1 薔薇と憂鬱と魔法
まだ年若いローゼンウッドの王であるエイセンに受難が降りかかった。
使者やら間者やらがバタバタせわしなく行き来する王城にて。
王は苦渋に満ちた顔でため息をついていた。
書き物机の傍らには書類の山。なにも、仕事が溜まって嫌になったからではない。
王冠を被らず、黄金色の髪を後ろでみつあみにして束ね、左耳には大きな房のついた耳飾りをしている。
青い瞳。秀麗な面立ち。金糸で縁取りした白い詰襟の衣服を身に纏う。王子時代の頃とそのいでたちは変わらない。
「隣国サンクティルガの王であるラフィエンスは同盟のかわりに王家の血筋の娘を貰い受けたいと要請した」
「エイセン陛下が類まれなる美貌の持ち主ゆえに、血縁の一族もさぞや美人ぞろいだと噂されていて、どうしてもと……」
「国の一大事です。最悪の場合は戦争になるかもしれない」
「王!……エイセン王!どうかご決断を!」
重臣たちの圧に押されて、う、ううむ……。とエイセンが苦し気に唸る。
「大陸の中央に位置する我が国ローゼンウッドは小国の平和な国。四方を領土の広い強国に囲まれ、いつ侵略させて支配されてもおかしくない。……云わば、同盟は渡りに船だと思われます」
額の汗を拭きながら、初老の家臣が進言したのだが、どうしても気が進まない。
その理由とは……。
「だけど、うちはあいにく男ばかりの七人兄弟なんだけど……」
ほとんど他国と交流がないせいか、王の美しさは有名なのだけれど、意外にも、兄弟構成は他国には知られていないのだ。
「……どうしようか、コレ……」
現実逃避である。思わずそんな言葉が口をついて出る。
思えば、他の弟は自分とは違って勝気な者ばかりだった。なぜか、自分ひとりだけおっとりして浮世離れした人間に育ってしまった。
両親の愛情は世継ぎである自分ひとりに注がれ、自分達はどう頑張っても王にはなれない。当然面白くなかったと見える、やさぐれた素行の悪い弟たちは口々に「やってらんねーよ」と棄てゼリフを吐きながら城を出て行った。
「この事態をどうされるおつもりで、なにかいい案はございませぬか?」
「…………」
長い沈黙。なすすべもなく、重っ苦しい空気が流れ、重臣たちが頭を悩ませる。
誰もがこの窮地に対する打開策を思案していた_______そのとき。
「今の話、聞かせてもらった!」
威勢よく、静寂を割って、エイセン王と瓜二つの容貌の少年が突然闖入する。
「アデル!!」
第七王子である一番末の弟、アデルは今年十七歳になる。
黄金色の髪にみつあみにした髪、青い眼、容貌はエイセンそっくりだが、勝気そうなところが自分とは対照的で、雰囲気がだいぶ異なる。
エイセンの下にいた六人の弟のうち、唯一この城に残った弟である。
他の兄弟達とはいまいち仲が良くなかったが、なぜだか一番歳の離れている末弟のアデルとは不思議と通じ合うものがあり、ウマが合った。
「事情は分かった。隣国サンクディルガの王であるラフィエンスはこの国から妃を求めているんだろう?」
そうだ、と、エイセンが頷くと、アデルの口から出たのはとんでもない言葉。
「俺がかわりに行く!」
「どういうことだ!?……アデルが向こうと話をつけるつもりか。そうはいっても、あまりにも無謀すぎる」
「話し合い?いいや、違う。そういうのじゃない」
「そうではないと仰いますと?」
横で臣下が口を挟むが、気にせずアデルが胸を張って宣言する。
「俺が女になりすまして、隣国に輿入れする」
「ええええええ________………!!」
一同が驚き、どよめきが上がる。その場の空気を騒然とさせる。
「アデル様なにを仰います!?お気は確かでございますか!?」
「そのような戯言!アデル様は男であらせられますぞ!そのようなことができるわけございませぬ!」
「サンクティルガの王、ラフィンスは無類の女好きだと聞く。俺が誘惑して奴が油断しているところで、奴を討つ」
どうだ?と勝ち誇ったように、その唇に笑みを乗せる。
そう、うまくいくものか。とエイセンも臣下も半ば疑うような表情。
「みんなを見返すチャンスだ。そうすれば、もう兄上をひ弱な王とは云わせない」
う……。と、息を呑み、絶句する。
そうなのだ。なぜか、陰では虫一つ殺せない善良な王というあだ名をつけられていて、褒められているのか貶されているのかよく分からない風評をいただいている。
それは、わたしが気弱で、頼りないということか……?ただただ真面目に王である責務を果たしているだけなのに、あんまりな云われようだ……!
