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忘却の恋

「あのさ。わたし達、別れない?」

彼女は申し訳なさそうな表情で、笑いながら、そういった。どうして? かすれた声でそう訊ねる。彼女は困ったような表情を見せた。

「えっとね……他に好きな人が出来たの」

頭の中が真っ白になった。反射的に言ってしまった言葉に彼女が悲しそうな顔をする。

「……そっか」

うるんだ目で彼女は喫茶店の席を立った。ごめんね、そんな言葉を残して。残された俺は目の前に置かれたコーヒーの湯気をぼんやりと眺めていた。

 翌日、学校のドアを開けると教室内の視線が俺に向いたのを感じた。どうやら別れたことがもう学校で噂になっているようだ。

「お似合いだったのにね」「なんで別れたんだ?」「他に好きな人が出来たって話だよ」「え? どっちが?」

そんな小声が聞こえてくる。俺は必死で教科書を開くと次の考査に向けて勉強を開始した。同じクラスの彼女の姿はホームルームの時間になっても現れなかった。

茫然自失な学校生活は昼になっても続いた。

「よう、振られたら一人で飯か?」

同じクラスの笹島が声をかけてきた。面倒なので適当に返事しておく。

「けっ、つまんねぇな」

ニヤニヤと笹島は笑う。

「まあ安心しろよ。別に慰めに来たんじゃなくてからかいに来たんだからな」

どうやら傷口に塩を塗りこめに来たらしい。肩をすくめると弁当のふたを開ける。

「なんだ、しけた弁当だな。俺で作ったのか?」

この男、容赦なく他人の弁当に口を出す男である。でも、そのおかげで救われているのも事実だ。特に今のような状態だと。ちらりと教室の扉に目をやる。教室のドアではいくつもの好奇の目がこちらを覗き込んでいた。露骨な覗き込みに思わずため息を吐く。どうやら笹島を通じて色々と情報を引き出そうとしているようだ。それを指摘してやると笹島は驚いたようにドアに目をやり、人垣を追い払った。

「はは、わりぃな。でもみんな知りたがってるんだ。どうしてお前が別れたのかってな」

そんなの逆にこっちが知りたい。昨日の事を話してやると笹島も不思議そうに頷いた。

「そっか」

そう呟いて彼の弁当箱には入っていないはずの玉子焼きを頬張る。しばらく口を動かしていたがやがてそれを吞み込んだのか再び笹島は口を開いた。

「安直っちゃ安直だな……噂ってのも案外馬鹿にできないし。聞いた情報とほぼ同じだ」

別れてからそこまで時間が経っていないからだろう。そういうと笹島はうなずいた。

「変な噂が流れる前に情報をゲットできて良かったな」

それを言うと確実に尾ひれが付くように聞こえる。

「これから付くんだよ。これから、な」

そういって笹島はウインクするとお茶が入ったペットボトルを手にした。

「苦労するぜ。別れたってのはこれからが大変なんだ。てめぇの心にけじめをつけて新しい恋を探さないといけないんだからな」

今の俺には到底無理そうな話である。

「んなもん後々どうにでもなるんだよ。今はそうでも」

そういって笹島は席を立った。話は終わりのようだ。それを見送りながら言われたことを考えてみる。

しかし、十秒も経たないうちに考えるのを辞めた。その思考に意味があるとは思えない。それに、苦い物が喉の奥を通りすぎた気がしたから。それは、一種の逃避だったのかもしれない。

