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カエルの悪あがき  作者: 夜鷹亜目
井の中の蛙編 其の壱
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第三話

 とまぁ、意気込んできたは良いものの、突き刺さる事針山の如し。

 何が突き刺さるって、視線だ。そして陰口。

 人の顔を見るなり落ちこぼれ、クズ、そして犯罪者と囁かれる。

 そんな生徒達も、俺と目が合うと素知らぬ顔をして逸らす。まるで腫物みたいな扱いだ。


 しかしそうだな。俺は腫物。芸学の膿んだ瘡蓋。そんなの俺だって分かってるさ。

 だから俺はそんな自分を自覚する度、誰にともなくこう呟いた。


「世界は本当に下らない」


 ――国立芸才学園を語る上で欠かせないのが三大表現、そしてAIだ。

 世界を席巻するAIは、日本においても猛威を振るった。様々な職業――例えば接客、事務、営業エトセトラ――の代わりを担い、人の仕事を奪った。今朝のアンドロイドもその副産物だ。


 だが、AIがまだ暫くは及ばないとされる分野もある。芸術や芸能の類だ。それらを一括りに『表現』と称し、表現を作りだす人間を『表現者』と呼ぶ。そして表現の中でも殊更に重宝されているのが『文』。『絵』。『音』。これらは『三大表現』と呼称されており、様々な教育機関が力を入れている。

 だが全国でも屈指の表現者が集う芸学は、三大表現以外の表現を得意としようとも、入学するだけで箔が付く。そんな中で俺は無道――要するにエリートの中でも一握りのみが歩める道を歩く生徒、通称『無道組』だ。そんな俺が午後になって行っていたことは。


「でーきちゃったー」


 ぱんぱかぱーんと脳内でファンファーレが鳴り響く。

 芸学のとある一室にて一人ぼっちで椅子に腰かけたままそれを掲げる。

 構想半年。ようやく完成した代物だ。感慨深いぜ。制作時間は一時間だったがな。

 ともあれ命名しようではないか。命名とは生命に息吹をもたらすもの。命を宿すための儀式。暫しの感慨に耽り、高らかに声を上げる。彼の名を。我が子の名を。


「――とてつもないぐらいモテまくるマスク!」


 うん。こういう実用に重きを置いている作品に関しては、その性質をつまびらかにした名が良いだろう。流石だ俺。素晴らしい命名じゃないか。

 マスクした女は最低でも三割増しで可愛く見える理論、通称マスク理論。このマスク理論を唱えたオーツキ博士こと俺は、更に理論を発展させてこのマスクを完成させた。

 素材はラテックスゴム。映画とかで特殊メイクにも使われるやつだ。石膏で原型を作り上げ、そこにラテックスゴムを当てはめた。顔全面となると面倒だが、これは鼻から下だけだったため、それ程苦とはしなかった。


 というわけで、いざ実装。

 長机の上、手近にあった鏡でその装着具合を確かめる。うむ、悪くない。西洋のイケメンをモチーフにしたマスクだが、鏡の前の俺は最早西洋人だった。これぞジェントルメン。

 手で色んなポーズを取って、その相貌に酔いしれていたところ。


「邪魔するぞー」


 気だるげな声と共に部屋の扉を開けられた。

 ブラウンのブラウスに烏みたいに黒いスカート。地味を絵に描いたような恰好だが、彼女の器量だけは見知った仲の俺も認めざるを得ない。ただ、その恰好にツインテールってどうなのさ、とは思うが。

