第二章 四年後は二百年後 ③
「う、うわああああああ!」
悲鳴なのか。感動なのか。
それとも別のなにかなのか。
自分でも説明のつかない大声をあげている僕。
いま目の前に広がる光景は、それくらいすごいものなんだ。
僕は宇宙のようなとてつもなく広い空間を飛んでいた。
ほんの数十メートルほど先の空間に、いくつもの四角い窓が並んでいる。
その中には僕の知らない世界が広がっていた。
はるか遠くには星々のようなキラキラしたものが無数に存在している。
しかしそれらは星ではない、その証拠に円ではなく四角形の輝きをはなっていた。
「これが無限鏡界!?」
合わせ鏡とはいうけど、視覚的には万華鏡のほうが近い。
まるで宇宙のように広大で、果てなんか無いのではないかと思えた。
「この窓の一つ一つが別の世界?」
「その通りです。しかしわたくしたちが向うのは、もっと上方の鏡界です」
どこからかミドリコの声がした。それと同時に僕の体が急加速して上……と思われる方向へ引っ張られる。
「わ、わあああ!」
ジェットコースターに乗っているときのような恐怖感に、身が縮こまる。
いくつもの四角い光が高速で横を通り過ぎていき、そしてついに終点が来た。
ガッシャアアアアン!
すぐ近くで大きなガラスが砕け散るような大音声。
僕の身体は、まぶしい光に包まれた。
「うっ……」
これは太陽の光か。
暗から明へのきつい落差のせいで、とても目を開けていられない。
どうにか分かるのはムッと鼻をつく草のにおい。手には土や雑草の感触がある。
僕はいつの間にやら地面にひざまずき、両手で土をつかんでいたようだ。
ゆっくり、ゆっくりと立ち上がって、少しずつ周囲をうかがう。
すぐそばに葵さん、ミドリコ。
ちょっと離れたところに捕獲したハウンドをかついでいる岡持さんの姿。
「ユウさんだいじょうぶ?」
「う、うん、まだちょっと目が」
だんだん目が慣れてきた。
僕たちがいるのは、田舎の廃村のような所だった。
古臭い朽ちた一軒家が点々と立ち並び、他に人の気配もない。
「ここが、四年後の未来……」
「ああ。もっともこのあたりは開発も何もされていないから、違いなんて無いけどな」
「だからこそ我々の行動には適しているのです。OMTを使用した際の騒音を他者に聞きとがめられずに済みますので」
「なるほどね」
周囲の地面を探したけれど、ガラス片のようなものは見当たらなかった。あれほど豪快にブチ割ってきたのだから、割れた鏡が落ちていなければおかしいのだけれど。
「なにしてんのユウさん」
「いや、うちの家もそうだったんだけど、割っちゃった鏡とか落ちていないのかなーって」
「ああダイジョブダイジョブ。よくわんないけどそういうのないの」
葵さんは笑いながら手をヒラヒラと振った。
「ガッチャンガッチャン割りまくっても、す~ぐもとにもどっちゃうんだって~だから掃除とか片づけとかいらないんだよ」
「自分の部屋は掃除も片付けもするべきですけれどね」
間髪を入れずに皮肉を言い放つミドリコ。
おそらく葵さんの発言内容をあらかじめ予想していたに違いない。
本当に無駄な機能&ハイスペックである。
「い、いいじゃんそんなの! あんたがやってくれるもん!」
ミドリコはフッと鼻で笑う。世にも腹立たしい笑顔で。
「愛しい男性との生活でも、貴女はそうやって怠惰な暮らしぶりを続けるのですか? 十代の男子が年上に抱く幻想というものを、貴女は軽く考えすぎているようですね、葵」
「うっ」
「貴女が過去にどのような生活態度で過ごしていたか、高画質映像データが残っております。日向葵がどういう女なのか正しい判断を下していただくためにも、時田悠にデータを公開することにしましょう」
「わーっダメダメダメダメーっ」
二人がいつものように騒々しい漫才をやっていると、草ぼうぼうの路地裏から一台の自動車がゆっくり進んできた。
しかし、なにか違和感がある。
見たことも聞いたこともないロゴと名前がついた車。
おそらく二百年後の車なのだろう。デザインもなんだか奇抜というか珍妙というか、理解しがたい。
まあそれはいい。問題なのは運転手が中にいないことだ。運転する者がいないのに車はゆっくりとした徐行運転で僕たちに近づいてくる。
僕がいぶかしんでいると、岡持さんが何事もないかのように平然と口を開く。
「喧嘩はそのくらいにして、早く行こう。ミドリコ、運転を頼む」
彼がハウンドをトランクに押し込みながらそう言うと、車のドアがプシュッと音を立てて縦に開いた。前列右側の座席に座ると、ドアは閉じる。
自動ドアだ。まあそのくらいはあっても不思議はないか。
むしろミドリコに運転しろと言っておいて運転席に座ってしまった彼の思惑にとまどってしまう。
もしかしてツッコミ待ちなのか? それとも左ハンドルか?
