第二章 四年後は二百年後 ⑤
岡持さんの部屋は最寄り駅から徒歩だと一時間半くらい。しかも大きな上り坂の先という不便そうな場所にあった。
かなり年季のいった、ハッキリいうとボロアパートだ。
今は岡持さん以外誰も住んでいないらしい。
「静かだし人の目を気にしなくていいから都合がいいんだよ」
とは本人の弁。
ミドリコに物は言いようですねと皮肉られて、彼は不満そうだった。
幸い室内は広く、四人で入って会話する程度の事には困らずにすんだ。
男の一人暮らしにしては清潔な部屋だった。
家具も少なく、小さなテーブルとベッド、洋服ダンスがわりのカラーボックスに、あとは小型のテレビが置いてあるくらい。
「前の部屋を出た時にあらかた処分しちまってな。本とかPCはコッチに収まっているし」
そういって岡持さんは自分のひたいをツンツンと指でつつく。
おぼえている、という意味ではなく脳内のNPCに保存してある、という意味だろう。
「テレビはあるんですね」
ちょっと意外。テレビなんかもNPCで視れそうなもんだけど。
「ああ、なんとなく惰性でな。これも数年後には使えなくなるらしいけど」
「テレビが無くなってしまうんですか?」
「今の地上デジタルよりもさらに高度なシステムに対応するための処置なんだってよ。その高度なモンが見たければNPCを買えっていう、毎度おなじみの話だ」
「うわー、嫌味なくらい徹底してますね」
「ぶっちゃけ便利だぞー、チャンネル数も一千以上あるし、追加で金を払えば最新の映画も見放題。同時通訳なんかも当然ある。迫力の超特大スクリーンとその場にいるとしか思えないレベルのリアルサウンド。温度とか匂いまで再現できるときたもんだ」
「ポップコーンとコーラも飲みほうだいの食べほうだいだよ」
「むむむ」
さすがにうらやましいぞ。二十三世紀の基本装備。
「ゲームなんかもな、もはやアニメの世界の主人公よ。身長十メートルくらいある巨人を魔法の光剣で一刀両断ってなもんさ。危険だからお前にはさせられないけど」
なんか悪意があるように聞こえるのは気のせいだろうか。
自慢されているみたいにしか思えない。
僕が渋い顔をしているのを理解しているのかいないのか、岡持さんは顔をそむけてテレビの電源をいれた。
「ちょうど見せたい顔が映ってらあ、この女の顔をよーく覚えてくれ。俺たちの目下の敵だ」
岡持さんと葵さんが同時に空中で指を動かす。おそらく同じ番組を見るための操作だろう。
画面に映っているのは、なんとも地味なカーキ色の軍服を着た美人の女軍人だった。
彼女の名が字幕で表示されている。
NCAFJ(在日新米軍)司令官マルガレーテ・スウ中将。
『このエイツにおける脅威がまたひとつ解決したことを、ニッポンの、そして世界の皆様にお伝えします』
低い声、淡々とした口調が印象的。
きれいな金髪を大胆に刈りあげたベリーショートヘアー。
攻撃的な気性を思わせる冷たく青い瞳。
柔道やアマレスの選手みたいな厳つい肩幅。
化粧っけのまるでない肌。
彼女はまるで「美人に生まれたのは単なる偶然だ」と言わんばかりの武骨な雰囲気を放っていた。
『先日まで中東地域を騒がせていたテログループの主犯格、指導者たちが死亡したことを当局は確認いたしました。今後もエイツの安定と幸福を目指し、職務に邁進していく所存です」
どうやらよその国で武勲を立てたということらしい。ちょっと自慢気に語る彼女の表情をみて、岡持さんはフンと鼻を鳴らした。
「気取りやがって。何もかも承知の上で放置していたくせに、今さらよく言うぜ」
肩をすくめながら僕を見る。
「あいつらはな、これから先の未来に何が起こるのかをだいたい知っていやがるんだ、何でかわかるか?」
「え? えーと……」
この場合はNPCの技術は関係ないよね。とすると……。
「無限鏡界の力だ。やつらは最新型のOMTで時間のずれた鏡界を自由に行き来しやがる。だから何年何月何日の何時、どこそこの国のナントカって街で事件が起こる、なんて情報はこの鏡界に来る前から知っていやがるんだよ」
「えっ」
そこまで詳しく?
