8 龍の礎
「貴様、何度云ったら分かるんだ!!」
城中にラフィンスの怒号が響き渡る。
またしても、やらかしてしまった。ロザリンの胸に後悔が去来した。
「あれほど注意しろと云ったのに全然聞いていないじゃないか」
「だって、仕方ないじゃないの。力が安定しないんだから」
魔法が暴走し、またロザリンに塔が破壊され、めちゃくちゃになった。これで何度目のことだろう。
「あーあ。薔薇と一緒よねー。育てて手入れするのは大変で時間がかかるのに、散るときは一瞬なのよねー」
「……貴様のせいだろ!補修するのにどれだけ手間と金がかかると思っているんだ。いい加減、力の加減を覚えて、おとなしくしていればこんなことにならずに済むのに、お前ときたら、子供じゃあるまいし。少しは加減というものを知れ!」
ロザリンに向かってお説教をくれているラフィンス。
黙って聞き続けることはなによりも苦痛だった。耳が痛いとはこのことだ。
「はいはい。あ~、もう。わかったわよ」
雑にあしらうと、さらに小言が返ってくる羽目になるのだった。
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「罰として、自分一人で別館に荷物を運び出せ。くれぐれも自分ひとりで、な」
そう云いつけられて、重い私物をリアカーで運び出す。もう何往復しているのだろう。
ドレスに装飾品、調度品にちょっとした小物。やたらめったら物が多い。だが、元より捨てるという選択肢はない。
疲れた。ひと休みしようと、晴れ渡った空の下。草原に膝を抱えたまま腰をおろし、ぽっかり浮かんだ雲を眺めていると、ひときわ大きく横たわる雲を見つける。
「あ、この雲、龍に似てる」
悠々と空を流れる龍の如き、流麗でみごとな存在感を誇る雲である。
ロザリンは、じとりと横目でうらめしそうに眺める。
「ねぇ聞いて、ひどいのよー。ラフィンスが、……あっ、ラフィンスって、この国の王のことなんだけど、あいつがさー私の魔法が暴走して城を壊すからって、いつも怒るのー」
力の加減がうまくいかず、いつも暴走する。能力が覚醒してから悩まされる。ロザリン本人にでもどうしようもない問題である。
「でもさー、あんなに云わなくてもいいじゃない。くどくどくどくど。そりゃ、私だってやりすぎたかもしれないけど……」
自分が悪いと自覚はしている。ときに反省を交えながら、一方的に繰り出されるのは愚痴だ。
「何であんなに怒るかな。あーあ、半分あてつけよ、きっと。……ああ、ムカつく」
喋っているうちに、あのときの怒りが甦ってきてしまう。
「アデルのこともあって、うっぷんが溜まっていて、私に当たり散らせるいい機会なんだわ。……お前は小舅か!」
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昼日中。アデルとロザリンの故郷、ローゼンウッドの王城にて。
城の中庭で、膝に愛娘を抱いたままエイセンはぼんやりと空を見上げていた。
彼はひたすら雲を消す練習に明け暮れていた。
魔法の実践書に載っていた。神経を集中して、念じながら眼に力を込めると徐々に消えてゆくそうだ。
初歩の魔法入門として、おもしろい手法だなと思って実践することにしたのだ。
いきなり大きいものを消すことは無理だ。
小さいものから徐々に馴らして、順番に大きなものを消していけばいいというのだが、なかなかうまくいかない。
「とーさま」
「なんだい、フィリア」
五歳になる愛娘は空を指差して無邪気に尋ねる。
「あの雲食べられるの?あまいの?」
「甘いかもしれないし、辛いかもしれないし、苦いかもしれないし、しょっぱいかもしれない」
エイセンの指摘にフィリアは眼を丸くする。ちょっと迷った末に、それでもいいと云い張るのだ。
「でも、あの雲は食べることができないんだ」「どして?」と門答がつづく。
「あ~んな大きい雲なんだから、たくさんのひとが食べられるはずよ!」
両手を拡げ、それでも足りないくらい大きな雲だ。
「どうぶつ……そうだ」考え込みながら「大きな動物が、龍が食べるかもしれないよ」
そういえば、訓練の対象とされる雲は、同時に龍の化身とも呼ばれている。実にややこしいところだ。
「かわいそうだから残しておこうか」
シュン、とフィリアが落ち込むような素振りを見せる。
父娘の不毛なやりとりを見兼ねたように、黒髪の美しい婦人がつかつかとやってくる。王妃であり、妻であるカトレアが口を挟む。
「もうっ、子供相手に適当なこと云うのはやめてください!」
エイセンは困ったように曖昧に微笑む。
