第二章 四年後は二百年後 ①
その夜、葵さんの事が気になって僕はなかなか眠れなかった。
ベッドの上で悶々とすること数時間。
ようやくうつらうつらと眠気がやって来てくれた頃だ。
ガッシャアアアアン!
天井のガラスが派手に砕け散る音がした。いや、したと思った。
「な、なに!?」
半眠半覚のぼやけた頭をふりながら跳ね起きる。
おかしい、そもそも天井にガラスなんてないぞ。
今のは夢か?
寝る前にも同じ音を聞いたからそんな夢を?
いやそもそもあの音だってどこが割れたのか、それとも割れていないのか……。
うーん、結局何ごと?
こんな風に定まらない思考のまま、僕はベッドの上にいる。
数秒後、僕は部屋の中に二つの影がうずくまっていることに気づいた。
二つの影は同時に立ち上がり、片方が大きなため息をつく。
「ああ~つかれたあ~」
「葵さん!」
影の正体は葵さんとミドリコだった。
「まったくなんでこんなタダばたらきしなきゃなんないのよお」
そう言いながら葵さんは額の汗をぬぐう。かなり激しい運動をしてきたようだ。
「ユウさんシャワーかして~」
「いやそれがもう両親が帰ってきちゃってて……」
「げ、マジで」
時計を見たら深夜四時だった。ちょっとやそっとなら寝ている両親にも気づかれないと思うが、風呂場でシャワーはさすがにまずい。
仕方なく僕が通学カバンに常備しているメンソール系のボディタオルで体を拭いてもらうことにした。男性用だけどしょうがないよね。
「あ~なんかなつかしいにおいがする~ウフフ」
なんだか嬉しそうだ。四年後には無いのか?
葵さんが上着を脱ぎ始めたので、僕はベッドの上で背中を向けて壁を見つめる。
「こっち見ててもいいんだよ~?」
「い、いえお気遣いなく!」
断り方が固すぎたかな。葵さんはクスリと笑った。
「よしっもうオッケーだよ!」
葵さんの服装は元どおりになっていた。
「じゃああたし、帰るね」
意外にも葵さんはそんなことを言って窓ガラスを開けた。ここ二階なんですけど。
「えっ帰っちゃうの?」
葵さんはニヤリと意味深に笑った。
「いっしょにいたい?」
「い、いやそういう意味では、どうぞどうぞ!」
「クスッ、おやすみ!」
笑顔の葵さんは身軽に窓枠を乗り越え、屋根の上に。
しかしミドリコが止めた。
「葵、あなたがサルのように身軽なのは存じておりますが、頭の中までサルにならないでください。明朝七時以降の予定を彼に伝えておりません」
「あ、そっか」
葵さんはクルリとふりかえって、窓枠に両肘をついた。
「あした七時、駅前に、オッケー?」
「お、オッケー」
僕が反射的に了承するのを聞くと、葵さんは雨どいを伝ってあっという間に地上へおりた。
「それでは」
ミドリコも同じルートで地上へ。
帰るって言ったけど、どこに行くんだろう。ひなちゃんの家に入れるわけもないし、またなにかSF的な場所や道具を用意しているのかな。
静かな夜道をゆく二人の背中をながめていると、二人の会話がかすかに聞こえた。
「ミドリコ~どっか安くてねれるとこ、しらな~い? 髪洗いた~い、ご飯たべた~い」
「貴女の惨めな経済状況ですと、個室タイプの漫画喫茶かカプセルホテルが精々でしょう」
「よっしゃーじゃあとりあえず駅前にレッツゴー!」
意気揚々と去ってゆく背中を見て、僕はずっこけそうになった。
普通か、そこは普通なのか。
異次元空間的な場所で休息とか、そういうのは無いのか。
翌朝(といってもろくに時間はたっていない)。
僕はすさまじい眠気と闘いながら家を出た。
夜のうちはあんなに寝付けなかったのに、朝になると眠いのはなぜなのだろう。人間の体は不思議なつくりをしている。
