スキュラ -エロエロンナ物語-
港湾都市になる前のエロエロンナです。
これが後に大陸有数の都市になるとは、ラーラだって夢にも思ってないでしょうね。
ポワン河は最大幅数キロの大河である。
東の陸路の終点がここであり、グラン王国本土へ入国するには、どうしてもここを渡らねばならないが、防衛の為に大河に橋を架ける事は禁じられているし、現実問題、建設費やら何やらを考えれば、この大河に架橋されるだけの価値は無い。
無論、東西を行き来する砂漠越えの旅人は少ないながら、時には隊商が到着する事もあってそれなりに需要は多いが、定期的に到着する訳でもないので、年間維持費を考えれば架橋は赤字になってしまうだろう。
その東岸にある小村、エロンナ村。
かの村はそんな背景から、東西の岸を結ぶ渡し船を営んでいる。貧しい村の、それが貴重な現金収入だ。
「スキュラが出たんですかぁ?」
海魔に襲われて乗っていたグリューナ号が難破したものの、助け出された私掠船ドライデンでようやく故郷に到着した少女、ラーラが耳にした噂がこれだった。
彼女の生家、船宿の名が《スキュラ亭》と言うだけあって、エロンナ村には古くからこの魔族が住み着いているが、最後に目にしたと言うのは十数年も前の話だ。
「ああ、若い奴が確かめた。幸い遺跡の方に引きこもってるらしいがね」
「困りましたねぇ……。話し合いで何とか出来るといいんですがぁ」
村人の報告に、ラーラが困ったとばかりに嘆く。
「ありゃ、魔族と言うより単なる魔物だろう。話が通じるのか?」
今まで黙っていたブラート船長が横合いから口に出す。
魔族。つまり、概ね人型を模した魔的種族は人語を操り、解するが、魔物は反対に本能のみで生きているので、コミュニケーションが取れないと分別されているからだ。
もっとも、それらの学術的研究はまだまだ未開で未知の点が多い為、余り当てにならないというのが本当の所である。
古妖精族に言わせると「ヒト」も、昔は「サル」に分類されていて、獣扱いだった歴史があった様に。
「やってみなければですけどぉ……。うん、きっと通じますよぉ」
「おいおい……」
スキュラは凶暴な水棲魔族である。美しい女性の上半身を持つが、下半身は触手が絡み合った怪物で、触手の中に数本の蛇の頭を持っている。
主な食べ物は魚介類だと言われているが、時には水辺にいる陸棲の獲物を水中へ引きずり込んで食う。
始末に悪いのは人間も大好物だと言う事。そして数種類の魔法を生まれながら持っている事だ。華奢な見掛けによらずタフで、動きも素早い。
「国に討伐を依頼するのが一番だと思うがな」
「でも今の所、悪さはしてないからなぁ。討伐隊も現状では出してくれるのか……」
船長の意見を認めながらも村人は懐疑的だ。
「ですねぇ。村長さんはどう判断してるんでしょうか。いざとなったら、有志をつのるんでしょうけどもぉ」
西部国境の情勢がきな臭くなっているらしい、程度の噂は辺境のエロンナ村でも届いている。村人の心配は妥当な所だ。
この村には領主は居ない。領主セドナの代理として置かれてるのが村長である。
幸い、船長のブラートが使者として領主へ窮状を訴えてくれるとの話だが、片道三日。それから中央へ届けても、返事が返ってくるのは不確定だ。
東部の小村より、帝国との国境紛争の方が優先されるに決まっているからだ。
「この村に傭兵を傭うお金があるとは思えませんからねぇ」とラーラ。
最後にスキュラが出た時は村の有志を集めて退治をしたそうである。
一応、交渉したが丸きり話が通じなかったからだ。
無論、過去にはそんなスキュラの他にきちんと話が通じる者も居て、その様な個体とは協定を結んで棲み分けをしていた事もある。
問題はそんな個体はほとんど稀と言う事である。
人語を解するスキュラは圧倒的に少ない。これがスキュラを魔族とするか、魔物とするかの論点になっている。
「討伐隊はともかく、確認の為に調査隊を送るのが先決だのう」
寄り合いでの結論がこれだった。
調査隊の一員にラーラが加わっていたのは船長を驚かせたが、本人が真っ先に名乗り出た事。村に若い者が余り居ない(出稼ぎに行っている)事情。
