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カエルの悪あがき  作者: 夜鷹亜目
井の中の蛙とピークエンド
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第三十一話

 朱音達と別れ、獅子ヶ谷さんと伴だって歩く。徐々に喧騒を離れていくと、光源も失われていった。覚束ない足取りとなる獅子ヶ谷さんの背に「この辺で涼めば良いんじゃない」と二度三度尋ねたが、彼女にはそれとなく拒否された。

 前を歩く獅子ヶ谷さんの様子を眺め、涼むとは別の理由があるのだろうと諒解した。

 あからさますぎる癖に目的地は告げず、ただひたすら黙々と歩く。


 そうしてとある建物の頭が覗けるようになって、獅子ヶ谷さんは。


「あ、あれは一体何の建物なんでしょーかぁ!」


 と、これまたあからさまな演技口調でその建物を指さした。

 俺は呆れながらもその芝居に乗って説明してやる。


「あれは、表現館だよ。あそこには芸学生の――」


 表現館についての説明を終えたのとほぼ同時に、その表現館に辿り着く。

 この時間ならばいつもは閉めきっているはずなのだが、何故か入り口は開いたままで、何の躊躇も見せずに獅子ヶ谷さんは中へと入っていった。

 俺も仕方なく付いていくと、表現館の窓口には女性型アンドロイドが立っていて、俺達に気付くと会釈をしてきた。


「細貝君のお知り合いの方ですよね。要件はお伺いしております。臨時として閉館時間を伸ばしていますが、あと一時間程度で締めますのでご了承ください」


 わざわざ猿芝居を打ってここまで来た獅子ヶ谷さんだったが、そんな種明かしをされてしまって「あわあわ」と露骨に慌てふためいていた。

 しかし俺も一度は乗ってしまった手前、そのまま乗させられてやる。


「さ、何か用事があるんでしょ。進もう」

「は、はい……」


 消え入りそうな声で獅子ヶ谷さんは返事をした。

 彼女も可愛そうだ。この様子だと、黒幕は朱音と細貝さんだ。彼らに唆されただけの彼女は被害者だろうに。


 それにしても、どうしてこんな日のこんな時間に表現館くんだりまで連れてこられたのか。意図が杳として窺えない。だが、わざわざ閉館時間を遅らせる段取りまで組んでいたところを見るに、その場の思いつきの類ではなさそうだ。プラス、表現館という場所柄、何かを見せようとしているのではなかろうか。それが何なのかはさっぱりだが。

