17 幻惑の夢 2
或る晴れた午后。せっかく天気がいいのだから遠出しようという話になり___________
「なぜ、こうなってしまったのだ……」
ラフィンスはアデルと共に森へ行く、はずだったのに、ロザリンも同伴することになり、三人揃って馬で遠出することになった。
「なぜ、森に行くんだ?」
「見せたいものがあるんだ、お前に」
なんだろう?と、思いながらアデルは誘いに乗り、久しぶりにドレスではなく乗馬服に着替え、馬に乗る。
三人で轡を並べ、城の敷地内を抜けて、昏く、鬱蒼とした緑の中を駆け抜け、森にわけ入ったとき。
藪からとつぜん人影が飛び出してきた。
「うわっ、魔族だ!」
村人とおぼしき壮年の男がラフィンスを見るなり、声を荒げ批難した。
「お前のような者がこんなところに居ていいわけがないんだ。とっとと消えちまえ」
こちらが驚いているうちに、男は逃げるように走り去って行った。
「ちょっと、なによ今の!追って注意しましょうよ!」
憤慨するロザリンをラフィンスが窘める。
「いいんだ、云ってもムダだ。いちいち注意したところで、やつらは魔族に対して偏見があるし、理解もしないんだから。キリがない。こういう対応には慣れている」
「なぜ?」とラフィンスに喰って掛かる。
「あなたはこの国の王でしょう」ロザリンがぴしゃりと云い切る。
はっとするほどの権幕を感じられたので、アデルも驚いた。
「王なら、さっきのような痴れ者はとっくに処罰していいものなのに」
「おおげさだ」とラフィンスは寛大な態度をとる。
それでいいのか?と問うアデルにいいんだ。と頷く。
「まったく、自国の王の顔も知らないなんて、信じられないわ」
と悪態をつく。ロザリンがラフィンスの肩を持ち、彼のために腹を立てるなんて、妙な気分だ。
「ひと気のない集落の村人には知らなくて当然だ」
「ところで、ラフィンス見せたいものって何だ?」
「この洞窟だ。本来なら俺の生まれ故郷の里がある洞窟に案内するつもりだったけれど、残念ながらここではない。代わりに、雰囲気だけでもと思って案内したんだ」
カンテラを手に三人は森の中の巨大な洞窟内へと入った。
ひんやりと冷たい空気が支配する空間。
灯りを照らすと長い影が伸びる。
奥行はだいぶ広く、村ひとつ分の広さはないが、貴族の屋敷のひとつやふたつ、優に収まってしまいそうなくらい広い。
何千年、何万年と気の遠くなるような年月をかけて大自然が造り上げたものだ。
「魔族の村は、元はローゼンウッドとサンクティルガの境に位置する場所にあった。
俺もそこで生まれた。だが、人間たちからの奇襲が過激になってくると幻術を使い、目隠しして里の気配を消した」
「でも、ここはサンクティルガだろ。さっきの男はどこに魔族がいるのか詳しく
知らないんだな」
「いや、ひそかに棲む場所が移動している、集落である洞窟ごと。神出鬼没の存在らしい。だから、この洞窟が今現在の彼らの住まいであったとしても何ら不思議ではないんだ」
「一度出たら、二度と戻れないのね……」
親兄弟とも今生の別れになる。
「自力で探すことはかなり困難だろう。仕方がない。彼らの身を護るためだ」
「人間が危険な存在だと騒ぎ立てる、魔族と人間はどう違うんだ?」
「耳が尖っていて、牙があり、髪と眼の色は漆黒。常人にはない身体能力を持ち併せ、邪悪な心があるといわれるが、定かではない」
「他には?」
「他に、といえば、特筆すべく特徴は思い当たらない」
もしかして、本当はヒトと大して違いなんてないのかもしれない……。自分でも分からないのだが。
「あんまり違わないんじゃないか」
アデルの一言にハッ、とする。思っていたことを見透かされたように驚いた。
「昔は魔族と人間は共存しながら暮らしていた」
「じゃあ、なぜいっしょに暮らせなくなったんだ?」
「魔族のひとりが人間を攻撃して暴動を起こした。それで彼らは棲む場所を追われたんだ」
「せっかく幸せに暮らしていたのに、余計なことをしてくれた奴が居たもんだよな……」
「いや、遅かれ早かれ、いずれそうなっていたのかもな、と俺は思う」
「やっぱり、種族の違いって、相容れないものだからかしら?」とロザリン。
「そうだろうな。どうあがいたって、起こってしまった過去は変えようがない……」
ラフィンスはどこか遠くを見つめるような視線で、思いに沈む。
もう生まれ故郷を離れて、随分年月が経過した。
繁みの奥に隠れるように魔族はひっそりと暮らしているのだろうか。
人里離れた場所に身を隠し、迫害を受けないように身を寄せ合って暮しているのだろうか。隠れた場所に王国を築いているのだろうか。それとも、絶滅しているのか。わからない。
「魔族の一人が悪いことをしただけで、何も魔族全部が悪いわけじゃないだろ」
アデルの云い分に感銘を受けたのか、う……。じわりとロザリンの眼に涙が浮かぶ。
