サイコダイヴ
「お兄ちゃん」
「うん……?」
か細い妹の声によって諸星は目を覚ました。
ぼやける視界をこすって顔を上げてみると、妹である美空がベットから上半身だけ起こし、心配そうに兄を見下ろしている。
諸星の方はベットの方に頭だけ乗せて眠ってしまっていた様であり、立ち上がってみると足が冷たくしびれてしまっていた。
「ごめんなさい、疲れてたんでしょ? でも風邪引く前に起こした方がいいと思って……」
そう言って何処か申し訳なさそうな顔をする美空に、諸星は頭を撫でながら優しく微笑んだ。兄としての笑顔だ。
美空は日々を兄に頼るしかないためか、何をするにも兄の光に対しては遠慮気味になってしまっていた。
「ありがとう、何か凄い夢見てた様な気がする……」
「凄い夢?」
「おっ、聞きたい?」
一日たりとも聞かないことはないのに酷く懐かしく聞こえる妹の声に笑いながら、諸星は明確に覚えている壮大な夢の話を妹に聞かせた。
宇宙があり、星があり、スペースオカマが率いる宇宙船の一員になったんだよ、首が落ちるアンドロイドとデートしたんだよ……もちろんちょっと難しくて大人っぽい話は抜きにして。
「なにそれ、可笑しいんだ」
美空はその話を聞いてからくすくすと笑った。妹の笑顔を久しぶりに見た気がする諸星は此処が自分の家なんだと改めて感じる、父がいて母がいて、そして美空がいる。空があり、太陽があり、月がある……
「我ながら凄い夢だった……美空も連れて行きたかったよ」
「宇宙かぁ……いいな、私も行けるかな?」
「行ける、何なら連れてってやるよ。美空の病気が治る頃には宇宙旅行だって出来てるさ!」
「うん……ねぇお兄ちゃん……」
それが自分でも叶わぬ願いだと分かっているのか、美空は頭を毛布へとうずめながら兄の手を握り、静かに尋ねた。
「ずっと、一緒にいてくれる?」
「もちろん」
そんな美空の手を両手で包んで、諸星は微笑む。自分のたった一人だけの妹の願いなら、兄は何でもかなえてやるつもりだった。
「嘘つき」
だが、世界は黒色で塗りつぶされた様にその色を変えた。
美空の温かさもない言葉に諸星が瞬きをした瞬間、壁も床も天井も、窓から見える景色も全てが黒色へと変わっていた。
「えっ————」
諸星が思わず後ずさると、沼に入り込んでしまったかのように体が床に沈み込んでいく。コールタールのように粘り気のある液体は諸星を更に引きずり込もうと、もがく足も体も飲み込んで瞬く間に首を残すのみにしてしまう。
夢だ、夢の続きを自分は見てみるのだ。だが夢とは思えないほどに、リアルだ。まるで宇宙に行った夢のように。
「み、美空――」
「嘘つき!」
美空が憤怒の声と共に顔を上げた。だがそこには既に顔は無い、目があった場所からは二つの大きい穴がぽっかりと空いており、そこからは黒色の液体が不気味に流れ出している。
「一緒にいてくれるって言ったのに! 嘘つき! 一人だけ生きてるなんて、ゴボっうそづぎ! ガボうぞづぎィ! わだじをみずでごぼ、見捨てたんだ!」
唯一人間のものとして残っている口からも怨嗟の声と共に黒い液体が零れ落ちた。
「ち、違う……ちが……」
「嘘つき!」
そうしてついに諸星は顔まで飲み込まれて、暗い闇の中に消えて行った。
□
「マリー! アレを見ろ!」
もう少しで市場と言うところで、突然オードックが驚愕の声色と共に触手を天へと突きあげた。
その先には疑似太陽光と映像の雲しかないはずの空には黒い霧が渦を巻きながら天へと上っている最中であり、その様子を見てマリーはある一つの人間が作り出した災害を思い出させた。
「嘘、あれってもしかして……暴食渦!?」
「んだよソレ! 聞いたことねーぞ!」
走りながらイヴが信じられないものを見る目で空を見上げるが、逆にマリーはイヴを信じられないような目で見つめた。
「ちょっと!? 信じらんないイヴちゃんアンタほんとに勉強してないのねん!」