 辺りを物珍しそうにキョロキョロと眺めながら進む獅子ヶ谷さんの背を黙って追う。

 と。


「二階は、こちらで合っていますかね?」

「二階に用があるのかい?」

「あ。そ、そうですね。えーと。高い場所の方が風当たりが良い気がして」


 屋内で風当たりも何も無いだろう。なんて、意地悪く告げる気には更々なれない。


「二階ならこっちだよ」


 俺が誘導してやったら、獅子ヶ谷さんは踊るように突き進んでいった。可愛いもんだ。

 とは言え、二階か。無道専攻の表現が展示されている階層。

 フッと自嘲する。

 いつぞやも、『あの人』の作品を眺めたくて表現館を歩いたものだ。今では遠く感じる。


 二階に着いてからの獅子ヶ谷さんは一階とは裏腹に、遠足めいた足取りではなく目的地へと突き進む。けれど目移りしそうな思いを掻き消しているのが後姿で丸わかりだ。

 俺はそんな彼女を追いながら自分の気持ちを確かめる。

 程よい充実感に包まれていた。やり切った思いがあった。籠から解き放たれた鳥のような解放感に身を委ねていた。気分は高揚し、体はどこか軽い。


 にも拘らずどうしてだろう。獅子ヶ谷さんの後を追う足が徐々に重くなる。

 そうして気付く。進めば進むほど、彼女の目的地が『あの場所』である可能性が高くなっている事に。


 やがて獅子ヶ谷さんの足が止まった時、首筋にヒヤリとした物を押し付けられたように、高揚感は消え失せた。

 息を飲み、看板を見上げる。そこには。


『映像専攻』の文字。


 愕然とそれを見上げていると、獅子ヶ谷さんは翻り、躊躇いがちに声を発した。


「その……ここまで来たなら、ついでに見てみませんか? 久留井さんの表げ――」

「ふざけるな!」


 思わず声を荒らげた。獅子ヶ谷さんが肩を震わせる。だがそれでも口は噤めない。


「細貝さんや朱音に唆されたのは察してる。俺だって承知の上で付いてきた。でも、ここは、ダメだろう? わざわざ勿体つけて連れてきた先がここって、どういう領分だよっ。俺を試してるのか? 久留井さんの死を受け入れられているなら、あの人の作品だって平気な顔をして眺められるだろうって言いたいのか? それは、違うだろう。それとこれは違うだろう。他人が推し量るべきものじゃない。人には人なりの、千差万別の歩調があるんだよ。俺は君たちの道具じゃないんだ。娯楽じゃないんだ。人としてのラインを、踏み外さないでくれよ……」


 溜まらず俺は俯く。

 嫌な感情が心中でとぐろを巻く。

 けれど、細貝さんや朱音は、彼らなりに俺を立ち直すために考えていたと、分かっていた。一緒に過ごした時間が、経験が裏付けている。

 嫌な感情の矛先は、そんな齟齬だ。俺と彼らの思いの齟齬が、ただただ恨めしかった。


 けれど、黒く染め上げられた心が乾き出す。乾ききれば俺は耐えられる。齟齬をちょっとしたお茶目だとやり過ごせる。そうだ。心を乾かそう。

 そう意を決し、怒号を上げたことを獅子ヶ谷さんに詫びようとした時。


「その、何か勘違いをさせてしまったようですが、実はサプライズだと伺いまして」

「サㇷ゚、ライズ?」

「は、はい。何やら、ここでとある方が芸学祭での先輩の奮闘を褒めてくださるとお聞きして」


 ……ああ、下らねえ。見損なったぞ朱音、細貝巧。


「なるほど。うん。分かったよ。入ろう」

「はい……」


 時間と場所を選べない。決定づけられた。紫藤朱音、細貝巧はクズだ。お茶目なんてもんじゃねえ。超えちゃいけない一線を普通に超えてきた。もう連中に譲歩する気持ちは一切無い。

 俺は獅子ヶ谷さんよりも早く室内へと入り込む。


 ああ、今の俺なら耐えられる。黒い心のまま過ごせる。どんな奴がサプライズで出てくるか知らないが、怒りを堪えて笑顔で応対できる。そうやってやり過ごして、もう芸学ともおさらばだ。こんなくだらないことを考える奴らがトップレベルの学び舎なんてお門が知れるから。

 だが、そのゲストとやらは室内に見当たらなかった。薄暗い室内で、獅子ヶ谷さんが戸惑うような声を上げる。


「えぇと、これは……」


 彼女に対しては申し訳なさが募る。けれど、狭量な俺はついぶっきらぼうに言う。


「どういうことなんだか」


 と。ブゥンと機械音が響いた。瞬間、パッと辺りが光に包まれる。

 デジャブ。そう言えば、ここはそういう場所だったな。何ならここで現われるのはあの人か。そしてまたあの表現を見させられるのか。

 手を翳し、目を細め、壁に像が結ばれた事に気が付いた。人の姿をしている。


 やはりそうか、と思ったのも束の間。目が順応し、そこに映されていた人影が誰であるかに気付き、俺は口を半開きにしながら、思わぬ再会を果たした彼女の名前を呟く。


「……十杏、さん?」


 十杏十色。女性型アンドロイド。久留井さんの側近。そして久留井さんを……。


「これは、一体」


 呆けた声を出す獅子ヶ谷さんに構わず、俺は映像の中の十杏さんを見ながら首を緩慢に左右に揺らす。


「どういうことだよ。半年前は、こんなんじゃなかった」


 久留井さん。あの人が映像に表れていた。心理学に基づき鑑賞者に応じて映像のパターンも細分化していたと聞いた。ならば、十杏さんが表れたことも、その細分化の一つ?

