其之三
やがて―来るべき日がまいりました。
逸早くそれを察していた薫郎は、泣いて縋る小佳をようやく説得して、小青ともども屋敷から逃がし、我が身一つで、運命の時を待っていました。
自分自身は何処へ逃げることも、彼は考えませんでした。
なぜなら、梅の精である彼は、決して、植えられた土地から離れることは出来ないのですから。
薫郎が恐れたのは、愛する妻と子を、自分の巻き添えにしてしまうことでした。
二人にだけは、生きていて欲しい!
そして、天寿を全うして欲しい!!・・・。
それこそが、彼の、最後の願いだったのです。
薫郎は、初めて小佳を訪れた日に着ていた、あの白銀色の絹の上下を身に着け、長い脚には黒緞子の長靴を履いて、静かに広間の卓子の前に端座しておりました。
衣装には、白銀地の全体に飛雲の透かし模様が散り、襟から胸元にかけてと、絞った袖口だけが藍地で、そこに金糸銀糸で花と鳥の刺繍が施された、それは見事なものです。
そして、それを着た薫郎は、目が覚めるように美しく、まさにこの世のものとも思えぬほどに、光り輝いて見えました。
けれどもその衣裳こそは、彼にとっての『死に装束』だったのです。
所詮は人ならぬ魔性の身、道士の繰り出す法力に、敵う筈はありません。
けれど敵わぬまでも、薫郎は、潔く闘って死ぬつもりでした。
もとより、決して後悔などはしていません。
彼は命を賭けて一人の女性を愛し、息子まで残せたのですもの・・・・。
ただ―許されるものならば、このまま人間として生きてゆきたかった。
愛する小佳と添い遂げ、共に、我が子・小青の行末を見届けてやりたかった・・・・・。
でも、それは、贅沢というものなのでしょう。
人ならぬ身が、決して望んではならない事だったのでしょう。
だからもう薫郎は、きっぱりと思い切っていました。
〈本当に有難う、小佳!私は、幸せでした。どうか、小青をお願いします。出来るなら、またいつの世でか、あなたと!!・・・・・〉
彼がこう思った時、どやどやと人々の一団が、広間に入って来ました。
その先頭には、あの大聖廟のお祭りの日、彼らからささやかな幸せを奪い去った、憎い道士の姿がありました。
さらに、道士に従って来た数人の男共に交じって、あろうことか、小佳の伯母・安大姐と、その娘・淑蛾の姿まであったのです。
この成り行きの張本人こそ、言わずと知れた彼女たちでした。
安大姐は、財産横取りを邪魔した『馬の骨』を恨み、また淑蛾は淑蛾で、小佳の留守を狙って押しかけては、しつこくしなだれかかり、何度誘惑したところで一向に靡かぬばかりか、果ては『なるほど。確かにあなたは、姿形はとてもお美しい。けれど心の醜い女性に、私は、指一本触れる積もりはございません。ましてや、この薫郎は妻ある身。どうぞ、もう二度と、おいでにはならないで下さい!!』と手酷く拒絶してプライドを傷つけた『朴念仁』を憎み、それぞれがひとかたならず、この美しい若者に憎悪を燃やし続けた彼女らは、何とかして二人を引き裂く方法はないかと密かに悪計をめぐらせた結果、大金をはたいて、近ごろ評判の道士を雇い入れました。
というのも、彼女らの話を聞き『そんなにも美しい男が、普通ならば、小佳などの婿になる訳がない。もしや、妖怪変化の類ででもあるのではないか!?』
と、首をひねった大姐の連れ合いの言葉に、妙な説得力があったからです。
そして、ついに彼らは、白薫郎が、実は人ならぬ身であることを突き止め、引導を渡すべく、乗り込んで来たのでした。
その道士は、並み勝れた法力を持つと噂も高く、自分自身も、大いに自惚れておりました。
彼はその力を嵩に着て、これまでに幾多の哀れな恋人たちを、情容赦無く、手当たり次第に葬り去って来ました。
人ならぬ身でありながら、人に純愛を尽くす者たちが、当時は幾らもあったのです。
「ふふん、殊勝にも、誅せらるるを待っておったか。魔性めが!!」
薫郎の姿を見るなり、道士は吐き捨てました。
「手向かい致そうなどと、身の程知らずな魂胆は持たぬことじゃ。このわしの法力に、敵おう筈は無いのじゃからの!」
薫郎は、静かに立ち上りました。