それに気づいて思わず苦笑する。まだまだ彼女の事を忘れるには時間がかかりそうだ。最後の一口を口に運ぶと次の授業に向けて弁当を片付けに取り掛かった。

苦い気持ちを無視し続けながら。


「次はぁ、十野平ぁ、十野平でございます」

電車でうとうとしていた俺は下車駅で目が覚めた。重たい瞼を強引にこじ開けて電車から降りる。

「やっほ、学校お疲れさん」

彼女は、悲しげな笑顔で待っていた。

「……」

「……無視されると辛いんだけど」

「……学校、休んだろ」

「あっ、バレた?」

どこかふざけた調子の彼女に軽い苛立ちを覚えながら距離を五歩まで詰める。電車が金切り声を上げながら出発する。ホームには俺達しか残されていなかった。

「……えっとさ」

彼女は口を開いて、しばらくの間もじもじして、やがて口を閉じた。

「ごめん、やっぱ何でもない。はいこれ、じゃあね!」

彼女は持っていたペットボトルをこちらに放るとホームから走り去った。手の中に残されたのは俺の好みからは若干外れたお茶。

「確かにこのメーカーの飲み物は好きだけどさ……」

以前に教えた気がするのだが、とそこまで思って己の自惚れを自覚する。

もう別れたのだ。彼女が何を渡してこようと同じことではないか。俺はお茶をバッグにしまうと改札口を目指して歩き始めた。こういう時にこそ期待するだけ無駄だ。それだけ失望だって大きいのだから。自分にそう言い聞かせながら。

違和感に気が付いたのは一週間丸々彼女が休んでからだった。休んだとしても精々三日程度だろう。それまで違和感を覚えなかったのはいよいよ彼女の事を忘れつつあるのか。だとしたら随分自分の面も厚いように感じられる。

「よう、ちったあマシな面するようになったな」

飯の時間になり、笹島が声をかけてきた。

「別にどうだっていいだろ」

ぶっきらぼうに返事する。

「一週間元カノが登校しなくても?」

ニヤニヤする笹島。こういうところは俺以上に人を見ているだろう。

「別に……都合だろ。そんなもん」

弁当をつつきながら返す。笹島はペットボトルのキャップを捻った。

「少しは気にしてやれよ。彼氏だったんだろ?」

その言葉に俺は少しむっとした。

一体全体何の勝手があってこいつは俺の事に口を挟むだろうか。それを見透かしたのか笹島は少し間を開けてから話しだした。

「実は、友達から聞いた話なんだがな……」

それを聞いた俺はポロリと箸を落としそうになった。慌てて持ち直すも二本の細長いプラスチックは俺の震えを如実に表していた。

「いつから?」

「そこまでは分からん。あいつも知らんようだったし」

今胸の中に渦巻いているのは怒気か、それとも恐怖か、それとも微かな希望か。それを正確に理解する術は生憎と持ち合わせていなかった。ねばりつくような嫌な熱気が身を包む。

「まあ良ければそいつを後で紹介するよ」

「あぁ」

半分上の空で俺はそう返事した。箸を動かしながら笹島から聞いたことを頭の中で繰り返す。もしそうなら、彼女は俺の事を思って別れたのか。それともただの自惚れか。そこまでくれば彼女のみが知る事実だろう。他人が他人の感情を確実に理解することはほとんどない。今の俺には彼女の心境を推し量ることが出来なかった。俺はそれを、知りたいと思っているのだろうか……。


「やっほ、彼女さんを呼び出して何の用かな?」

「お前、病気なんだって?」

翌日、彼女を直接呼び出して単刀直入に問いかける。

「うん、そうだよ。どうも認知症とも健忘症とも違うみたい。ストレスが原因なのかもわからないんだってさ」

彼女は実にあっさり、事実を認めた。

「引き出しに隠してあった手紙を読んだの?」

「いや、笹島から聞いた」

「なんだ、グダグダじゃん」

彼女は笑う。どこか楽しそうに。

「ねぇ、どうせなら歩かない? 私も思うとこあるし」

俺達は歩き始めた。町が賑やかに俺達を包み込む。

「ホントはさ、私が全部の記憶をなくしてから、君が手紙を読んで、事実を知るっていうオチを期待してたんだって」

ばつが悪そうに言う。

「そうすれば……何だろう? 私の事を覚えておいてくれるのかなって」

彼女の告白は続く。

「だから他に好きな人が出来たなんてのも嘘だし……うーん、矛盾してるね」

彼女はそういってまた笑った。

「君に私の事を覚えていて欲しいのに私は君の事振った……んだよね? その日の事はもう覚えてなくてさ」

ぶっちゃけた話、まだ付き合い始めて半年くらいな気分なんだ、彼女ははにかんだ。初々しく。単純計算で俺達が付き合い始めてから半分の記憶が彼女にはないことになる。

衝撃だった。一人一人の感性は違っても同じ場所にいれば経験は同じだ。そう思っている自分がいた。それを一手に否定されたような、そんな気分だった。

「なんか難しい事考えてない?」

手が触られる感覚。知っているはずの手が、慣れない事の様に手を握ろうとしてくる。たまらない違和感だった。そっと彼女の手を握り返す。彼女は目を見開いて、照れ臭そうに笑った。