そしてラーラの祖父が賛成した事で、これはあっさりと許可されていた。
「孫が危険な事するのに賛成するんて、何てじいさんだよ」
船長は憤るが、当のラーラは気にしていないらしい。
「大丈夫だって信じてる、おじいちゃんなりの気配りですよぉ」
「あんた、実は武道の達人とか?」
そうは見えないが、一応尋ねてみる。
「いえ、家事には自信がありますけど、そっち方面はからきしですぅ」
「魔法を使えるとか?」
見掛けによらず、意外な奴が魔導士だったりする。
「船宿の娘に何を期待してるんですかぁ。敢えて言うなら……櫂か竿で舟を漕ぐ、ポーリングとかは自信ありますよぉ。お客さんを送迎するのに要りますからぁ」
胸を張られても困るんだがなぁ。と船長は頭を抱える。
とにかく、急遽整えられた調査隊は明日、出発する。
◆ ◆ ◆
エロンナ村は寒村だが。実は面積は多い。
と言うのも、河口にある三角州が村の領域に含まれているからだ。東岸にあるのが本村だが、それ以外に飛び地的に幾つもの三角州。島と言っても良いだろう、が村の耕作地として開拓されている。
「その内の一つに、スキュラが棲み着いたと言う訳か」
ぶっちゃけ領域として含まれる土地は多いのだが、この寒村の村人には手が余るので、村人が容易に行ける土地を優先して開拓し、大半の三角州は手つかずのままなのが現状であった。
「遺跡の島ですねぇ。幸い、あそこは未開拓地ですがぁ」
ブラートの問いに、ラーラはそう答える。
スキュラ調査隊は小さな舟二艘に分乗していた。ブラートが乗る舟の漕ぎ手はラーラ。他に漁師の村人が二人乗っている。
もう一艘にも四人が乗り組む。こちらはブラートの部下であるドライデンの水夫達だ。総計八人。これが今回の調査隊の陣容だ。
「遺跡の島か。と言っても、あそこはいわゆる枯れた遺跡だったな」
大抵の古代遺跡には宝物や遺物が眠っている物だが、枯れた遺跡は既に山師だの冒険者だのに荒らされた遺跡の通称だ。
「はい。とっくの昔に盗掘され、価値ある物は何も残っていないですからねぇ」
「観光する建物すら無い、崩れかかった遺構だからな。まぁ、あっちこっちに穴が空いてて、その水溜まりにスキュラが身を隠すのには絶好な場所だが」
半ば水没し、危険なので村人も近づかない。砂漠の暑い気候を受けて河からの湿気が高く、植物が傍若無人に繁殖している。放棄された島である。
だからスキュラが大人しく遺跡の島のみに居を構えて出てこないと良いのだが、向こうにだって都合はあるだろう。こちらの思惑通りには行くまい。
そうこうする間に、小舟二艘は遺跡の島に到着する。
ポーリングには自信があると言ってただけあって、ラーラの操船は船長の目から見ても合格点だった。
見事に竿を操って、遺跡の島の半ば崩れた岸壁に漕ぎ寄せてると踝まで包んだ長いスカートを翻しながら降りて、舫綱を手早く岸壁のボラードに固縛する。
各人も岸壁に降りて、武器他の装備を整える。なるべく遠くから処理したいので、弓や槍が目立つ。
「密林だな」
船長は呻いた。行く手にはびっしりと植物が茂っている。
遙か以前にもここは訪れた事があるが、状況は更に酷くなっていると感じていた。
「用意完了しました。頭、山刀を持ってきたのは正解でしたね」
「前、200年位昔か……に訪れて以来だが、ここの状況は知ってたからな」
足元は石造りだが草がぼうぼうだ。千年以上前に放棄されただけあって、建物と思しき石造建造物も蔦などに侵食されて、大自然に還りつつあった。
「しかし、前にも増して酷くなってやがる。ここ暫く、誰も草刈りに来てなかったんじゃないか?」
「人手が足りませんよぉ。それにここ、たまに親の目を盗んで子供が来て、スリルを求めて遊び場にするのが関の山ですよぉ」
再利用に備えて最低限の整備は行っていた記憶があるが、それも時が経つにつれて絶えてしまった様だ。これだけ人口が減少したのだから当然と言えるのだが。
「マーダー帝国との第三次大戦当時、ここに砦があって、それなりに賑やかだったんだ」
