14 王妃と首飾り 4
褥に眠る、うつくしい異国の姫君を手中に収めた喜びをひしひしと感じて男はほくそ笑む。男がアデルの顔を覗き込み、屈んだ拍子にカシャンと金属音がした。
……うわっ、冷た……。首筋にネックレスが当たって。アデルは驚いて声を上げた。
「ああ、やっと気付かれたのですね」
マリウスが、にこりと微笑む。
辺りに視線を巡らせる。眼醒めてすぐに見知らぬ場所にいることに気付いた。
どこかの城の一室だろうか?
サーと血の気が引いた。おおかた唇に薬が塗られていて、気絶してしまって、あの男に攫われたのだろうと察した。ばか正直に云われたことを聞いたのがいけなかった。
「話がちがうっ。くれるって云ったから、いうことを聞いたのに」
「そんな話、しましたっけ?」
「したよ。それにここはどこだ?いますぐにサンクティルガの王城に帰せよ」
「嫌ですね。帰す気もないですね。連れ去られた時点で勘付いて下さいよ」
にやりと、やけに愉しそうに振る舞う。この状況で、この神経、どうかしている。
見ると、マリウスの首に下げられているのは、自分が喉から手が出るほど欲しかった宝石がついた首飾りではないか。
「これ……寄越せよ」
「返さない、だって私のものだし」
手を延ばし、ネックレスを掴もうとするアデルをさらりとかわし、ふざけたセリフを投げかける。
「じぁあ、もう一度、口づけしてくれたら考えてみてもいいよ」
「わー、やめろ冗談じゃない」
ふふん、と顔を近づけ迫ってくる。その上、押し倒し、半ば強引に覆いかぶさろうとする。
「い、や、だ!」
これが、か弱い女性ならそのまま押し切られるところだが、アデルは男。体格や力はほぼ互角。
強引に事を起こそうとする力と、撥ね退けようとする力が拮抗する。
「くそ、おとなしくしろ。意外と、力が強いな」
「…………させるか!」
ぜーぜーはーはー、息を切らしながらマリウスがアデルの胸を押しやると、ん?と違和感があることに気付く。
ふくよかな胸の膨らみなどなく、引き締まり張りつめた硬い筋肉がある。アデルの上背はロザロンとあまり変わりないが、やっぱり躰のつくりには男女差がある。男子特有の皮膚の質感を捉え、そしてそのまま下半身をまさぐる。
「こら、何をする変態!」
「なんだ、お前男だったのかよ!騙したな畜生!そんなんだったらこんなに必死に攫ったりしてまで危険を冒さなかったのに、くっそー損した!」
「な、なんだと!お前が勝手に勘違いしていただけだろ!そもそも自分から云い寄ってきたくせに!」
「勘違いするだろ!男でドレスなんか着ていると、誰だって勘違いするわ!」
強行に及んだくせに男だと分かると掌をかえしやがって。さんざん罵倒されて、気分を害されたアデルだった。
「お前、女の恰好をしているってことは男が好きなのかぁ?」
「そんなわけないだろ!なんて安直な!」
でも……この恰好だと誤解されやすいのか?ドレスの裾を掴みながら、じゃあ何だろう……?と考える。
「これは……そう!扮装だよ!」
「はぁ?」
「ラフィンスが同盟を結ぶために妃がほしいって云っていたから、女の恰好をして城にいるだけだ。____いいから、腹を割って話をしようぜ!」
ドカッと、その場で胡坐をかいた。おおよそ姫らしからぬ仕草だ。それにはマリウスもびっくりする。
「だいたい損したってなんだよ、失礼な!本当に好きなら性別なんてどうでもいいはずだろ!?」
少なくともロザリンとラフィンスはどんな自分でも好きだと云ってくれる……。と、思い、ぶっきらぼうに伝えると、マリウスは憤然とする。
「はぁっ?男でも女でもどちらでも好きって云ってくれないとイヤって、女子かよ!」
「悪いかよ、てか女子をバカにする発言すんな」
「じゃあ訊くけど、女と見紛うような美少年と女なら女の方がいいだろ?」
アデルが「……まぁ、そうだな」と肯定し、頷くと、マリウスはさらに熱弁し
「二十代にしか見えない美魔女と、二十代の女となら二十代の女の方がいいに決まっているよな?」
「……そりゃそうだけど」
「だろぉ?そういうことだよ」
フン!と鼻を鳴らす。
「ああっ。胸もない!×××はあるし!共通してあるのは尻ぐらいだ!あるはずのものがあって、あるはずのないものがないなんて、いやじゃないか!!」
