第四話
「えーと……ん? おかしいな。大槻様とお会いしたのも初めてですし、そもそもご尊顔を拝見したのも初めてのはずなのですが、何か見覚えがあるような」
でしょうね! だって貴女、俺が今朝芸学まで連れてきた女の子ですからね!
なんて言うのは躊躇われた。バレていないのだ、俺の正体が。この『とてつもないぐらいモテまくるマスク』によって顔の下半分が隠されているからだろう。
バラシても良いのだが、そうした場合どうなるか、想像してみよう。
『俺、実はあのナンパ男なんだ』
『え、やだ。運命的な再会に胸ずっきゅん。キューピッドの矢が私の胸のど真ん中にストライク……恋のラマーズ法、教えてくれませんか? ひっひっひゅー』
――ただのやべえ子だろそれ。恋のラマーズ法って何だよ。想像妊娠しちゃってるじゃん。
と、全く参考にならない妄想を繰り広げていた所、少女の目元は更に険を帯びていた。
俺は彼女の両手の拘束から抜け出した片手を顔の上半分に翳して横を向く。
もしも俺の正体をバラしたら顰蹙を買いそうだ。憧れだかなんだか知らんが、俺を尊敬していたようなことを言っているし、そんな少女の煌く瞳を一瞬で闇落ちさせるのは流石に忍びない。なのでここは顔を半分隠したまま声を変えて応対しておこう。
「ヤダなぁっ。僕は君と初対面のはずだよっ。他人の空似さっ。ハ――」
「何だそのどこぞの夢の国の主役みたいな声真似は。しかも似てない」
くそっ。演技専攻のエースの前でやったのが失敗だった! でも仕方ない、俺は隠し通さなきゃいけないんだ。なので貫き通す。
それでっ、君は一体何の目的でここに来たのかなっ? ハ――」
「私はここの専攻生として伺いました。これからご指導ご鞭撻の程、どうぞよろしくお願い致しますっ」
手で覆い隠した視界の下の方で、彼女が深く一礼したのが見えた。俺は思わず『ハ』の状態から閉口出来ずにいた。
脳みそがフリーズする中、朱音が少女に声をかける。
「この時期ってことは、転入生か」
「はい、そうです! 今日から芸学に転入することとなりました」
「なるほどねぇ……でも、よくもまぁこんな場所に」
「こんな場所、ですか?」
「いやいや、何でもない。ともあれよろしく」
「あ、はい! 申し遅れましたが、私は高等部の二年一組、獅子ヶ谷優里と申します。どうぞよろしくお願いします!」
少女――獅子ヶ谷さんと朱音の会話を俺は聞き流していた。その代わりに俺は獅子ヶ谷さんのとある言葉を反芻していた。
……ここの、専攻生?
俺は狼狽えながら獅子ヶ谷さんに尋ねる。
「え、えーと、一応俺は『生徒長』だけど転入生なんて聞いていないし、何かの間違いじゃ……?」
「せいとちょう、ですか?」
説明するのが億劫過ぎる、と思っていた所、朱音が代わりに説明を始めてくれた。
「芸学のそれぞれの専攻には、生徒長と呼ばれる生徒が一人いるんだ。いわば各専攻におけるまとめ役だね。ここでは渡が生徒長で、ちなみに僕も演技専攻の生徒長だ。生徒長は教職員からの伝達事項を、同じ専攻者達に伝える役目も担っていてね。転入生が入る場合は、教職員が予めその専攻の生徒長に転入生の情報を伝えた上で丸投げしてくるんだよ。だから渡も疑問に思っているんだろう」
獅子ヶ谷さんはぽかんとしていたが、ふと何かを思い出したように声を上げた。
「あ。そういえば、職員の方がもしもここに来て誰もいないようだったらもう一度職員室まで戻ってきて欲しいとは仰っていました」
「なるほど。渡が碌に登校してこないから、そもそも連絡の取りようも無かったと」
得心がいったように朱音が言って笑った。他人事だと思いやがって。
小さく舌を打っていたら、朱音が「さてと」と言って台本を手に立ち上がった。