踝あたりまで届く長上着の裾が、両脇で大きく前後に割れ、長靴の足が、しなやかに見え隠れ致します。
紫紺の帯できりりと締めた細腰に、貴公子風のそのいでたちが大層映えて、悲愴なまでの凛凛しさが漲っていました。
「道士よ!」
彼は、よく通る、澄んだ声音で呼びかけました。
「見ての通り、この身は逃げも隠れもせぬ。なれど、今一つ尋ねたい。そなたに誅せられねばならぬほどの災厄を、私はこの世にもたらしたのだろうか?一人の女と、そして息子と、肩寄せ合って生きてゆこうとすることが、それほどまでに許されぬことなのか!?」
悲痛な、魂の叫びでした。
やり切れぬ悲しみが、その言葉には溢れていました。
けれど、道士には通じません。
「笑止!外道の分際で、何をほざく!」
彼は、鼻先で笑い飛ばしたのでした。
「人ならぬ身で人間の女を誑かし、子まで成しておきながら、己れは未だ世迷い言をぬかすか!これを災厄と呼ばずして、何と呼ぼうぞ!?魔性が世にあること自体、既に凶事。その上の罪を犯したからには、もはや天誅あるのみじゃ!」
言うが早いかその掌から忽ち、薫郎めがけて凄まじい法力が発せられました。
「喰らえっ!!」
目の眩むような閃光が、瞬時に彼の細身を真っ二つにしたかに見えたのですが、ものの見事に引き裂かれて床の上に転がったのは、薫郎の背後にあった竹の衝立でした。
「むうっ!」
思い懸けなく仕損じてしまった道士が、目を剥いて呻った時、その眼前にひらりと、鮮やかに降り立ったのは薫郎でした。
彼は目にも止まらぬ速さで飛翔し、難無く、道士の攻撃を躱したのです。
「こ、小癪な!貴様、このわしに歯向かいおるかっ!!」
これまで、ただの一撃で相手を倒して来た道士にとっては、全く、予想だにせぬ屈辱でした。
彼は怒りにまかせて、矢継早に閃光を放ちましたが、そのどれもが空しく大気を切り裂き、徒に、衝立や家具調度、それに置物や花瓶などを破壊するばかりです。
そして、彼の目前にはいつも、端然と佇む薫郎の姿がありました。
「おのれ、化物めっ!!」
怒髪天を衝いた道士は、とうとう最後の手段に訴えたのです。
彼の合図に応えて、広間の入口の蔭から二人の男が現れました。
彼らの手に捕えられているのは何と、小青を抱いた小佳ではありませんか。
「あなた!!」
「とーたま、こあいよーっ!!」
何と卑劣な奴らなのでしょう!?彼らは、万一の時の人質に、小佳と小青とを隠れ家からかどわかし、薫郎の前に引っ立てて来たのです。
「小佳!!小青!!」
思わず駆け寄ろうとした薫郎の隙をついて、道士の手から法力が発せられました。
「うっ!」
僅かなところで躱した積もりが躱し切れず、彼は閃光にしたたか打たれて、いやというほど床に叩きつけられました。
「ああっ!あなた、あなた!!」
小佳の悲鳴が上がり、
小青の泣き声が、あたりに響き渡りました。
「あーん、とーたまっ!!」
「く・・・・・・」
歯を喰いしばって立ち上げり、薫郎は今こそ、身内に秘めた力を解き放とうとしましたが、それはなりませんでした。
「見よ、外道!この上手向かい致さば、この者どもの命は無いぞ!!」
勝ち誇って喚ばわる道士の声、愛しい者たちに、ピタリと突きつけられた刃の光・・・・。
「ひ、卑怯な!!・・・・」
よろめきながら、くちびるを噛んで立ち尽くす無抵抗な薫郎めがけて、容赦のない閃光が、幾度となく、続け様に発せられました。
それらの悉くに、まともに体中を刺し貫かれ、打ち据えられて、薫郎はもはや立ち上ることも出来ず、まるでボロ切れのようになって床に倒れ伏しました。
髻を結んでいた綾紐が切れ、漆黒の長い髪が、千々に乱れるにまかせて、顔や肩に覆いかぶさっています。
そして、花びらのような口許からは、幾筋もの鮮血が糸を引きました。
それでも彼は、少しでも妻と子の許へ近づこうと、床を這い続けるのでした。
「ふふ、愚かな奴め!おこがましくも法力に刃向かおうとするゆえ、却って苦しみが長引くばかりであろうが!」
嘲り、せせら笑いはしたものの、さすがの道士としたことが、大きく息を弾ませていました。
何としぶとい、強かな魔性であることでしょう!?