「やっぱ、優しいんだね」

そんなことはない、そう言い返した。

「優しくない人は握ってきた人の手を握り返したりしないよ」

彼女はそう言った。まるで記憶を失う前のように。

「失いたくないね。こんな忘れたくない記憶も消えちゃうんだから」

「……治らないのか?」

「らしいよ」

彼女は覚悟しているのかもしれない。俺という存在も、家族も、ましてや自分自身を失うことすら。そう思うと隣で手を握っている彼女の存在が途端に儚いような、そんな感覚が襲い掛かってきた。

「そんなに握られるとさすがに痛かったり?」

その声で彼女の手を思いっきりつかんでいた事を自覚する。

「ごめん」

謝罪の言葉に彼女は口元を押さえて笑った。

「記憶がなくても何考えてるかは分かった気がする……相当私のことを大事にしてくれてたんだね」

ありがとう、彼女は言った。何を言っていいか分からなかった。ただ黙って前を向いて歩いていることしか俺にはできなかった。

「ここら辺でいいかな」

繁華街の端まで来たところで彼女はそう言った。

「いろいろ話せて良かったよ。今日は誘ってくれてありがと。明日の私に今の気持ちを……ちゃんと書けるといいんだけどな」

どこかさみしそうに、彼女は告げる。

「日記書いてるのか?」

「まあね、キャラじゃないけど私って人間をちゃんと残せるといいなって」

きっと残せる、そう言いかけて、口を噤んだ。今の彼女にとっては今日という日すらあいまいなものだから。その様子を見てまた彼女は笑った。

「どうかした?」

「いや、なーんにも」

「なんだよそれ」

何が言いたかったのか、遂に分からないまま俺たちは別れた。電車の中で物思いに沈む。なぜ彼女は時間を分けてくれたのか。振ったことには理由があったことは分かったが復縁とみていいのか、彼女は何も言わぬままだった。

ずいぶん長々と考えていたが結局俺にできることはないと思いなおし、考えることをやめた。我ながら無責任だと思うがあれは彼女の問題であって俺の問題ではない。俺との関係について結論を出すのは俺ではなく彼女だろう。病に侵された彼女に対する俺の答えは放置というあまりにも無責任な選択だった。

