第四章 愛は無限の彼方へ ⑤
「まずいっすねこれ」
「ああ、最悪にまずいな」
仲間たちも顔が青ざめている。
僕たちの身に何が起こっているのか、もう認めざるを得ない。
僕たちの作戦は最後の最後、脱出段階で失敗したのだ。
観客席のいたるところからNCA軍のロボット兵器が姿を現す。
ハウンドよりも大型の、ネコ科の猛獣に似たロボットだ。
トラ? ヒョウ? それともライオン?
説明してくれるミドリコはもういない。
「ど、どうしよ、どうしよユウさん」
すがってくる葵さんを、僕は抱きしめ返すことしかできない。
どうして作戦がバレたんだ。
いやそもそも本当にバレているのか。
明らかに無関係の人が大勢まざっているが。
グラウンド上の人々は予定外のこんな場所に連れてこられた上、軍隊に包囲された恐怖にふるえている。
出口はどこなんだ。
はじめてくる場所でどうしたら良いのかさっぱり分からない。
もっとも出入口が素直に開いているとは思えないけど。
キョロキョロとあたりを探っていると球場のオーロラビジョンに女性の姿が映った。
『おはようございます皆様。まずは我々の職務に協力していただいた事に感謝を申し上げます』
金髪碧眼、ベリーショートヘアーの女軍人。
「あれ、この人どこかで」
「あいつマルガレーテ・スウじゃないか。在日新米軍のトップだよ!」
あ、テレビで見たあの人か!
「協力だと、ふざけているのか貴様っ、この私の後援者を誰だと思っている!」
偉そうな口調のおじさんが画面にむかって怒鳴っている。
おじさんはなぜかマウンドの上に立っていた、目立ちたがり屋なのか?
なんだか偉い人のようだけれど、マルガレーテは無視をした。
『ただいま世界中で爆発テロ事件が起こっているのはご存知の事でしょう。この日本でも同様の爆発事件が発生いたしましたので、緊急措置としてOMTの使用を制限させていただいております。具体的にはこの日本でOMTを使用した場合、必ずこの場に到着するようになっております』
「ふざけるなっ! この私が会談に遅れたら、貴様ら軍人ごときの薄給では弁償しきれん損害が出るんだぞ!」
騒いでいるのはおじさん一人ではない、他の人たちもおじさんの勢いに便乗して騒ぎ出した。
しかしマルガレーテは硬い表情を崩さない。
もしかしてこちらの様子が見えていないのか。
『ただいま申し上げたのはあくまでも最低限の説明が必要と考えたからです。テログループがこの場に潜伏しているため、ただちに皆様の身柄を拘束させていただきます」
マルガレーテが薄く笑った。
美しく、そして冷たい笑顔。
マウンド上で怒鳴っていたおじさんが意識を失って倒れた。
同時に他の人たちも力なく倒れていく。
ブラックアウトだ!
