宇宙的初恋。
「あーすまんがモロボシ君、私の小型顕微鏡みなかったかい?」
「あ、廊下に落ちてたからテーブルの上に置いてますよ」
「モロボシちゃん、後でお裁縫お願いしていいかしらん? お気に入りのタオルがやぶれちゃって」
「あ、はい。僕の部屋に置いてくれれば後でやっておきます」
「おーい、モロボシー。めーしー、ターマーゴーヤーキー」
「はいはい……」
「モロボシ様、私の胴体をご存じありませんか?」
「はいはぎゃあーー!?」
「キュート」
宇宙を飛ぶ親不孝号のキッチンで諸星の叫び声が響いた。
コロコロと自分の所へ転がってくる生首を見れば誰だってそうしたくもなるが、当の本人であるデュラハン型アンドロイドであるミリアの頭部はクスリと笑うだけである。
このアンドロイドはなぜか諸星をからかうことを好んでおり、毎日一回はからかっては「キュート」と微笑むのだ。
そうしていると、胴体の方がやってきて頭を掴むと首なしの体を必死にぺこぺこと下げてくる。
「いやいいんですよ、ミリアの胴体さん。悪いのはこの頭の方ですからね」
「ボディは少々シャイですね。でもボディも貴方の事はキュートだと思ってますよ」
アンドロイドにシャイも糞もあるかと思いたくなるが、このご時世感情感染型AIと呼ばれる相手の感情などを分析し、疑似的な感情を作り上げることができるAIが主流である。
人間と接するほどに人間に近づいていく、まさに進化するAIだが、ミリアほどの感情を持つアンドロイドは珍しいとはオードックの言であった。
主に恐怖で高鳴る心臓を抑えながら、諸星は焦げようとしている卵焼きを慌てて巻いていくと、お皿に移していく。
この船での諸星の役割は料理や洗濯、掃除や、お裁縫など所謂雑用係である。
こき使っちゃってごめんさいね。とマリーは言うが、宇宙船の整備や運転などはどだい無理な諸星には返ってやりやすい仕事であった。
病弱な妹の為に家事の一通りは覚えていたし、諸星が作る地球と同じようで何かが違う食材で作る日本の庶民食は中々好評である。
何より助かったのは塩と砂糖などの調味料は何世紀経とうが人類の良き友だったことだ。色は少々違うが。
「おー、やっとできたっと。うーんうめー!」
「あっ、つまみ食い」
イヴがモロボシの隣に顔をだし、切り分けられた玉子焼きを一つ摘まんで口に入れると幸せそうに唸った。頭についている角が黄色く点滅している。
「いいだろーどうせ私が食うんだからよ。なんでこんな簡単な料理が広まってねーんだ? うめーのによー」
「ある意味、地球の失われた技術の一つよねん」
スペースオカマのマリーがテーブルから映し出される映像を見ながら、葉巻型電子煙草のスイッチを入れた。
花の蜜を思わせる甘い匂いが黒い紫煙に乗って諸星達の鼻をくすぐる。
「あらやだ、またワームホールの料金上がってるわ。千二百クレジットって高すぎないかしらん」
「この頃は帝国と合衆国とのにらみ合いも活発になってるってきくからね、金を貯めたいんだろう。ふむ、美味しいよ」
横でタコのオードックがふわふわと浮かびながらその触手で玉子焼きを掴んでは口の中にほおり込む。
オードックのオクトモーフは遺伝子を改造されて作られているもので、人間と変わりない消化器官を得ており、人間と同じ食事が出来る。
「あっちはお金を貯めれるでしょうけどこっちは出さなきゃいけないのよ、まったく。あら、美味しい」
「貧乏人は下道で行けってこったろ、あっ、タコ! お前喰い過ぎだぞコラ!」
後ろでオードックとイヴが玉子焼きの取り合いをしている中、マリーは家計の出費表を見てため息をついた。
「船長、次の依頼は無いのですか?」
ミリアが首をボディから抱きかかえられたまま、口を開いた。一見せずともホラーである。
「うーん、まぁ次のシャンタウルで一旦降りて、輸入品とかを売りさばいて、そっから依頼を探すしかないわねー」
「あっ、惑星に降りるんですね」
諸星は少しだけ声に高揚感を乗せた。ここにきて一週間以上経つが、未だに宇宙船の外からは一歩も出たことが無いのだ。
画像やARでどんな町があるかは見れるものの、やはり自分の足で大地を踏み、風を感じたかった。
「そういえば、モロボシちゃんは初めてよねん。まー次は惑星じゃなくてセクターなんだけど、それでも普通の町となんにも変わりないわよん、よかったら見回ってきなさいなお小遣い上げるから」
「えっ、そんな悪いですよ!」
マリーは一つ「遠慮しないの」と笑うとタコと少女が争っていた玉子焼きの最後の一つを口に入れた。
■
セクターとは人間が宇宙に建設した人工居住区であり、その形は大きく回転する輪に近い。
中心にある重力発生装置とそれを囲むようにドーナツ状に作られた居住区によって構成されている。
人口はセクターの大きさと役割によって違うが、今回諸星が訪れたセクター、シャンタウルは貿易都市で様々な宇宙船がひっきりなしに昼夜————セクター内の疑似太陽光を基準として———問わず、出入りしている様な場所であった。
「うわぁ……」
そのセクター・シャンタウルの地に立った諸星は青空の代わりに見える向こう側の建物たちに驚嘆の声を上げた。
宇宙港から降りると、すぐに大規模なバザーの様な光景が広がっていた。
様々な人間たちがひしめき合いながらコンテナを背に大安売りを始めている者もいれば、テントを構えて料理を作る者、緑色に輝くアクセサリーを広げる者など、いたるところで商売が行われており、その活気は熱気となって諸星の肌を焼くようだ。