彼女が学校を中退したと知ったのは期末考査も終わった時期だった。


「で、結局お前彼女と会えたのかよ?」

もはや恒例と言ってもいい飯の時間、笹島がおにぎりを食いながら訊ねる。

「会えたよ」

「そうか。で、何の話したんだ?」

「……まあいろいろ」

にやりと笹島が笑う。こういう時のこいつの顔は何か余計なことを企んでいる顔だ。

「何話したんだよ?」

「なんでそれを聞き出そうとするんだよ」

「気になるじゃないか。秘密というのは暴くためにあるのだよ」

「てめえの墓から先に暴くぞ」

「それ遠まわしに殺すぞって言ってる?」

「殺すぞ」

「うわ、どストレートなの来たよ」

相変わらず笑いながら笹島は俺の弁当の中身をかすめ取っていく。

「さて、時として迷える子羊君」

「その言い方やめろ」

「君の大切な元カノさんがどこにいるかは知りたくは……ないかね?」

俺の話を聞かず笹島は続ける。

「友達のお母さまが君の元カノさんが入院している病院に勤めているらしくてね。親友としては長いこと見守ってきた君たちのヨリをぜひとも戻してほしくてね」

そういう笹島の顔は相変わらずにやにやとしている。大方ヨリを戻した俺たちで何かスキャンダルでも騒ぎ立てるつもりだろう。俺は降参して両手をあげた。

「わかったよ。お前の口車に乗ってやる」

何とも悪魔に魂を売ったような腹の立つ気分で俺は放課後、彼女の入院する病院に向かうことになった。


「面会……ですか」

受付の人は渋い表情を見せた。

「駄目でしょうか?」

「彼女の症状はすべてが未知のものです。面会は簡単ではないでしょう。また翌日お越しいただけますか?」

連絡先を書類に書いてその日は帰ることになった。

電車に揺られながら今更ながら後悔する。もはや赤の他人だろうに、どうして彼女のためにあそこまでやる気になれるのだろうか。元カレだったからという答えが浮かぶもそれはそこまで重要ではない気がする。自分に問いかけてみる。

俺は彼女の何でありたいのだろうか……。


その夜中、ボンヤリと天井を見ながらベッドに横たわる。時計を見ると時刻は十時を回っていた。彼女も、今眠っているのだろうか。記憶の喪失を実感しながら。そんなことを考えて、詮の無いことだと実感する。とその時、電話のベルがけたたましく鳴り響いた。番号を見て、はてどこかで見たかと記憶を探り病院の電話番号だったことを思い出す。

「もしもし」

『もしもし? 今井病院です』

電話越しの切迫した声に徐々に意識がはっきりする。

「何か、ありましたか?」

『それが……』

彼女が失踪した。にわかには信じ難かった。

『あなたの話をしてから様子が変でしたので警備に見張らせていたんです。そちらのお宅にはいませんか?』

「……いや、いないです」

電話口の向こうからでも落胆した雰囲気が伝わってきた。聞いたところによると彼女の家にもいないらしい。

『見掛けたりしたら電話をいただけますか?』

「分かりました」

『では失礼します』

ブチリ、と電話が切られた。しばらくスマホを握りしめていたがやがてそれを放り出すとタンスを開けて着替え始める。我ながら何をしようというのか、呆れ半分に自分に問いかける。もちろん、答えは出ているのだが。


