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白梅郎君(はくばいの きみ)  作者: 桃花鳥 彌(とき あまね)
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其之三

 やがて―(きた)るべき日がまいりました。

 (いち)(はや)くそれを察していた薫郎(シュンラン)は、泣いて(すが)小佳(シャオジァ)をようやく説得して、小青(シャオチン)ともども屋敷から逃がし、我が身一つで、運命の時を待っていました。

 自分自身は何処(どこ)へ逃げることも、彼は考えませんでした。

 なぜなら、梅の精である彼は、決して、植えられた土地から離れることは出来ないのですから。

 薫郎(シュンラン)が恐れたのは、愛する妻と子を、自分の巻き()えにしてしまうことでした。

 二人にだけは、生きていて欲しい!

 そして、天寿(てんじゅ)(まっと)うして欲しい!!・・・。

 それこそが、彼の、最後の願いだったのです。

 薫郎(シュンラン)は、初めて小佳(シャオジァ)を訪れた日に着ていた、あの(しろ)銀色(がねいろ)の絹の上下を身に着け、長い(あし)には(くろ)緞子(どんす)長靴(ちょうか)()いて、静かに広間の卓子(テーブル)の前に端座(たんざ)しておりました。

 衣装には、白銀(しろがね)()の全体に()(うん)()かし模様(もよう)が散り、(えり)から胸元(むなもと)にかけてと、(しぼ)った(そで)(ぐち)だけが藍地(あいじ)で、そこに金糸(きんし)銀糸(ぎんし)で花と鳥の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、それは見事なものです。

 そして、それを着た薫郎(シュンラン)は、目が()めるように美しく、まさにこの世のものとも思えぬほどに、光り輝いて見えました。

 けれどもその衣裳こそは、彼にとっての『死に装束(しょうぞく)』だったのです。

 所詮(しょせん)は人ならぬ魔性(ましょう)の身、道士の()り出す法力(ほうりき)に、(かな)(はず)はありません。

 けれど(かな)わぬまでも、薫郎(シュンラン)は、(いさぎよ)く闘って死ぬつもりでした。

 もとより、決して後悔などはしていません。

 彼は命を()けて一人の女性を愛し、息子まで残せたのですもの・・・・。

 ただ―許されるものならば、このまま人間として生きてゆきたかった。

 愛する小佳(シャオジァ)()()げ、共に、我が子・小青(シャオチン)行末(ゆくすえ)を見届けてやりたかった・・・・・。

 でも、それは、贅沢(ぜいたく)というものなのでしょう。

 人ならぬ身が、決して(のぞ)んではならない事だったのでしょう。

 だからもう薫郎(シュンラン)は、きっぱりと思い切っていました。

〈本当に有難(ありがと)う、小佳(シャオジァ)!私は、幸せでした。どうか、小青(シャオチン)をお願いします。出来るなら、またいつの世でか、あなたと!!・・・・・〉

 彼がこう思った時、どやどやと人々の一団が、広間に入って来ました。

 その先頭には、あの大聖(ダーシェン)(びょう)のお祭りの日、彼らからささやかな幸せを奪い去った、憎い道士の姿がありました。

 さらに、道士に従って来た数人の男共に()じって、あろうことか、小佳(シャオジァ)伯母(おば)(アン)大姐(ダージェ)と、その娘・(シュー)(オー)の姿まであったのです。

 この()()きの(ちょう)本人(ほんにん)こそ、言わずと知れた彼女たちでした。

 (アン)大姐(ダージェ)は、財産横取りを邪魔(じゃま)した『()()()』を(うら)み、また(シュー)(オー)(シュー)(オー)で、小佳(シャオジァ)の留守を(ねら)って押しかけては、しつこくしなだれかかり、何度誘惑したところで一向(いっこう)(なび)かぬばかりか、果ては『なるほど。確かにあなたは、姿(すがた)(かたち)はとてもお美しい。けれど心の(みにく)女性(かた)に、私は、指一本触()れる積もりはございません。ましてや、この薫郎(シュンラン)は妻ある身。どうぞ、もう二度と、おいでにはならないで下さい!!』と手酷(てひど)拒絶(きょぜつ)してプライドを傷つけた『朴念仁(ぼくねんじん)』を(にく)み、それぞれがひとかたならず、この美しい若者に憎悪(ぞうお)を燃やし続けた彼女らは、何とかして二人を引き()く方法はないかと(ひそ)かに悪計(あっけい)をめぐらせた結果、大金をはたいて、近ごろ評判の道士を(やと)い入れました。

