第十三話
獅子ヶ谷さんが転入してきて三日目の放課後。
無道校舎のとある一室にて、各専攻の生徒長が一堂に会する生徒長会が行われていた。以前朱音が学祭の日程を次の生徒長会で決めると言っていたので、俺も無道組の一員として馳せ参じた。
勿論、朱音もいた。生徒長会では最前方に無道組の生徒長が座り、その後ろに左和校舎の専攻の生徒長が座る暗黙の了解がある。なので、この教室の場合三人掛けの机が横並びで三つあるのだが、その最前方に朱音は座っていた。
と、朱音がこちらに気付き、微笑しながら手を軽く上げてきた。声はない。当たり前だ。声なんて届かない。俺は部屋の最後方で立ち尽くしているのだから。
何故俺がこんな場所に突っ立っているのか。それは。
「解せぬ。俺は無道組の専攻者で筆頭、かつ生徒長。にも関わらず前方はおろかそもそもこの教室に席が用意されていないとか、納得がいかん」
俺はここに訪れてから憤っていた。無道組はおろか、他の専攻に属する生徒達も椅子に腰かけているのに、俺だけ最後方で立ちっぱなし。
思わず腕組みをしながら舌打ちをしていると。
「そこの生徒。ただでさえ悪目立ちしているんだから。余計な言動は慎みなさい」
壇上から俺を指さして声高に指摘してきたのは、文専攻の女子生徒長だ。するとその横に立っている気弱そうな少女――絵専攻の生徒長が宥めるように声をかけた。
「ま、まぁまぁ。一つ上の先輩に対して、そういう高圧的な態度は良くないよ、月美?」
「うるさい、日和は黙ってて! 場の調和を乱す輩相手に学年なんて関係無いわ。それに、そうでなくともあの人は芸学屈指の落ちこぼれ。この場にいる事自体が不適切だわ」
めっちゃ罵倒してくるね。こうまで宣われると清々しさを覚えるよ。
と、壇上に立つ三人の内、今まで黙っていた人物が口を開いた。
「確かに落ちこぼれだ。救いようが無い。金魚の方がまだ救い甲斐がある。くく」
言って一人で笑い出したその人物は――細貝巧。
彼らの言葉は、この場にいる生徒長の心の声を代弁していたのだろう。俺へと突き刺さる様な視線を向けてくる。若干名を除いて。
若干名の内の一人、朱音が耐えかねたような表情で手を挙げた。
「僕が彼を呼びました。なので、それ以上責める様な言い方はご勘弁願えませんか」
それに返すのは細貝さんだ。
「分かっているよ。大槻に生徒長会の日程を教えるなんて紫藤以外にはいないことを。まったく、人付き合いをするにしても相手を選ぶべきだと俺は思うんだけどね」
「ご尤もです」
いやいや、ちょっとは言い返そうよ。俺のためを思うならね? まったく思ってないんだろうけどさ。……しかし朱音の発言には続きがあった。
「ですが、個々人の交友を第三者に否定される筋合いはありません。表現者であるなら、その心根は誰しもが持ち得ていることでしょう」
朱音の奴、良い事言うじゃねえか。最後まで聞かずに、言い返せよ薄情者め、とか思ってごめんよ。と、己を恥じていたら。
「――と、渡が言っていました。僕の考えではありません」
うん、最後まで聞かなかった俺がやっぱりいけないね。あいつはロクでもねえや。大体俺そんな事言ってねえし。
すると細貝さんはフッと笑みを零して俺を見た。
「良い事を言うんだな、大槻。その点には返す言葉も無いよ。けど、君がそうして突っ立っているのは、自業自得だっていうのも理解しているよね?」
「ぐぬっ」
こちらもまた返す言葉も無い。前方の席は普段から俺が顔を見せないために埋まってしまっていたが、実は席自体は用意されていたのだ。都合百二十の専攻の生徒長がぴったり合う数の席が用意されていた。では、どうして俺がこうして突っ立っているのか。それは。
「あ、あのぅ。私、やっぱりお邪魔ですか?」
俺に問うてきたのは、最後方の隅、俺の横の席に腰を下ろす獅子ヶ谷さんだった。彼女は引き攣った顔と戸惑うような眼差しを俺に向けていた。
どうして生徒長でもない彼女がこの場にいるのかは。
『生徒長会というものに興味があるのですが、私は参加してはダメでしょうか?』
等と、子犬のような円らな瞳で請われたため。
内心、しち面倒くせぇと思いもしたが、ゆくゆくは彼女が映像専攻を背負って立つかもしれない。それに、融通の利かない先輩なんてレッテルを張られる前に先んじて。
『ああ、構わん。勝手知ったる生徒長会だ。俺の一存でどうとでもなる』