藪を切り開きながらブラートは語る。
砂漠方面に派遣された帝国の遊撃隊が、魔物を動員してしばしば侵入を掛けてきた事。それを防いでいたのが、エロンナ砦だった。
「聞いた事がありますよぉ。しかし、古老のお話を実際に経験してるなんて、妖精族の方は凄いですねぇ」
「人間の寿命が半世紀として、俺達は十倍は生きるからな。ま、それはそうとして、人口は今の三倍近くあった。と言うか兵を増派された。
しかし、インフラもないのに人数だけ増えて、最初は困った。自給しようにもろくな農地はありゃしない。砦を立てようにも建材が揃わないと散々だった」
話をしながらも道は切り開かれる。
蔦や枝が絡んでいた密林に、遅々とした歩みだが緑の海に一筋の道が作られて行く。
やがて、半ば水没した広場へと到達する。
ポワン河の水が流れ込み、その一部と化した様な光景だが、ここは河ではない。
陥没でもあったのだろう。あちこちに建物の遺構が残ってはいるが、屋根の先だけ残して大部分が水中に没している。
「スキュラがいるとしたら、この辺りだな」
「水の透明度は案外高いですねぇ。奇襲され難いのは助かりますよぉ」
とは言うものの、岸に沿って警戒するのが関の山だ。水辺に入るとか、水棲魔族の領域へ迂闊に足を踏み入れるのは愚かである。
スキュラの姿が確認出来ないので、水辺からやや離れた場所に野営の準備をする。水棲と言っても、相手は陸にも上がれるので油断は禁物だ。
終わった時にはすっかり日は傾いていた。
「闇の中から奇襲してくる可能性もある。焚き火の火を絶やすなよ」
「分かりました」
「うーん、良い土ですねぇ……」
何かに気が付いたラーラはしゃがみ込んだ。お仕着せの長スカートの裾が水溜まりにつかるが気にしていない。
「弓はいつでも使える様にしとけ!」
「案外、ここを使うのも手でしょうか……。伐採が大変ですけどぉ」
船宿の娘は「むぅっ」と唸る。
「って、ラーラ。何をしてるんだ?」
ブラートが声を掛ける。慌ただしく野営の準備に皆が走る中、ラーラは座り込んで何やらぶつぶつと呟いていたからだ。
ラーラは顔を上げると手にしていた土を見せる。
「済みません。農地の事を考えてましたぁ」
「農地?」
「はい。前に香辛料を買う予定だったのは、村で香辛料栽培が出来ないかと考えてたからなんですぅ」
ブラートは黒髪の少女を見下ろした。
ここならば気候的には充分に可能であろうが、何故、王国で香辛料が採れないのかは理由があるからだ。
「確かに高い温度にこの中州でなら、砂漠よりも土が肥えてるのは間違いねぇが、産出国の皇国では香辛料を生のまま輸出してる訳じゃない。これは知ってるな?」
「はい」
輸出先で栽培されたら旨味を失う。だから輸出される香辛料の種には発芽せぬ様な加工を施してある。
香辛料栽培の試みが幾度も行われ、そしてことごとく失敗したのも、王国が死んだ種しか入手出来なかったためだ。
「でも、生きた種を入手出来れば、可能ですよねぇ?」
「そりゃあ、なぁ」
不可能に近いとブラートは思う。あの国の官僚の仕事は緻密で手を抜かない。
建前なのか何なのかは知らないが、目先の利益よりも皇帝が与えてくれる名誉を重んずる連中である。
手続きの煩雑さからお目こぼしにと賄賂を送った者が、皇帝より拝領した仕事を屈辱されたとの理由で、国外追放になる様な国なのだ。
「だから考えたんですよぉ。皇国産の香辛料では駄目だけど、じゃあ、皇国産以外の土地で香辛料を作ってる所はないかって」
「まさか……」
ラーラは微笑んだ。そう言えば、以前グリューナ号で東へ行く際、皇国へ行く途中で降りると言っていた筈だ。
「砂漠を渡るオアシスの一つに、ハダラマ・カン国と言う国があるんですよぉ。人馬族の小国家なんですけどぉ、旅のお客さんから聞いた話では胡椒を栽培してるって耳にしましてねぇ」
「そこから入手するつもりだったのか?」
「はい。幸い、胡椒は内需用で輸出する程の規模はないって聞きましてぇ、ならば、輸出用の特殊加工なんてしてないんじゃないかと当たりを付けたんですよぉ」