 傍目から見ても明らかな狼狽を見せつけてしまった俺に、淑やかな笑い声が降りかかる。十杏さんの声だ。


「どうかされましたか? 大槻君?」

「俺の名前を、知っているんですか?」

「ええ。勿論で御座います。加恋様と大槻君と共に過ごした一か月余りの記憶、私は一片たりとも欠けることなく持ち合わせております」


 どういうことだ。十杏さんの記憶はバックアップも存在せず、あの箱――アンドロイドの中にのみ存在していると十杏さん自身が言っていた。だが、ここにはその記憶を持ち合わせる十杏さんがいる。

 あるいはどちらかの十杏さんが俺に嘘を吐いている可能性に思案を巡らせようとする手前、十杏さんはそんな思考を見え透いたかのように微笑む。


「私がどうしてあの当時の記憶を保持しているのかを疑問にお思いですか?」

「それは、そうですよ。おかしいじゃないですか」

「では逆にお尋ねしますが、あの箱に収められていた私の記憶は、今現在どこにあるとお思いでしょうか?」

「箱の記憶は、記憶媒体は警察に押収されて何も残っていなかったって聞きましたけど」

「どうして消えたのか、考えましたか?」


 どうしてって……まさか。


「その記憶が、ここにいる十杏さんのものってことですか」

「ご名答です。私の記憶はあの時……加恋様を殺害した後にこちらへと転送されました。そして、ある目的を達するためにのみ、ずっとここに存在したのです」

「目的って、なんですか……?」

「加恋様の生涯における最高傑作をとある方に見せるために、で御座います」

「久留井さんの、最高傑作……それで、その見せる相手は」


 尋ねると、十杏さんは至極当然と言った様子で告げた。


「大槻君です」


 蕩けてふやけて、夢か現かも判別できない、あるいは海月みたいに水中を揺蕩うような気分だった。

 サプライズ、ね。本当にサプライズだ。しかもそんなサプライズゲストは、最高のプレゼントを用意してくれたみたいだ。朱音も細貝さんもごめんよ。さっきはクズだと断じて。十杏さんも含めてアンタらは、俺にとって最高のサンタクロースだ。

 俺はそれ以上余計な事を考えず、脊髄反射で口を開く。


「見せてください。その最高傑作を」

「勿論で御座います。ですが、そちらのお連れの方は如何いたしましょうか」


 そう言って映像の中で十杏さんは俺の背後を手で示した。そこには目を瞬かせる獅子ヶ谷さんが立っていて、俺達の視線を浴びて恐縮したように俯いた。


「わ、私は……」

「見よう。一緒に」


 彼女の考えを聞かず、俺は告げた。すると獅子ヶ谷さんは顔を上げ、目を大きく開き。


「は、はいっ」


 頷いてくれた。

 俺も十杏さんも、そして獅子ヶ谷さんも同じ専攻、映像専攻の仲間だ。今更仲間外れにする気は無い。

 それにこれから見るのは、そんな映像専攻の先輩であるあの人の作品。獅子ヶ谷さんも見て当然。見る権利がある。

 十杏さんへと向き直ると、彼女は赤らめた頬に両手を当てていた。


「私にあんなことをしておきながら、もう次の生娘を毒牙にかけるだなんて、大槻君も流石です」

「せせせ先輩っ! こんな綺麗な方に何をしたんですか! あんなことってどんなことですか!」

「あーうるさいうるさい。十杏さんの冗談に騙されるな。獅子ヶ谷さんらしくもない」


 キンキン声に顔を顰める俺に、十杏さんは意味ありげに笑う。


「ふぅん。私のアソコに二回も触れたのに、もう忘れてしまったのですか? 私は悲しいです」

「せ、先輩!? ああああ、あ、アソコって」


 ヨヨヨと泣き真似をする十杏さんに、がくがくと震えだす獅子ヶ谷さん。始末に負えなくて、俺は絶叫する。


「さっさと話しを進めてくれー!」

「それもそうですね。さっさと進めましょう」


 と、発端を作った張本人が至って真面目な顔へと様変わり。調子が狂う。

 呆気に取られる俺に、しかし十杏さんは慈しむような顔を向けてきて。


「それでは、ご覧ください。加恋様の最高傑作を。題は『ピークエンド』で御座います」


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