「僕はお邪魔だろうし、お暇させてもらおうかな」
「結局何しに来たんだお前は……」
「ん? あぁ、そう言えばそうだったね。僕も伝達事項があってここに来たんだった」
気さくな笑い声を上げる朱音。……今回は『慣れるのに』まだかかりそうだ。
「伝達事項? 学校からか?」
「だったら僕が転入生についても聞いているだろう。そうじゃなくて、この前生徒長会が行われてね。そこでいくつか決定したことがあったから、それを伝えに来たんだよ」
「せいとちょうかい、ですか?」
「それぞれの専攻の生徒長が一堂に集まって話し合いをする場のことだよ。他専攻者との交流場としての側面が強いんだけども、芸学内での大きな取り決めをする事もある。今回はその大きな取り決めをする生徒長会だったんだけど、渡は今回と言わず生徒長会には顔を出さなくてね。おかげで、僕がお目付け役か、保護者みたいに周りから見られているから、こうして内容を伝えに来たんだよ」
「それは……お疲れ様です」
やれやれと肩を竦める朱音に獅子ヶ谷さんがきょとんとしながらも労いの言葉をかける。俺はこの雰囲気に嫌気が差してこれ見よがしに舌打ちをした。
「余計な話は良いんだよ。それで、その大きな取り決めってのは何だ?」
どうせしょうもない内容だろう。と高を括って欠伸を掻く。だが。
「前期に芸学祭を行うことになった」
「……は? いや、芸学祭は後期だろう。なんでいきなりそんな」
「表現において四季は重要な要素だからね。秋冬よりも春夏を得意とする生徒も勿論いるわけで、そんな生徒に花を持たせる名目で今回は前期に学祭を行うことになった。……というのは建前で、実際はここを潰すためだろうね。渡に気取られないように芸学祭を開きたかったと。渡も色んな人から恨みを買ってるのは自覚しているだろう?」
「ぐぐ……で、でも、重要な決定に際しては、無道組の全会一致が条件のはずだろ。俺の票はどこ行った!」
「欠席したからそんなの無効票だよ。当たり前でしょ」
「く、くそう……つか、何で朱音は反対しなかったんだ。俺のためを思うなら反対してくれても良かったじゃないか」
「君のためを思うからこそ賛成票を入れたよ。いつまでも進みだせない君が哀れ過ぎるからね。いい加減、怨霊に囚われるのは止めておきな。もう久留井加恋は――」
顔の前にずっと翳していた手で思いきりぶん殴ってやった。机を。
朱音は閉口し、獅子ヶ谷さんは身を震わせて縮ませる中、俺は自分でも驚くぐらい冷たい声を吐いた。
「黙れ……頼む、黙ってくれ」
「……分かったよ。軽々に言う事では無かったね。すまない。ともかく、芸学祭が前期に行われるのは決定事項だ。詳しい日程は後日の生徒長会で決定されるから、その時はきちんと出席するんだよ」
飄々とした態度で、朱音は部屋を後にした。
そうして取り残されたのは俺と獅子ヶ谷さんの二人きり。
だんまりを決め込む俺に、痺れを切らしたのであろう獅子ヶ谷さんが口火を切る。
「あ、あの……」
『あの人』について問われるのだろう。酷く億劫だ。
俺が変わらず口を一文字に結んでいたら、獅子ヶ谷さんが続けた。
「マスク、していたんですね?」
「……え?」
指摘されて俺は机に振り下ろしたジンジン痛む手で恐る恐る口周りを撫でた。
あれ。産毛に触れてますね。そう言えば解放感にも溢れてますし。
チラリと下を見れば俺の腿にマスクがすっぽり収まっていた。
引き攣る顔を、つつーっと獅子ヶ谷さんへと向ける。と、彼女は闇落ちした目で俺を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……なんでここに――『映像専攻室』に、今朝の変態ナンパ男がいるんですか?」