わぁぁと、机に突っ伏して嘆く王を、慣れたように宥める臣下たちなのだった。
無謀な提案は、アデルなりに兄を思ってのことだったのだ。もっと他国に対して舐められないように行くべきだ。これは千載一遇のチャンスだと、熱っぽく力説するアデルの決意は固く、一歩も引かず、攻防戦が続いた。
小一時間意見を交わし、厳正な話し合いの結果。
「……では、誰も異論はないということだな」
満場一致というわけではないが、多数決でそうなった。
_______じゃあ。決まりだな。
そう云って去っていくアデルを止めることもできず、無謀すぎる企てを止めることができなかった。
******
「とーさま」
議会が終わり、五歳になるひとり娘のフィリアが、とことことおぼつかない足取りでエイセンのもとへ歩み寄ってきた。
そのまま首に巻き付いてきたので、抱き上げて膝に乗せた。大きな瞳を向けた我が子の、まっさらな髪を撫でてやる。
もし、自分の娘が年頃だったら、代わりにこの子を妃に望んだのだろうか。
眼に入れても痛くないほどのかわいい盛りの、年端のいかぬ一人娘が?
まるで人質ではないか。人質、まさにそうだ。友好とか同盟とか理由をつけて?
「そうはさせないからね」と愛娘に頬ずりしながら、誓ったのだった。
娘である幼子の方はされるがままで、何がなにだか分からなさそうな表情。
……ああ、どうしよう。今さらどうにもならないかもしれないが、昔あったよしみで、何とかしてもらえないだろうか?
あれこれ思索に耽っているなか、娘に服の裾を引っ張られる。
「とうさま、ねぇ。あれやって~」
「魔法か。わかった」
この国の人々は誰でも魔法を使える素養を持っている。
使うか、使わないかは自分次第。
古文書の書物を繰る。魔法の書だ。羊用紙に書かれた文字や図解が細かくて見づらい。
眼を凝らして読もうと苦心する。興味はあるのに、なかなか上達しない。
昨日まで、ただの人であってでも。訓練次第では大魔法使いになることもあるし、驚くほどの素養を持った者もいるはずなのだ。
「フィリア」
ポン、と煙をあげて出現する。花を意味する単語(同時に娘の名前でもある)を呟くと、花冠が愛娘の頭上に載せられる。「あやっ」と驚いてフィリアは花に手に遣る。
ふっ、とエイセンは顔をほころばせる。
願えば、必ずカタチになる。
ラフィエンス。彼は昔会ったことあるけど、すっごいいじわるなひとだったな、あのひと。
幼少期、好奇心から魔法塾と呼ばれる魔法の養成機関にこっそり忍び込んでいた。
周りの生徒達はすべて黒いフードをすっぽり被ったマントに身を包み、横長のテーブルに並び、自分も紛れこみ、おとなしく講義を受けていた。
あるとき、唐突に後ろから三つ編みを強く引っ張られた。「痛い」と涙目になりながら振り向くと、引っ張っていたその当人こそが、ラフィンスその人だった……ということだ。
隣国サンクディルガを手に入れると息巻いていた末弟のアデル。
もっと必死に止めればよかった。今頃後悔したところで、もう遅い。
末の弟アデルは幼い頃より無鉄砲なところがあった。云って聞くような相手ではなかった。
ローゼンウッドを発ち、アデルがそろそろ行動に移している頃合いだろう。大事に至ってなければいいが……。
あっ、それと。もうひとつ重要なことを忘れていた。もうひとり、やっかいな人物がいた。
エイセンは溜息交じりに漏らした。
「こんなこと知ったら、あの子がなんて云うかな……」