話がそこまで進んだ時、水辺の方から激しい水音が聞こえてきた。
水音と共に現れたのは全裸の美女だ。
「出やがったか!」
長い緑髪を振り乱し、大きな胸を揺らして妖艶な雰囲気を漂わせているものの、それは人間じゃなくてスキュラである。
下半身は二本脚の先が、蛇を想起させる鱗付きの触手の塊であったからだ。
ご丁寧に幾つか触手には、蛇の頭が付いていて「しゃあああ」と威嚇の声を上げている。
「え、えーと。こんにちは……。時間的には、こんばんわですかねぇ」
「しゃあっ!」
「もしもーし。私はエロンナ村のラーラと申しますぅ」
「しゃあああああ!」
「見た所、かなりお機嫌が悪そうですが、お話させて頂けませんかぁ?」
「しゃあ、しゃぁぁぁぁ」
会話を試みるが、梨の礫である。
「困りましたねぇ。蛇頭しか喋ってくれません。
本体の綺麗な頭の方は飾りなんですかねぇ?」
お手上げという表情でブラートの方を向くラーラ。
船長の方はと言うと、仲間共々、既に武器を構えている。そんな敵対行動を見てか、スキュラはますます猛り狂っている様子だ。
「馬鹿っ、スキュラから目を離すな!」
熊や狼と言った肉食系の動物から視線を離すと、攻撃のチャンスと捉えて飛びかかってくる。それと同じだ。
船長の叫びも虚しく、スキュラは水辺から上陸すると、絡み合った触手をうねうねと動かしながら一気に迫ってくる!
「ひぇぇぇ」
船宿の看板娘は悲鳴を上げながら後退するが、スキュラ唱えた魔法に身をさらされる。
氷の礫を飛ばす物で、かなり危険な攻撃魔法だ。
とっさに顔を庇ったラーラに礫が命中する。
あ、死んだなとブラートが直感するが……。
「痛い、痛い!」
長いスカートが貫通され、白いエプロンと濃い緑の布地が千切れ飛んだ。それだけで済んだ。ラーラは涙を浮かべながらびっこを引いて駆け抜ける。
ブラート配下の者が槍を構え、猟師達が弓を放ち、数本の矢はスキュラに命中するが勢いは止まらない。
「ううっ、酷い目に遭いましたぁ。このお仕着せ、結構気に入ってたんですよぉ!」
「痛い程度で済む方がビックリだよ」
槍を構えた船長が叫ぶ。
一瞬後、スキュラがその穂先に到達。勢いを殺さずに来た事が仇となり、ぶっすりと触手に突き刺さる。
「ぐぎゃぁぁぁ」と、スキュラは初めて人頭で悲鳴を上げた。
動きが止まった所で、他の者も攻撃に入る。血を流しながら、スキュラはずるずると後退しようとするが、既に退路は槍持ちの私掠船員に塞がれていた。
「降伏なさった方が良いですよぉ。言葉分かりませんかぁ?」
「止めろ、既に話し合いで済む段階は過ぎてるぜ」
「でもぉ」
彼女は言いよどむ。その間にもスキュラは傷付き、やがて力が尽きた様にどぅと倒れた。
絡み合った触手がひくひくと痙攣し、上半身の女は「うう」と呻きつつ、苦しげに荒い息を吐いている。
「頭、やりましたね」
興奮気味に部下が叫ぶ。
「……まだ完全に死んじゃいねぇ。油断するなよ」
「させない……。殺させない」
部下に注意を払う様に指示していたブラートの耳に、か細いが怨嗟の声が混じる。
スキュラだった。明確な現代標準語を口にしていた。
ブラートは『こいつ、喋れるのか』と視線をちらと走らせる。
「何で……最初から喋ってくれないんですかぁ!」
「近づくんじゃねぇ」
ラーラの怒声。
ブラートは駆け寄りそうになってた彼女の肩をがっしりと掴む。死にかけとは言え、突然、蛇頭でがぶりとかの最後の反撃の危険がある。
確か、あの牙には毒がある可能性が否めない。
中には無毒なスキュラもいるが、命を賭けてのチャレンジではあるまい。
「あたしの……こ、ども」
その一言が最後の言葉であった。背をのけぞって大きく痙攣するとスキュラはかっと目を見開いて絶命する。
完全に死んだのを確かめた後、スキュラの遺体は荼毘に付された。
◆ ◆ ◆
スキュラの遺体を荼毘に付すと時刻は夜半を回っていた。
魔物だろうが、遺体は火葬にするのが王国をはじめとするエルダ世界の常識だ。遺体を放置すると不死怪物になるからである。
始末を終えてブラートがテントに入ると、ラーラがお茶を沸かして待っていた。
