13 王妃と首飾り 3
____話は、これより三日前へと遡る。_____
王の私室にて。書き物机の上に溜まった書類を処理するラフィンスは、少し、疲れた。
と、つかの間の休息を取る。
長椅子に座るアデルの方へと移動して、傍らに座ったかと思いきや、すぐさま横になり、アデルの膝に頭を載せてきた。膝枕をする体勢になったので、アデルは驚いて身を固くする。
「……それにしても、固いな」
「うるさい、しょうがないだろ。文句云うくらいなら退けよ」
ふくよかな女子ならともかく、アデルは思春期の男子なので腿は引き締まり固く張り詰めたている。それを承知の上の行為であるはずなのに……。それに今日は、ラフィンスの魔法をかけられていないので、本来の男の身体のままなのだ。日によって気まぐれなのだ。
ドレス姿に少し違和感があるかもしれない。
「これも妃の役目のひとつだ。少しは疲れた主人を労り、癒すことも必要だろ」
「そんなものは聞いたことがない。勝手に決めるな」
云いながらも以前より抵抗しなくなった、と思うのは気のせいか。眼を閉じながら、しばし至福に浸る。が、それも束の間。いい雰囲気になりそうだというところで、やにわに部屋の扉を叩く音がしたので、その体制のままラフィンスは返事をする。
「誰だ、こんなときに。いいから入れ」
邪魔が入って、とたんに機嫌が悪くなる。かまわず、失礼致しますと、部屋に侵入してきた人物。
「陛下、折り入って話があります」
「_____なんだ、云え」
宰相であるヴィンセントがいつになく改まって用件を伝えに来た。
夜伽の夜に従者と共に外から部屋を覗いていた…もとい、伺っていた彼は、云わずと知れたラフィンスの信奉者である。
さすがに、横になった体勢ではまずいと身を起こして、用件を聞く。
「陛下はあの嵐の晩以降、王妃の部屋にまったくお渡りがないのはなぜです?」
「あの騒動以降、あの女もうるさいし、そもそもお前のせいで、アデルは警戒して部屋に入れてくれなくなったんだろうが」
頭が痛いとはこのことだ。原因を作ったのは当人なのにそのことに気付いていない。
「では、単刀直入に申します。ローゼンウッドより妃を迎え入れてから半年以上経ちます。なのに未だに懐妊の兆しがない。どういうことですか?」
「性急すぎる。まだたった半年しか経っていないではないか。なにも急ぐことではなかろう。_______そもそも、お前にせっつかれて妃を迎えたばかりだというのに」
かねてより、かの国の妃をと望んでいたことだが、ヴィンセントの後押しが強かったのも事実だ。
「いいえ!早い方がよろしいかと思います。なぜかと申しますと、陛下の治世になってからまだ三年という短い年月しか経っておりません。王には早急に世継ぎを設けていただきたいのです。民を安心させるためにも。陛下の治める平安な治世であると認めてもらうために」
「充分、国のために精進して励んでいる。なにも、案ずることはない」
「前王にはまだ子がなかった。________まぁ、あの毒婦が妃だったのだから仕方がなかったと云えばそれまでですが」
「毒婦……それは云いすぎだが、王妃にそそのかされたことは事実だがな」
なぜか、ラフィンスからは庇うような発言。
「浪費に腐敗政治。毎夜の如く舞踏会、宴や夜会が開かれ、王妃も贅沢三昧。湯水のように使い果たし、潤沢であった国庫は食い潰された。驚いたのは、城の使用人に払う金品も残っていなかったという話だな」
「わたしは、元は爵位も何もないただのしがない商人の息子でしたが、サンクティルガの立て直しに尽力した功績を買われ、今の地位を得ることができた」
「ああ、お前たち親子には本当に世話になった」
「ええ。……父は長年爵位を持つことが夢で、叶えて頂き、本当に陛下にはこの上もない恩義を感じているのです」
席を外さず、隣で聞いていたアデルには初めて聞く事実。
自分などが聞いていてよいものかと密かに思っていたのだが、ふたりは構わず続ける。ヴィンセントの言い分を散々聞いてから、ラフィンスが思案しながら、言葉を探す。
「…………あの、じつはな。云っておきたいことがある」
妃が実は男だと云おうものなら大変な事態になると案じて、事実を伏せつつも正直に告白する。