これほどまでに手こずらせる相手に、彼は未だ嘗て、出会ったことがありませんでした。
しかし、もう勝負はついたも同然です。
少なくとも、彼はそう信じました。
「どれ、そろそろ引導を渡してやらずばなるまいて」
道士は自信を取り戻し、止めを刺すべく、ありったけの力を総動員して印を結びました。
「これで最後じゃ。この世から消えい!!」
ところが―信じられないことが起こったのです。
道士が最強の法力を繰り出すほんの僅か前、渾身の力で男たちの手を振り払った小佳が、小青を抱いたまま、狂ったように薫郎のもとへ駆け寄るが早いか、破壊されて側に転がっていた衝立の蔭に息子を突き飛ばし、今にも夫の身を引き裂こうと襲いかかった閃光の前に、立ちはだかったではありませんか。
「小佳!!」
絶叫する薫郎の目前、身を以って彼を庇い、背中から、もろにその体を貫かれた小佳が、落花の如く崩れ落ちました。
そして、衝立の蔭にちんまりとうずくまった小青も、身動き一つ致しません。
「小佳!!小青!!」
薫郎は、夥しい血を流しながら二人の側に這い寄り、妻と子を抱きかかえました。
幸い小青の方は、ただ気を失っているだけのようです。
けれども、小佳は・・・・・・。
「あ・・・な・・・た・・・・・」
胸張り裂ける思いで必死に抱き起す夫に向かって、微かにそう呼びかけると、その顔に触れようと弱弱しく伸ばしかけた手も、途中ではらりと落ち、彼女はそのまま、息絶えました。
閉じた目尻からつつっと流れた涙が、傷ついた薫郎の手に沁み通ります。
「小佳!!小佳!!なぜ・・・」
こうなることを恐れて、彼は妻子を遠ざけた筈なのに、運命はなぜ、それさえも許してはくれないのでしょう!?
急速にぬくもりの失せていく妻の体を力の限り掻き抱き、薫郎は、身を震わせて慟哭しました。
「馬鹿な女じゃ!たかが魔性のものを庇って、命を落とすとは」
道士は、冷たく言い捨てます。
「おのれ!!よくも・・・よくも小佳まで!・・・」
薫郎の中で、今、明らかに何かが目醒めようとしていました。
魂の底から突き上げて来る、業火にも似た憤怒の炎に身を燃え立たせ、彼は全身血塗れになりながら、すっくと立ち上ったのです。
そして、左耳の青玉は、いつの間にか、火のような紅玉に変わっていました。
「こ、こやつ・・・まだ!?」
余りのことに目を疑い、度肝を抜かれた道士は、思わず、他の者たちと共に後退りしてしまいました。
その彼らに、じりじりと歩み寄りながら、薫郎は言い放ちました。
「人ならば・・・これほどの非道、人ならば許されると言うのか!?例え誰が許そうとも、私は許さぬ!!この上は、我が身を業火と化し、貴様らもろとも、焼き尽くさずにはおくものか!!」
「な、な、何を!?ち、血迷うたか。ええい、こ、これでも喰らえっ!!」
完全に圧倒されつつも繰り出した道士の法力が、その時、一瞬のうちに辺りを蓋い尽くした燦然と煌めく瑠璃色の霧にあっけなく吸収されたかと思うと、忽ち、数十倍に増幅された太い光線となって跳ね返り、人々の足許に炸裂したのでした。
どどーんという、耳を劈くばかりの物凄い轟音と共に、目も開けられぬほどの白熱の光柱が立ち昇りました。
「うわーっ!!」
「ひえーっ!!」
絶叫しながら、彼らは八方に吹き飛ばされ、もんどり打ってあちこちに転がり、何と、その場で石ころになってしまいました。
