16 幻惑の夢
幼い頃からいつも一緒で、兄妹のように育った。
同じ年の従妹にはいつも口でも、剣の腕でも敵わなかった。
勝気で、何でもできるロザリンに対し、気質と心根のつよさだけは誰にも負けないと、アデルは自負していた。
幼い頃の、そんなある日___________
ロザリンが木の上から降りられなくなってしまった。風に飛ばされたショールを取ろうとして登っているうちに、随分高いところにまで行ってしまっていたのだ。
枝に引っ掛かったショールを取ったところまではよかったが、この先は
「どうしよう、こわくて降りられない……」
下を見ると、思っていたより高くて足がすくんで、震えてしまう。じっとしながら、時間が過ぎる。
このままずっと、こうしているわけにはいかない。どうしよう……。
今でも泣き出しそうな気持のまま、そうしていると
「降りてこいよ。こわくないから」
「えー、こわいよ」
「なんだよ。いつものロザリンらしくもない。いつもなら、もっと強気だろ。何を恐がっているんだよ。ゆっくりと注意深く降りればいいんだよ」
木の下にいたアデルは力強く説き伏せる。……でも、と怖気づくロザリンに向かって
「じゃあ、そんなに恐いんなら、俺が下で受け止めてやる。手を放せ。必ず受け止めるから。約束する」
木の下から手を延ばすアデルを信じて、ロザリンは思い切って飛び下りた。アデル肩に掴まり、安心して胸の中に飛び込んでいけた。
ロザリンを無事に受け止めると、体勢を崩し地面にしたたかに打ち付け、大きく尻もちをついた。
「……ありがとう、こわかった……」
アデルに抱きつきながら、ロザリンはがくがく震える。
「男っていうのはさ、女の子を守らなきゃいけないものだろ」
しごく当たり前に口にする。照れも躊躇もなかった。
「…………なんか、アデル恰好よかった」
「……よせよ。照れるじゃないいか」
今までは、自分より弱い、ひ弱な存在だと思っていたけれど、いざとなると自分を助けてくれる。ひときわアデルが頼もしく映った。
そのときからだ、アデルを意識し始めたのは。
ぴたりと、眼の前で剣の刃先を突きつけられ、手放しで降参した。
「いやはや、かないませんな。さすがお強い」
ラフィンスの重臣のひとりが苦笑まじりで、取り落とした剣を屈みながら拾う。
勝負、アリ。と審判役の声がした。
「もうすぐ親善試合があるのです。このままでは、負けてしまいますな」
「退屈していたから、剣の相手になってくれてありがとう」
見物人がたくさんいる中で、中庭で剣の手合わせをしていたところだ。しかし、勝負は最初から見えていたものだ。
ロザリンに敵などいない。城じゅうの猛者どもが相手にしてもかなわない。ラフィンスが相手になったときでさえ惨敗したのだ。
ラフィンスの臣下たちが感心したように声を上げる。
「戦うごとに、どんどん強くなられているようだ。我々は鍛練が足りない。ロザリンどのを見習い、稽古に励もう」
「女子にしておくのはもったいない御方だ。実践に向いている戦い方なのに」
「戦に出ればたいそう敵をなぎ倒し、手柄をあげられるのではないか」
「ロザリンどのは戦士としての資質がある」
そう褒め称える者もいた。みな一様に充分にありえる話しではないか?と期待を寄せる。
「私はそんなものには興味がないわ」と、ロザリンは素っ気ない。
「では、ロザリンは、将来は何になりたいんだ?」尋ねるアデルに、
「決まっているじゃない、アデルのお嫁さんでしょう」そう云って抱きつく。
アデルは悲鳴を上げ、慌てふためく。
「わっ、あぶねー。剣を持ったまま抱きつくな!」
___________もったいないな、女でなければ国を治められる器であったのに。
誰もが彼女のことをそう囁いた。
