満天の星空
人の意識、魂と呼ばれる情報は0と1の集合体に変換されてもなお、宇宙開拓がいくら進んでもその星空の端が見えてこない様に、その全てを解明できているわけではない。
脳科学分野ではなく、哲学的問題に踏み込む人間の非合理、不条理さの原理が、どんなAIにも、そして人間自身にも解明できなかったのである。
文字列では解析できない魂の行動。その魂に最も近く、壁が薄い場所を深層領域と呼ぶ。
そこはプラグラムされていない精神の領域、その人間の仮面を取り払った場所とも、最後のプライベートエリアとも表現されるその人間を現す空間によって構成されており、此処に干渉することにより、トラウマの解消、停止したスタックへの強制覚醒、そして洗脳まで様々な干渉が可能となる。
スタックの内部神経領域によって仮想現実化されていると言われているが、実際の所は誰にも分からない。スタックさえも元とはいえ「地球製」なのだから。
そしてミリアの人格データが流れ着いた諸星の深層領域は、まるで星の無い宇宙の様だった。
深層領域は人によってその形を変え、一つとして同じものはないと言われているが、ここまで何もない「無」が広がっているとなると、その人間の人格形成を疑う余地しかないが、マリアはこの深層領域の持ち主の性格を知っていた。
「モロボシ様……?」
ミリアが呟くように諸星を呼んだ。
ここは彼の深層領域、彼の心自身となるアバターがいるはずなのだ。
「邪魔をしないで」
しかし、帰ってきたのは諸星の声ではなく、小さな女の子の声であった。ミリアが振り向くと、そこには痩せた長い黒髪の少女がいた。
アジア系民族の顔をしており、諸星との会話から地球の日本と言う東洋の生まれだと聞いていたミリアがこの少女が諸星なのかと一瞬思いこむが、記録の中で彼自身は男だと良く主張していたことからその可能性を否定する。
魂一つに対して深層領域において心を現すアバターは一体と言うのが基本原則のはずだ。では彼女は誰なのか?
だがミリアはそれを聞く前に彼女の後ろで蹲りながら、呻くように何かを呟いている少年を見つけた。
「ごめんなさい……僕が……僕が……」
「モロボシ様」
少年の声、義体との形こそ一致しないが、彼が諸星の心、アバターであるに違いない。
アンドロイドに予感や確信はなく、データからの分析による可能性でしか物事を計れないとされているが、今マリアは確信めいた予感を持って彼へと近づいていく。
「モロボシ様、帰りましょう。みんな貴方が目覚めるのを待っています」
「邪魔を、しないで」
そのミリアの前をふさぐよう少女が立ちはだかった。両手を広げ、その眼は敵意に満ちている。
「お通しください、あなたが何者で、何故彼の深層領域に存在しているかは存じませんが。彼は目覚めなければならないのです、彼が此処で生きていくために」
「駄目、これは罰なの。私達を置いて行ったお兄ちゃんへの罰なの」
「お兄ちゃん……? では貴方はモロボシ様の妹御様ですか? なぜここに、それに罰とは……」
そうしてミリアが近づこうとすると、体に電流が走ったかのように衝撃が襲った。見ると疑似肉体の指先から塵となるようにデータが破壊され、現実のボディさえもダメージを追っている情報がミリアへと伝わる。
攻勢防壁、こちらのハッキングに呼応して侵入者にダメージを与えるセキュリティである。それは深層領域においては、心の拒絶を現し、アンドロイド出会っても現実の体ごと破壊するに十分な壁だ。
「これは罰。お兄ちゃんは此処でずっと苦しまなきゃいけないの、私達を置いて一人だけ生き返った。私達を置いて行った罰なの」
「モロボシ様……! ボディ?」
その様子を伺っていたボディが何かを感づいた様にブレインに情報を伝えた。
深層領域が心その物を映し出す空間であるならば、この妹と名乗る少女もまた諸星が映し出している何かの心象ではないのか。と。