 というのも、彼女らの話を聞き『そんなにも美しい男が、普通ならば、小佳(シャオジァ)()()婿(むこ)になる訳がない。もしや、妖怪(ようかい)変化(へんげ)(たぐい)ででもあるのではないか!?』

と、首をひねった大姐(ダーシェ)()()いの言葉に、妙な説得力があったからです。

 そして、ついに彼らは、(パイ)薫郎(シュンラン)が、実は人ならぬ身であることを突き止め、引導(いんどう)を渡すべく、乗り込んで来たのでした。

 その道士は、並み(すぐ)れた法力(ほうりき)を持つと噂も高く、自分自身も、大いに自惚(うぬぼ)れておりました。

 彼はその力を(かさ)に着て、これまでに幾多(あまた)(あわ)れな恋人たちを、(なさけ)容赦(ようしゃ)()く、手当たり次第に(ほうむ)り去って来ました。

 人ならぬ身でありながら、人に純愛(まこと)()くす者たちが、当時は(いく)らもあったのです。

「ふふん、殊勝(しゅしょう)にも、(ちゅう)せらるるを待っておったか。魔性(ましょう)めが!!」

 薫郎(シュンラン)の姿を見るなり、道士は()()てました。

手向(てむ)かい致そうなどと、身の(ほど)知らずな魂胆(こんたん)は持たぬことじゃ。このわしの法力に、(かな)おう(はず)は無いのじゃからの!」

 

薫郎(シュンラン)は、静かに立ち上りました。

 (くるぶし)あたりまで届く長上(ながうわ)()(すそ)が、両脇で大きく前後に割れ、長靴(ちょうか)の足が、しなやかに見え隠れ致します。

 紫紺(しこん)の帯できりりと()めた(ほそ)(ごし)に、貴公子(きこうし)(ふう)のそのいでたちが大層(たいそう)()えて、悲愴(ひそう)なまでの凛凛(りり)しさが(みなぎ)っていました。

「道士よ!」

 彼は、よく通る、()んだ声音(こわね)で呼びかけました。

「見ての通り、この身は逃げも(かく)れもせぬ。なれど、今一つ(たず)ねたい。そなたに(ちゅう)せられねばならぬほどの災厄(さいやく)を、私はこの世にもたらしたのだろうか?一人の女と、そして息子と、肩寄せ合って生きてゆこうとすることが、それほどまでに許されぬことなのか!?」

 悲痛な、(たましい)の叫びでした。

 やり切れぬ悲しみが、その言葉には(あふ)れていました。

 けれど、道士には通じません。

笑止(しょうし)外道(げどう)分際(ぶんざい)で、何をほざく!」

 彼は、鼻先で笑い飛ばしたのでした。

「人ならぬ身で人間の女を(たぶら)かし、子まで()しておきながら、(おの)れは(いま)世迷(よまよ)(ごと)をぬかすか!これを災厄(さいやく)と呼ばずして、何と呼ぼうぞ!?魔性(ましょう)が世にあること自体(じたい)(すで)凶事(まがごと)。その上の罪を犯したからには、もはや天誅(てんちゅう)あるのみじゃ!」

 言うが早いかその(てのひら)から(たちま)ち、薫郎(シュンラン)めがけて(すさ)まじい法力(ほうりき)が発せられました。

()らえっ!!」

 目の(くら)むような閃光(せんこう)が、瞬時(しゅんじ)に彼の細身を真っ二つにしたかに見えたのですが、ものの見事に引き()かれて床の上に(ころ)がったのは、薫郎(シュンラン)の背後にあった竹の衝立(ついたて)でした。

「むうっ!」

 思い()けなく仕損(しそん)じてしまった道士が、目を()いて(うな)った時、その眼前(がんぜん)にひらりと、(あざ)やかに()り立ったのは薫郎(シュンラン)でした。

 彼は目にも止まらぬ速さで飛翔(ひしょう)し、(なん)()く、道士の攻撃を(かわ)したのです。

「こ、小癪(こしゃく)な!貴様、このわしに歯向(はむ)かいおるかっ!!」

 これまで、ただの一撃で相手を倒して来た道士にとっては、全く、予想だにせぬ屈辱(くつじょく)でした。

 彼は怒りにまかせて、矢継(やつぎ)(ばや)閃光(せんこう)を放ちましたが、そのどれもが(むな)しく大気を切り裂き、(いたずら)に、衝立(ついたて)や家具調度、それに置物や花瓶(かびん)などを破壊(はかい)するばかりです。