*****
【昔々、皆から嫌われ者のつよい魔女がいて、名をネフェルフィートといいました。
ローゼンウッドとサンクティルガの国境付近に棲み、つぎつぎと村々を破壊していきました。無敵の強さを誇り、思い思いに力を奮う彼女に誰もかなう者はいません。
村人が困り果てたそのとき、ある人物が現れるのです。
黄金色の長い髪を靡かせ、優美な容貌の魔法使い。その人物こそが救世主でした。
一触即発の激闘の末、ネフェルフィートは討ち取られ、封印されました。
たくさんの人々の生命を救い、称賛され、のちに彼はローゼンウッドの初代王となるのでした】
アデルの祖国、ローゼンウッドの城のテラスにて_______。
エイセン王がくつろいでいたとき、姫である娘のフィリアが絵本を持ってやってくる。我が国ローゼンウッドの建国秘話を綴った物語。膝の上で呼んでくれとせがまれて、途中でパタリと本を閉じる。
「フィリアはこの本がお気に入りだね」
「うん。だって、ご先祖様のかつやくする話だもの」
「僕はこの話、ちょっと苦手かな」
「えー。どうして、とーさま?」
困ったようにエイセンは肩を竦める。読んでいると何だか胸が苦しくなるからだ。
云うべきか、どうか迷いながら
「善と悪をはっきり区別する風潮がね。好きじゃないんだろうね、僕は。きっと」
昔から伝承といえば、勝てば善、負ければ悪の公式である。
この話にも脚色が加えられている、多分。
「イーシス様は素晴らしい御方だ。それは疑いようもない。でも、ネフェルフィートだって、そうするだけの理由が何かあったはずなんだ。人はそれぞれの事情を抱えていて、誰が悪いんだとか。ないと思うんだ」
「な~に、それ。むつかしくてよく分かんない」
*****
物音に驚いた野鳥たちが羽根をバタバタと羽ばたかせ、いっせいに飛び去った。
____________なぜ、彼女はこれほどまでに強大な魔法を使えるのだろう?
皆がうわさしていた。ロザリンはあのつよい魔女の再来かもしれないと……。
日を増すごとに力は強くなってゆく。強すぎる力は時として精神に著しく負担が掛かる。
行き場をなくした力はいずれ暴走するだろう。
夢を見ていた。黄昏時に雲がたなびく、物音に驚いたカラスの群れがいっせいに羽ばたいていった。
不吉な予兆。まもなく決選がはじまる。
この光景、見覚えがある。逢魔の刻というのだろう。ちょっとした隙をついて魔が、すうっと、心に入り込む。つめたくて、苦しくてうなされる。
草原に横たわり、まどろみに沈むロザリンの元へ、さくり、と草を踏みしめ足音が近づく。
アデルが戻ってきたのだ。中庭の草の褥に眠る従妹の傍らに立ち、見下ろすと、大きな影が下りる。
風が出てきた。肌寒くなって、日が暮れようとしている。
「ロザリン、こんなところで寝ていると風邪を引く。はやく帰ろう」
急かされ、肩を揺さぶられる。
ううっ、と呻き声を洩らしつつ、ロザリンはうっすらと眼を見開く。
手を延ばし、ゆるやかにアデルの頬に手を這わせたかと思うと、嫣然と微笑んだ。
「アデルはなにが欲しいの?国、それとも世界がほしいの?望むものならなんでも与えるわ……」
ぞっとするような硬質の声色で告げられる。ぎくり、と慌てて首を振る。
「いや、いらない。……ロザリン、どうしたんだ」
「……えっ、私。今何を」
我に返って、慌てて取り繕う。
「あっ、なんでもないわ。私、一体どうしてしまったのかしら」
自分でも分からない。何者かにその意思を乗っ取られてしまったように。
思いもよらない言葉を口にした。
「しょうがないな、寝ぼけていたんだろう。どんな夢を見ていたんだ?」
「……多分、きっと、とっても寂しくて悲しい夢」