「……やさしい!やさしい!なんて、アデルってやさしいの……」
涙目になって泣きじゃくりながら、アデルの腕にすがりつく。従妹の反応にぎょっとする。
「おい、何でお前が泣くんだよ」
「だって~かわいそうじゃない~」
「お前が泣くのはおかしい」
ラフィンスもアデルと同意見だ。なぜ、急に泣きだしたのか。
「ヒトじゃなくてもひどいことされたら誰だって悲しいに決まっている。こんなのいいはずがないよ」
エッ、エッ、とロザリンはアデルの腕で涙を拭きながら泣きやまない。魔族に感情移入して同情してしまったようだ。
しばし泣きつづけ、ようやく収まったところで、じっと眼を凝らし、ラフィンスの顔を見つめる。勘違いしてしまいそうな至近距離にまで顔を寄せてくる。
「そういえば、私。前々から思っていたんだけど、あなたが他人とは思えないような気がするんだけど」
「えっ」
まさかの言葉に絶句する。同類とは、同じ匂いがするとは云うけれど、親近感を湧かれていたとは夢にも思わなかった。
「人間が魔族を本格的に憎悪して、排除する。その引き金になる出来事があった。
魔女ネフェルフィートが村々を襲い、ローゼンウッドの初代王に打ち滅ぼされたことが、決定打になった」
「それに何の関係があるの?」
「ネフェルフィートは魔族の血を引く女だったからだ」
この後、行儀作法の習い事があるので、ロザリンは一足先に城へ戻ることにする。
なぜか、宰相のヴィンセントに眼をつけられ、貴族の娘が行儀作法のひとつもできなくてどうすると説教させられ、ロザリンの侍女たちも丁度いい機会だからと推奨しているので、嫌々行くのだ。
時間が来たので、ロザリンはひとりで帰る。
本音を云うのなら、アデルも一緒に引き上げてほしかった。まったく、女の子ひとりだけで行かせて、心配にならないのかしら。
まだしばらく、この洞窟にふたりで残ると云う。いまいち煮え切らないものを感じて、もやもやしていた。
アデルとラフィンスのふたりはいまだ洞窟の中を歩いていた。
ただひたすら歩いて、ある場所を目指していた。
「もっと奥の方に祠があるはずなんだ。昔、先住民が宗教的儀式をしていたらしい」
「ふぅん。なぜ、そんなものを見たいんだ?」
「ただ単に興味があるからだ。俺は王になってからの在位はまだ三年にすぎない。この国や城の歴史も無知に等しい。城の敷地や建物にあちこちに過去の歴史に関する遺跡がのこされている。それを探して調べれば、少しは把握できると思ったからだ」
「そういえば、一度、ロザリンによって壊された______あの塔には悪さをする龍がいて、かつて封印されていたのだとか噂があったな」
「よく知っているな」
「侍女たちが噂していた」
「大昔に龍が逃げた後で良かったよ。……ああ、本人は台風が来たからだと、天候のせいにしていたけど」
「元々、龍って、自然から派生していないか……?」
「じゃあ、自然に還っていったんだろうな」
もう少し距離があるらしく、歩きながら無言になってしまって、他にも何か話せる話題がないかと考えあぐねる。
どうしようかと迷ってみて、思い切って尋ねてみる。
「……あの、訊いていいか?」
「なんだ?」
「ラフィンスの母親はどんな人だった?」
すると、ラフィンスの顔からは懊悩が浮かんだ。
一瞬、躊躇しながらも彼は口を開く。
「俺を産んだ女は魔族の女だった。ルシアンと若い頃に一夜限りの関係を結んで、俺を産み落とし、一緒に暮らせないと分かっていて、または本人にその気がなかったのか。または、そのどちらでもあったか。赤ん坊だった俺を置いて、忽然と姿を消した」
淡々と告げながら、彼特有の強い眼差しから眼が逸らせない。
横顔を見つめながら、どんな想いでこの話を打ち明けているのだろうと、ラフィンスの心中を思った。
魔法講義の先生のルシアンはラフィンスの父親だと云っていた。ルシアンは人間だ。
ということは、ラフィンスは人間と魔族のハーフということだ。
「ラフィンスは子供の頃、郷を出て、外の世界を覗くことはあったのか?」
「父親であるラフィンスが魔法使いで、人を集めて定期的に講義を行っていた。
それもあって、俺は子どもの頃から人里に降りて講義を受けていたんだ」
「それでラフィンスは魔法が使えるのか……」
本人の努力もあるだろうけれど、その魔力は遺伝によるものも強いっはずだ。
城の庭園でだいぶ砕けた様子で喋っていたふたりの様子を思い出す。
「それじゃあ、先生とは一緒に暮らしていなかったのか?」
「あんなのと暮らすわけないだろ。あいつにはいつも女の影が絶えないし、別々の女との子供がたくさんいる。にもかかわらず、結婚したことすらない。おそらく生涯独身だろう、あいつは」
ラフィンスが憤慨した。暗くなりかけていた話題が少しは明るくなってよかったと、思うのだった。