2 薔薇と魔法使い
髪を下ろし、女物のドレスを身に纏い、アデルは隣国サンクティルガへと輿入れした。
それだけでは姫君に見えないかもしれないと、侍女の助言で薄化粧を施して手を加えてもらい、何とかかたちにした。
絶世の美しい顔には違いないが、キッと睨む鋭い光を放つ眼差しは、特有の気の強さと意志の強さがあらわれている。
王女としての作法を学び、侍女頭の教育係にすべての項目に落第点をつけられて、こっぴどくしぼられた。
たかだか数日間で詰め込めるものではない。ともあれ、なんとか乗り込むことはできたので、やる気は満々で。
俄然やる気が高まったところで、自分のいでたちを見て我に返る。慣れないことは、するべきではない。
湯あみの際、サンクティルガの侍女に「お背中をお流しましょう」という申し出を辞退して、ひとり入る池のような広い湯舟には薔薇の花びらがたくさん浮かんでいた。
濡れた髪のまま、素肌に布を巻き付けた格好で脱衣所から出ると、待ち構えていたのはふくよかで人のよさそうなオバさんたち。(おそらくこの城の侍女か下女だろう)
「さぁ。姫様お待ちしておりました~」
「まあ、玉のような美しいお肌~」
にこやかに出迎えられて、硬直する。
腕をむき出しにして、肌を大きく露出した格好を見られるのは、男だとバレるのではないかとアデルはハラハラする。
「陛下は、薔薇の香りがお好きなのよ~」
そう云って、香油を腕にたっぷり塗りたくってくれた。
________くっせー、紫蘇みたいな匂いがする!
ガサツで、男子にしてみたらフレグランスもエチケットもへったくれもない。
危うく顔に出そうになりながら、ぐっと堪える。
「でも、よかったわ~」と、侍女のひとりが話し出す。
「城の中で、ずうっと浮いた話のひとつもなくて、心配してたのよ~~~」
「こんなきれいな姫様が来てくれてうれしいかぎりだよ~」
世間話に付き合いながら、オバさん特有のホホホホと笑う声に辟易してしまった。
「自分の息子のようだと思ってるンだよ。仲良くしてくれるとありがたいよ~」
いまいち対応に困り、「はぁ……」と気の抜けた返事をしただけで精一杯だった。
アデルは自国から若い侍女をふたりばかり連れて来た。彼女たちは密偵や刺客のようなもの。護身術ができるということが最大の利点で、美しく器量よしの美姫と見紛う逸材。
彼女らは身動きが取りやすい簡素なドレスを纏い、双子のように見分けが付きづらい。
もし気に入って、お手付きになってもよい。妾に欲しいと云ってくるかもしれない。
それも視野に入れている。
……しまった。自分の身よりもこっちの娘たちを献上した方がよかったのでは?
それに自分の身代わりに影武者にしてもよかったのかも……。
と、後悔したところでもう遅い。結局自分で何とかするしかないのだ。
「ねぇ、この城、若い人ひとりもいないんだけど!」
「ここの侍女や下女って、何でオバサンばっかり……?」
あちこち城を散策し、情報収集して彼女たちがアデルの元に報告に来る。
「ここに来る前、女好きだって噂されていましたけど、どうやら違っていたみたいで」「あの人、女嫌いだって~」
「それ、私も聞きました!」
「え~~~!!」
侍女ふたりに告げられた事実に、アデルは呆然とする。
なんてことだ。色仕掛けでなんとかなりそうと思っていたのに、目論見が外れた……。
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湯あみを終えて、これから夜伽の時間になる。
みつあみも髪は解いて垂らし、フリルやチュールがごちゃごちゃ付いた薄物の白い夜着に身を包み、憮然とした顔でベッドの上で胡坐をかく。
大きな天蓋付きのベッド。もうじき奴が来る。
……まったく。