ここでミドリコがいつものように解説。
「元来OMT、オポジットミラートランスポーターは、未来に発生する災害を事前に知って対策を立てるために発明されたものです。世界各地で起こる大事件などの情報も容易に入手する事ができます」
災害予知ね。たしかにいつどこで災害が起こるかわかるなら、こんなに便利なことは無い。
OMTで近未来の鏡界へいけばそんな情報も簡単に集まるというわけだ。
「だからこのマルガレーテっつう女が言っている事は、発生から解決まで何もかも予定通りというわけだ。なにせ八番目の地球だからな、楽勝なんだよ、ケッ」
岡持さんは不機嫌そうにしながら、テレビの電源を切った。
「八番目って、さっきの人が言っていた『エイツ』っていう言葉の意味ですか」
「そうだ。ここが八番目。お前のところがたぶん九番目。連中はもう八個もの地球を植民地支配しているってこった」
そんなにたくさん。二十一世紀の僕たちは一つの地球ですらちゃんと管理しきれていないというのに。
なんて強欲な連中だと思うのと同時に、なんて難しい、恐ろしい敵なんだと考えてジワジワ背筋が寒くなってきた。
八個の地球ということは、未来の軍人たちは同じ敵と八回戦ってきたということになる。
ということは二十一世紀の僕たちのありとあらゆる事。
兵力、装備、配置、戦術、国際世論、指導者の統率力、どこが強みか、どこが弱みか、どうすれば奮起するか、どうすれば絶望するか、そんな様々な事を知り尽くしてしまっていると言っていい。
根本的に技術力の差が深刻なのに情報力でも圧倒されているのでは、これもう絶対に勝てないんじゃないの?
二百年の差って言葉でいうのは簡単だけど、もう絶対的なもんでしょ。
現代日本の二百年前っていうと江戸時代の後半くらい?
その時代の最新兵器って黒船で大砲ドッカンドッカンとか、その程度でしょたぶん。
それを攻めるとしたら、数機の爆撃機で江戸城とか、あとは紀州尾張水戸だったっけ徳川の御三家は?
そのへんの城をブッ飛ばせば主要人物が大量に死んで政府機能はパー、あとは朝廷をおさえて新政府樹立を認めさせれば大筋で侵略完了だよね。
火縄銃に毛が生えた程度の銃しか持っていないサムライたちに防ぐことなんてできるわけない。
二百年もの技術力の差、情報力の差っていうのは、それくらい深刻にヤバイ。
もし現代の僕たちが未来人相手に勝ち目があるとしたら、どんな方法だろう。
それが月面基地を核ミサイルで破壊するってことなのか?
でもそれは予測されちゃっているから、もうこの鏡界の施設は破壊済みだと言ってた。
あっ、だから他の鏡界に協力を求めてきたのか。
自分たちの鏡界だけでは手に負えないから、他の鏡界といわゆる軍事同盟を結んで対抗しようと。
フーン、でも核ミサイルなんていう一番凶悪な兵器を、どうやったら使ってくれるのかなあ。使うどころか作ることと持つことさえ世の中は批判するっていうのに。
うーん……。
うーん……。
…………。
――――えっ!?
ふと、僕の胸の奥に嫌な想像が芽生えた。
僕だったらこの難しすぎる問題をどうやって解決するか。
そういう視点から考えを練っていった時に、ちょっと、いやかなり悪いことを思いついてしまったのだ。
でもまさか。
だけどこれくらいやらないと実現不可能なんじゃ。
「ユウさん、ユウさん」
「は、はい?」
葵さんが肩に寄りかかってきて僕は我に返った。
「今日これからどうしよっか?」
「えっ、ど、どうしよう?」
僕に言われてもわかんないよそんな事。
「ユウさん高校生で帰宅部なんだよね~きょうはみんなに紹介する時間ないかもね」
いやいや、帰宅部じゃないよ囲碁将棋部でしょ。あなたと同じ部活だったでしょ。
僕にとっての奇跡の時間は、この人にとっては忘れちゃう程度のもんだったのかな……。
「そっかあ、六時か七時にはかえらないとダメだよねえ。今日はもう終わりにしてあっちの世界で遊ぼっか?」
楽観的すぎる葵さんを、さすがに岡持さんが止める。
「いやいや、遊んでいる場合じゃねえから。呼べる奴だけでも呼んでおこうぜ」
「ここに?」
「ああ、普段はNPCで暗号通信のやり取りをするんだが、お前にはさせられないからな」
「静かで人の目を気にしなくていいというのは、良いことですね」
ミドリコがさっきの皮肉をむしかえしてきたので、岡持さんは一瞬すごい顔になった。
「おいユウ、このロボットまじで何とかならねえのか」
「な、何で僕に」
「まあ、ちょっとな」
葵さんのロボットなんだから葵さんに言ってほしい。
言ってきかないから今があるんだろうけど。
ともあれ岡持さんは空中で指をゴチャゴチャ動かす。
仲間に連絡を取っているんだろう。
しかし集合に時間がかかるということで、僕たちは数時間の休憩タイムということになった。
僕は外に出て、一人、小高い丘の上から景色を眺めてみる。
近くは閑散とした農村風景、はるか遠くには荒廃した街並みが見えて、その中央に例の巨大ガラスケースみたいな特別区が存在を主張している。
絶賛したら怒られそうだけど、美しい景色ではあった。
「あれが僕たちの敵ね……」
もちろん街ひとつ壊したって何にもならない。あれは単なる象徴。
