機械的初恋。
「では、モロボシ様にとってはこれが初のブラックホールアイスですね。はい、あーん」
「えっ、ちょっと公衆の面前では恥ずかしいと言うかなんといいますか……」
「おっと首が」
「ほぎゃあーーー!?」
白い冷気を放出している謎の黒いアイスを一つスプーンにすくいながら首を落としたミリアに、諸星は恐怖の絶叫を上げた。
二人は休憩に市場の質素なカフェテリアの丸いテーブルに向かい合う形で座っていた。
案内をするミリアは―時折ミリアがからかってくるものの―諸星にとって良い教師役であった。彼女は諸星にセクターごとの特徴や、市場での平均的物価、メッシュの拡張現実機能に無理やり入ってくる宣伝や映像であるスパムARの排除の仕方。ついでに女性と恋人つなぎで歩く緊張感も。
「疲れていませんか?」
ミリアがその首をボディの膝に乗せたまま、諸星に尋ねた。それを見る通行人の反応は様々で、アンドロイドの商人であれば「あんなのいたなぁ」という顔だが、何も知らない魂年齢が低い真なる意味で子供な人間は泣き叫び母親の元にくっついた。
「いえ、全然。むしろ楽しく勉強させてもらっている気分で……辛っ!? なんでアイスなのに辛いんですかこれっ!?」
自分のスプーンでアイスを口に入れた諸星が一瞬にして顔を赤くした。
ブラックホールアイスは「光も引き込む味」として、話題性だけを目的として作られたアイスであった。よってそのアイスの味はあり得ないほど辛い。
こんなに未来でも人類の基本的に味覚と言うのは変化してはいないとミリアは言うが諸星は時々それが信じられなくなる。こんなに辛いアイスを作れるくらいだ、次はバスタブ一杯の甘さを詰め込んだ唐辛子が出てきても驚かない。
「酷いですよミリアさん……」
「お許しください、ボディがどうしてもと。でも涙に浮かべる姿もキュートですよ」
しれっと嘘とついてボディから頭を叩かれながらも微笑みを浮かべるミリアに涙目を浮かべながらこの人には叶う気がしないな、と諸星は思いながらいつの間にか黒い激辛アイスをもう一すくいして口に入れていた。辛いのだが何故か引き込まれる何かがある、辛いスナック菓子を辛い辛い言いながらも止められないような感覚だ。
「ワオ、モロボシ様は勇者ですね。このアイスを二回以上口に入れる人間は滅多にいないと聞きます」
そう言って珍しくミリアは驚いた様な―ワザとらしく大げさにだが―表情をすると、ボディに首を元に戻す様に指示した。
「はは、何ででしょう……」
「おい、見ろよアレ」
ふとカップルらしき通行人がもの珍しげな面白いものを見たという目でミリアと諸星を見ていた。
「ありゃあアンドロイドだろ? へへっ、あんなのと恋人ごっこなのか?」
「止めなさいよ。人にはいろんな趣味があるんだから」
「アンドロイドもアンドロイドだな、人間の真似っ子なんか止せばいいのによ」
相手がアンドロイドだからだろうか、遠慮なしに好き放題言ってくるカップルに諸星は少しばかり眉を顰めた。あぁいう人間は何時の時代もいるらしい。
「申し訳ありません、席を移動しますか?」
「いえ、ミリアさん!」
席を立とうとするミリアを止めて諸星はスプーンを渡すと、顔を赤くし少しもじもじとしていたが、決心した様に目を開けると
「あーんしてください!」
とはっきりと口にした。
ミリアは一瞬判断エラーが起きた様に目を二、三回ゆっくりと瞬きしたが、ボディが頭を突くとゆっくりと微笑んでスプーンでアイスをすくった。
「では……はい、あーん」
「あ、あーむ……美味しいです」
そのあまりにも堂々とした行動に冷かしていた通行人のカップルも目を丸くしたようだった。
「オイオイオイ、やりやがったぜこの公衆の面前で……奴はマジだ、ハニー俺たちも……」
「いやよ恥ずかしい」
「ハニー!?」
そうして通り過ぎていくカップルを見ながら、二人は「ユニーク」といって笑い合った。
