第四章 愛は無限の彼方へ ③
それから一か月の時が流れた。
七月下旬。
高校生活最後の夏休みがもうすぐ始まる。
予定ではひなちゃんと永遠のお別れに涙して受験勉強に逃げ込む頃だったんだけど、奇妙奇天烈な運命のイタズラによってお別れどころか毎日のように会って、一緒の時をすごしている。
岡持さんたちには相変わらずサブアンカーの調査をしてもらっていた。
そろそろ次の動きがあるのではないかと皆がささやきあっているのが気にかかる。
できれば危険なことはして欲しくないんだけれど。
映画作りのほうは、まあちょっと遅れ気味。
一万時間をこえるミドリコの記録データの中から素材になりそうなものをピックアップしてもらって、僕たち人間が分担してどれを使うかを選んでいく。
学校に通いながらのそんな作業に、一か月もの時間がかかっていた。
どの時代のどの国をターゲットに選ぶかっていうのも、まったくの手つかず。
ミドリコが『まず四百年後の鏡界に行き、もっとも適した国と時代を検索しては?』というアイデアを出してくれたのでこれを採用。
夏休みを利用して異世界旅行をしようということになったんだけれど、未来人のトーマスに協力してもらうのが一番いいはずなので彼のスケジュール調整を待っている段階。
同時に彼から業界人を紹介してもらうっていう話もまだ。
なかなか苦労しています、僕。
「はふ~」
部室として使っている理科室の中で、ひなちゃんは下敷きをパタパタあおいで風を浴びている。冷房が効いているので外と内では雲泥の差だ。
「部室は涼しくってしあわせ~」
「本当にねー」
僕も彼女を下敷きであおってあげる。
今は彼女が囲碁将棋部の部長だ。
そして今月になってから新しく部員になった子がひとり。
「コラッどさくさにまぎれてエロい目で見ないの!」
吸血鬼リリアがひなちゃんに抱きついて僕から遠ざけようとする。
「うええぇ~暑くなるから抱き着かないでえ~」
いつものノリでたわむれる乙女二人。
放っておいたらこの二人は高校卒業とともに離ればなれになってしまう。
それまでに何とかしないと。
NCAのナインツ侵攻まであと一年半の予定だっけ。
油断したらあっという間にすぎてしまうような時間だ。
まいっちゃうねホント。
お姫様が吸血鬼に誘拐されてしまったので僕は動画の確認作業に戻る。
スマホの画面にはエイツの時田悠がうつっていた。
『ミドリコ、僕が死んだらお前は葵さんを守ってくれ』
エイツの僕は余裕のない張りつめた表情でそう言った。
いったい僕がどんな目にあわされたらこんな悲壮感ただよう男になるのか。
向こうの僕はいつも厳しい表情を苦しそうにゆがめて、NCA軍のやつらにひどい事をするんだ。
そんなに辛いならやめればいいのにと、そう思うのは僕が部外者だからだろう。
国を失い、星を失い、金も自由も権利も失い、一緒に戦う仲間もたくさん失った。
だから後に引けなくなっているみたいだ。
ここで走るのをやめたらたら、これまでやってきたことが全部無意味になってしまうから。
そして僕のラストシーンは前触れもなくおとずれる。
この日、僕は葵さんと二人で買い物に出かける。
映像があるからにはミドリコも一緒だ。
僕は葵さんの笑顔につられて久しぶりの笑顔を見せている。
大通りの店をわたり歩いてそろそろお昼にしようか――なんて楽しそうに会話していた時。
突然、道路わきに止めてあった複数の自動車が爆発しはじめた。
三十メートルほど前のほうから順番に、一台、また一台、さらにまた一台と爆発が近づいてくる。
『葵さんッ!』
それがエイツの僕が言った、最後の言葉。
爆風によって映像が乱れ、ノイズだらけのぐちゃぐちゃで何も分からなくなる。
爆発音と人々の悲鳴だけが状況を伝えてくれる。
数秒後映像が整った時、葵さんは燃え盛る自動車の数メートル先に倒れていて、そのすぐそばに人間の右腕だけがゴロンと転がっていた。
僕はとっさに葵さんを右手で突き飛ばしたんだ。
その右腕だけしか残らず、僕の身体はグチャグチャに吹き飛んだらしい。
それが僕の最期。
「ふぅー」
ため息をつきながら自分の右手を見つめる。
「愛する者を守るために死んだ、か。僕にとっちゃマシなほうなのかもなあ」