 そして、彼の目前にはいつも、端然(たんぜん)(たたず)薫郎(シュンラン)の姿がありました。

「おのれ、化物めっ!!」

 怒髪天(どはつてん)()いた道士は、とうとう最後の手段に訴えたのです。

 彼の合図(あいず)(こた)えて、広間の入口の(かげ)から二人の男が現れました。

 彼らの手に(とら)えられているのは何と、小青(シャオチン)を抱いた小佳(シャオジァ)ではありませんか。

「あなた!!」

「とーたま、こあいよーっ!!」

 何と卑劣(ひれつ)な奴らなのでしょう!?彼らは、万一の時の人質に、小佳(シャオジァ)小青(シャオチン)とを(かく)()からかどわかし、薫郎(シュンラン)の前に引っ立てて来たのです。

小佳(シャオジァ)!!小青(シャオチン)!!」

 思わず()け寄ろうとした薫郎(シュンラン)(すき)をついて、道士の手から法力(ほうりき)が発せられました。

「うっ!」

 (わず)かなところで(かわ)した()もりが(かわ)し切れず、彼は閃光(せんこう)にしたたか打たれて、いやというほど(ゆか)(たた)きつけられました。

「ああっ!あなた、あなた!!」

小佳(シャオジァ)悲鳴(ひめい)()がり、

小青(シャオチン)の泣き声が、あたりに(ひび)(わた)りました。

「あーん、とーたまっ!!」


「く・・・・・・」

 歯を()いしばって立ち上げり、薫郎(シュンラン)は今こそ、身内に秘めた力を()(はな)とうとしましたが、それはなりませんでした。

「見よ、外道(げどう)!この上手向(てむ)かい(いた)さば、この者どもの命は無いぞ!!」

 勝ち(ほこ)って()ばわる道士の声、(いと)しい者たちに、ピタリと突きつけられた(やいば)の光・・・・。

「ひ、卑怯(ひきょう)な!!・・・・」

 よろめきながら、くちびるを()んで立ち尽くす()抵抗(ていこう)薫郎(シュンラン)めがけて、容赦(ようしゃ)のない閃光(せんこう)が、幾度となく、続け(ざま)に発せられました。

 それらの(ことごと)くに、まともに体中を刺し(つらぬ)かれ、打ち()えられて、薫郎(シュンラン)はもはや立ち上ることも出来ず、まるでボロ切れのようになって(ゆか)に倒れ伏しました。

 (もとどり)を結んでいた(あや)(ひも)が切れ、漆黒(しっこく)の長い髪が、千々(ちぢ)に乱れるにまかせて、顔や肩に(おお)いかぶさっています。

 そして、花びらのような口許(もと)からは、幾筋(いくすじ)もの鮮血が糸を引きました。

 それでも彼は、少しでも妻と子の(もと)へ近づこうと、(ゆか)()い続けるのでした。

「ふふ、(おろ)かな奴め!おこがましくも法力(ほうりき)刃向(はむ)かおうとするゆえ、(かえ)って苦しみが長引くばかりであろうが!」

 (あざけ)り、せせら笑いはしたものの、さすがの道士としたことが、大きく息を(はず)ませていました。

 何としぶとい、(したた)かな魔性(ましょう)であることでしょう!?

 これほどまでに手こずらせる相手に、彼は(いま)(かつ)て、出会ったことがありませんでした。

 しかし、もう勝負はついたも同然です。

 少なくとも、彼はそう信じました。

「どれ、そろそろ引導(いんどう)を渡してやらずばなるまいて」

 道士は自信を取り戻し、(とど)めを()すべく、ありったけの力を総動員して(いん)(むす)びました。

「これで最後じゃ。この世から消えい!!」

 ところが―信じられないことが起こったのです。

 道士が最強の法力(ほうりき)()り出すほんの(わず)か前、渾身(こんしん)の力で男たちの手を振り払った小佳(シャオジァ)が、小青(シャオチン)を抱いたまま、狂ったように薫郎(シュンラン)のもとへ駆け寄るが早いか、破壊されて側に(ころ)がっていた衝立(ついたて)(かげ)に息子を突き飛ばし、今にも夫の身を引き裂こうと(おそ)いかかった閃光(せんこう)の前に、立ちはだかったではありませんか。

小佳(シャオジァ)!!」

 絶叫する薫郎(シュンラン)目前(もくぜん)、身を()って彼を(かば)い、背中から、もろにその体を(つらぬ)かれた小佳(シャオジァ)が、落花(らっか)(ごと)(くず)れ落ちました。