「ユ、ユウさ……」
「葵さん!」
葵さんだけじゃない、岡持さんも、他の仲間たちも、ブラックアウトによって全員無力化されてしまった。
グラウンド上には百人ほどの人間がいる。
だが立って動けるのは僕一人だけ。
一瞬のことだった。
『あら、どうして貴方だけ平気なのかしらプリティボーイ?』
オーロラビジョンの大画面に人の悪そうな笑顔が映っている。
これがマルガレーテの本性か。
マルガレーテはサッと手を振った。
それを合図にロボット軍団とNCA軍人たちがグラウンド上に降りてくる。
味方はいない。
僕一人だ。
一方敵戦力はちょっと数えきれない。
たぶんだけど、三百くらいかなあ……。
三百の敵が、三百の武器と敵意を僕にむけてくる。
恐怖で気絶してしまいそう。
「どうして貴方にはブラックアウトが効かないのかしらね?」
声がした方を向くと、生身の軍人たちが集団でこちらへ歩いてくるところ。
その中から生身のマルガレーテ・スウが現れた。
腰に手を当て首を傾げた、気取ったポーズが僕をいら立たせる。
妙にフレンドリーなのは嫌味だろう。
「ぼ、僕はまだNPCを持っていないので」
マルガレーテは両手を左右に広げたオーバーアクションで笑ってみせた。
「ああー! そうだったの、未開の原始人に文明の裁きは早すぎたって所かしら」
マルガレーテが右手を上げると、獣の群れが僕に照準を合わせた。
死ぬのか、僕は。
だがマルガレーテは手を振り降ろさなかった。
「この国には、あといくつのチームが潜伏しているの?」
「……知らない。僕はまだこっちに来てから一か月しかたっていないんだ」
「他のチームの作戦状況は?」
「それも知らない、僕たちの担当は関東をどうにかすることで、他の事は何も言われなかった」
「ここで待っていれば貴方の仲間は助けに来てくれる?」
……僕はうつむき、弱々しく答えた。
「来ないよ、だって僕たちの作戦内容は誰も知らないはずだもん」
マルガレーテは射撃用意の命令を解除した。
「なら、このトラップを張り続ける意味はあるのね。貴方たちの失敗を他のチームは誰も知らない。だから逃げるために同じ罠にかかる可能性は十分にある」
マルガレーテは手を横に振った。
すると敵の半数以上が観客席に戻っていく。
「私たちはね、今日のことで間違いなく処罰を受けるわ。貴方たちの計画を未然に阻止できなかったって罪でね。エイツの月と地球にいるすべてのNCA軍人が、何らかの形で罰を受けるの、ねえいま私がどんな気分でいるか分かる?」
「僕たちのことが、殺したいほど憎い?」
マルガレーテは突然ヒステリックにわめき出した。
「ええそうよこのクソガキ! あんたたち原始人のせいで私の人生プランがメチャクチャよ、少しでも挽回しないと本国に帰れやしないわ!」
どうやらサブアンカーを攻めるという考え方は正しかったようだ。
NCA人に大きな精神的ダメージを与えることができた。
ざまあ見ろ。
「逃がさないわ、一匹たりとも逃がさない、日本中、いえ世界中のテロリストを私が捕えてやる。そうすれば次のエイツ方面軍総司令の座は私の物よ!」
あせりと、怒りと、欲望と。
マルガレーテは黒い感情のカクテルに悪酔いし、正気とは思えない目つきになっていた。
「あんたは見せしめよ、簡単には死なせないわ。次の原始人どもがやってくるまでのオモチャにしてあげる!」
女司令官が形のいい顎をしゃくる。
「イエスマム!」
二メートル近い、大きな軍人が前に出てきた。
「その坊やとボクシングごっこでもしてやりなさい――いえちょっと待って、せっかくだからもっと楽しみましょう」
マルガレーテはこれ以上ないくらい悪意ある笑顔で、悪趣味極まることを言い出した。
「これはゲームよ、サムライボーイ。私は貴方たちを全員処刑する。ただし執行時間を遅らせる権利を貴方にあげるわ」
なんだそれ。
「これから貴方はこのタフガイと闘うの。貴方がもし勝てたら次の男と闘う。貴方が勝ち続けていられる間は誰も殺さないと誓うわ。貴方のチームは、貴方が死んだ瞬間に全滅するの。フフ、フフフフ!」
この女、イカレている。
それってリンチ殺人ってことだろ。
緊急事態にそんなことしていて良いのかよ。
これは僕にとってチャンスなのか?
いやそんなことは無いな。楽に死ねなくなったっていうだけだ。
「さあゲームスタートよ!」
「ウオー!」
開始と同時に大男が猛然と突っ込んでくる。
僕は筋肉モリモリマッチョな大男のショルダータックルをまともに食らった。
とても耐えられるようなものじゃなかった。
そして避けられるようなものでもなかった。
まるで交通事故みたいな強い衝撃をうけて僕は吹っ飛び、人工芝の上を無様に転がる。
「フウウウウ!」「イエエエエ!」
マルガレーテの取り巻きたちがドッと歓声を上げた。
「ぐ、ゲフッ、ゴホッ!」
痛い、苦しい! 身体中がバラバラになったみたいだ!
