10 田園と不良王子たち
広大な緑の拡がる丘の上の領地。
問題児だった自分達兄弟は王城を出て、国境外れの片田舎の村に居を構えた。
アデルには六人の兄がいる。彼らはエイセンの弟たちであり、アデルの兄たちである不良王子五人。
当初は山賊のまねごとをして生活をするつもりが、兄弟五人で喰っていくためにはそれだけでは暮らしが賄えず、なぜか畑を耕し、自給自足の日々を送っている。
「私有地につき、立ち入り禁止。侵入した者は早急に立ち去るべし」
忠告を意味する立て看板を、わざわざ眼につきやすい場所に設置しておいた、にもかかわらず。
姉妹だか友人同士だかよく分からない二人組みの女が、きゃっきゃ云いながら気軽に領地に立ち入った。この辺りに住んでいる者ではなさそうだが、旅行者にしては軽装すぎる、余所いき風のワンピース姿。ちいさい鞄ひとつで、手荷物は他に持たない。いかにも無知そうな女たちだ。しかも、なぜうちに迷い込み、立ち入ったかも不明である。
「ここは私有地だから、勝手に立ち入ってもらっては困る。通行料をもらわないと」
「やっだぁ、こわーい」
「えー、いいじゃないのぉー。固いこと云わないでよ」
取り立てに難色を示した女たちは、さして緊張感もなく抗議の声を上げる。
相手にしているのは、五人いる兄弟のうちの長兄のリゲルだった。
黄金色のみつあみの髪は兄弟全員の共通だが、目立った個性として、兄弟の中では眼つきが悪く、かつ片耳に金色のリングピアス。サイドの髪が短髪。不愛想であることが彼の特徴だ。
野良仕事の途中だったので、服装は皮の作業着。長靴を履いたラフな格好だ。
「ねぇ、この人ちょっと格好よくない?」
ひそひそと耳打ちしながら女たちは、リゲルをちらりと覗き見る。
硬派だというだけで、なぜか彼は五人兄弟の中で一番もてる。
「でも、どこかで見たような気が……」
女たちにじっと顔を凝視され、ふいに視線を逸らす。
王である兄のエイセンに似ていると感づかれるのではないかと思われたが、女は、
え~、でも。と頬に手を当て考え込んだ挙句。
「王子様がこんなにガラが悪いなんてありえなくない?」
「……そっか。こんなに眼付き悪いわけないか」
陰からこつそり様子を伺っていたリゲルの弟は内心、がっくりしたのかホッとしたのか分からない。顔や身元が割れなくてよかったことに越したことはなかったが、複雑な心境だ。
ひととおり話して、冷たいお茶などを所望し、ここを茶店がわりにくつろいで
女たちは、ひとしきりぎゃあぎゃあ騒いでおとなしく帰って行った。
結局、何をしに来たんだろうか。
「…………」
通行料がわりにくれた櫛をしげしげと見つめる。高いんだか、安いんだかよく分からない代物。
高価なべっ甲ではない、銀かとも思ったが、真鍮でできたなんでもない飾り櫛。よく見ると黒く変色して欠けている。捨てるつもりで寄越したか。ないよりかはマシかと思い、ポケットに仕舞い込む。
「お~い~兄貴、手を貸してくれよ」
畑から弟に呼ばれて、すぐに返事をする。
「わかった、すぐ行く」
うららかな午後。空は高く晴れ渡り、あたりには田園風景が広がっている。
「ごきげんよう」
ひとりの少女がリゲルたち五人兄弟の住まうこの家に訪れる。まっすぐに伸びる長い茶色の髪に同じ色のワンピースがよく似合う。近所の農村の女の子だ。玄関で長兄のリゲルが彼女を出迎える。
「みんなは?」
「リビングで寝ている」
リゲルに促され、家の中に通されると、当人たちはずっと待ち構えたようだ。
「「「「あっ、ミカエラ。来てくれたんだ」」」」
同じ顔が四つ、顔をほころばせる。弟たちである。
彼女はみんなの憧れで、マドンナ的な存在だ。男五人だけで暮らしているからか、ぱっと花が咲いたようにその場が明るくなる。