やがて、霧の晴れたあとに、艶やかな黒髪をきりりと結い上げて翡翠の玉環で止め、瑠璃色に輝く鎧に目映い黄金の大剣を帯びた、絶世の美女が立っておりました。
その背後には、数名の屈強の戦士が控えています。
抜けるように白い彼女の細面には、只ならぬ怒りが漲り、大きく切れ上がった目尻に、この上もない厳しい光が宿っていました。
「な、ななな何者!?」
衣はズタズタに裂け、したたか床に尻餅はついたものの、さすがに辛うじて踏みこたえていた道士が、その姿勢のまま、震える声で詰問した途端―。
「控えい、下郎!!畏れ多くも、大聖仙姑さまなるぞ!!」
いかめしい戦士に、割れ鐘のような声で一喝され、一瞬キョトンとした後で我に返るや―。
「だ、だだ、大聖、しし仙姑さま!?」
どもりながらその名を口走り―。
「へ、へへえっ!!」
忽ち道士は、床にへばりついて平伏してしまいました。
「大聖仙姑さま!・・・・・」
そう呟いた刹那、張り詰めたものが一気に弛んだ薫郎は、ゆっくりとその場に昏倒してゆきました。
「太子!」
従者の一人が急いで駆け寄り、彼を抱き起しましたが、薫郎は長い睫毛を伏せたまま、閉じた瞳を開こうとは致しません。
「大事無い。静かに横たえておいてやるがよい」
大聖仙姑さまは従者にそうおっしゃり、とてもやさしい目で、ちらりと薫郎の方をご覧になりましたが、すぐに厳しい視線に戻られて、道士を睨み据えられました。
「そなた、何をしたのか解っておるか!?いや、解ってはおるまい。己の力を良いことに、今日の日まで、どれほどの罪無き魂を、無残に屠り去って来たことか!?それでもなお飽き足らず、こともあろうに金に目が眩み、よくもこの者までをも、その汚れた手に懸けおったな!今日という今日は、断じて許さぬぞ!!」
怒りも顕に、烈火の如く叱責なさる仙姑さまに恐れ慄きながら、この期に及んでもなお、道士は言い訳するのです。
「お、お、お、恐れながら申し上げます!こ、こここの世に仇なす、じゃじゃ邪悪のものを誅するが、ほ、ほ、ほうほう法力を授かりたる我が身の、しし使命にて・・・・・」
「黙れ、下郎!!」
語気鋭く、仙姑さまは道士の言葉を遮りました。
「世に仇なすじゃと!?邪悪のものじゃと!?そう申したな!ならば問う。この白薫郎が、世に何の仇をなしたか!?まこと邪悪のものならば、なぜこれほどまでに、妻と子を愛した!?」
「そ、そ、それはっ!・・・・・それは、ひっひと人ならぬ身で、ひひ人を恋うるなど、ごごごん言語道断、こっこれこれぞ、りっりっ立派なあ、あああだあだ仇かと!・・・・」
「ええい、黙れ黙れ!!」
大聖仙姑さまの御怒りは、凄まじいものでした。
お声が発せられるたびに、ピリピリと音を立てて大気が震え、裂け目さえ走るのではないかと思われるほどです。
「人ならぬ身が、人も及ばぬ真心を以って人を愛することの、何処が仇じゃ!?法力とは、邪悪に対してのみ、発せられるもの。決して、健気に生きようとする者に向けるべきものではない!!その理さえも解らぬ痴れ者に、法力など以っての外。本日ただ今より、この大聖仙姑が封じ込めるゆえ、しかと心せよ!!」
「そ、そそそれは余りに御無体なっ!!いっいかに大聖仙姑さまと言えども、そこまでのなさりようは、しょしょ承服致しかねまするうっ!!」