 彼女は入り口で立ち尽くしていた。綺麗な二重瞼をわざわざ半目にして俺を眺めたまま。

 対して俺も、彼女を見つめ返していた。口の両端で横ダブルピースを決めながら。

 ある種の緊張感を孕んだ沈黙を破ったのは向こうだった。


「……前から血迷っているとは思っていたが、とうとう迷宮に迷い込んだみたいだな」


 皮肉めいた事を言う彼女に、片方の横Vサインを維持したまま片手で前髪を払って返す。


「ツンデレってやつか。古典的キャラ付けだな。五十年前に廃れてるぞそれ。今の時代ならツンツンかデレデレに全振りした方がまだ表現としての可能性がある」

「今の僕の態度がツンデレなら世の中全員デレッデレだぞ」

「ふふん。なるほどな。朱音をデレさせてしまったか。仕方ない。一発ヤ――」


 前髪を払った手を額に当てて、やれやれと首を緩慢に振っていた所、A四サイズの本が飛んできた。そしてその角が顎に命中。俺は盛大に椅子ごと後ろに倒れてしまった。


「気色悪いマスクして、気味悪い動きして、気持ち悪いこと言うな。気ち●いが」

「こ、この、暴力女め……」


 クッションの代わりを務めてくれたマスクごと顎を抑えつつ、よろよろと立ち上がる。ついでに、朱音が投げつけてきた百ページ近い『台本』を拾い上げ様に机に放り投げた。

 そして立て直した椅子に深く座り込みながら腕を組み。


「やいコノヤロウ! 他人様の島を荒らしに来て何のつもりだ!」

「渡が登校していると噂に聞いて来たんだよ。そしたら……はぁ。他人事ながら僕は情けないよ。そんなしょうも無いマスクを着けて哀れにも百面相を披露して」

「しょ、しょうもないだと!? 撤回しろ!」


 キィィと喚く俺を朱音は呆れたように嘆息してから、長机を挟んで対面に腰かけた。そして机の上に両肘を付くと手の甲で自らの顔を支えて呆れたような目を送りつけてくる。


「あのな、そのマスクのどこがしょうもなくないんだ」

「なっ。まだ言うか。良く見ろこのディティール。このご時世、外国人的な顔の方がモテるらしいから、日本人受けの良い外国人のイケメンを参考に鼻から下を模したマスクだ! これならば街を歩けば逆ナンされまくること請け合いで――」

「校内でその不出来なマスクを着けて歩いたら、むしろ嘲笑われるぞ。またあの大槻がバカしてるって」

「ぐっ」


 午前のカリキュラムをこなしている時の周りの反応を思い出し、思わず黙ってしまう。

 だが朱音は傷にレモン汁を塗りたくる様につらつら言い続ける。


「大体にして、そんな今時中学生はおろか小学生でも作れそうなマスク、恥ずかしげもなくよく着けられるもんだ。滑稽も度を過ぎれば、いやいや天晴だ」

「ほ、ほほーう。よく言えたもんだな、小娘め!」

「小娘って、君と同い年の十九歳なんだが」

「黙らっしゃい! お前だってちょっと可愛い顔してるからって、その地味な服装でツインテールは無いだろ! しかも何だよその口調! ちぐはぐなんだよアホたれ!」

「半袖短パンの、わんぱくを絵に描いたような恰好の渡には言われたくないんだが……と言いたいところだが、でもそうだな、良い指摘だ。渡、ゴミ箱持ってきてくれ」

「はぁ? ゴミ箱?」

「良いから、早くしろ」


 ったく。不遜にも程があるってもんだ。

 だが心優しきジェントルメンの俺は、椅子から立ち上がり窓際まで移動すると、そこにあったゴミ箱を朱音へ手渡す。


「一体何を捨てるんだ――って」


 朱音はガサゴソと鞄を漁っていて、そこから取り出したのは一丁のハサミだった。

 ――まさか殺される!?

 と、ひりついたのも一瞬。彼女は躊躇なく当てがった。自らのツインテールの片割れに。


 そしてそれをばさりと切り落とし、留めていた黒いヘアゴムごとゴミ箱にポイ。流れ作業でもう片方の髪束にもハサミを入れてゴミ箱へポイ。

 呆気に取られる俺を他所に、朱音はすっかり短くなって首の真ん中付近に触れる程度の長さとなってしまった襟足を、青白く細い指先でサッと撫でた。


「ほら、これでどうだ。それらしいだろう?」

「な、なななな、なにやってんだよぉぉ!」

「え? 何を絶叫している? 髪を切っただけだろう」

「いやいやいや、鏡も見ずバッサリ切りやがって……女の髪は命の次に大事って相場も決まってるだろ! それを爪でも切るみたいに気軽に切って!」


 器量が整っているから、ショートヘアーは様になっている。だがそれでも、そんな安易に切るべきものでは無いはずだ。

 狼狽える俺に、しかし朱音はおかしそうに笑いやがる。


「髪はいずれ伸びる。爪と同じだ。命の次に大事なのは四肢か歯だと私は思うがね」

「……意外だな。そこは演技が命の次に大事だって言うのかと思ってたわ」


 我ながら意地悪い投げかけに対し、朱音はもっと意地悪そうな顔した。


「誰が演技を三番目だなんて言った? 命は二番目だ。演技こそが命よりも大事だと僕は思っている。当たり前だろう。演技のためなら命なんて些末だ。比ぶべくも無い」


 狂っている。だがこんな狂っている奴が、この芸学にはウヨウヨいやがる。

 紫藤朱音。彼女は芸学で三大表現の次に専攻者を占める『演技』を専攻しており、その演技専攻の中でも評価が最も高い逸材、いわゆる『筆頭』だ。普段から演技に対する志が溢れ、そして何よりも『長い目で見た時の変化』はあからさまに『憑依型』めいていて。