 そして、衝立(ついたて)(かげ)にちんまりとうずくまった小青(シャオチン)も、身動(みうご)き一つ致しません。

小佳(シャオジァ)!!小青(シャオチン)!!」

 薫郎(シュンラン)は、(おびただ)しい血を流しながら二人の側に()い寄り、妻と子を抱きかかえました。

 (さいわ)小青(シャオチン)の方は、ただ気を失っているだけのようです。

 けれども、小佳(シャオジァ)は・・・・・・。

「あ・・・な・・・た・・・・・」

 胸張り裂ける思いで必死に抱き起す夫に向かって、(かす)かにそう呼びかけると、その顔に()れようと弱弱(よわよわ)しく伸ばしかけた手も、途中で()()()と落ち、彼女はそのまま、(いき)()えました。

 閉じた目尻からつつっと流れた涙が、傷ついた薫郎(シュンラン)の手に()み通ります。

小佳(シャオジァ)!!小佳(シャオジァ)!!なぜ・・・」

 こうなることを恐れて、彼は妻子を遠ざけた(はず)なのに、運命はなぜ、それさえも許してはくれないのでしょう!?

 急速にぬくもりの()せていく妻の体を力の限り()(いだ)き、薫郎(シュンラン)は、身を(ふる)わせて慟哭(どうこく)しました。

「馬鹿な女じゃ!たかが魔性(ましょう)のものを(かば)って、命を落とすとは」

 道士は、冷たく言い捨てます。

「おのれ!!よくも・・・よくも小佳(シャオジァ)まで!・・・」

 薫郎(シュンラン)の中で、今、明らかに何かが()()めようとしていました。

 (たましい)の底から突き上げて来る、業火(ごうか)にも似た憤怒(ふんぬ)の炎に身を燃え立たせ、彼は全身血塗(ちまみ)れになりながら、すっくと立ち上ったのです。

 そして、左耳の(せい)(ぎょく)は、いつの()にか、火のような紅玉(こうぎょく)に変わっていました。

「こ、こやつ・・・まだ!?」

 余りのことに目を疑い、度肝(どぎも)を抜かれた道士は、思わず、他の者たちと共に(あと)退(ずさ)りしてしまいました。

 その彼らに、じりじりと歩み寄りながら、薫郎(シュンラン)は言い放ちました。

「人ならば・・・これほどの非道、人ならば許されると言うのか!?(たと)え誰が許そうとも、私は許さぬ!!この上は、我が身を業火(ごうか)()し、貴様らもろとも、焼き尽くさずにはおくものか!!」

「な、な、何を!?ち、血迷(ちまよ)うたか。ええい、こ、これでも喰らえっ!!」

 完全に圧倒されつつも繰り出した道士の法力(ほうりき)が、その時、一瞬のうちに(あた)りを(おおい)い尽くした燦然(さんぜん)(きら)めく瑠璃(るり)(いろ)の霧にあっけなく吸収されたかと思うと、(たちま)ち、数十倍に増幅(ぞうふく)された太い光線となって()ね返り、人々の足許(あしもと)炸裂(さくれつ)したのでした。

 どどーんという、耳を(つんざ)くばかりの物凄い轟音(ごうおん)と共に、目も開けられぬほどの白熱(はくねつ)光柱(こうちゅう)が立ち昇りました。

「うわーっ!!」

「ひえーっ!!」

 絶叫しながら、彼らは八方(はっぽう)に吹き飛ばされ、もんどり打ってあちこちに(ころ)がり、何と、その場で石ころになってしまいました。

 やがて、霧の晴れたあとに、(つや)やかな黒髪をきりりと()()げて翡翠(ひすい)玉環(ぎょくかん)で止め、瑠璃(るり)(いろ)に輝く(よろい)目映(まばゆ)黄金(おうごん)大剣(たち)()びた、絶世の美女が立っておりました。

 その背後には、数名の屈強(くっきょう)の戦士が(ひか)えています。

 抜けるように白い彼女の細面(ほそおもて)には、(ただ)ならぬ(いか)りが(みなぎ)り、大きく切れ上がった目尻(めじり)に、この上もない(きび)しい光が宿(やど)っていました。

「な、ななな何者!?」

 (ころも)はズタズタに裂け、したたか(ゆか)尻餅(しりもち)はついたものの、さすがに(かろ)うじて踏みこたえていた道士が、その姿勢のまま、(ふる)える声で詰問(きつもん)した途端(とたん)―。