僕も恐る恐る車に近づいてみると、ドアは自動で開いた。
うーん、縦開きのドアって横転した時、脱出できなくなるって聞いたけど、その辺はどうなっているんだろうな。
まあいいか。
何となく僕は先ほどと同じく助手席に座る。ハンドルがないから左座席は助手席だと思った。
ところが隣にいる岡持さんの前にもハンドルがない。
「あれハンドル……?」
「ああ、この時代の車って、運転席というものはもう無いんだよ」
「へっ!?」
岡持さんは指先で自分の頭をツンツンと突いた。
「俺たちは体内にごく小さなコンピューターを飼っているんだ。NPCっていうんだけど、何の略だったかな、ナノマシンパーソナルコンピューターだったような、違ったかな。わかんね」
「それで運転するんですか。持ってない人はどうするんですか?」
「運転できない。動かない」
身もふたもないことを言う。
「っていうかな、目的地までは自動運転で勝手に行っちまうんだわこの車。ちょっと自分で走らせたいなって時だけ手動で、他は機械まかせでいいんだよ」
「へえー楽ですね」
そんな会話をしていると、葵さんとミドリコも後部座席に乗り込んだ。
「☆市でよろしいですか?」
「ああ、頼む」
ミドリコと岡持さんが短く言葉を交わすと、四人を乗せた自動車は静かに走り出した。☆市とは僕らの住む町だ。
「……静かですね、この車」
エンジン音どころかモーター音すらしない。かなり荒れた道を走行しているのに振動もない。どうやら基本的な性能が恐ろしく高いようだ。
「この車も、星明りとかでずっと走り続けられるんですか?」
「運転中なので話しかけないでいただけませんか?」
「あっ、ごめん!」
反射的にあやまる僕だったが、ミドリコは鼻で笑った。
「冗談です。この程度でわたくしの処理速度は低下したりしません」
「こっ」
この嫌味ロボット!
そもそも運転は車が勝手にするって話だったじゃねーか!
「現在の主運転権はわたくしにありますが、具体的な運転は行っておりません。しかし安全確認は常時行っておりますのでご安心を」
主運転権。また耳慣れない言葉を使われた。副運転権とかもあるのかね。
いい加減新しい言葉を聞かされるのも疲れてきた。
あと何回言われるのだろう。
OTM? OMT? とかいうので違う世界……鏡界? とかいう場所に来て?
そしてこの世界はネオなんとかアメリカに支配されていて?
いま乗っている車はナノコンピューターで操作する燃料いらずの車?