情けないことに僕はたった一発でダウンしてしまった。
「……あらもう終わりなの、駄目よそんなの」
マルガレーテは拳銃のようなものを取り出し、あろうことか倒れて動けない葵さんに照準を合わせた。
「この女、貴方の恋人なのかしら? 仲がよさそうだったわね?」
「や、やめて……」
プシュン、とかすかな音をたてて光線が発射される。
葵さんの顔面すれすれをかすめ、地面に焦げた穴があいた。
「やめろって、言っているだろ!」
僕はめまいでフラフラする身体に鞭打って立ち上がった。
みっともない姿をみてマルガレーテは笑う。
「フッ、立てるんじゃない。次に倒れたらこの女の脚を撃つわ。次に腕、次に胴体。顔は特別丁寧に壊してあげるから、楽しみにしてね!」
「なんなんだよ、なんなんだよお前!」
そんなに僕が憎いのかよ、だったら僕を撃てばいいだろ!
詰め寄ろうとする僕の頭を大男が捕まえた。
「ヘイボーイ、俺とのダンスが終わっていないぜ」
男は怪力で僕の髪をつかみ上げ、グローブのように大きな手で僕の顔面を引っぱたいた。
激痛というより、衝撃。
目の前に火花が散った。
そのまま続けて一発、二発、三発。
顔に激しい衝撃が走るたびに意識が薄れていく。
鼻や口からびっくりするほど大量の血があふれ出す。
やっぱり死ぬのか、僕は。
そりゃそうだよな、死なずにすむ方法なんてあるわけない。
僕は自分の身体が深刻な状態にあることをまるで他人事のように感じていた。
痛みがひど過ぎると麻痺して何も感じなくなるっていうけど、恐怖心も同じなのかな。
このまま何もかも投げ出して楽になってしまおうと、そう思ってしまう。
だけど諦めようとした寸前、悪意に満ちた笑みを浮かべるマルガレーテと目が合った。
そうだ、このまま死んだら葵さんがズタズタにされる。
そんな事をさせてたまるか。
あきらめるな、戦え時田悠。
こんな痛みが何だ。血の一滴でも残っているうちは諦めるな。
死ぬのはあいつと一緒だ、マルガレーテを許すな。
葵さんを狙ったこいつだけは!
「アガッ!?」
鈍い悲鳴を上げて、突然大男が前のめりに倒れた。
僕もその下敷きになる。
休憩を……ほんの少しだけでも休憩するんだ……。
「な、何よ?」
マルガレーテと取り巻きの男たちから、ざわめきが生まれる。
また彼女が顎をしゃくると、次の男がゆっくりと近づいてきた。
僕にとって幸いだったのは、次の人が僕より多少大きい程度の体格だったことだ。
気絶して動かない大男の陰から、僕は次の対戦相手をテーザーガンで撃った。
岡持さんが突入直前にくれたあの電気銃で。
「……!」
その男は悲鳴も上げずに感電する。
動けなくなった男に僕は前からしがみつき、腰のベルトをつかみ上げて盾にした。
「ファーック!!」
男たちが銃を構える。動物型の兵器たちもきっと同じだっただろう。
だが仲間ごと撃つほど薄情ではなかったようだ。
撃つか撃たぬか敵が迷っている数秒の間に、僕はマルガレーテに肉薄することができた。
「ヒッ……」
綺麗な顔を恐怖にゆがめる彼女の身体に、僕はテーザーガンを撃ちこむ。
それと同時にタックルで押し倒した。
「ウオオオッ!」
死ね! 死ね! 死ねこのクソッタレ!
転がって位置を交換しながら、僕は銃の引き金を彼女にむけて引きまくった。
司令官と揉みくちゃになっているので男たちは銃を撃てない。
全ての方向から『マイガー!』とか『ホーリーシット!』とかの怒声が聞こえてくる。
完全に包囲されているんだ、
敵のど真ん中に突っ込んだのだから当たり前のこと。
僕はすぐに死ぬだろう。
もうそれでいい。
だがこいつだけは、葵さんを狙ったこいつだけは生かしておけない!





