暴食渦(グラ・スウォーム)
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「じゃあ美空をお願いね」
「お兄ちゃんだからしっかりするんだぞ」
そういって朝早く出ていき、夜遅くに帰ってきては一つ妹に挨拶して泥のように眠る両親の事は九世紀以上の眠りについてもなお諸星の記憶には鮮明に残っていた。
妹、諸星美空の病気は悪魔がその身を戯れに弄んでいるかのようで、薬を飲んでいる間は極度の病弱で済むが、飲まないとその命という導火線に火をつける勢いで塵となっていく。
しかもその薬は高価で、保険さえも降りないいまだ認可されていないものだった。故に両親は必死に生きる妹のために必死に働いた。
兄の光は家から滅多に出られない——入院するお金さえも無かった―妹とそんな両親のために家事を覚えた。友人たちが流行りのゲームや漫画、好きな女子の話をしている横で献立を考えるのが彼の趣味だった。
不幸とは思わなかった、不幸なのは――
□
「————モロボシ様」
聞き覚えのある声に、諸星は白くフラッシュアウトしていた意識を取り戻した。
諸星は土煙のさらされながら地面へと倒れており、どこか強く打ったのか体を動かそうとすると激しい痛みに襲われた。骨が折れているのかもしれない。
周りを見ると、賑やかだった市場はまるで嵐が通っていったかのように凄惨な現場へと姿を変え、客を呼び込むこえや恋人への睦言は全て悲鳴へと変わっている。
商品が散乱し、テントが吹き飛び抉れた道路の破片が建物に突き刺さり、市場の人間もまたその被害を受けていた。呆然と立ち尽くす者もいれば、逃げ惑う者、倒れて動かない恋人の傍でその首からスタックを抜き出す者、誰もが傷つき嘆いている。
九世紀以上が経とうが、地球を離れようが人間というのは突然の悲劇に耐性を持てなかった。
「モロボシ様、ご無事でしたか。よかった、キャリアーに登録してないであろう貴方様はスタックが壊れたら生き返る手段もありませんから……」
「一体何が、ミリアさん? 一体どこに……」何とか上半身だけ起き上がらせながら
「貴方様の、横です」
それは諸星も例外ではなかった、ミリアに視線を向けた諸星が見たのは腕と足が千切れ飛び、体に大きな破片が突き刺さっているボディと顔の右半分が吹き飛んでいる頭部が横たわっている。
人の臓物のように配線と部品が露わになって地面へと流れており、吹き飛んだ顔半分からは時折火花が走っている。
「あ……あ……!」
諸星の喉から悲鳴にもなっていない呻きが漏れた。
すぐさまミリアの元へと足を引きずりながら駆けつけると、そのチューブや見知らぬ部品たちを出来る限り破れた腹部部分に詰め込んで、頭を脇に抱え、胴体を何とか引きずりながら逃げようとする。
「お捨て、ください。狙いは貴方様です」
「放っておけません……! マリーさんやオードックさんがきっと助けに……」
「機能停止の方が早いでしょう。人間のように言えば手遅れです、それに私は後で回収してもらえられば幾らでも修理してもらえるでしょう」
「駄目……だ……!」
きっと襲ってきた奴らは任務遂行上邪魔をしてきたミリアをそのままにしておかないだろうと諸星は確信していた。修理といったってぐちゃぐちゃにされればどうしようもない。こんな惨状を遊びか何かのように引き起こしてきた奴らだ、きっとやる。
「逃げなさい、私は消耗品です。もう十分に人間の真似事は出来ました、あとはアンドロイドとして人間の命を————」
「嫌だ!」
それは諸星の初めての我儘だった。
義体に装着されてからの初めてではなく、彼がこの世に生を受けてから初めての自分の為の我儘だった。
「マリーさんだってきっと悲しむ。後で修理とか回収とかじゃないんだ、ミリアさんは家族なんだ。僕のせいでこれ以上誰が傷つくところを見たくない!」
「モロボシ様……」
「————では貴様はさっさと逃げるべきだったぞ」