しかし何より諸星の眼を引くのは彼らの姿だった。普通の人間だと思えば、下半身が蜘蛛だったり、蛇のそれだったり、背中から羽が生えていたり、まるでトカゲが人間のまま進化したかのようなトカゲ人間もいる。
まるで諸星が小さなころ見たSF冒険映画その物だ。足りないのは何でも切ることができる光る剣を持つ戦士がいないことだけ……
諸星はセクター・シャンタウルに降り立つ数日前に聞いたオードックの言葉を思い出していた。
「いいかねモロボシ君、この時代の人間という概念はかなり広い定義を持っているということを、覚えてくれたまえ。私のようにズバリ蛸のオクトモーフもいれば、半分蛇のラミアモーフからアラクネモーフ、リザードモーフ……ただ二本の手と二本の脚を持っていれば人間というわけではない。時には小さな虫を模したナノモーフの集合体だっているし、君の様な人間体でも間接を無視した動きをする者だっている。だが全てが"人間"として扱われる」
そういってオードックは一つの小さな筒を取り出した。
オードックはこれを、魂魄収納装置と言った。魂を入れる装置だと。
「その代り、人間という生物そのものはこの5cmばかりの小さな筒の中に集約された。いまこのスタックには何の魂も入っていないが、魂が入ったものは、君の体、義体にも入っている。いわばこれこそが人間を人間至らしめる部分だ」
「これが、人間?」
「そう、このちっぽけな筒の中に人の記憶、感情、経験、魂と呼べる全てのものがデータ化され記録されている。皮肉極まると思わないかね? どんなに美しく、強く、外見を見せようが人間の真実とはコレなのさ。蛸になったってね、何になったって……」
そう言って自嘲気味に笑った後、自身の触手を見つめるオードックの姿は諸星の脳内に深く、深く焼き付いていた。
今の自分も体は日本人離れしたカッコいい外見の西洋人だろうが、本質には小さな筒に詰め込まれたデータ、0と1の集合体なのだろうか……
「モロボシ様」
ふと、諸星の肩に手がかかる。思考を深い宇宙の底から戻して振り向いてみるとミリアが微笑みながら諸星の後ろへと立っていた。
「あなた様が道の真ん中に立ち尽くして熟考している姿はとてもキュートですが、そんなにキュート過ぎると誰かに攫われますよ」
そう言ってミリアは諸星の頬に指を押し付ける。機械とは思えぬ柔らかさをもった指に諸星は少しばかり頬を染めたが慌てて指から逃げると、不満げな顔でミリアを見た。
「キュートキュートって……一応僕、男の子なんですけど!」
「そうですね、オードック様は貴方様のスタックを女性の義体に装着するべきでした。そうすれば外見ももっとキュートになれたのに」
「嫌ですよ、僕は男の子として育ってきたのにいきなり女の子何て……」
「そうですか? 男の次は女の義体にしたり、その逆にしたりすることは、このご時世特に珍しいことではありませんが。魂に性別はあれどそれを気にする人間は極少数です」
「え”っ」
「驚き方もキュートですね。此処には女だった男も老人だった少女もいます、例えば、ほらあの方」
ミリアが指差す方向に諸星が顔を向けてみると、人ごみの中に、屈強な男に肩車されたドレス姿の少女がいた。まるで顔のパーツ全てを一つ一つ、神がその手自ら丁寧に作り出したように美しく、銀色の髪と黒色のドレスがお互いの色を引き出し、美を更に引き出している。
「あの子が……?」その人間離れした美しさに見とれた諸星はミリアのにんまりとした笑いに気づかなかった。
「あのお方は、運送会社M&J社社長マキシミリウス・ロックドーン。外見こそは七歳の美少女ですが、エゴ、つまり魂の年齢になりますと、今年で八十三年目」
「はちっ……!?」
「因みに今のお姿は最近買い換えたもので、オーダーメイドの高級義体です。彼または彼女の一番最初のお姿はこちら」
ミリアの手が伸びて、諸星の手に指が絡まると彼の目にデータが送信されたという記述が空間に浮かびあがり、画像が浮かび上がる。
無論、実際に画像が空中に浮かび上がっているわけではない。諸星のメッシュがミリアの接触回線から送られた画像を、彼の視神経に伝達し、彼の網膜に浮かび上がらせているのである。
だがその肝心な画像の中身は諸星の顔を青ざめるのに十分だったらしく、諸星は見る見るうちに血の気を引かせていく。
「あの……これゴリ……」
「そういう義体です」ミリアが遮った。「このように外見は全く当てにならないのでお忘れなく、因みにその次も原始的な」
「もういい! もういいです! ありがとうございます! 良く分かりました!」
「お分かり頂けたようで。では参りましょうか」
ミリアがそう言うとボディが諸星に絡めた指にきゅっと力を入れたまま歩き出した。
慌てて付いていく諸星もついていくが、まるで恋人のようにつないだ手とアンドロイドとはいえ傍から見れば年上の美人なミリアにその頬は赤く染まっている。
「ま、参るって何処に?」露店を見るふりをして赤く染まった頬を隠す様に諸星が訪ねた。
「市場です、モロボシ様はこういった場所は初めてなので、マリー様が案内してこの世界がどれくらいのお金でどのくらいの物を買える教えてあげなさいと————」
そこでマリーは彼の体温上昇を確認し、一瞬会話を途切れさせると、またからかう様に微笑んでまた口を開いた。
「つまり、デートをしにきたのです。貴方様と」
ボディが空いている手で諸星の頬をツンと突いた。