(ひか)えい、下郎(げろう)!!(おそ)れ多くも、大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)さまなるぞ!!」

 いかめしい戦士に、割れ鐘のような声で一喝(いっかつ)され、一瞬キョトンとした後で我に返るや―。

「だ、だだ、大聖(ダーシェン)、しし(シェン)(グー)さま!?」

 どもりながらその名を口走(くちばし)り―。

「へ、へへえっ!!」

 (たちま)ち道士は、(ゆか)にへばりついて平伏(へいふく)してしまいました。

大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)さま!・・・・・」

 そう(つぶや)いた刹那(せつな)、張り詰めたものが一気に(ゆる)んだ薫郎(シュンラン)は、ゆっくりとその場に昏倒(こんとう)してゆきました。

太子(たいし)!」

 従者の一人が急いで駆け寄り、彼を抱き起しましたが、薫郎(シュンラン)は長い睫毛(まつげ)を伏せたまま、閉じた瞳を開こうとは致しません。

大事(だいじ)()い。静かに横たえておいてやるがよい」

 大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)さまは従者にそうおっしゃり、とてもやさしい目で、ちらりと薫郎(シュンラン)の方をご覧になりましたが、すぐに(きび)しい視線に戻られて、道士を(にら)()えられました。

「そなた、何をしたのか(わか)っておるか!?いや、(わか)ってはおるまい。(おのれ)の力を良いことに、今日(きょう)の日まで、どれほどの(つみ)()(たましい)を、無残(むざん)(ほふ)り去って来たことか!?それでもなお飽き足らず、こともあろうに金に目が(くら)み、よくもこの者までをも、その(けが)れた手に()けおったな!今日(きょう)という今日(きょう)は、断じて許さぬぞ!!」

 (いか)りも(あらわ)に、烈火(れっか)(ごと)叱責(しっせき)なさる(シェン)(グー)さまに恐れ(おのの)きながら、この()(およ)んでもなお、道士は言い訳するのです。

「お、お、お、恐れながら申し上げます!こ、こここの世に(あだ)なす、じゃじゃ邪悪(じゃあく)のものを(ちゅう)するが、ほ、ほ、ほうほう法力(ほうりき)(さず)かりたる我が身の、しし使命(しめい)にて・・・・・」

(だま)れ、下郎(げろう)!!」

 語気(ごき)(するど)く、(シェン)(グー)さまは道士の言葉を(さえぎ)りました。

「世に(あだ)なすじゃと!?邪悪のものじゃと!?そう(もう)したな!ならば()う。この(パイ)薫郎(シュンラン)が、世に何の(あだ)をなしたか!?まこと邪悪のものならば、なぜこれほどまでに、妻と子を愛した!?」

「そ、そ、それはっ!・・・・・それは、ひっひと人ならぬ身で、ひひ人を恋うるなど、ごごごん言語道断(ごんごどうだん)、こっこれこれぞ、りっりっ立派なあ、あああだあだ(あだ)かと!・・・・」

「ええい、(だま)(だま)れ!!」

 大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)さまの御怒りは、(すさ)まじいものでした。

 お声が(はっ)せられるたびに、ピリピリと音を立てて大気(たいき)(ふる)え、裂け目さえ走るのではないかと思われるほどです。

「人ならぬ身が、人も(およ)ばぬ真心(まごころ)()って人を愛することの、何処(どこ)(あだ)じゃ!?法力(ほうりき)とは、邪悪(じゃあく)に対してのみ、発せられるもの。決して、健気(けなげ)に生きようとする者に向けるべきものではない!!その(ことわり)さえも(わか)らぬ()れ者に、法力(ほうりき)など()っての(ほか)本日(ほんじつ)ただ今より、この大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)(ふう)じ込めるゆえ、しかと心せよ!!」

「そ、そそそれは余りに御無体(ごむたい)なっ!!いっいかに大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)さまと言えども、そこまでのなさりようは、しょしょ承服(しょうふく)致しかねまするうっ!!」

 身の(ほど)知らずの道士は、なおも反論(はんろん)(いた)します。

下郎(げろう)!!まだほざくかっ!!」

 ついに大気(たいき)の一部が火を()き、きな(くさ)い匂いが、周囲(あたり)に立ち()めました。

「それほどまでに(あらが)いおるならば、申し聞かせよう!(おのれ)が、卑劣(ひれつ)この上ない手段(てだて)にてさんざんに痛めつけた相手を、一体誰じゃと思うておる!?ゆえあって白梅(はくばい)の精などに身はやつしておるが、その実体(まこと)は、(かしこ)くも(てん)(てい)第二皇子(みこ)(ファン)(シアン)太子(たいし)、この大聖(ダーシェン)(シェン)(グー)の弟なるぞ!!」