「いや、子供の自由な発想力の芽を摘むのはよくない気がしたんだ」
いまいち理由になっているような、なっていないような理由だった。
________雲は無理なら、とフィリアの手を引いて連れ出す。
「おいで、砂糖菓子を拵えてもらおう」
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一方、ロザリンはあれからずっと空を見上げ、話しこんでいた。
気が付けば、時間を忘れてずいぶん長い時間雲に向かってたくさん話をしていた。
ひととおり話し終えてすっかり気が済んだのか、満足そうに呟いた。
「いろいろ話をしてすっきりしちゃった」
さてと、と。スカートの裾をとり、腰を上げる。
「あ、もうそろそろ行かなくっちゃ。聞いてくれてありがとう」
__________さっきから、行ったり来たり何往復もして大変そうだなって、気になっていたんだ。
と、雲が語り掛けたような気がして「大丈夫、ひとりでやるって約束したから」
ひらりと空に向かって手を振り、草原の広間を後にした。
「いいよ、手伝わなくて。ここで見ていて。最後まで頑張るから」
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「龍を見ることにどんな意味があるんだろう?」
「幸福の象徴。勇気ある者の証……かな」
ラフィンスとアデルは長椅子に腰掛け、広間にて話し込んでいた。
破壊された城による補修工事の間。城のすぐに隣の離れである別邸へ移動していた。
城の規模が縮小された灰色の要塞のような建物だ。
いまはラフィンスとアデルとロザリンと数人の使用人が滞在している。
「龍は神の遣い。めったなことで姿を見せないことから偶像であるとも呼ばれている。
ふだんは人々の前に姿を現さずに、雲や風に姿を変えて自然界に身を顰めているというらしい。とくに我が国サンクディルガでは王になる資質を持った者の前にのみ現れるそうだが……」
「ラフィンスは見たことがあるのか、龍を?」
「じつは、ない」
それでも王になれるし、ラフィンスは王になった。
「ただの空想や迷信の類だろ。見た者はだれもいない、と云われている」
談話の途中、ロザリンがちょうど帰ってきた。バタバタと階段を上る足音が響いた。
おーい、と、アデルが呼び掛ける。
「よかった早めに帰ってきて。さっきまで天気がよかったっけど、台風が来るかもしれないから、部屋でおとなしくしていろよー」
返事がなかったが、とりあえずロザリンには聞こえてはいただろう。
しばし考え込んで、アデルが疑問を口にする。
「……誰も見たことがないのに、じゃあ、なぜこんな伝説があるんだろ?」
「あ」、と同時にふたりは何かに気付いて声を上げた。
さっきまであんなにいい天気だったのに。先ほどからうって変わって、暗雲がたちこめ、急に雲行きがあやしくなってきた。風が強くなってきたことだし、これから台風が来るかもって云ってた。
不謹慎かもしれない。でも、嵐が来ると思ったら、わくわくしてしまうのはなぜだろう?
ロザリンの仮の部屋は棟のてっぺんにある。
ちゃんと戸締りしなきゃ。と、大きな鎧戸を閉めようとした刹那。
空から生み出されるように大きく風がうねり、かたちを成した。灰色の巨大な生物は先ほどのおおきな龍雲のすがた。
「さっきの!」
ロザリンが思い出して声を上げる。天上に舞う龍は、さながら再会を喜ぶように迫ってくる。
風に乗って語り掛ける。
___ようこそ、この地へ。この豊饒な大地へ。……ずっと待っていた。
_____ほんとうは、ずっとすっと、きみに逢いたかった。
……朋友よ!
しかし、ロザリンには聞き取れない。立っていられないほどの強い風に煽られ、髪を片手で押え、前のめりになりながらも真正面から吹きすさぶ風に立ち向かう。
大きな珠のような双つの眼がらんらんと輝き、左右にナマズのような長い口髭をたくわえた口元がゆっくり動く。
__________元気、だして。
声にせずとも、そう云ったような気がした。
「ありがとう!」
ぱっ、と明るく顔を輝かせ、ロザリンは龍の声援をしっかりと受け止めた。
……だが、ここからが問題だった。シュルシュルと身を翻し、退去しかけたときに龍の尾ヒレが塔にぶつかって、ドーンと物凄い音がした。
城壁がバラバラと崩れ、ロザリンが立っていたわずかなスペースを残し、塔が半壊した。
下の階にいるアデルとラフィンスにも聞こえたし、しっかり衝撃も伝わった。
既視感というべき感覚に、思わず呟きが洩れる。
「_______……あ、また壊した!」