「ご苦労様ですぅ。悲しい行き違いでしたねぇ。あたしがあの時、視線を外さなければ……」
「悪い事はしたが、殺らなければ、こっちが殺されてた」
「船長を非難はしませんよぉ。ただ、もう少し早く気が付いてあげるべきでしたねぇ」
ラーラは本当に悔やんでいた。
「まぁ、終わった事だ。明日は早朝から出かける事になるから、早く眠れよ」
「……スキュラの子供捜しですねぇ?」
ブラートは頷く。断末魔の言葉から、スキュラは自分の子供を守る為に襲ってきたと調査隊は判断していた。放置する事は出来ない。
「早めに発見して始末しなきゃな」
「えー、可哀想ですよぉ。子供に罪はありません!」
「しかし、なぁ」
「しかしも、お菓子もありません。あたしは猛反対ですぅ!」
その言葉を耳にした途端、ラーラは焦った様に言葉を紡いだ。
必死だった。普段ののんびり屋からは想像も付かない必死さで、船長に命の尊さを説き、猛反対する。
「そこまで必死なのは……。何か理由でもあるのか?」
ブラートはその反論を聞き流していたが、やがて宿屋の娘に命乞いの理由を尋ねた。
「あたしのお母さんは、行方不明なんですぅ」
「……それで孤児になったスキュラに、自分を投影したって話か」
「それもあります。でも、それだけじゃないんですぅ」
ラーラはそう言ってスカートの紐を緩めた。
繕ったばかりの緑の布地のお仕着せが、ばさりと足元へ落ちる。
「あたしのお母さんはスキュラなんですぅ」
「お……まえ」
スキュラが母と言うなら、子もスキュラである。
そも、スキュラは、いや、スキュラ限らず女性型の魔族は女性しか産まれない。では繁殖するのにどうするかと言えば、ヒトや亜人の男を捕らえて精を搾り取るのである。
目の前の娘。下着から伸びる股の下には脚がある。しかし、膝から下は枝分かれして絡み合った白い触手の群れだ。蛇の頭も数本見えている。
「あ……あんまり見ないで下さいねぇ……」
「あ、すまん。しかし、何でずっと裾をこする長いスカートを、あんたが穿いていたのか理解したぜ」
他の種族の男と性交する為に、スキュラの下腹部にはちゃんと女性器がある。
と言ってもラーラは下着を履いてるが、サイドで留めるひもパンなのはスキュラの身体上、下から履くのが困難なせいだろう。
ラーラは恥ずかしがりながら、再びスカートを元通りに履き直した。
「そもそも調査隊に加わったのは、そのスキュラがお母さんじゃ無いかと考えたから。実際は違ってましたけどぉ」
母。名をローラと言うらしい、は自分と同じ黒髪であると聞いている。しかし、先刻、火葬にしたスキュラの髪の毛は淡い緑髪だったから、別人だろう。
「ほぉ。で、父親は?」
「お父さんはヘンリーと言う名で祖父の息子ですぅ」
「食われたのか?」
スキュラは男を魅了すると繁殖用に精を搾り、用済みとなった男は、子を産むための栄養として頭から食ってしまうと流布されている。カマキリや蜘蛛の雌と同じだ。
ラーラは否定した。お父さんとお母さんは相思相愛で夫婦仲も良かったと。
「村の人達とも仲が良かったんですよぉ。でもぉ……」
しかし、ラーラが生まれた直後、別のスキュラがエロンナ村に現れて非道を働き、その対応で父は死亡。母もそのスキュラに重傷を負わされて何処かへ去ったらしい。
ラーラを村人に託して。
残された遺児は船宿を経営する祖父に育てられ、そして人と交じって暮らした魔族娘は立派な村人になって現在に至る。
「魔族だってきちんと育てれば、あたしみたいな子になれるんですぅ。だから、どうか子供が見つかったら殺さないでくださぁい!」
「そりゃ出来かねるな」
当然の答えだ。将来の禍根は断つ。それが数百年生きてきた彼の流儀だからだ。
「お願いします。お願いしますぅ」
船長はふうとため息をついた。
「子供がどれくらい成長してるか……だな」
「え?」
「赤子なら見込みがあるって事だ。ラーラもじいちゃんに育てられたって時期は、恐らく何も知らない赤ん坊の頃だろう?」
彼女がこくりと頷くのを確認して、船長は続けた。