 朱音は前髪を払い緩めの七三に素早く分けると口を開いた。


「それで渡は、一体いつになったら本気を出すんだ?」

「俺は至って本気だ。常にマジ。そして同時にクレバー。そんなマジクレバーな俺が作り上げたマスクは勿論、傑作中の傑作。見ろこのディティ――」

「タレンオブリージュ」


 俺の有り難いお言葉にわざわざ被せてきた言葉は、耳にタコができるぐらい聞き飽きたものだった。思わずはぁとのため息が出てしまうってもんさ。


「才能のある者は、その才能に責務を負う、ってか」

「おっと。知っていたか」


 おどけた口調に俺は乾いた笑い声を上げるが、朱音は表情を引き締め。


「芸学の教育方針であるタレンオブリージュだけれど、僕は求められるまでも無く、似たような信条を持っていた」


 口を噤む俺に、朱音は尚も続ける。


「人間には与えられた才能がある。そして人よりも優れた才能を持ちながら披露しないのは最早罪だ。……渡、今からでも君は戻るべきなんだよ。君がいるべき場所に。こんな誰もいない場所じゃない。喝采を浴びられる場所だ。惨めに侮辱され続けるか、あるいは君を虐げて愚弄してきた糞の役にも立たない秀才共の鼻を明かすか。どちらが正しいのか、君も分かるだろう」


 声には誠意が溢れ出ていた。それは彼女が演劇を専攻している生徒だからこその演技なのかどうか。俺には露ほども分かりそうも無い。

 けど、どちらにせよ俺は――。


「……すみません、お邪魔します」


 扉が開け放たれたままだった入り口。そこに一人の少女が恐縮した様子で佇んでいた。もしかしたら俺たちの会話が途切れるのを待っていたのだろうか。だがそんな事よりも、俺には気にかかることがあって唖然としてしまった。

 そんな俺に代わり、朱音は彼女へ爽やかな笑みを向けた。


「こんにちは。見た所高等部のお嬢さんかな?」

「あ、そうです。こんにちは……えーと、もしかして、久留井さん、でしょうか?」

「っ」


 俺は息を飲んだ。しかし誰にも気取られてはいない。朱音があえて気付かないふりをしたのでなければ。


「いいや。違うよ。僕の名前は紫藤朱音」

「あ、すみませんっ……あれ、でも紫藤朱音さんと言えば、まさか演技専攻の方では?」

「おや。僕の名前を知っていたか」

「勿論です! 将来の演劇を背負って立つ方だと聞き及んでいます。芸学の生徒の中でも、飛び抜けた才能の持ち主だとも」


 ま、異論はないさ。その通りだろうさ。でも。


「フフ。良いぞ。褒めろ。もっと褒めろ。褒め殺してくれ。デュフフ」


 両手を中空で小刻みに揺らしながらにへにへとだらしなく笑うジャンキーな顔を見れば、何となく口も挟みたくなる。


「そんな天才様も、こんな所で油売ってる間に他の表現者に出し抜かれるかもなー」


 嫌味を言ってやったのに、朱音は憤慨などせず真顔に戻ってしまった。


「違うぞ。僕は天才じゃない。秀才だ。僕よりも才能のある人間はいくらでもいる。芸学だけじゃなく、他の大学、それに表現者として表舞台に立つ人々の中にもたくさんいる。だから僕はいつだって必死さ。渡みたいな天才じゃあないからね」


 慇懃無礼が過ぎる上に買いかぶり過ぎだ。しかし朱音が本心から告げている事を俺は理解していた。なのでただむくれた顔をしてしまう。と。


「渡って――まさか大槻渡様ですか!」

「は? 様? ――って、ちょ」


 ささっと軽い身のこなしで彼女はこちらへと近づき、ガシッと俺の右手を両手で包むように挟んできた。星屑でも飛び散らすみたいにキラッキラの瞳が俺を一心に見つめていて、微かに熱を帯びた吐息が俺の鼻筋にかかる。


「お会いしたかったです! 大槻様!」

「今どきの子は大胆だなぁ」


 朱音が机に頬杖を突きながら口笛を吹いて冷やかしてくる。が、高等部の少女にそんなことは関係ないみたいだ。変わらず熱の籠った声を上げる。


「私、この芸学に来たのも大槻様にお会いしたくて、その、憧れていて、だからこうして会えて私は……あれ?」


 しかしどうしたのだろう。まるで北風が吹いたかのように熱が冷めていく。表情も声も、何やら胡乱なものとなっていった。

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