と、先行投資と予防を兼ねて大見得を切ったのだが、結果はご覧の通り惨憺たるもの。普段なら一人二人の欠席はあるだろうに、今日に限って全員出席とは、運が悪いぜ。
なので、獅子ヶ谷さんに席を譲って、俺は仕方なしに突っ立っていたのである。細貝さんの言う通り自業自得だ。本来なら事前に連絡すれば生徒長以外の参加も認められて、席も用意されていただろうが、独断でしかも時間ギリギリに押し掛けた俺の場当たり的な行動が招いた結末。俺が誰かを責める道理もない。
俺は苦虫を噛んで青汁で飲み下すような心境で獅子ヶ谷さんに言う。
「……邪魔じゃない。大人しく座ってて」
「は、はい」
躊躇いがちに頷いて前へ向き直る獅子ヶ谷さんだったが、直ぐにその様子は様変わり。
「はわー。それにしても、凄いです。色々な専攻の有名な方がいらっしゃって……あ、あれは仮想空間表現の火蘇さん! それに、横にいらっしゃるのは、陶芸表現の峠さん!」
まるで都会に初めて訪れたお上りさんみたいな彼女に、俺はおろか周りの人間も呆れていたが、それを諫めたのは細貝さんだ。彼の声が響くや否や、獅子ヶ谷さんも口を噤んだ。
「静かに。今日の生徒長会の議題は、芸学祭の日程についてだ。既に生徒長会の開始予定時間より五分も過ぎている。なので早速だが、俺からの提案として六月中旬、具体的には六月第三週の金土日を芸学祭の日程に推したい。何か意見のある生徒はいるか?」
六月の、第三週って。
「さ、再来週じゃないですか。急すぎませんか?」
俺の心の声を代弁したのは獅子ヶ谷さんだった。
しかし今度は細貝さんも見咎めず、むしろ待っていたとばかりに口角を上げた。
「ああ、再来週だ。丁度十日後だ」
俺は苛立ち交じりに口を開く。
「あのですね、いくら何でもそれは無茶ですよ。細貝さんが理解してないはず無いでしょう? 一朝一夕で表現を作り上げることも不可能ではない専攻もあるでしょうが、一部には半年がかりで作品を作る専攻もある。俺たち映像専攻だってそうだ。なのに、自分の専攻が比較的直ぐに形に出来るからって、そんな横暴は――」
言いながら、妙な雰囲気は感じ取っていた。
俺は至極真っ当なことを言っている。にも関わらず、ここにいる生徒の殆どが俺の話を半笑いだったりロクに話を聞こうとしていない様子だった。そこで察するのは。
「くそ、謀られた」
「謀る、ですか……?」
狐につままれたような顔をする獅子ヶ谷さんを尻目に、俺は奥歯を噛みしめる。
そもそも、今回芸学祭を後期では無く前期に行う事となったのは、映像専攻を無道組から外すため。であれば映像専攻を抜きに情報共有もなされていたと考えるのが当然だ。つまりこいつら、いや、芸学の殆どの生徒が知っていたんだ。以前から前期に学祭が行われることを。そして俺達には何も知らせず着々と学祭の準備を進めていたってことだ。
俺が何とかイライラを押し殺す最中、声と共に手を上げたのは朱音だった。
「細貝さん。前期に芸学祭学祭を行うのは事前に伺っていましたが、再来週と言うのは寝耳に水です。どうでしょう、ここは折衷案として一か月の猶予を設けるのは?」
「ふむ。なるほどね。どうだろうか皆。紫藤君の意見に賛同する人はいるかな?」
細貝さんが生徒たちを見やり、朱音もまたそれにつられるようにして見渡す。だが。
「……どうやら、誰も賛同してくれないみたいだね」
意にも介さない様子の生徒達を、朱音が驚いた様子で見渡していた。
つまり、朱音も謀られていたんだ。俺と接点があって、比較的近しい人間だから芸才の詳しい日程に関しても伏せられていたのだろう。俺にチクらないように。
恐らくだが、朱音以外の演劇専攻の生徒には伝えられていたのではなかろうか。そうでなければ、芸学において四番手である演技専攻の立つ瀬がない。要するにこの生徒長会は、茶番だ。俺と朱音を吊るし上げるための茶番。
――あぁ、本当下らねえわ。俺だけならまだしも、朱音まで出し抜いて。しかもその指揮を執るのは、芸学で最も地位と名誉と実力を兼ね備える細貝さん。これが天下の芸学生のやることかよ。
一人静かに怒りに打ち震える俺とは違い、朱音は尚も細貝さんに言い募っていた。
「こんなのはおかしい。芸学において、表現者は平等であるべきだ。それは細貝さんだって分かっているでしょう? こんな子供じみた事をすべきではない。才能ある者が負う責務には、そのような平等の精神も含まれるのではありませんか?」