いきなりあーん何て気安すぎたかなと諸星は思ったが、当のミリアは人間と変わらない楽しそうな笑顔であった。
「不思議な人ですね」
そうして暫く経った後、ミリアが不意にそんなことを口にした。
ブラックホールアイスはいまだに溶けることもなく、次に地獄を味わう人間を待ち構えている。もっとも諸星しかいないが。
「はい、自分もこんなに辛いものが好きだなんて思いませんでした」
「それもありますが、貴方様は私をまるで人間のように接してくれます。それが不思議なのです」少しだけボディが自分も同じだと言う様に胸に手を当てた。「船の皆様もまるで私を家族の様に接してくれますが、アンドロイドというのが前提です。貴方様はまるで、私を一人の女性としてみているように感じます。何故ですか?」
それはミリアのAIとして理解できない部分でもあったのかもしれない。
結局の所ミリアが人間らしいのはミームAIの感情学習機能がパターンを分析しそのようにプログラムを構築しているからである。「人間らしい」が、それは結局「人間らしい」だけで人間とはなりえない。
感情の自己構築、魂の有無、子供を宿せるか、アンドロイドと人間の境界線にはどうやっても超えることができない多くの壁がある。
故に、ミリアは分からなかった。諸星が自身との接触で心拍数を上げる理由が。
「うーん、分からないです」
「分からない……?」
それはミリアにとって意外な言葉であった。アンドロイドに人権を、と人間のようにアンドロイドを扱う活動家達は「人間のように考えることが出来るから」とかただ単に「知性を感じられるから」といった言葉をアンドロイドに人間性を感じる理由としてあげるが、分からないと言われると思わなかった。
「僕の時代はアンドロイドなんていませんでしたし、AIと言っても『ハイ、ワカリマシタ』みたいなカタコトな喋り方でやっと会話できるかどうかって感じでしたから……」そう言って諸星は頭を人差し指でかいた。
「つまり、過去の技術と今の技術とのギャップが私を人間として認識させていると?」
「いえ、そうではないんです。ミリアさんはアンドロイドだって分かってます。ほら、首が落ちますし……」
苦笑いしながら諸星は続ける、しかしその目はどこか遠い故郷を思い浮かべるように遠くを見ていた。
「でも、ミリアさんも……皆さんも、少なくとも九世紀以上前の人間って素っ頓狂な事をいう僕を受け入れてくれました。家族も友人もいない未来で一人ぼっちじゃないって思えたんです、だから皆さんの事をもっと知りたい、自分の事を知ってもらいたいっていうか……まだ出会って短いですけど」
そこまで言って諸星は気恥ずかしくなったのか顔を宇宙で輝く赤色巨星のように赤くすると、それを辛さのせいにするようにブラックホールアイスを大きく頬張った。
「ごほっがらっ……だから、ミリアさんも一緒にいたら楽しいし、嬉しいし、ドキドキだってするんです。アンドロイドとか人間とかそんなの分かんなくて一緒にいたい……ごほっ!? あっ、これホントにヤバっ……」
「ふふっ、流石に食べすぎでしたね」
時間差を置いて襲い掛かってくる辛さに、遂にせき込み始める諸星を介抱しながらミリアはその思考プログラムに不思議な感覚を覚えていた。
それはボディも同じようで、少しだけ体全体の温度が上がっている。おそらくは感情感染型AIが新しく目の前の諸星から新しい感情を学んだのだろうが、今までにミリアが習得したどの感情よりも不透明でまるで説明がつかない。
————分からない、でも一緒にいたい。この感情を人間はどう説明するのか、だが悪い感情ではない、決して悪い感情とは思えない。
「おーおー、そんなに食べちゃあおトイレが大変なことになってまうで?」
————その時だった二人が座っているテーブルに一つの黒い鳥が降り立った。
黒い羽毛に覆われ、黒いくちばしに、黒い眼。それは諸星の時代でも空を飛んでいた鳥、カラスに良く似ている。