「わー、ムチャクチャ云うな!」
「あー、残念。顔はタイプなのに!そういう趣味のあるうちの親方に引き渡すっていうテはあるんだけど、でもさぁ。せっかく俺が苦労して確保したんだし、味見でもしようかなーって思ってたんだけど……!でもな……やっぱしなー!」
「なんだよー。いちいち、いちいち、失礼すぎるだろー」
葛藤しつつ、しばらく考え込んでから、よし!と覚悟を決めたらしく
「じゃあ眼を瞑ってヤるから、そこに寝てろよ」
「ふざけんな!!!!」
やっぱり、話し合いは意味がない。物理的にやるか、やられるか。
またもや取っ組みあいの喧嘩。一発殴ったら、あっさりマリウスは気を失った。
ぜーぜーはーはー、息を切らしながらマリウスの胸元に提げられた首飾りに手を掛ける。
「あれっ、どうやって外せばいいんだ。あれっ。あれっ」
装身具なんて普段身につけないものだから、金具を外すという発想すらない。うわあああ、と錯乱しながら結局は無理やり鎖を引き千切った。
無事、首飾りを手に入れて目的は果たした。これから急いで逃げなければならない。
勢いよく窓を開くと、どこぞの塔の最上階だということに気付く。
ドレスの裾をたくし上げて窓の外にロープを下ろし、すぐにすべり降りる。
くそぉ。なんて、女の服って面倒なんだ。動きにくくて最悪だ。
やにわに上から気配がして、異変に気付く。誰かが自分の後についてロープにしがみつき下りてくる。もしや、あいつ。眼を覚ましやがったのか!?
だが、追いかけてきたのは意外な人物だった。
「ラフィンス!なぜ、ここにいるんだ!?」
もうひとり分の重みが加わることによって縄が軋んだ音を立てる。まずい、切れたらどうするんだ。
「城の中をいくら探してもお前が見つからなかった。あの男に攫われたんだと考えるのが自然だろ」
ぐっ、と堪える。……それもそうか。
「ラフィンス、どういうつもりだ?なぜ、こんな無茶なことをしたんだ!危ないだろ!自分ひとりでなんとかできた!余計なマネをしないでくれ!」
「自分ひとりでなんとかできなかっただろ?だから俺が来たんだ。現に連れ去られたじゃないか!」
「うるさい!誰のせいでこんなことになったと思っているんだ!元はといえば、お前が余計なことを云わずに首飾りを受け取っておけば、こんなことにならなかったんだ!」
大声で喚く。今、こんな云い合いしている場合じゃないことぐらい分かる。だけど、一向に気が収まらない。
聞き分けのない非難。てっきり云い返されるのかと思ったら、予想外の言葉が返る。
「……すまなかった」
ぎゅうっと、アデルを己が胸に抱きしめながら謝罪する。
「つまらない嫉妬で、お前をこんな目にあわせてしまった。赦してくれ」
「っ…………!」
びっくりして、眼を見開いたまま泣きそうになった。ラフィンスがアデルに口づけをしたからだ。
いやだ、最悪だ!
バシッ!と大きな音がするほど思い切り引っ叩くと、はずみで体制を崩して落ちそうになる。
「不意打ちなんて、最低じゃないか!」
やめろ!と、じたばた暴れるアデルをむりやり抑え込むと
「じっとしていてくれ。したに下りるまで、しばらく落ち付いてくれないか。このままではふたりとも落ちてしまう」
「無理なことをいうなよ。都合のいいときだけ」
涙目になりながら、アデルは己の状況を呪わずにはいられなかった。
横抱きにされて、ゆっくり下降していく。心臓の鼓動が激しく打ち付ける。動揺が伝わっているはずだ。
しばし無言の状態がつづく。気まずくなる一方だ。やがて、沈黙に耐えられなかったアデルが口を開く。
「嫉妬なんてされる憶えなんてない。……お前だって、魔法の講師と親し気に話していただろ」
「なんだ、妬いていたのか」
「ち、違う。どんな話をしていたのか気になっただけだ」
ふっ、と表情をやわらげた後。ラフィンスは考えこんだ。どう説明していいのか思案しているような素振りで
「違う、あいつは……そんなんじゃない……」
「えっ、なに?聞こえない……わっ!」
すっかり他のことに気を取られていて、よそ見していたはずみで、足を滑らせる。
「危ない!!」
悲鳴のような叫びを、声にならない声を上げる。ふたりとも心中するように奈落の底へと落ちる。