冷たい声が響き、土煙の向こうから赤いレーザーが諸星の脚を貫いた。
「あづっ……!?」
「モロボシ様!!」
味わったことのない熱さと痛みが体に伝わり、立つことも叶わず地面に再度倒れる諸星に足音もなく先ほどの狐がハンドレーザーガンを持って近寄ってきた。彼女が着ている軍服もまた所々焦げている。
「誰かが傷つくところを見たくないならさっさと逃げ出すべきだった。貴様のちっぽけな自己満足は貴様のアンドロイドが、貴様のためにその身を犠牲にしたという事実さえ価値のないものにした」
「ぐっあっ……お前……!」
諸星が睨みつける狐の後ろで鴉のリーパーと猫のミーヤも姿を現した。だがリーパーの嘴は狐へと向いている。
「げほげほっ隊長! こんなところでクラスター使うなんてアンタ正気でっか!? ここは中立地帯みたいなもんでっせ、そんなところでこんな……!!」
「許可はされている。我々三匹では親不孝号のデュラハンに勝てる確率は少なかった。良識的に目標を庇ってくれて助かった、私の勘の勝ちだな」
「んなことは聞いてへん! これが上層部に知れたらこっちのスタックが煉獄送りに……」
「その心配はない」
「なんでそこまでして……! 僕を……! 僕に何の価値があるっていうんだ!」
痛みに耐えながら諸星はミリアの頭部を抱き寄せ、精一杯言い放った。
「知らん、リーパーも言っただろうが貴様がどんな過去を持ってどんな人間なのかは知るところではない。ただ私は命令に従っているだけだ」
「戦争、の、火種になるようなことを、してもなお、それを許す、人間がいるのですか?」ミリアがとぎれとぎれに口にした。
「せ、せや! 隊長はワシらに教えてくれへんやったけど、何処の上層部がアンタに市街地でのクラスター使用許可なんかだしたんや! 場合によってはアンタを拘束するで!」
「————————」
表情一つ変えない猫のミーヤでさえも頷く。これは彼らでさえやり過ぎだと思っていた。
何時もの冷静沈着な隊長ならばこんなスマートも芸もない方法はとらないと信じていた、そう信じていた故に誰もその狐が後もないほどに焦っているとは気付かなかった。
「————これは勅命なのだ」
その狐の言葉に全員が、アンドロイドのミリアまでもが絶句した。
勅命という言葉は諸星でも知っている、皇帝が直接下す命令だ。それは皇帝が実質的にはいない諸星の時代では本で見る事しかない言葉であるが、この時代には実際に皇帝が、専制政治を敷いている国があるのだ。
銀河の約五分の二を支配するもっともこの世で勢力の大きい陣営、七百年続く銀河帝国レオンハルト朝。
それはただマリーから教えられていただけの名前であったが、その皇帝がまさか諸星を欲しがっているとは誰が思おうか。いや、誰にも思えない。
「なん、やて……?」
「そういう事だ、本来ならば帝国全土がこぞって貴様を狙う。それが今、この程度が被害が済んでいるのは確保任務が私の部隊だけに下されているからだ」
「この程度……? こんなに人が傷ついて、死んでる人だっているかもしれないのに!?」
「誰が死ぬというんだ?」
キツネは手を広げた。
「見ろ、誰が死んでいる? 手足が千切れ飛んだ奴か、胴体が千切れ飛んだやつか? 誰も死んでいない、スタックが回収され次の日には奴らは違う体となって普通の生活に戻るだけだ、誰も死なん。むしろ喜ぶものもいるだろう、体を新しく出来て」
「それでも記憶には残る!」
「記憶は薄れ、トラウマはいずれ消える。なんなら記憶処理だってある、貴様が言っていることはまるで無意味だ、貴様はなんだ? 何故貴様を皇帝は欲しがる?」
リーパーが皇帝に敬称を付けない隊長に、帝国の誰かが聞いていないか素早く周りを見渡した。十分に不敬罪の一部であるが、狐は気にすることもなく何かを少し考え、ふと顔を上げた。
「貴様は……なるほど、皇帝が欲しがるはずだな。アンドロイドは記録を調べられないようにと徹底的に破壊するつもりだったが……」