着つけが堅苦しい服から解放されて、軽装になったのはいいが、これから男を待って、攻撃する格好ではない。いくら奇襲にしても、この格好はみっともないな。
呻きながらガシガシと頭を搔く。とりあえずは余計な雑念を振り払い、戦闘態勢を備えようと、気持ちを入れ替えることにする。
「よし、来るなら、来い!」
覚悟を決めたちょうどそのとき、寝所の扉がノックされる。
「はい」と返事すると、灯りを消した部屋。すらりと長身の、長い黒髪の青年が部屋に入ってくる。彼が王、ラフィンスだ。
額には黄金の額飾り、黒い衣(ガウン?)を纏っている。
つよい光をたたえる漆黒の睛。なかなかの美形だが、あいにくアデルは男なので、この男の美醜などどうでもいいことだ。
実は婚儀の際、彼はなぜか黒い布で顔を覆い隠していた。なので、実際の容貌を見るのはこれがはじめてだ。
アデルは、慌ててシーツの下に隠した短剣を引き抜き、刃先を向ける。
「ラフィンス、覚悟しろ!」
が。威勢よく剣を持ったまま見えない力に跳ね返され、ベッドに倒れ込む。
予想外の力が加わり、面喰う。
「くそ……!」
「物騒だな。寝台で持ち込むようなシロモノでもないだろう」
彼は、取り立てて驚きもせず、ゆったりとした口調で窘めた。
攻撃がきかない。なんだ、これ、魔法か
ラフィンスは元々ローゼンウッドの魔法使いであり、前王を亡き物にした後、王に成りあがったと聞いた。
地を蹴り、高く跳躍する。
再び剣を振りかざすが、あっさりと避けられる。
そのはずみで、剣が布団に突き刺さり、中の羽毛が飛び散る。
「しかも宝剣だ。重いし、切れ味も悪かろう?」
「悪いか⁉これしかなかったんだよ」
見栄えだけを重視して作られた、飾り立ててゴテゴテしたものだ。ないよりはマシ。切れないこともないだろう。荷物検査というものがあって、こっそり持ち込むのはこれが限界だった。
ふいにアデルの腕から薫る薔薇の芳香に袖元で鼻を覆って、ラフィンスは少し顔をしかめる。
「ほぅ、薔薇のいい香りだ。_____が、少し匂いがきついな」
「くさいだと!______あんたが好きって云ったんだろ!」
カッと、怒りに身を任せ、今度こそはと体勢を立て直し、剣を構えなおした。
だが、まったく慌てた様子もなく、ラフィンスが手を翳す。
「……うわぁあっ!」
ふわりとアデルの身体が浮き、身体が仰け反る。突然の攻撃に面喰らって、慌てふためく。
「威勢がいいな、気に入った」
「やめろ、何するんだ!俺は男だぞっ!」
勢いよく叫んだはずの声が裏返った。腰に手を回せれ、あっさり捕らわれの身となる。
「構わん」
ポワン、と煙が上がり、アデルの身体に異変が起こった。躰はひと回り華奢になり、くびれが出来、膨らんだ胸元を抑える。
「わっ、」驚いて眼を剥く。
ラフィンスが魔法を使って女に姿を変えてしまった。
「これが噂に聞きし姫か、やはり美しいな」
眼を細め、うっとりと眺める。
「俺は魔法でお前を女にもできるし、何なら別に男のままでい続けてもいいんだぞ」
にやり、としてアデルの顎を捕らえて顔を上向かせる。
「女装でも魔法でもよい。一生俺の妻でい続けろ」
「…断る……っ!」
窮地に立たされ、絶体絶命のピンチだ。いくら剣術の腕があっても、相手を討ち取れなければ負けだ。
そんな。_________こんなに呆気なく……。
ラフィンスの顔が間近に迫る。切れ長の双眸は黒かと思ったらよく見たら紫色で、黄金の斑に散っている。
____えっ……?
紫紺の睛は魔族の証と聞いた。その上、髪で半分隠れた耳もよく見ると尖っている。
……こいつ。
もしかして、彼はヒトではないのかもしれない。
ラフィンスがさらに迫って来たので、断末魔のような悲鳴を上げ、夜伽を中断させた。
貞操の危機から逃れるための強制終了だった_____。