あんな人生じゃもっとひどい死に方のほうが多そうだ。
銃殺刑とか拷問死に比べれば、男の美学みたいなものがある分ずっと良い。
「じょうだんじゃないです!」
ひなちゃんがいつになくキツイ顔でぼくをにらんだ。
「そんなことされたって女の子はぜんぜんうれしくなんてないです。女の子はいつだって好きな人のそばにいてほしいんです。一人になっちゃったエイツのあたしがかわいそうです!」
「ご、ごめん」
そうか、そうだよね、恋愛って難しい。
美学がどうのこうのっていうのは独りよがりな考え方なんだ。
僕は沈黙して作業を続けた。
今のシーンは外せない。
残酷な話だけど今のひなちゃんが向こうの葵さんになった重要なパーツのひとつだから。
きついシーンを除外してしまうとドキュメンタリー映画としては失敗作になってしまうから。
でも何だか申し訳ない。
葵さんにもむこうの僕にも。
そしてここにいるひなちゃんにも。
チラリと様子をうかがうと、ひなちゃんも動画のチェックをしていた。
なんだか最近彼女は笑顔に力がなくなってきたような気がする。
植物の向日葵は夏の今が盛りなのに、日向葵さんは元気を失ってしまった。
きっと僕がこんな暗い出来事に巻き込んでしまったせいだ。
結局僕はまだまだ知恵も優しさも足りてないんだなあ。
人間関係って難しいよ。
豊かで安全なナインツで、僕たちは映画作成に打ち込み続けた。
いつかきっとこの作品が世界を幸せにしてくれると信じて。
しかし数日後の七月末、僕が参加するようになってから数回目の会議。
ついに軍事行動の命令が下されてしまった。
《全世界同時サブアンカー攻撃作戦》
じつにわかりやすく、また刺激的な作戦名だ。
作戦名通り世界に散らばる同志たちが一斉蜂起して各国のサブアンカーを攻撃、できれば破壊してしまおうという内容。
うまくすればエイツに住むNCA人をみんな未来に叩き返せるかもしれない。
そこまでいかなくても未来に帰れなくなるかもしれないという衝撃は、かの未来人たちに相当の恐怖やストレスをあたえることになるだろう。
この作戦には大事な意義がある、そこは否定しない。
だけど参加者はどれだけ死ぬことになるんだこれ……。
「トーマス、この作戦もNCAは知っているんじゃないの?」
『そこまで甘く見ないでくれたまえ。ファーストからセブンスまでの地球で、この作戦が行われたことはない。なぜならばセブンスのこの時期までに我々の組織は関与していなかったからだ。OMTのアンカーに関する知識がまるでなかったのだから、こんな事を思いつくはずがない。だからこそNCAもこの作戦を知らない。安心したまえ』
「むむむ……」
『では諸君らの健闘を祈る。全員必ずまた会おう』
例のごとくトーマスの滞在時間は極端に短い。
金髪少年が姿を消した後、部下たちは待ってましたという興奮を隠しきれずにいた。
反対に僕の気は重い。
脳裏に右腕だけとなってしまった僕の姿が浮かぶ。
せっかく出会ったこの人たちに、あんな死に方をしろと命令しなくちゃいけないなんて。
「ユウ」
悩んでいた僕に岡持さんが話しかけてくる。
「お前には他に任務がある、しかも未成年で、そもそもエイツの人間ですらない。だから今回のお前は後方待機だ。ナインツで俺たちの逃げ場所を確保しておいてほしい」
「えっ」
僕は驚き、そしてあわてる。
そんな馬鹿な。
「ハウンドもミドリコも抜きでやるっていうんですか!?」
僕自身は足手まといになるだろう、けど二体のロボットを使わないというのは悪手以外のなにものでもない。
「まあ聞けよ。俺たちはこの作戦が終わったらしばらくのあいだ、逃亡生活に入らなくちゃいけない。エイツに残って敵におびえながら暮らすより、ナインツの山奥にでも隠れ住もうと思うんだ。ほらいつぞやの廃ホテル、あそこなんて拠点にどうだろう」
「だったらその辺のことは女の子三人にしてもらいましょうよ。水とか缶詰とか寝袋とかの用意でしょ? 高遠さんがしっかりしてるから大丈夫ですって」
「いや葵にはエイツに残ってもらう。あいつには両親がいて家もちゃんとしたのがあるからな。作戦後、エイツの動向を探る諜報員になってもらう予定だ」
「別に二人でだってできますよ。いっぺんに何百キロも荷物を運ばなくちゃいけないってわけでもないでしょう」