身の程知らずの道士は、なおも反論致します。
「下郎!!まだほざくかっ!!」
ついに大気の一部が火を噴き、きな臭い匂いが、周囲に立ち籠めました。
「それほどまでに抗いおるならば、申し聞かせよう!己が、卑劣この上ない手段にてさんざんに痛めつけた相手を、一体誰じゃと思うておる!?ゆえあって白梅の精などに身はやつしておるが、その実体は、畏くも天帝第二皇子・煌翔太子、この大聖仙姑の弟なるぞ!!」
「ひ、ひ、ひぇーっ!!」
余りと言えば余りのことに腰が抜け、その上顎まで外れて、道士はだらだらとだらしなく、口から唾液を垂れ流しました。
「煌翔は、火の皇子じゃ。この身が今少し遅れたならば、彼は本来の自分自身に目醒め、己はもとより、この青都の街の悉くを、怒りの業火で焼き尽くしたであろう!!」
仙姑さまのお言葉は、しかし、既に道士の耳には届いてはいませんでした。
法力を取り上げられたばかりか、とてつもなく恐ろしい大罪を犯してしまったことを思い知らされた彼は、その重圧に耐え切れず、とうとう気がおかしくなってしまっていたのです。
「八つ裂きにしても飽き足らぬが、そればかりは堪えてつかわす。去れ!早々にこの場から失せよ!!」
仙姑さまに命令されるまでもなく、哀れな道士は、いや、道士のなれの果ての気がおかしくなった男は、抜けた腰のままでふらふらと立ち上がり、ひょろりひょろりとよろけながら、時折、ケタケタと間の抜けた笑い声を上げ、涎を滴らせつつ去ってゆきました。
あとには、仙姑さま始めその従者たち、そして、床に倒れた薫郎親子が残っているだけです。
仰向けに横たわる薫郎の傍らにつと近づき、屈み込んでその顔を見つめながら、仙姑さまは、先程までとは打って変わったやさしい声で、静かに語りかけました。
「煌翔よ。不憫な・・・・・。なまじその宿命とは裏腹に、ことさら心やさしく、美しく生まれついたばかりに・・・」
彼女はそっと、薫郎の血の付いた頬を撫でました。
「解ってはおろうが、もはやそなた、この俗界には留まれぬ。かと言うて、もとより天界には戻らぬ覚悟で、白梅の精などに転生したそなたじゃ。その魂の、ゆくあてとてあるまい。ならば、いっそ姉の許へ参るがよい。決して悪いようにはせぬ。のう。そう致せ、煌翔・・・・・・」
仙姑さまは今、幸薄い弟を愛おしむ、やさしい一人の姉でした。
勿体なくも天帝の皇子ともあろうお方が、果たしていかなる仔細あって白梅の精として俗界へ下られたのか、私どもにはとんと解りませんが、仙姑さまは瞳さえ濡らされながら、弟君を誘われるのでした。
「すぐさま我が身が伴うてもよいのじゃが、このままでは余りに、そなたも心残りであろう。思い通りのことを、気の済むように成し終えた後に、姉のあとを追うて参れ。よいな!?」
こう言い渡されて、薫郎の側を離れた仙姑さまは、彼から少し離れた場所で息絶えた、小佳の亡骸の脇に跪かれ、彼女の手を取って申されました。
「小佳とやら・・・・。礼を言う。今日の日まで、よう煌翔に尽くしてやってくれた。そなたの純愛、この大聖、決して仇や疎かには思わぬぞ!」
やがて仙姑さまは、すっとお立ちになりました。
「戻る!」
凛と一声かけられますと―。
「ははっ!!」
たちどころに従者がお身のまわりを取り囲み、忽ちにしてそのお姿は、かき消すように見えなくなったのです。