学校の校門前、

「……よう」

彼女は、驚いた表情でこちらを見上げた。

「……こんにちは」

まるで初対面のようにこちらを警戒しながら見る彼女。いや、彼女にとって俺という存在はもう初対面なんだろう。それがなんとなく分かってしまった。

「学校にしてはまだ早いと思いますが?」

警戒させないよう敬語で話しかける。

「いえ、入学する前に少し見ておこうかなって。それに夜の学校ってなんだかワクワクするじゃないですか。あ、もしかしてこの学校の先輩だったりしますか?」

それを聞いてあぁ、こんな人だったなと思い出す。一見真面目そうでいて自由奔放。不思議な性格だと思ったものだ。

「……ええ。通ってますよ」

「じゃあ先輩ですね! 私、小尾 凛音(Obi Lion)っていいます」

彼女は嬉しそうにわらってピースサインをした。

「先輩のお名前を伺ってもいいですか?」

「……秋明。菊池 秋明(Kikuti Shumei)」

「……渋い名前ですね。秋明先輩。」

彼女は、難しそうな顔で言った。

「ねぇ先輩。」

「……何か?」

月夜の学校、彼女は俺に言った。

「……先輩って高校生活についてどう思いますか?」

その質問にすこし悩んでから答える。

「楽しい物だったね……俺にとって、忘れられないもの、だと思う」

「もしかして彼女ですか?」

彼女はニヤニヤ笑いながら小指を立てる。俺はそれに苦笑するしかなかった。

「うん、まぁ……そうなんだけどさ」

「いいですね青春してますねぇ」

まるで、彼女自身の事の様に、彼女は笑っていた。それはまるで、すっかり、

――忘れて

――しまった

――ことの

――ように

「先輩、ぼんやりしてどうしたんですか?」

彼女がこちらを覗き込む。

「……その彼女がさ、記憶を失っていく病気みたいでさ。ひょっとしたら、彼女はもう自分が病気の事すら忘れたのかもしれないけど」

「……あまり触れない方がいい話題でしたか?」

「ぶっちゃけね」

 そうですか、彼女は俺の隣に寄ってきた。

「きっと大丈夫ですよ。あなたと過ごしたことすら忘れても、あなた自身の事はきっと忘れません」

 妙にきっぱりとした口調で、彼女は言い放った。

「随分はっきり言うんだね」

 彼女ははっとした様に口をつぐんだ。

「……すいません。先輩相手にえらそうに」

「……いや、大丈夫。すごく安心した」

「惚れました?」

 笑いながら彼女は問いかける。

「  、    」

「――えっ?」

 驚く彼女。

「……趣味の悪い冗談ですね、先輩」

「かもね」

 俺は深呼吸をすると体の向きを変えた。

 彼女とは、反対の方向へ。

「それじゃあ、また……新しい生活を楽しんで」

 俯きながら、感情を押し殺しながら、帰路をたどる。これでよかったんだ。何も知らず、彼女は彼女の道を行けばいい。彼女の人生において、俺という人間はあまりに小さかっただけだ。ただ、それだけだったのだ。


 それ以来、彼女の消息は不明だ。笹島に訊いても分からないと言っていた。灰色の景色の中で受験に向けて勉強する。俺は、彼女の存在を必死に頭から締め出した。


 けたたましい着信音を煩わしく思いながら俺は携帯を手に取った。

「もしもし」

『もしもし。私、小尾凛音の母ですが菊池秋明さんでよろしいですか?』

唐突な電話に目を見開く。

「……はい、そうですが」

『娘が、亡くなりました』

 淡々と告げられる衝撃の内容。それでも電話先の声には何かを堪えているような調子が伝わって来た。

『昨日、娘が忘れているはずのあなたの名前を告げたんです。そして伝えてほしいと』

――ごめんなさい、そしてありがとう。

 目の前が真っ暗になった気がした。思わずベッドに座り込む。

『あなたに宛てた日記を渡したいので、明日の通夜に参加してもらえませんか』

「……もちろんです」

 彼女は死んだ。原因は、忘却。忘却が生命活動にまで影響したのではないか。滑稽だが、そういうことだ。


 ――秋明へ

遺書になるのかな? もちろん死にたくなんてない。でも余命があるならしょうがないよね。

 今日はあなたに病気の事がバレた日。乙女の秘密を暴くなんてなんてひどい! まあ冗談だけどさ(笑)。

何を書こうか、ぶっちゃけ まだ決まってなかったりする。記憶を失うのは本当に怖い。でも、考え方を変えればこれってあなたに二回も恋したことになるのかな? そう考えると素敵かも。

日記帳をめくって記録を見ながらこの手紙は書いてる。多分、あなたにはこんな口調で書いた方が慣れていると思うから。本当は敬語を使いたいけど、長い事付き合ってたっぽいからむしろおかしいのは私の方だよね。

 贅沢を言うならずっとあなたの傍にいたい。でもそれはできない事だっていうのは分かってる。じゃあ看取ってほしいな、って思ったり。でもあなたが悲しむよね。人づてに聞くのか、直接見るのか。どっちを選んでもあなたの為になる気がしないや(笑)。

 だから、死ぬのならせめてあなたの知らないところでこっそり死にたいの。ブラックジョークみたいだけど本当の事。後ろ向きなのか前向きなのかさっぱりだけどね。多分、何回も私の亡霊から聞くと思うけど何回でも。ごめんなさい。そしてありがとう、大好き。

 ほかに何か書こうとしてもなんも出てこないや(笑)。思い出を語るのもありきたりだよね。さっきのが全部なのかもしれない。だから、ありったけの大好きをこめて……ってそれはヤンデレっぽいな。

でもたくさんの好きを詰め込んで。

※追伸

やっぱり一つ。死人に口なしだから、他に好きな人が出来たらちゃんとその人を幸せにすること!

小尾 凛音


 やつれた日記帳を閉じる。ぼろぼろなのは何百回と読み返したせいだ。彼女が死んで以来、これは俺の日課になっている。ほかに好きな人が出来ても彼女の事を忘れる事は無いだろう。俺は日記帳を顔の前まで持ってくると目を閉じてこうつぶやくのだ。


――ありがとう


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