おかしな話だ。
なんだって僕はこんな言い訳みたいなことを言っているんだろう。
殺し合いに参加したいなんて、これっぽっちも思っちゃいないのにさ。
「ユウ、聞きわけてくれよ。俺はお前に二度も死なれたくないんだ」
『ま、そーいうことだね』
『たまには大人の言うことを聞けやボウズ』
画面の向こうから部下たちの声がする。みんな岡持さんと同じ意見なのか。
「お前が女たちを死なせたくないように、俺たちもお前を死なせたくねえ」
「僕だってそうですよ、あなたたちに死んでほしくない!」
まったくの平行線だ。
おたがいに相手のことを思いやっているのに全然話があわない。
「僕もミドリコとハウンドをつれて参加します。サブアンカーをへし折って、みんなでナインツに移住しましょう。みんなで派遣とかアルバイトしてやっていきましょうよ。映画だってそのうちにできます。未来の力を借りてNCAを追い出しましょう。そうしたらみなさんはヒーローとしてエイツに戻ってこれるんですよ!」
岡持さんは僕の言葉に天をあおいだ。
「リーダーは僕です。あなたがたが僕を選んだんだ。決めるのは僕です!」
「このクソガキ!」
岡持さんは僕の胸ぐらをつかんだ。
「相手は殺人兵器の群れなんだ! テメエみてえな甘ったれにできるかよ!」
「あんただって大概でしょ! こっちもロボット連れてかないと勝てるわけない!」
ケッ、と彼はのどを鳴らした。
僕は岡持さんの手をつかみ返す。
「僕が死んだらみんなが悲しむ、みんなが死んだら僕が悲しむ。どっちも同じなんですよ。だから、みんなで全力尽くして、全員で生き残る方法を考えましょうよ!」
「この馬鹿ッ」
「馬鹿でいいんですよ、馬鹿集団のリーダーなんだから。みなさんもいいですね、僕も参加します。だから、っていうのも変だけど一番簡単そうなサブアンカーを選んでください!」
スマホの奥からはあきれたようなつぶやきと、笑い声が聞こえた。
次に僕はエイツの高遠家で女の子三人組と合流した。
「というわけで、一発かましてからナインツに逃げることになりました」
「だったら私も――」
「絶対ダメ!」
高遠さんがこう言いだすのは予想していたので、言い終わる前に全否定。
この子たちにもしものことがあったら僕の計画が全部パーになっちゃう。
最悪僕が戦死してもこの二人が生き残ってくれたら映画は完成できる。
何としても二人には生き延びてもらって未来を変えてもらわないと。
「センパイは参加するんですか?」
ひなちゃんが心配そうに見つめてくる。
「うん、僕というかミドリコとハウンドを連れて行かないとね。僕は後ろの方で隠れているよ。それで、葵さんは自宅にこもって連絡役をしてもらう事になりました」
葵さんは僕が帰ってきた時からムッと黙り込んでいる。
機嫌が悪いのかなと思っていたけど、そうじゃなかった。
「あたしもユウさんと一緒に行く。ユウさんよりあたしのほうが強いもん、あたしが守ってあげる」
「え、いやでもそれは」
「みんながナインツにいくまであたしヒマじゃん、あたしも仕事したいよ!」
これ以上ないくらい葵さんは真剣だった。
「けど、あの」
「ユウさんうしろでかくれているんでしょ、だったらあたしだって危なくないよね? それとも本当は危ないことするの、だからあたしをつれて行けないの?」
僕はアウアウとうろたえるばかりで何も言い返せなかった。
なんで今日に限ってこんなに言葉が鋭いんだ。
「愛の奇跡というものでしょうか。まさか葵がこれほど論理的に人語を用いる日が来るとは」
「うん! 愛のキセキだよ!」
ミドリコの皮肉に気づかないあたりはいつもの葵さんだ。
「とゆーわけでよろしくねっ、こんどはあたしがユウさんを守るんだから!」
葵さんは僕に抱きついた。
「は、はい」
やる気マックスの正体はそこか、目の前でエイツの僕に死なれたから。
もう、弱っちゃうなあこういうの。
みんなが僕の心配をしてくれる。
大切にしてもらっている。
嬉しいよ。
みんなに負けてほしくない、死んでほしくない。
こんなに優しくされたら応えたくなっちゃうじゃないか。
やってやるよ。一回きりの大勝負だ。
恐怖のテロリスト・血まみれのユウになり代わってNCAと大喧嘩だ!