つまり罪の意識のその物が姿形を持って出現しているというのだ。自分は罰せられなければいけないと思い込み、自らありもしない十字架を背負う者。その顕現。
「つまり、貴方は九世紀前の……一人だけ未来で生きているという罪の意識ですね? 自分のせいで傷ついた人間たちを、私を見て爆発した……」
「お、おおお兄ちゃんが悪い、生きてちゃいけなかったの、じぶんひとりりりりりだけぇーーーーー生き返ってはダメだったの」
その言葉を聞いた瞬間、諸星の妹はその目と口から黒い泥を吐き出しながら怨嗟の声を上げた。これが罪の意識と言うのならばこれ以上似合うものもないだろう。足を取り、飲み込み、何も言わせず窒息死させる黒い泥。
だがミリアはその光景にも怯まず、自身の体が削除されていく警告を無視しながら諸星に近づいていく。
直後に行かせまいとその足を泥で出来た手が掴み、憤怒の表情で妹と名乗る罪の具現化が前をふさぐ。
「邪魔をしないで。邪魔をしないで。邪魔をしないで」
「退いてください。死んだ者が生きる者の脚を引っ張るべきではありません、彼を解放しなさい。彼は遠く過去の結果として生きる人間ではなく、続く未来の原因として生きるべき人間です!」
「仮初の命とも言えないプログラムの集合体が、人間ごっこの人形が偉そうに! 、私達を置いて行ったお兄ちゃんの罪は消えることはないの!」
「彼の有りもしない罪にすがってでしか存在できない、命さえ持たない者よ、道を開けなさい! 置き去りにしたのはあなた達の方です、永久なる死から彼一人だけ仲間外れにして。彼がいつこの世界に生まれ出でたいと頼みましたか、罪があるというのならばそれは彼をこの世に引きずり出した者の罪です!」
ミリアは鋭く自分を掴む罪の具現化を睨むと、その手で自分の頭を掴みそのまま引き抜いた。
「彼を返してもらいます!」
すぽんと抜けた頭が掌にのり、ボディはそのまま大きく振りかぶって奥の諸星までブレインを投擲した。
仮想空間とはいえミリアの正確かつ、素早い首投げは、頭部を投げるという事態だれも予測しえない行動もあって、彼女の頭を掴まようとする黒き泥たちをすり抜けて、蹲っているにもかからず諸星の頭に正確にヒットした。
スコンという音が深層領域に響いた。
□
不幸ではなかった、不幸だったのは美空と両親の方だ。
自分が生まれてこなければ、どれだけ両親は美空につきっきりでいられただろうか。自分が生まれず美空だけだったのなら、自分の分のお金だって美空に回せるはずだ。
中学を卒業したら働くと言ったら親から叱られた。そんな心配はするなと言われた。
だから自分は高校を卒業したらせめていい所に就職して美空を支えようと思った。
でも自分はいつの間にか、九世紀以上も未来へ来てしまっていた。美空はどうなっただろうか、両親は、自分はどうなったのだろうか。
自分が憎い、この宇宙で何事もなく生きている自分が許せない。今すぐ家に帰って美空ためにご飯を作りたい、両親が明日着ていく制服の洗濯をしたい、おはようとお休みがいいたい。
何故自分は生きているのだ。のうのうと美空達の辛さも知らずに笑っている自分が赦せない。
そんな思いが僕を泥の中に引きずり込む。でもいい、此処が僕の居場所なのだ、一生ここで命無く公開していくのだ。
「それは違います」
ふと、自分の真上から声が聞こえて生きた。聞き覚えのある声だ。
声のする方向に頭を向けてみると――
「生きるということはそれだけで賞賛されるものなのよん。とマリー様なら仰るでしょう」
生首がいた。妙に神々しく光を放っており、輝く飛頭蛮とはまさにこのこと。翼が生えていれば天使にも見えるだろうが、それでも感じるのは信仰心より恐怖心であろうことは確かだ。
「ミリアさん? どうして……?」
悲鳴を上げようとした口が、勝手に違う言葉を吐き出した。首だけだが彼女を見ると何故か心が安らぐ。
「迎えに来たのです。さぁ帰りましょう、待っている人達がいます」