うーん、全然ついていけないぞ、僕。
額に指をあてて頭を整理していると、後部座席の葵さんが気を使ってくれた。
「車酔いした? 音楽でもかけよっか?」
「いや、大丈夫」
葵さんは僕のいう事を聞かず、指を空中でシャカシャカ動かした。
「いや、あの……」
そこに何かがあるんだろうなってのは分かるんだけど、僕、それ見ることも聞くこともできないんだよね。
葵さんは僕を見てニコニコしている。
僕は葵さんを見て苦笑いしている。
「葵、昨日も伝えたはずです。時田悠はNPCを保有しておりません」
「あ、そっか!」
葵さんは昨日と同じことを言った。
「えーっ、いまどきNPCなしなんてありえないっしょ。とちゅうのコンビニで買おう?」
「こ、コンビニ!?」
これにはさすがに驚いた。そんな身近に売っているのか?
ナノマシンっていうくらいだから超小型の精密機械なんじゃないの?
「ダメです」
「ダメだ!」
ミドリコと岡持さんの二人が、同時にダメという。
「危険だからやめようって、会議で決めただろう」
「う~、そうだったっけ~?」
「貴女は居眠りしていたので知らない情報です、葵。大事な決議に不参加だったのは貴女の過失なので、岡持の指示に従うべきです」
葵さんはう~とうなりながら引き下がってしまった。
「あの、そのNPCって、コンビニなんかで売っているんですか?」
「ああ、だけど君は遠慮してくれるか。便利は便利なんだが、リスクのでかい代物なんだ」
「そんなに?」
岡持さんは真剣な表情でうなずいた。
「全身いたるところをコンピューターがめぐっているんだ。頭の中にもいる。普段はひたすら便利な良いものなんだが、警察や軍隊に悪用されるのがとにかく酷くってな」
「警察が悪用、というと電気ショックとでいじめてくるとか」
岡持さんは首を横にふった。
「いや、もっと単純。目の前が真っ暗になって耳も聞こえなくなり、手足の感覚がなくなっちまうんだ。やられた奴はまったく行動できなくなる」
「うわ」
「ちょっと前な、労働改善のデモ行進に参加したことがあってさ、その時おれもやられたんだ。列の前のほうからドミノ倒しみたいに人間がブッ倒れていくんだ。で、俺自身もいきなり真っ暗闇に放りこまれて、何時間もキツイ思いをさせられた。ありゃあ辛いぞ。なんせ考えること以外なにもできなくなるんだ。たぶん刃物で刺されても感じないな、突然スイッチを切られたみたいに意識が飛んでゲームオーバーさ」
自分の身体がどんな状態かわからないってことは、縛られようが刺されようがわからない。
目が覚めたら拷問部屋のイスや処刑台に縛られていて、どうにもならない状態になっているかもしれないってことだ。
「うわ、それは嫌だ」
葵さんたちの見えている景色に興味はあるけれど、そんなひどい機能があるんじゃ怖すぎる。
「でも超べんりなんだけどなあ。頭の中にめっちゃいいスマホが入っているかんじ? 空に画面がうかんで、寝ながらなんでも見れるし? 買い物だって3D映像をさわってぜんぶチェックできるし? おやつだって3D映像を食べればカロリーゼロで、ダイエットも超楽勝だし?」
「それ映像っていわないんじゃ……」
「でも映像なんだよ? さわっている感じがするだけでぜーんぶニセモノなの」
「補足情報をお伝えします。脳内のNPCが電気信号を発し、人の意識に高度な錯覚を与えるということです」
「ふーん……」
まあこれはSF物ではよくある設定なので、わりと想像の範囲内だったよ。
葵さんはまだ僕に言いたりないらしく、何かを操作してから右手のひらを僕の前に出した。
「ここにね、いまシュークリームがあるの。おっきくて甘くていいにおいがするの。食べたらおなかがいっぱいになるの。でもそれはぜんぶ気のせいなの。気のせいだからどれだけ食べても太らないんだよ。いいでしょ!」
「それは確かに」
「でしょ!」
食べ物の乱れで太ったり病気になったりする例なんていくらでもある。