「トータルで三時間も寝てないなあ、たぶん……」
現在午前六時半。こんな時間に家を出るなんて滅多にないことだ。
「七時じゃなくて八時にしてもらえばよかったよ」
昨夜は一刻も早く知りたいと思っていたのに身勝手な話だ。
でも昨日の話の流れでは何時であっても関係なさそうだし、ちょっと失敗したなあという意識はどうしてもわいてくる。
そんな風につまらないことを考えながら歩き続けて二十分。駅前広場についた。
ちょっと早いけど、二人は来ているのだろうか。
「こちらです」
小さく、しかし不思議とよくとおる声で呼ばれた。ミドリコの声だ。
そこには休憩用のイスに腰かけているミドリコと、ミドリコの膝枕で爆睡している葵さんの姿が。
葵さんは幸せそうな寝顔でグーグーいびきをかいていた。
「…………」
「貴方はいま、『自分はこんなに眠いのを我慢してきたのに』と腹を立てましたね?」
「い、いやそんなことないよ!」
「仕方のないことなのです。わたくしの疑似大腿部は人間が睡眠をとるのに適切な弾力と温度に調整されております。葵のような低能メス猿に抗えるはずもないのです」
「そ、そう」
ミドリコって何でもアリだな。これで性格設定さえまともなら最高なのに。
「それで、説明はミドリコがしてくれるの?」
こんな状態の葵さんを無理に起こしたくない。起こしてもまともな説明が聞けるとは思えないしね。
「いえ、予定を変更させていただきます。よろしいですか? よろしいですね?」
「変更?」
「はい、間もなく迎えが到着する予定です」
ふーん、と鼻を鳴らしながら周囲を見わたすと、朝もやの向こうから一台の乗用車がゆっくりとやってきた。
中から背の高い、がっしりとした体格の男が姿を見せる。
「よお久しぶりだな時田悠。俺のことを知っているかい?」
「えっ?」
こんな人知らない。
というかこの人、セリフがおかしくないか?
知り合いなのか初対面なのか、どっちなんだよ?
僕の内心を察したのか、男は苦笑した。
「いやすまん。やっぱり俺の知っているユウとは別人なんだな。俺は岡持研吾だ」
ああ、この人も別の世界からやってきた人なんだな。口ぶりからすると、向こうの僕と友達なのかもしれない。
「乗ってくれ、話は走りながらだ」
僕たちはゆすっても声をかけても起きない葵さんを後部座席に運び入れ、どこかに向って車を走らせた。
ドライバーは岡持という男性。助手席に僕。ミドリコは後部座席で、引き続き葵さんの膝枕を担当する。
「あの、岡持さん」
「んん?」
「向こうの世界の僕と、どういう仲だったんですか?」
「んん、仲ね……」
少し言いよどむ彼。
「ジム仲間だよ。俺が先輩で君が後輩。何度も顔を合わせるたびに挨拶をかわす仲になった」
「ああやっぱり。岡持さん体格良いですもんね」
「ハハッ、君もすぐ同じくらいになれるよ」
岡持さんはさわやかに笑った。
「これからどこへ?」
「うん、場所は○○県の山奥なんだけど、いいかな? 学校は休んでもらうことになってしまうけど」
「まあ仕方ないです」
○○県は昨夜の爆発事件があった場所だ。やはり昨夜の事件と彼らは関係があるらしい。
「口で説明するのもいいけど、やはり実物をその目で見たほうが納得しやすいと思ってね」
「どんなものです?」
「んー」
彼はまた言いよどみ、顔を前に向けたままそっけなく答えた。
「ひと言でいうと、敵の兵器」
ああうん。予想はしていたんだよね、なんとなく。
昨日おこったアレコレを分析したらたぶん誰だってそういう可能性を意識するはずだ。
これから聞かされるのは戦争の話だ。
しかも普通じゃないヤバイ敵と戦っているって話。
 