だがカラスにしてはその体長は人間の三歳児程度の大きさで、翼には途中で一つの関節を持っており、翼の先には機械で出来た指が備えられている。
体には様々な方法で付けられた多くの傷跡が痛々しく残されており、体には見たこともない様な一丁の銃がぶら下がって鈍い光を放っている。
「カラス……?」
「いえ、鳥類義体です」
「そうや、兄ちゃん何にもしらへんのか」カラスはさぞ当然と言う様にそのくちばしから人の声を発した。
「モーフって、じゃあこれはオードックさんと同じ……カラスってカッコいい……」
「ホンマか? おおきに兄ちゃん良い目をしてるで、この電磁銃がな? いい味だしとる――」
「それで帝国の猟犬部隊が私達に何の様でしょうか? 休暇では無さそうですが」
ミリアが冷たく、警戒する口調でカラスの話をさえぎった。
カラスは諸星に自身のセンス自慢を邪魔されたことに少し気を悪くしたようだが「ま、ええわ」とポツリと言うと、ミリアを少しだけ横目に見ながら諸星へと体を向け、その眼をじっと諸星へと向けた。
その眼は星の無い宇宙のように暗いが、時折何か流れ星のように青白い線が走っている。
「失世代義体……また古臭い義体にはいっとんなぁ、おかげで探し出すのに苦労したで、カラスだけに」
その言葉に諸星は失笑するより先に驚きを覚えた。このカラスは自分の事を知っている、宇宙で漂っていたという自分を。
「僕の事を――」
「いや知らん」
次はカラスが遮った番だった、諸星の少しばかりの期待が粉々に打ち砕かれる。
「あんさんが何者かなんて知らん。すまんな、ワイはただアンタを……正しくはアンタのスタックを探すように任務を受けただけや————動くな!」
瞬間、カラスを首根っこを掴もうその手を伸ばしたミリアが動きを止めた。いつのまにやら諸星の顎に銃が突きつけられている。
カラスではない、まるで何もない空間から毛むくじゃらの小さな腕が飛び出し、銃を諸星へと向けている。
「えっ……!?」
「光化学外套……」
ミリアがそう呟くと、毛むくじゃらの腕から先が露わになった。まるで風景そのままを描かれたカーテンが取り払われた様に空間がなびくと、そこから一匹の二つの脚で立つ猫が姿を現していた。
カメレオンマント、透明マントとも呼ばれる着用者を景色と同化させる外套を利用した猫の方も、カラスと同じく人間の子供程度ほどの大きさをした黒猫であった。
物を掴みやすいように指のように少しばかり伸びた肉球の他に片方の腕は機械で出来ており、その義手の先にある銃とその体に装備されている銃やナイフ、マガジン等の数々は、長靴を履いた猫というより物騒を着こんだ猫と言った方が正しい。
「今度はネコ……!? キャットモーフとか?」
「小動物義体です。スタック回収目的なのにそちらに銃を向けていいので?」
「あんさんの傍には近寄りたくなくてな、戦車に玩具持って戦争するようなもんさかい」無言の猫の代わりカラスが口を開いた。「動くんやないで、こっちもスタックは傷つけるか分からんし、トラウマが残ったら困る」
「な、なんで僕を……」
「あぁ、兄さんも動かんでくれや。出来ればうまく定着した義体のまま持って帰りたいんでな」
「彼は前の惑星でマリー様が拾った、ただの新入りです。あなた達が追う様な軍の犯罪者や亡命者の類ではありません」
「それは……違うな。アンドロイドが嘘をつくものじゃない」
もう一つ、次は絶対零度を思わせる女性の声が響いた。
ミリアの後ろから黒を基調とした軍服を着た狐が銃を持つ猫と同じく二足歩行で近づいてくる。こちらは茶色の毛並みだが、片目に付けた眼帯と口に加えた葉巻が特徴的だ。
鴉に猫に狐、まるでアニメの様だと非現実的な光景に諸星はめまいがしてくるが、突きつけられる銃口がこれが現実だと語っている。