「だがな。スキュラがある程度成長していたら、もう思考は魔族その物だ。ヒト社会のモラルなんて物は受付ねぇ。その時は殺すしかない」
これが妥協点である。
ヒトを獲物としか認識していないなら、放置したら世の中の為にならない。駆除するしかないのだ。
「その際は致し方ありません……」
「良いのか?」
「あたしだってエロンナ村の住人ですよぉ。村人の脅威になるのなら……仕方が……」
言葉が途中で消えた。そしてラーラが涙を堪えているのが分かった。
「あたしは、いつか、亜人にすら劣る扱いを受けてる魔族を、受け入れられる世の中を作りたいんですよぉ。そのために仲間を増やしたいんですぅ」
「現状を変えるのは無理とは言わねぇが、それは茨の道になるぜ」
理想を語るのは容易い。だが、それを実現させるのは別だ。
その思想に、当事者である魔族自身が共感するとは限らないからだ。強大な力を持つ魔族の中には、ヒトや亜人を下等生物だと蔑む者だって多い。
ブラート自身が経験をしている事実だ。
「それでも!」
「まぁ、ラーラの決意は分かった。もう寝ろ」
わざと突き放すような言い方で告げると、暫く沈黙した後、彼女は一礼してテントを出て行った。
「ふう」
改めてブラートは床机に身体を委ねて目を閉じる。ポーカーフェイスで乗り切ったが、ラーラが魔族であるとの衝撃は大きい。
改めて思えば、グリューナ号の沈没からドライデンまでの距離を、あの短時間で泳ぎ切ったのも、彼女がスキュラだったからなのだろうと思い当たる。
スキュラの氷礫を食らった時も、魔族の魔的防御力が高いせいで「痛い」程度で済んだのだろう。普通、あんな魔法食らえば一般人はお陀仏だ。
「さて、参ったな。俺は魔族に対して悪感情しか持ってねぇ」
数百年生きてきたが、今回の様なケースは初めてだ。
特にスキュラ、サッキュバス、アラクネーと言った魅了する女性型魔族。どいつもこいつも敵として相対して来た。ラーラの様な友好的な魔族は皆無である。
「良い娘なんだがな……」
ぽりぽりと頭を掻く。
ちょっとトロいし、世の中、善意を信じすぎているきらいはあるが、厨房を預かった際の仕事ぶりも気に入っていたし、今までの態度だって演技では無かろう。
そして村の為に、果たせるかどうか分からぬ冒険まで買って出ている。種を求めて砂漠の国まで赴くなんて、一介の村人じゃ考えつかない博打だ。
悪い娘じゃない。
その晩、ブラートは長考に沈んだのであった。
◆ ◆ ◆
《スキュラ亭》はエロンナ村唯一宿泊施設だ。
村でも珍しい二階建ての威容を誇る。
まぁ、大きさは都会にある宿屋と比べるべきもない。それでも部屋数は三十を超え、最大百名程度の宿泊客が泊められる様になっているのは、たまに来る隊商用なのだろう。
その船宿の看板娘ラーラ・ポーカムは、祖父であるロベルト・ポーカムとドライデンの船長ブラート共に、居間で一つの揺りかごを囲んでいた。
「この赤ちゃんの為に気が立ってたんですねぇ」
揺りかごの中身はスキュラの赤子であった。
夜が明けて周囲を探索すると、調査隊の一行は水辺に作られたスキュラの巣を発見した。
水草と枯れ枝で編まれ、周囲からは見えない様にカムフラされている。その中で生まれたばかりのスキュラの幼体がすやすや寝ていたのである。
「赤ん坊なら、殺さないが約束だったからな」
「名前は何にしましょうかねぇ。セーラ。うん、セーラがいいですねぇ。おじいちゃんはどう思いますかぁ?」
ラーラの視線の先には祖父のロベルト。杖を手にした枯れ枝のような老人がいた。
その眼光は鋭く、腰は曲がっていない。
「お前に任せる。任せたからには、世話はお前がやるんじゃぞ」
「はぁい。許可取れて良かったですねぇ。セーラ」
そんな孫娘を祖父は優しく見守る。
しかし、問題はこの赤子なのである。
発見された時点で殺されていてもおかしくなかったのだが、同行していた村人達は意外にも赤子を殺さずに保護する事に賛成だった。
ラーラと言う前例があった為らしい。そして約束していた船長もこれに同意して、ここまで連れて来たという訳だ。