しかし朱音の熱弁も、細貝さんは涼しい顔で受け流す。そしてそんな温度差は、朱音と細貝さんだけではなく、朱音と室内の生徒達という対比になり始めていた。
これ以上朱音が抗い続けても、それは朱音のためにはならない。泥沼だ。
であれば――泥沼に沈む人間は一人で良い。
「あああああ! もう、やってやる! 勝負だ細貝! 負けたら絶対にどっちかが無道組から外れろ!」
申し訳なくも、獅子ヶ谷さんの座る席の机を思い切りこれ見よがしに大きく叩いた。獅子ヶ谷さんは「ふふぇっ」と謎の奇声を上げながら驚いていたし、その横に座るおデブ男子はおったまげて椅子ごと倒れたが、そんな事はお構いなしに俺は細貝さんを睨みつける。
吹っ切れた。勝てるはずのない相手に威勢よく啖呵を切った。これ以上朱音が窮地に追いやられる姿を見過ごすことなんて出来なかったから。それが例え映像専攻と言う俺だけのものではない場所を失うとしても、多分あの人なら俺の背を押してくれる気がした。
「渡……」
『我を取り戻していた』朱音だったが、今ではそれも鳴りを潜め、最近の朱音らしく冷静な表情となっていた。
そして壇上では「あわわわ」と驚き戦く少女と、キッと鋭い睨みを利かせる少女、そして悠然と笑う細貝さんがいた。
「勝負か。無道組から外れると言うのは、個々人がではなく、専攻自体がか?」
「そうだ。俺が映像専攻を離れたところで、絵専攻に戻れば良いってことになっちまうからな。それじゃフェアじゃない。専攻諸共移すべきだろ」
ビシッと細貝さんを指さして宣戦布告する俺、カッコいい。と自己陶酔に浸っていた所、獅子ヶ谷さんが水を差してくる。
「せ、先輩。映像専攻と絵専攻とでは、それ自体がフェアではないですよ、知名度も規模も段違いです。それに映像専攻はそもそも芸学祭で爪はじきに合う予定の身だったんですよね? むしろ音専攻にだけリスクを求めている気が」
「ぐぬ」
言われてみればそうだな。突き出していた人差し指が思わずお辞儀してしまう。と。
「じゃあこうしよう。芸学祭で映像専攻が勝てば、僕だけが音専攻から離れよう」
穏やかな口調で告げられた細貝さんの思いも寄らぬ提案に、室内はざわめく。
壇上では勝気少女が慌てた様子で細貝さんに声をかけた。
「そ、そんな。あんな落ちこぼれ相手にそこまでしなくても」
「まぁまぁ、最後まで聞いてくれ。代わりに音専攻が勝った場合、映像専攻室は僕専用の部屋として接収させてもらう。丁度新しい防音室が欲しかったところなんだ。それに一階の方が僕は好きでね。その上で芸学祭の日程は再来週。この条件ならばどうだろうか?」
……まただ、またやられた。細貝さんは最初からこれが目的だったんじゃないか? 無道校舎の専攻室が限られている中で、優先的に音専攻の専攻室を広げる事、いわば領土を広げることが目的。生徒長が一堂に会する場で、自身の進退すらも賭けて勝負すると言う彼に横やりが入ることはまずなく、その代わりに彼らはその勝負を肯定したこととなる。
唯一勝負を撤回できるとすれば俺だけだが――。
「じょ、上等だ! それでやってやる!」
下がりかけていた片手をピンと伸ばして再度細貝さんを指さす。これが男の生きざまよ。
「……震えてますよ先輩」
「う、うっせ」
わざわざ指摘してきた獅子ヶ谷さんに俺は囁くように悪態をついた。
細貝さんは俺とは裏腹に落ち着き払った様子で視線を教室内に走らせる。
「それでは、日程に関しては再来週の金土日に決定。次の議題だが、大掛かりな設営を必要とする専攻、及び芸学祭の具体的なスケジュールについてもこの場で――」
「――あ、先輩!」
獅子ヶ谷さんの呼び止める声に俺は振り返る。と、室内全員の目が俺へと向いていた。無論、細貝さんも。
「もう帰るのかな?」
「ああ。こっちは表現作りに専念したいんでね」
俺は肩を竦めてから足を進めた。
躊躇いながらも俺の後を追ってくる獅子ヶ谷さんの気配を感じつつ、耳には侮蔑するような囁き声が、そして卑下するような視線が背中に突き刺さる。
ふん。今に見てろ。ほえ面をかかせてやる。勿論一番は細貝巧。あいつにはほえ面なんて生ぬるい。失意のどん底に叩き落として、今回の勝負の件が間違いだったと、心に一生消えない楔を打ってやる。