「確かに、軍規を見出した犯罪者ではないが。この男は前の惑星で拾ってはいない、宇宙で偶然見つけたものだ……違うか?」狐の口から赤色の紫煙が漏れ出す。「そしてお前らはスタックを装着させた。愚かなことにな」
「ワシらがどれだけこの星域をあっちいったりこっちったりしたと思う? 面倒やったで、ホンマ……まさかロストモーフの中とは……」
「エゴIDの確認も無しに何故彼が探し人だと?」
エゴIDとは、外見と生体情報という概念では「個人」が分からないこの時代に、誰がどの義体に入ってもそれが本人だと分かる様に魂にそれぞれ割り振られた番号の事である。
この確認を取れなければ、どんなに昨日まで装着していた義体でも本人とは認められない。
「二つある、一つは偶然」キツネが静かに答えた「最後に当たったセクターで貴様らを偶然リーパーが見つけた。悪名高き親不孝号とその連中、そして新入り……」
「あ、リーパーってのはワシや。よろしゅうな兄ちゃん」鴉が諸星に向かって気安くその翼を広げた。
「もう一つは私の勘だ。親不孝号を見た時、私はミーヤに各惑星の監視衛星からシャンタウルに来るまでの親不孝号の足取りを追わせた」
ミーヤという名前に諸星に銃を突き付けている猫の耳がピクリと動いた。どうやらこの猫の名前であるらしい。
「すると、惑星ディホールに映っているお前達は四人しかいないのに、次にセクター・シャンタウルに来たときには五人に増えている。そこで貴様らの船を分析しその航路、最後にあるスタックが入っていた帝国軍の保存ポッドに付いていた発信装置が解除された時刻と場所を照らし合わせてみた、すると……」
それ以上は言わなくても分かるだろうと言ったように狐はその代りに大きく赤い煙を吐き出した。
「状況証拠だけです、時期にマリー様がご説明を————」
「おいおい、私がこんな長話を許していると思う? 自分が時間稼ぎしているかと思ったのか? 丁度今、リーパーの非接触ハックが完了して、貴様の新入りの瞳からエゴIDを抜き出したところだ」
その瞬間、カラスが座っているテーブルが、カラスごと空中に吹き飛ばされた。それがミリアが蹴飛ばした物であると気付くのに全員が数秒を要したであろう。
「なんや―————!?」
だがミリアはその数秒を見逃さなかった。時が止まったように身が固まる全員の中で唯一動くミリアが顔だけを回転させながら後ろのキツネに目を捕えるとボディがその狐の胴体に素早く蹴りを入れ吹き飛ばし、椅子を素早く猫のミーアへと投げつける。
「ぐっ————!」
「————————!」
椅子によって吹き飛ばされる前にミーアがその引き金に力を入れ、銃口から赤い光線が放たれるが、それは諸星を掠めてその射線上にある壁へと当たり、焼け焦げたレーザー痕を残すのみである。
この間わずか数秒、テーブルと共に鴉のリーパーが落ちてくると、ミリアは呆気にとられている諸星の手を掴んで駆け出していく。
「み、ミリアさん!?」
「逃げますよ。猟犬部隊まで来るなんて貴方様はいったい――」
だが十数メートル走ったところでミリアの動きが止まる。嫌な予感を、詳しく語るのであれば彼女の頭部にある火器警報が爆発物を検知したのだ。
ミリアが後ろを振り向くと、あの狐が倒れながらも軍服の下からある金属製でテニスボール程の大きさであるボールを取り出していた。
諸星にはそれはその通りの謎のボールにしか見えなかったが、ミリアにはそれが自走式のクラスターグレネートだと解析にするのにそう時間はかからなかった。
一つの球に数十の爆弾が内蔵された強すぎる破壊力とコストの面からも生産が中止されたそのグレネートを周りに人が大勢いるにも関わらず、狐は二つ地面に転がし起動させた。
グレネートは独りでに回転して目標へと無慈悲に速度は転がっていく、それも目標はミリアではなく、諸星の方だ。
「————モロボシ様!!」
「えっ――」
そうして諸星の目に映ったのは、自身を庇うように抱きしめるミリアの姿と強烈な閃光だった。