「知らねーよ! お前らみたいに歳喰ってねーんだ!」
「言い合ってる場合じゃない、あれが本当に暴食渦ならこのセクターは消滅する!」
「はぁ!? 何だよソレ!!」
「地球が生み出した災害の一つだ。大消失の要因の一つ、あの黒い霧に見える一つ一つはナノポッドの集合体でその特性はナノビームによる結合崩壊であり……」
「特性とかじゃなくてさっさと言え!」
「分解よん! 滅茶苦茶小さいロボットの集まりが無機物、有機物問わず無差別に分解して原子レベルに還元するの!! 何もなくなるまで! 五等級の教育プログラムにも記入されてるわよ!」
「んだとぉ!? 滅茶苦茶ヤバイじゃねーか!」
「だからそう言ってんじゃないのん!」
言い合いながら走る間にも黒い霧は空中へと漂ってどんどん渦を巻いている。
何時もは冷静なオードックでさえ、二人を急かす様に触手をぶんぶんと振り回している。セクターの人間達も全員が例外なくパニックになって宇宙港やそれぞれの船へと走っており、空では我先にと飛びだした宇宙船がぶつかり爆発の炎を上げた。
「もっと全速力だ! 早く二人を見つけて離脱しないと死ぬぞ! 真の死だ!」
「おめーは張り付いてるだけだろうが! 先に殺すぞ!」
「冗談で言っているわけではない! 暴食渦の最大の恐怖はスタックに食いつくと、スタックだけじゃなくその情報をハッキングして魂保存装置にあるエゴデータごと遠隔消去してしまうことだ! この意味が分かるだろう!」
早口でまくしたてるオードックの言葉にイヴは今度こそ、その顔を恐怖で青くした。
暴食渦は死でさえも喰らい無に帰す。それこそが「死」が絶対的な物ではなくなったこの世界に対する絶対的な「無」であった。
この宇宙に存在するどんな勇者でさえ怯え、恐怖を感じずにはいられない、彼らが最も遠くしたはずの死が無としてやってくるのだから。
「ここら辺のはずよね! やだっ、これもしかしてクラスターグレネード使ったの? 冗談でしょ……」
「おい、いたぜあそこだ! ミリアがやられている!」
イヴが指差す方向に、ミリアと諸星はいた。
ミリアのボディはは半壊どころか、三分の二壊しており、諸星はそのボディの残った一本の腕に抱かれて呆然としているようであった。
ミリアのブレインは一匹の鴉型の義体に持ち上げられており、マリーたちはその鴉と横に立っている猫に酷く見覚えがあった。
「あんの野郎、猟犬部隊! てめぇらか!」
「あっ、一人で飛び出すんじゃありません!」
それを見たイヴの角が赤く光り、蒸気を噴出させると、一瞬でカラスたちへと跳躍した。踏まれた地面にはひびが入り、およそ細身の少女とは思えぬ脚力はオードックをしてそれ先に使ってもらえればよかったのにと思わせた。
ただそれだけではない、空中で突き出されたイヴの脚は彼女の体内に内蔵されているナノアーマーが起動し、彼女の肌を覆っていくとそれはまるで空から振り下ろされる鋼鉄のハンマーのように破壊力を倍増させる。
「うぉぉ!? イヴはんタンマタンマ!!」
空中から迫りくるイヴの鋼鉄の蹴りに、焦る鴉のリーパーの前に猫のミーヤが機械の腕でそれを受け止める。
だがその衝撃は凄まじく、サイバーアームが根元から千切れるように破壊されると猫は舌打ちしながら銃を構えた。一触即発である。
「ミーヤも止めや! 戦闘する状況やあらへんやろ!」
「賛、成です。イヴ様どうか」
「あぁ? どうなってんだよ?」
両手を上げる代わりにミリアの頭を持ち上げるリーパーにイヴは困惑しながら戦意を沈ませると、ミーヤもまた銃を懐にしまう。
数秒してマリーとオードックも追い付き、タコの医者は素早く飛び降りると虚空を見ながら心を失っている諸星へと近づいていく。
マリーはミリアの方に近づいてその身体を持ち上げた。
「ミリアちゃん、あなたがこんなに……モロボシちゃんを守ったのね。直ぐ新しいのに取り替えてあげるから、記憶領域は大丈夫?」