「お見舞いに来たの、みんなお加減はどう?」
「どうもこうもない。ほんとうにしんどい……」
「腰が、痛くて、うごけないよ……」
「……でも、きみが来てくれたおかげで少し楽になったよ」
「俺も。ミカエラが来てくれてうれしい」
うぅ、痛っと、少しでも動くと腰に激痛がはしる。口々に調子のいいことを云いながらも、五人は辛そうにうんうん唸っている。
慣れない野良仕事に精を出したせいで、みんなぎっくり腰になって寝たきりになっている。情けない有様だ。
移動することは困難なので、リビングに四つベッドを並べて、寝食をすませている。
「みんな。これ、差し入れよ。食べられる?」
籠に山盛りに盛られたフルーツをミカエラが差し出す。
「ミカエラが食べさせてくれれば、問題ないよ」
さらりと甘えた声を聞いて、くすくすと彼女が笑う。
「いいわ。剥いてあげる」
四つの顔が見守る中、リクエスト通りに、ナイフで器用にりんごを剥く。
すると、アーンと大きな口を開けて、ミカエラの口に入れて貰っていたのは五人のうちの二番目の王子だ。元来彼はおしゃべりで調子がよい。
「あー、ずるい!お前ばっかし!」
「おいっ、お前抜け駆けはするなよ!」
「お前こそ、ひきょーだぞ」
「うるせー、早いもの勝ちなんだよ。悔しかったら先にやれよ」
お互いに釘をさして、けん制し合う。いつものパターンだ。
「ほんとに、みんな仲がいいのね」
こんなにあからさまに自分を取り合っているというのに気づかないなんて。おっとりとして、どこか天然というべく鈍感なところがあるのだ。これも彼女の魅力のひとつだ。
今日は天気がいい。窓の外の長閑な風景を眼にしながら嘆いた。
洗濯や野良仕事。出掛けるのにも絶好の日だったのに。
「あ~あ、たいくつだな」
「このままでは退屈で、死んでしまいそうだ」
「今はおとなしくしてろ。今、無理して動いてしまえば、余計に悪化してしまうだろ」
「はーい、わかったよ……」
「ミカエラ、おれにもリンゴをくれ~」
「はい、はい。おかわりはたくさんあるわよ。たくさん食べてね」
兄弟たちは先を競うようにリンゴを平らげる。いい食べっぷりだ。
切ってくれたリンゴをフォークに突き刺し、問う。
「_____ねぇ。ミカエラは、どうしていつも俺たちのことを気に掛けてくれるの?」
「……そうね。なぜだか放っておけないのよ、あなたたちが」
なぜか自分達兄弟のことが気にかかって、足しげくこの家に訪れるようになった。
あれこれ世話を焼いたりしても決して嫌味に見えないのは明るくて気さくな人柄ゆえんか。
「そうそう……ここに来る前に弟と妹たちにも誘ったんだけど、あの子達、引っ込み思案というか恥ずかしがり屋なところがあって、いやがったのよ。困った子たちだわ。ほんとうに」
ミカエラにも四人の幼い弟と妹達がいるらしい。眼つきが悪くてガラの悪い面々には好奇心があるが、恐くて近付きたくはないらしい。
もしかして、自分達もミカエラにとっては彼女の弟と妹たちと同じようなものかもしれないな、とリゲルはひそかに思った。
*****
「長い間お邪魔したわね。そろそろ帰ろうかしら」
「送っていくよ」
夕焼けの空、帰り路につく。並んでふたりは話し出す。
「ねぇ。そういえば、あなたたち五人の他に兄弟がいるって本当?」
「そう。本当は七人兄弟なんだ……」
ミカエラの唐突の問いにリゲルは驚く。弟たちがミカエラに心を許して、ついついしゃべってしまったのだろう。
誰にも云っていない、というか伏せた方がいいと思われる事柄だ。もしかしたら身元が割れてしまったら大変だから隠しておいた方がいいと思う案件だった。
「兄と一番末に弟がいる。俺は七人兄弟の二番目」
随分大勢いるのね。とミカエラは笑った。
「そのお兄さんと弟さんも、みんなと同じ顔かしら?」