育英が《スキュラ亭》に一任されたのも、ラーラの存在があった為だろう。ラーラ自身も妹が出来たと喜んでおり、自分で育てる気、満々である。
「うま……うま、うま、ほぎゃ、ほぎゃあ」
「あ、あれ? はいはいミルクですねぇ。沸かして来ますらねぇ」
目を覚ました赤ん坊が泣き出すのを見て、とっさに空腹だと判断したラーラが動く。宿屋での経験から、赤子の世話には慣れているらしい。
彼女と赤子が部屋に居なくなってから、ブラートが口を開く。
「で、どうするよ?」
「二回目じゃからな。孫と違って赤の他人じゃが……」
「やっぱり、あの話は本当だったのか」
「……何処まで聞いておる?」
枯れ木の様な体躯の老人がぎろりと睨む。
「ラーラの願いか。それとも、あんたの孫娘の正体か?」
「後者じゃよ。孫は何処まだ話したのじゃ」
「今回のスキュラ騒動が、あの娘にとって母親探しだってのは聞いたのは昨晩だったな」
スキュラを殺してしまった晩、ラーラは自分のせいだとして思い悩んだ。そして船長のテントで何故、自分が調査に加わったのかを説明したのだ。
「自分はスキュラで、お母さんを探したいからと言ってたな。
しかし、あんたもよく魔族を育てたもんだぜ」
「あれが息子の精を受けて生まれたのは確かじゃからな。血縁上ではスキュラと言っても孫には変わりない」
息子のヘンリーがローラを嫁として連れてきた時には困惑した。魅了の術に掛かって騙されているのだと思った。
実際、最初はそうだったのだが、ローラはなかなか情愛が深い女性で、付き合って行く内に愛情に変化したのである。彼女自身が〝ヒトに飼われていた〟変わり者であったのも幸いしたらしい。
「飼われていた?」
「本当か、嘘か分からんがな」
貴族の館に住んでいた。何処の貴族なのかは口をつぐんで答えなかったが、ローラの母は捕らえられて監禁され、散々弄ばれた挙げ句に死亡した。
その貴族は異種姦を趣味とする変態だったらしい。その際、生まれた娘がローラであり、信じられないが貴族の娘としての教育を受けた。
だが、それは父親がローラを愛していた訳ではなく、暗殺者として道具に使う為だったと言うが、計画は途中でその貴族家が取り潰しになった事で破綻し、ローラはそのどさくさに紛れて脱走した。
「真偽は謎じゃよ。調べる余裕も手段もわしらにはない」
「だろうな。そいつの所属が王国なのか帝国なのかも、はっきりしねぇだろうし」
しかし、自分なら調べる事は可能だろう。と船長は内心思っている。それがラーラにとって良い事なのか、悪い事なのかは疑問であるが。
「そんな訳で紆余曲折あったが、流れ流れてローラは村に住み始めた。息子と結婚して宿の名も《スキュラ亭》に改名した。良く働いたし、村の皆も祝福してくれた」
魔族は高位になる程、受胎確率が低いと言われる。
これは世界にとって幸いだと言われている。そりゃそうだ。魔将クラス魔族が簡単にぽんぽん生まれたら、この世の地獄。たまったものではない。
スキュラも中位魔族。だから受胎は難しい部類に入るのだが、結婚してから二年。彼女は待望の子供を妊娠し、産み落とす。ラーラの誕生だ。
そんな中、ある事件が起こる。ローラとは別のスキュラが村の沿岸に現れて、その治安を脅かし始めたからだ。
「あんたの息子が死んだって事件だな」
「ヘンリーはローラに慣れすぎていた。スキュラが魔族であって、ローラは特別なスキュラであると言うのを忘れていたんじゃ」
新しく現れたスキュラ。
それはローラに比較すれば、一般的なスキュラだったと言えるだろう。
人語で他者と交渉も出来たが、より野性的で感情と本能のまま動いていた。
人を見下し、自分の圧倒的な力に優越感を持つ魔族だった。
大抵の魔族は己より強いか、弱いかの上下関係で動くのが基本だ。より強者には媚びへつらい、弱者には強権を発動し、支配するか一顧だにせずに殺す。
だから、新しく現れたスキュラも村人を従える支配者として傲慢な要求を口にした。
「お前達を保護してやる代償に、定期的に生贄を寄越せ。とな」
「やりそうな要求だぜ」
船長は魔族退治の経験もそこそこある。辺境の村ではこの手のトラブルが多い。