ハンドレーザーガンが再度諸星に向かって火を噴いた。光線が諸星の右腕を焼き、1㎝程の穴を開ける。
「————がぁ!?」
「考えが変わった。先に貴様を殺すとする」
「モロボシ様!? なぜ、私を、破壊しな……生け捕りにするためにここまでしたのでは……!」
「な、なにを……隊長はん、アンタ神経障害でも起こってるんか!? 言ってたこととやってることが全く逆やんけ! 撃ってでも止めるで! 命令違反どころではあらへん! 勅命と言ったのはあんたやぞ!」
「撃ちたくば撃て」
隊長と呼ばれているキツネの行動は常軌を逸していた、今まで諸星の義体を殺さぬよう彼を庇うことまで予測してミリアを無力化し、彼をいつでも連れ去れるというのに、今は殺すといって勅命でさえも無視している。
慌てて鴉と猫から銃を向けられるが、なんの動揺もなくキツネの銃は無慈悲に、だがまるで諸星を苦しめる様に致命傷を裂けて何発も撃ち込まれていく。
そのたびに諸星からは絶叫が漏れ、焦げた穴が増えていき、ミリアの悲痛な声が響き、ボディさえも動けない体を手だけで引きずろうとしてる。
そうしてもなお狐を銃を撃つ手を止めようとはしなかった。まるで何かを待っているかのように。
「(痛い……死ぬ、死にたくない……生まれ変わってまた死ぬのか、死にたくない、死にたくない)」
痛みに支配されていく意識の中で諸星は自分の巡りくる運命に恐怖していた。
「(死にたくない、死にたくない……もう生き返りたくない……)」
だがそれは死の恐怖ではなく、生き返ることへの恐怖であった。この世に死は簡単には訪れない、体が死んでもスタックを入れ替えるだけですぐに違う体で人生を続けることができる。
それが諸星には怖かった。一度しかない命と体が何度でもあるこの世界が不可解でたまらなかった。
人間が人間の形をしていようが、鴉が自分を攫いにこようが、猫に銃を向けられようが、その恐怖に比べるとちっぽけな物でしかない。生き返りたくない、自分がこの世に引き戻されたあの不気味な感覚だけは————
「まだか? それともこっちか?」
だがキツネが銃をミリアの頭部に向けた時、恐怖の順位は瞬時に入れ替わった。
恐怖と怒りが混ざった絵具が彼の脳を塗りたくり、赤色の涙が流れる。
「や、め……ろ!」
「来た……」
ガラスの割れる様な音と共に、諸星の周りの空間にひびが入った。
誰もが目を疑った。いかに未来とは言えど、空間干渉は失われた地球の技術でしか不可能とされておりその再現にはもう七世紀かかると言われている。それが今何らかの理由で再現されている、しかもそれはどう考えてもある少年が引き起こしたこととしか考えられなかった。
ただ一人、狐だけが狡猾な笑みを浮かべていた。
「止めろ――!」
瞬間、諸星の叫びと共に、感情が現実にまで侵蝕するように大量の黒い霧が空間から吹き出し、狐を包み込むと空まで駆けあがり、渦を巻いてセクターの疑似太陽光にカーテンを駆ける様に空を覆った。
黒い霧に巻き込まれた狐の姿はもはや何処にもなく、銃だけが空から落ちてきたと思うと周りにまとわりついていた黒い霧によって、まるで見えない虫が銃を食べているかのように見る見るうちに分解され数秒後には塵一つ落とすことなく姿を消した。
「暴食渦……? モロボシ様……?」
雲なんて画像でしかないはずのセクターに暗雲が広がっていく。
ミリアは自身を抱きしめているはずの諸星に目を向けるが、既に本人は気を失っているのかただ視線を天に向けてピクリとも動くことが無かった。
「暴食渦やて……」
リーパーが世界の終わりに立ち会ったかのような絶望の声を出した。無口だったミーヤは銃を地面に落として腰を抜かしている。
二人だけではない、周りにいた人間が、遠くから見ていた人間が、セクターにいるすべてが空を見つめその名前を呟いた。
「死だ」
その中の誰かが呟いた。
「死が私達を食べに来た」