「……じつは、妃は子が産めない体だ……」
王妃の手に己が手を重ね、ぎゅっと握る。アデルは露骨に嫌そうな顔をして手を振り払おうとした。
「…………えっ!」
告白に驚き、ヴィンセントは絶句する。
「俺は、こどもが出来ようと出来まいが、どうでもいい。男だろうが女だろうがこいつを愛している」
熱っぽい告白。嘘ではない。反応がなかなか返らないので、ちらりと上目遣いで宰相へ
「_____だめか?」と訊く。
い い わ け な い だ ろ う。
ヴィンセントははらわたが煮えくり返るような思いを主君に抱いた。
自分だけ躍起になっているという、温度差だとか、空回りだとか、虚しさだとか無力感だとかが、これが部屋を退出すると一気に押し寄せてきたのだった。
だいたい、陛下は浮かれている。盲目なのだ。いくら美しくても子が成せなければ、妃としての役目を果たさない。美しいだけではだめなのだ。
せっかく築いた己の功績や栄光を子に受け継がなくてどうする。
そして、三日経った今日も怒りが収まらない。ああ、どうしたものか……。と考えあぐねていると、ちょうどロザリンがタイミングよく向こうから歩いてくる。
ヴィンセントは狙いを変えた。女嫌いのラフィンスがそばに置く貴重な存在。
外見、知能などはだいぶ劣るがこの際、贅沢は云ってられまい。
「ああ、やっと出逢えた。あなたのような御方を探していたのです。さぁ。お手をどうぞ、お姫様」
「……………?」
唐突、ロザリンに歩み寄ったかと思うと、ヴィンセントがしもべのように跪き、手を差し出す。
訳が分からず、呆気にとられるロザリンに、熱を帯びた言葉をくれる。
「わたしが貴女を必ずサンクティルガ一の女性にしてみせましょう。その為には、きちんとした女性らしい礼儀作法、教養を身に着け、わたしの云った通りにしていただきたいのです。悪いようには致しません。なぜなら、わたしはあなたの味方なのだから」
傍目からは求愛ともとれる行為にも見える。
そして、そのままロザリンの手を取ると、どこかへ移動する。
「ねぇ、ちょっと。どこへ行くの?」
「いいからついて来て下さい。悪いようには致しませんから」
ヴィンセントが発する言葉の意味はこの国で一番の女性に仕立てようという意だ。
今はまだ粗削りで原石のままだが、磨きようによっては化けるだろう。
*****
「も_____________いや_______________!!」
時刻は丑三つ時。たまりかねたロザリンは頭を抱えて自室で絶叫した。
あの後、ヴィンセントに連れていかれた場所はマナー教室だった。
魔法の講義のように、城で行われているカルチャースクールのひとつである。
城の一室で、大勢の貴族の婦女子が集まり、礼儀作法を教えていたところへぶち込まれた。(この城は空いている部屋をなぜか、習い事教室に貸している)
伯爵夫人が講師を務めていて、ロザリンの一挙手一投足にダメ出しが出され、たいしたスパルタ教育だった。
テーブルマナーから歩き方、お辞儀、所作、エレガントな振る舞いを要求され、深夜まで特訓が続いた。
頭の上に辞書を置いて落とさずに歩くというものから、頭の上に盆の上に並々と水が入ったコップを置いて歩くというもの。(こぼす令嬢が続出)平衡感覚や姿勢の良さを身に着ける、さらにはエスカレートして盥を担いでまっすぐに歩いてみろという原始的な無茶ぶり。繊細なエレガンスさはどこへやら、気合さえあれば何でも出来る!という、体育会系の根性論にすり替わっていった。
それこそ見られたらお嫁に行けなくなるような、こっぱずかしくなるものばかりだった。
「宿題だってたんまり出されたよ。明日のアサイチまでだなんて、絶対無理、無理無理無理っっ」
ひとりで夜中、急に叫び出すものだから、騒ぎを聞きつけ、侍女たちが飛んできた。
「お嬢様!どうされたのです?また頭がおかしくなられましたか?」
「な、なんでもないわ。いいからもう部屋から出て行って」
侍女たちを追い払うと、宿題を再開させた。
寝るなー、寝たら間に合わないー。書き物机にかじりついて、自分を鼓舞する。
忙しさのあまり、今現在アデルが不在で、攫われていることなど気付いていないのだった。