中には東の皇国みたいに、棲み分けの境界線だけ設定して平和的に共存しているマーメイド(人魚)の例だってあるが、そんな事例は圧倒的に少数派である。
大抵は無理難題を押しつけてくるのだ。
しかも、彼女らはその要求が妥当な物だと認識している。
「交渉に当たったのは息子だった。何しろ、スキュラと結婚しているのだから慣れているとの理由でな。
ローラは自分が行くと言い張ったが、ラーラを産んだばかりで大事を取って行かせなかった」
それでもスキュラが要求する生贄が家畜の類いならまだ妥協も出来た。
牛馬はさすがに無理だし、鶏でも貧しいエロンナ村では痛い出費であるのだが、調達出来ぬ訳でも無い。
しかし、スキュラが要求したのは人間であったのだ。
「息子は当然却下したが、その答えは死だった。ふんと鼻息を鳴らした次の瞬間、蛇の頭が息子を襲った。猛毒にやられて即死だったよ」
「ラーラの話だとローラがその後、出て行ってスキュラと戦ったらしいな」
「ああ……。悲壮な覚悟でわしにラーラを託してな。その後の話はわしが直接目にした訳ではない」
ローラと村人達はそのスキュラと戦った。産後で万全な状態ではないローラと戦闘のプロではない村人達では、スキュラ相手に状況は圧倒的に不利である。
特に敵は魔法を駆使する強敵だった。スキュラの魔法は魅了以外は後天的に覚える物が主であり、幼少時に母を亡くしていたローラは強力な攻撃魔法を覚える機会が無かったのだ(これはラーラも同じ)。
「結果は相打ち。敵を倒したがローラもまた、相手と共に水面へ沈んだらしい。
もっともラーラには『重傷を負ってそのまま姿を消した』と言ってあるが、状況から見て生存してる可能性は低いじゃろう」
「この村の住人が魔族のラーラを受け入れてるのは、その恩義の為なんだな」
「それもあるが、最大の理由はあれ自身の魅力じゃな。さすが、わしの孫だけあって皆に好かれておる」
単なる孫びいきだ。だが、それは本当の事だろう。魅力と言ってもスキュラの魅了技を使ってる訳ではあるまい。
と厨房に通じる扉が開き、赤子を連れたラーラが戻って来た。
「どうじゃ?」
「一杯飲んでおねむですねぇ。はぁ、でもどうしましょう」
「何がだ」
彼女はゆりかごを床に置くと、前々から企ててる香辛料計画を話し出した。
自分はエロンナ村から動けなくなってしまったからだ。少なくともセーラのおむつが取れるまでは(おむつはしてないけど)。
「セーラが物心つく頃になったら、砂漠の国に赴きたいですねぇ。四、五年位、先になるんでしょうかぁ」
「軍資金が貯まるまでの期間と考えりゃ、丁度良いんじゃないか?」
先の沈没事故で購入資金は全て失われている。ラーラが宿屋で働いてる給金がどの程度かは知らないが、まともに考えれば年単位は必要だろう。
「ですねぇ。おじいちゃんから借りるのも心苦しいですしぃ」
「そも、どうしてあんな大それた事を思いついたんだ?」
「そりゃ、ここが貧しい村だからですよぉ。ここに何か特産品が……いえ、干物があると言えばあるんですがぁ」
エロンナ村の特産は漁で揚がった魚を使った干物である。でも、大抵の漁師村ならこれはやっている。
ラーラは自分の生まれ育った故郷が好きだった。だから村を栄えさせてくれる他所と重ならない、本当の意味での特産品が欲しいのが切なる願いだった。
「セドナに口添えしてみるか」
「え……それって、領主様ですかぁ」
ブラートは「ああ」と肯定する。
当然だが、ラーラは領主に謁見した事はなく、肖像画で顔を知るのみだ。
「この計画はこの寒村を繁栄させるいい策だと思ってる。ここもルローラ領なのには間違いねぇからな。何等かの援助をして下さるのを期待しようぜ」
「はいっ」
後日、この計画はセドナの興味を引き、資金援助が行われるのだが、それはそれで別の話となる。
<FIN>
ラーラの父は『超時〇世紀』で海蹴りに乗っていたエースパイロットがモデル。熱血漢で角刈り、その上、ギジ○の声で喋る(笑)。
あっけなく死んでしまうのもそのせいだったり……。ラーラの祖父はその上司。