「そうだな。よく似ているって云われるよ」
そう。とミカエラは微笑む。
「会ってみたいなー。弟さんはどんなひとなの?」
「ここにいる四人の弟たちより元気いっぱいで、いつも問題を持ち込んでくる。トラブルメーカーだな」
今頃、どこで何をしているのやら。明るくて憎めない性格。かわいい弟のひとりだ。知らずに笑みがこぼれる。
「で、お兄さんは今何をしているの?」
「奥さんと娘がいてしあわせに暮らしている、と思う」
「思う、ってどういうこと?」
「会っていないんだ、しばらく……」
複雑そうな表情をするリゲルを見て彼女は察する。もしかして、踏み込んではいけない複雑な話題だったのかもしれない。途端に気まずい空気が流れる。
「あまり仲がよくなかったとか、苦手だったとか……。お兄さんのこと?」
「……そうかもしれない。向こうが、出来が良くて品行方正だったとか、みんなに慕われていたからつい自分と比較してしまう」
「長男次男とどちらが家業を継ぐとかの問題でモメてたりしたの?あっ、無神経な質問でごめんなさい」
どうやら図星をついてしまったと、慌てて謝罪した。妙なところで勘がいい。
リゲルは吐息をつく。
「家を、捨てたんだ俺たちは_____」
ここに来たのには、事情があった。王城から飛び出して、自由になりたかった。
窓からロープを伝って出てゆくところを弟たち四人に見つかってしまい、自分たちもついてゆくと云ってきかなかった。そして今に至る。
_____エイセンに成り代わり、王になりたいと思っていたのだろうか?
いや、そんなになりたかったわけではなかった。
ただ、不公平だと思ったことはある。たった二,三年早く生まれなかったぐらいで
叶わないなんて……。
幼い時分のエイセンの姿を思い出す。周囲から期待されていて、王としての帝王学を学び稽古事にあけくれた。
決して、嫌な顔一つせず、従順にしたがっていた。
ただ、一度だけ。自分達兄弟が遊んでいる様子を無言で、物云いたげに、こちらをじっと見つめていた場面があった。
しばし、兄弟達の様子を見遣ったあと、教育係に手を引かれ連れられて行かれた。
本当は自分も一緒に遊びたかったのではないか?
エイセンは自我を殺し、やりたいことを我慢してやりきった。
なかなか、出来るものではない。不平不満を洩らさずにやり続けることなど。
「私ね、下級貴族だったの。没落して田舎に越して来たの。ここに越してきたばかりの頃は妹や弟たちもまだ小さくて最初は慣れない生活に四苦八苦して大変だったけど今はここが生まれ故郷で、ここにずっといるつもりでいるわ」
口でさらりと云うほど、簡単ではないはずだ。
ここに至るまでは相当な苦労をしたと見えるのに、はつらつと明るく生きている。
「この景色を見て思うの。これ以上贅沢な暮しはないと思わない?」
辺りには雄大な田園風景が拡がる。緑豊かな大地と、ひとびとの長閑な暮しががある。
「家系がひっ迫していたのに、見栄を張り、窮屈な暮しは性に合わなかった。早く、身の程を知ればよかったのに。そうすれば、無理をせずにやってこられたのに」
自らの生い立ちを振り返り、ひとりごちた。
ひとにはそれぞれ事情があるのだ。
彼女はいつも明るく振る舞っている。持ち前の明るさで村に溶け込み、皆から慕われている。いままで気付かなかった。そんな深刻な事情があったなんて。
ここが好きかと問われ、リゲルは、頷く。
「私もここが好きよ。あなたたちを放っておけないのは、きっと私の長女気質のせいね」
ちらりリゲルの方を窺う。「あなたも、そうなのでしょう?」
春の木漏れ日のような穏やかな笑顔。
「……まぁ、そうだな」
と頬を掻いた。無意識に照れを隠すように。
まさか、十歳くらい年下の女の子に見透かされているとは思わなかった。