今の話だと酒やタバコ、もしかしたら麻薬なんかも同じように飲んだ気、吸った気になれるかもしれない。
それはすごく便利だ。
お金もかからない、健康に害もない。
「そうやって人の弱みにつけこんで搾取するんだよ」
岡持さんの声色は氷の刃ように冷たく、そして刺々しいものだった。
「奴らが持ってきたものはそりゃ便利さ、楽しいよ。俺たちの時代のものなんてまるで勝負にならない。当たり前だよなあ二百年も先の技術だぜ、比べものになるかっての」
「……なんか、すごく良くない事みたいに言うんですね」
僕には岡持さんの気持ちがよく分らない。新しい技術、新しい道具が手に入れば、人生はどんどん便利で良くなっていくんじゃないのかな。
「良くねえよ、物それ自体はともかく、押し付け方がとにかく良くねえ。奴ら、口では奇麗なことしか言わねえが、俺たちの事なんてなんにも考えちゃあいねえ」
……僕にはまだ彼の言葉がピンとこない。
いったいどんな目にあったら、文明の利器にたいしてこれほど敵対的になってしまうのだろう。
そりゃ突然真っ暗闇の世界に閉じ込められたりするのは、嫌だけどさ。
「ユウ」
「はい?」
「お前、今使っている携帯はスマートホンか?」
「ええ、そうですけど」
僕は何気なく懐のスマホに手をかけた。
「スマホをやめてガラケーに戻す気はあるか?」
「いやあ、それは無いですよ」
昔の携帯電話がスマートホンに勝る点なんて、頑丈さくらいしかないんじゃないかな。
今さら旧型に戻るなんてイヤだ。
「じゃあもっと古く、電話ボックスにテレホンカード差し込んで通話するとか、ポケットベルでアラーム鳴らすだけとかっていう環境になってみたいと思うか」
「いやいやあり得ないです」
何を言っているんだろうこの人。わけがわからないよ。
「そうだな、あり得ないよ」
うんうん。
「あり得ないから俺の働いていた会社はつぶれて、俺は無職になっちまった」
……えっ。
「典型的な町工場の中小企業だったよ、でも以外と良い技術もっててさ、うちでしか作れない部品が最新式のスマホやデジカメに組みまれているんだ、っていうのが小さな自慢だった」
えっと、それはつまり、NPCのせいでスマホが売れなくなっちゃったってこと?
「勝負になんてなるわけねえんだ。どうにもならねえ。性能のすべてにおいて向こうが上で、しかも九百八十円なんてバカみたいな金額でコンビニに売っているんだぜ、ハハッ!」
「えーっ、千円しないの!?」
「しないの! すっげえよな、ハッハッハッハ!」
岡持さんは軽い表情で笑っていた。でも心の中では泣いているような気がした。
「本当はよ、政府の連中が関税やらなんやらで制限かけて自国の産業を保護しなきゃならねえんだ。これ社会の常識な。でも今の政府にゃそんなこと出来やしねえ、いわゆる傀儡政権だからよ」
つまり操り人形。相手の命令に従うだけの存在。
「俺たち二十一世紀の人間は、やつら未来人に搾取されるだけの存在なんだ。やつらは俺たちから搾れるだけ搾り取って、あとはシカトこいて次の鏡界へGOだ。そして次の鏡界っていうのが……」
岡持さんは厳しい表情で僕を指さした。
「お前の住む鏡界なんだぜ、ユウ」
岡持さんの目が怖くて、そして彼が怖い目になっている理由がもっと怖くて、僕は心臓がギュッと苦しくなった。
「な、何もそうと決まったわけじゃ」
「いや決まっている、次じゃなかったとしても、次の次だ。捕獲した『ハウンド』を見たろ、もうすでに『奴らは』お前たちの鏡界に『いる』んだよ」
「……はい」
こっちの鏡界からまぎれ込んできたのではないか、とかいう理屈をのべることはできた。
でもそんなことを言ってみてもはじまらない。
危険な可能性を無視して手遅れになったのでは、あまりにも酷いことになる。
「もうすぐ町につく。俺たちが住む町で、お前たちが住んでいた町だったところだ。まあ、あまり期待しないでいてくれ」
完全に嫌なものに対する言い草だった。