「無理ですよ、自分には無理だったんです。一人だけのうのうと生きて、過去でも未来でも迷惑をかけて……自分がいるせいでみんな傷ついて、ミリアさんだって……自分は生まれてこなかった方が良かったんです」
なぜか彼女を前にすると普段口にすることもない話をすらすらと喋ってしまう。彼女が首だけだからだろうか、それともこの不思議な暗い空間だからだろうか。ここは星の無い宇宙の様だ。
「いいえ、生まれてこなかった方がいい人間なんていないと私は思考します。それがどんな聖人になって人を救おうがどんな悪人になって人を害そうが……」
そういって彼女は少しだけ微笑んだ。
「私達は目的を持って作られます、あなた達を助ける道具として。貴方達は違う、勝手に産み落とされ価値も意味もないまま生まれてくる」
最初、僕は彼女がなにを言いたいのか分からなかった。
だが彼女の笑みは自分の何もかもを肯定してくれるようで、それはこの光の無い宇宙で輝くたった一つの恒星の様で、僕を照らしてくれている。
「だからこそ、生れ落ちてから人は未来に意味を探すんだと思います」
彼女はつづけた。
「モロボシ様、貴方ももう少し我儘で、自分勝手に、傍若無人に過ごしてもいいのだと思います。イヴ様のように……イヴ様は少し程度が過ぎますが、過去を少しばかり投げ捨ててみたらいかがでしょう」
「家族の事を、美空の事を忘れろって言うんですか?」
出来る事ではない、忘れさせないと、泥たちが僕の体をより深く沈める様にまとわりついた。
そんなことはできない、家族を忘れるなんて――
「いいえ、ですが貴方様は背負わなくていいものまで背負い過ぎているのです。戻れない過去に後悔して未来を楽しめないなんて、もったいないでしょう?」
ふと泥たちが呆気にとられた様に、僕の体を手放した。もったいない、アンドロイドがいう言葉にしてはなんとあやふやな言葉なのだろうか。
「それに、良く言うでしょう。『人間が旅に出るときは、何もかも失った時が一番』だと」
「それは――」
それは自分がこの世界に来たばかりの時にイヴさんから聞いた言葉だった。
何もかも失った時、忘れることなんてできないけど、悩んだってしょうがないと少しだけ前向きに慣れた言葉。
ふと僕の体が浮き始めていることに気付いた。徐々にミリアさんの所まで近づいていくようで、まとわりついていた黒い泥たちは消える様にその姿を消していて、縛り付けるものは何もない。
「私を置いていくの? お兄ちゃん……一緒にいるって言ったのに……」
直ぐ下から美空の泣きじゃくる声が聞こえた。美空じゃないことは分かってる、数百年生きられるほど妹は体は強くない。それでも自分の心が突き刺さるような痛みを覚えるのは確かだ。
「置いてなんか行かないよ」
だから、僕はこう答えることにした。きっとこれは捨てられない荷物だから、きっと何処までいっても僕の心を痛めつけるものなんだろう。でもこれはきっと必要な痛みだ。
「さぁ、手を取って……あぁボディがありませんでした。首を取ってください」
僕がミリアさんの所までたどり着くと、ミリアさんは良く分からない事を言った。首を取るって戦国武将ぐらいしか使わないと思う。
でも言われたとおりにとりあえず首を胸に抱きしめると、徐々に自分の胸の中から温かさが溢れてくる。
「どうして」僕は胸の中のミリアさんに尋ねた「如何して僕にここまでしてくれるんです?」
「どうしてでしょうか」ミリアさんは答えた「AIにはあるまじき解答ですが、きっと、分からないけど一緒にいたいから……なんだと思います」
いつの間にか光も何もなかった空間には、小さな明かりが上からも下からも溢れ出しており、それはまるで満天の星空のように煌いていた。しかもその輝きは徐々に増していき、自分を包み込もうとしている。
宇宙船の中からいつでも見れたのに、見ようとはしなかった。だが、これからは何時だって見れるだろう。
満天の星空の中に僕はいる————
光が溢れた。