供だってことよ」
「たしかに、な」
それは云えている。大人なら、まともにやりあわない。受け流すだろう。
「それに、趣味嗜好は隠しているだけでしょうに。うまく隠しきれていないけどね。だって、絶対すけべそうな顔しているもの。……ああ、私がいなかったら、今頃アデルはどうなっていたのかしら!?もしかして、あんなことや、こんなことをされていたと思ったら……!わたし……わたし……!」
えげつない妄想をして嘆くロザリンに呆れながら、ふと考え込む。
「あの、考えてみたんだけどさ。……ロザリンは、俺が男の姿の方がいいかな……?自分でも慣れないし、別人みたいな気がして嫌かなーと思って」
なんて云っていいのか。たどたどしい。
反応が気になる。すると____________
「えー。そんなのどっちでもいいわ。アデルはアデルでしょ。それにかわいいしね」
そう云って、ロザリンはアデルの頬に掛かる髪を撫でる。指が這うように滑り、ぞわりとする。
「胸もってことは……」
さらにはと、続けて
「……もしかして、下も……?」
腿の間に手を差し込まれ、次にされることを予想して、アデルはぎゅっと眼を閉じる。
アデルは思春期の男子だが、実は女性にはあまり免疫がない。
男兄弟に囲まれて暮らし、周囲にいる女子といえば、この従妹ぐらいで。普段意識していなかった身内のこの少女を突然女として意識してしまう。
頭がショートして、もう、どうにでもしてくれ、という、まな板の鯉のような状態。
だが、ここでふいに遠くから呼び声がした。
「あっ、おふたりともこちらにいらしたんですか!?」
ロザリンの侍女ふたりが走ってきてこちらに向かってきた。
「お嬢様、布をお持ちしました。汚れているのでお拭きしますわ」
「は~い。わかった、すぐに行くね~」
返事をしつつ、ロザリンは何事もなかったように侍女たちの元へ行く。
ひとり、ぽつんと残されたアデルは呆然とする。あの状況で、途中でやめられるということが、信じられない……!
あのとき覚悟を決めたのに、胸の高鳴りを返してほしい。
……って、自分は何を期待していたんだか……!
気まぐれな行動に振り回され、下肢の疼きと、なぜかモヤモヤが残った。