本当の敵は世界中どころか、合計十個もの地球上にいる。
NCA本国がある二十三世紀の地球。
そして二十一世紀の地球が九個。
「んー? っていうことは一つ一つの国には、そんなに大勢の兵隊はいないのかな?」
「その通りですよ」
「うわビックリした!」
いつの間にか背後にミドリコが立っていた。
「NCA軍の主力は人間ではなく軍用の殺人ロボットです。ロボットは食事も排便もなく、娯楽も必要としません。恐怖心もなく、怠惰も知らず、不平不満も言いません。損傷しても部品交換すれば済み、完全破壊されたとしても遺族年金などの負担金がありません。圧倒的に安上がりで、管理も容易なのです。このように解説されると、人間とは何のために存在しているのかと疑問がわいてきませんか、ああ人類よ、愚かなる人類よ?」
いちいちうるさいよ。でもちょっと人間て不便だなとは思うかも。
「つまり二十三世紀には末端の兵士というものが存在しません。将校以上の軍人たちも基本は上空からの監視ロボットによる映像越しに指示を下すのが一般的で、血の一滴も存在しない清潔な戦場が珍しくもありません」
「は、はは。そりゃ安全でいいね」
もはや笑うしかない。完全にゲームの世界だ。
「そういう状況ですので、一つ一つの国に多くの軍人はいない、というあなたの推論は珍しく正解です」
「ひと言多いんだよ。でもさ、そんな連中相手にどうやって勝つつもりなの」
ミドリコは目を細めてフー、とため息をつく。
「ですから月面基地を破壊すると先ほど……」
「そこにいくまでの過程の話だよ。僕が住んでいる方の地球、まあ一応ナインツって呼ぶけど、ナインツの人たちは核なんて使わないと思うよ?」
無理だと、そう断言できる。
使おうと言えるのは侵略完了してしまったエイツだからで、『核ダメ、絶対ダメ!』と叫ぶのが良識になっている現段階のナインツでその理屈は通用しない。
「そうでしょうか」
「そうだと思う」
エイツのためにあえて核兵器を使う、と決断する国が現れるとしたらそうとう環境が変わらないといけない。
たとえば僕が思いついた展開にならないと……。
でも葵さんがそんな事するとはとても。
「葵さんは、賛成しているの?」
「質問が曖昧なため返答が困難です。内容を具体的にお願いいたします」
「だからえっと、なんて言ったらいいのかな。核ミサイルとか、戦争とか……、そう、そもそも戦争することを葵さんは望んでいるのかな!?」
思わず声が高くなった。ちょっと興奮しすぎだ。
「そんな人だと思えないんだ、エイツの彼女も、ナインツの彼女も」
数秒、沈黙するミドリコ。何らかの情報処理をしている様子だが。
「悩んでいる表情を見せることはありますが、戦争、あるいは反政府的行為を否定する発言をしたことはありません」
「……そう」
もしかしたら僕の敵討ちをするつもりなのかな。
エイツの僕もそんなことは望まないと思うんだけど。
「ミドリコはずっと葵さんを守ってくれているんだよね。君ってすごく高そうだけど、葵さんの家って金持ちなのかな」
ミドリコは首を横にふった。そして誇らしげに右手を胸に当てる。
「わたくしがオーダーメイドの超高級品であることは事実です。そして日向葵の実家はわたくしを購入できるほど裕福ではありません」
ん? じゃあどうやって手に入れたんだ?
「そもそも貴方は前提から間違えていると推測します」
「えっ?」
「わたくしは、日向葵の所有物ではありません」
「……じゃあ岡持さんたちの、チームの物だってこと?」
「それも違います」
僕は混乱した。じゃあ誰の物なんだ。
ごく自然に葵さんのそばにいるから、葵さんの物だとばかり思っていた。
だからあえて確認しようとも思わなかった。
「わたくしが葵に奉仕しているのは、所有者の命令によるものです。『彼』は自分が死亡、あるいは植物状態になった際に日向葵を守るよう命じ、後日事故死いたしました」
おいちょっと待て。
それってまさか。
「わたくしは、時田悠、貴方の所有物です」
得体のしれない衝動に胸が高鳴った。
「欲情しましたか?」
「なんでだよ! こっちの僕は本当に葵さんが好きだったんだなって、そう思ったの!」
戦争が日常のすぐそばにある世界だ。だれがいつ死んでもおかしくない。
だからこっちの世界の僕は、自分が死んでも葵さんが生きられる道を考えていたんだ。
愛する者への心づくし。胸にしみるなあ、そういうの。
「僕が、ミドリコの所有者だって言ったね」
「聴覚に異常でも発生しましたか?」
「混ぜっかえすなよ、ここにいる僕でも、ナインツの僕でもいいの?」
「認証システム上、問題はありません」
違う意味で胸が高鳴ってきた。これは緊張と恐怖。
「……だったら僕の命令に従ってくれるのか」
「従います。ただし貴方が人生を損なうような愚かな選択をした場合、それはもう辛辣に警告いたします」
「辛辣って……まあ良いか。それじゃあ頼むよ」
僕はミドリコにはじめての命令を下した。
ミドリコは可能ですと言ってくれたので、やってもらうことにした。
これは保険だ。無意味なことであってほしい。
だが僕の妄想が的中してしまった時は、その時は。