「ひ、ひ、ひぇーっ!!」

 余りと言えば余りのことに腰が抜け、その上顎(あご)まで外れて、道士はだらだらとだらしなく、口から唾液(だえき)()れ流しました。

(ファン)(シアン)は、火の皇子(みこ)じゃ。この身が今少し(おく)れたならば、彼は本来の自分自身に目醒(めざ)め、(おのれ)はもとより、この(チン)(ドウ)の街の(ことごと)くを、(いか)りの業火(ほのお)で焼き()くしたであろう!!」

 (シェン)(グー)さまのお言葉は、しかし、(すで)に道士の耳には届いてはいませんでした。

 法力(ほうりき)を取り上げられたばかりか、とてつもなく恐ろしい大罪(たいざい)を犯してしまったことを思い知らされた彼は、その重圧(じゅうあつ)()え切れず、とうとう気がおかしくなってしまっていたのです。

()()きにしても飽き足らぬが、そればかりは(こら)えてつかわす。去れ!早々(そうそう)にこの場から()せよ!!」

 (シェン)(グー)さまに命令されるまでもなく、(あわ)れな道士は、いや、道士のなれの果ての気がおかしくなった男は、抜けた腰のままでふらふらと立ち上がり、ひょろりひょろりとよろけながら、時折(ときおり)、ケタケタと()の抜けた笑い声を上げ、(よだれ)(したた)らせつつ去ってゆきました。

 あとには、(シェン)(グー)さま始めその従者たち、そして、(ゆか)に倒れた薫郎(シュンラン)親子が残っているだけです。

 仰向(あおむ)けに横たわる薫郎(シュンラン)(かたわら)らに()()近づき、(かが)み込んでその顔を見つめながら、(シェン)(グー)さまは、先程(さきほど)までとは打って変わったやさしい声で、静かに語りかけました。

(ファン)(シアン)よ。不憫(ふびん)な・・・・・。なまじその宿命(さだめ)とは裏腹(うらはら)に、ことさら心やさしく、美しく生まれついたばかりに・・・」

 彼女はそっと、薫郎(シュンラン)の血の付いた(ほお)()でました。

(わか)ってはおろうが、もはやそなた、この俗界(ぞっかい)には(とど)まれぬ。かと言うて、もとより天界(てんかい)には戻らぬ覚悟(かくご)で、白梅(はくばい)の精などに転生(てんせい)したそなたじゃ。その(たましい)の、ゆくあてとてあるまい。ならば、いっそ姉の(もと)へ参るがよい。決して悪いようにはせぬ。のう。そう致せ、(ファン)(シアン)・・・・・・」

 (シェン)(グー)さまは今、(さち)(うす)い弟を(いと)おしむ、やさしい一人の姉でした。

 勿体(もったい)なくも(てん)(てい)皇子(みこ)ともあろうお方が、果たしていかなる仔細(しさい)あって白梅(はくばい)の精として俗界(ぞっかい)(くだ)られたのか、私どもにはとんと(わか)りませんが、(シェン)(グー)さまは(ひとみ)さえ()らされながら、(おとうと)(ぎみ)(いざ)われるのでした。

「すぐさま()が身が(ともの)うてもよいのじゃが、このままでは余りに、そなたも心残りであろう。思い通りのことを、気の済むように()し終えた(のち)に、姉のあとを追うて参れ。よいな!?」

 こう言い渡されて、薫郎(シュンラン)の側を離れた(シェン)(グー)さまは、彼から少し離れた場所で息絶えた、小佳(シャオジァ)亡骸(なきがら)(わき)(ひざまづ)かれ、彼女の手を取って申されました。

小佳(シャオジァ)とやら・・・・。(れい)を言う。今日(きょう)の日まで、よう(ファン)(シアン)()くしてやってくれた。そなたの純愛(まごころ)、この大聖(ダーシェン)、決して(あだ)(おろそ)かには思わぬぞ!」 

 やがて(シェン)(グー)さまは、すっとお立ちになりました。

(もど)る!」

 (りん)と一声かけられますと―。

「ははっ!!」

 たちどころに従者(じゅうしゃ)がお身のまわりを取り(かこ)み、(たちま)ちにしてそのお姿は、かき消すように見えなくなったのです。


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