「少々損傷していますが、ボディに比べれば……それより彼を……」
「一体何が起こったんだ? 彼に何が?」
オードックが諸星のうなじ部分にあるスタック挿入部分に、触手を刺し込みデータを解析しながらその頬を触手でパシパシと叩いていく。
だが諸星はただ
「わ、わからへん! 隊長が一人でやったことや、クラスターは使うし、銃で痛めつけるし……そうしたら兄ちゃんの周りがまるで空間がパリンっていうように割れて……あれって『地球』の技術ちゃうか!?」
「話は後。なるほど、感情の暴走がスタックの処理能力を超えたのか……精神の破壊を免れるための自己防衛ではあるが……ここまでひどいとは……」
「オードック様、どうにかなりま、せんか……きっと、これはわたし、のせいです。モロボシ様が私を破壊させないために……」
「お、おい。じゃあこの暴食渦ってアイツが出したのかよ!?」
「いいから落ち着きなさい。オードック、モロボシちゃんは大丈夫なのよね? なら義体ごと回収して――なに?」
マリーが空に暴食渦の方を見ると、空に渦巻いていた黒い霧たちが弾ける様にして大きな塊に分かれていくと、そこらじゅうを縦横無尽に飛び回っていく。
それはマリーたちの傍にも通り過ぎて行き、並んでいた家々にまとわりつくと、数秒足らずにして家は穴ぼこのチーズのようになり、その後は跡形もなく、そこには家など立っていなかったかのように分解されていった。
「いかん! もう分解が始まっている!」
「ど、どうにかできへんのか!? うわぁ!」
鴉が悲鳴を上げた、自身の電磁銃に霧がまとわりつき、分解していたのだ。
慌ててそれを保っていたベルトごと投げ捨てると、それは空中で全て霧のように消えて行った。
見れば周りは既にほとんど食い尽くされていっており、徐々に地面まで黒い霧がまとわりついている。
「これじゃあ、逃げる前に食われちまうぞ! 何とかなんねぇのか!?」
「分からん! 地球製のテクロノジーを何とかしろというほうが無理だろう!」
「そう怒鳴り合わないの」
マリーが全員を落ち着かせるように二人の頭にデコピンをすると、にこりと微笑んだ。
「こういう時は怒ったらドツボよん。これがモロボシちゃんによって開かれた扉なら閉める方法は必ずあるはず、暴食渦だってテクロノジーですもの」
そういってウィンクするマリーに全員が少しの冷静とおぞましさを取り戻した。厚化粧のせいで若干ホラーであったのだ。
「さっきは走りながら私と言い合ってた奴は誰だよ……」
「それはそれ、これはこれ。オードック、彼のスタックに侵入して強制的に頭の中にもぐりこめないかしら? 連れ戻すのよ、彼を」
「君が良く戦場でやってたアレか……やってみる価値はあるな」
「もしかして有線ハッキングによる深層領域への侵入でっか? 確かに有効かもしれへんが……下手すればこっちが浸食されるで!」
「わ、たしが行きます……」
ミリアが静かに口を開いた。既に機能停止が近いのか、声には濁った様なノイズが混ざっている。
それを聞いてミリアのボディが残った腕が手首から折れて、鋭い針が飛び出すと、諸星の首にゆっくりと挿入する。
「ちょ、ちょっとミリアちゃん。貴方機能停止寸前じゃないの、それでそんな無理したら本当に復元不可能になっちゃうわよ!」
「私のせいですから……どうか私に連れ戻させてください。このままでは彼は心に傷を負ってしまう……優しい彼は自分を責めるでしょう。また彼は一人ぼっちになってしまう……それだけは……」
マリーが止める暇もなく、ミリアが自身のプログラムを構築すると、そのまま目を閉じた。
彼女の疑似感情で構成された人格データが、ボディへと転送されそのまま諸星のスタックの中へと流れ込んでいく。
————彼を、彼を一人にはさせない。
データ化できないその思いと共に。