ここで働かせてください!
諸星光十八歳。今の時代で言えば地球の田舎生まれ。
父、母、妹の四人家族で、妹の諸星美空は生来体が弱く、薬が手放せない体でよく風邪などを引いては寝込み、入院することも多々あった。
得意な物は医療費を稼ぐために共働きだった両親の代わりに培った裁縫や料理などの家事。それと妹の為に学んだ人形作りで自分が覚えている最後の日も材料を買うためにデパートに向かっていた
この体になる前は、黒い髪と黒い目をした細型の体で、水泳が得意。
好きなタイプは御淑やかな年上の女性。
そんな何処にでもいる只の少年は今宇宙船の片隅で一人膝を抱えていた。
そこは依頼物や手に入れたお宝を保管する倉庫の様で諸星の周りには見たことのない像や骨董品などが置かれているが、総じて人の関心を引くよりも忌避を誘う物の方が多い。中には大きなドクロマークが書かれた不気味な箱まである。
そんな人が好んで入りそうもない部屋に諸星が一人でいるのは、ダイニングルームからマリーから聞かされたある話が発端だった。
■
「地球が……消えた?」
諸星は、自分が聞き間違えたかと言葉を繰り返した。
マリーが自分の事をこの時代ではない地球の生まれだと気付いていくれた時は、地球に帰れるのではないかと思って喜んだが、その次にマリーの口から発せられた言葉はとても信じたくない物であった。
当のマリーは少しばかり目を伏せると指を一つ鳴らして、海が見える草原から元の部屋へと風景を戻した。
代わりに机には諸星も知っているある星々がホログラムで投影されて空中を回っていた。
「これって……太陽ですよね、それに月……」
「そう、貴方の故郷にあった星々ね。今ではF星域と呼ばれているわ」
そのホログラムを見てみると、地球生まれの少年はあることに気付く、自分が生まれた星である地球が無いのだ。月、火星、水星、その他すべてが揃っているのに地球だけが無い。
「あの……」
「気付いた? 別に地球だけを表示しないようにしているんじゃないわ、本当に地球が無いの」
「大消失と呼ばれています」
代わりにミリアが答えた。
「惑星月が観測したのを最後に地球はいきなりそもそも存在しなかったかのように消失したのです。何故消失したのか、何処に行ってしまったのか、それは誰にも分かっていません」
「僕を、からかっているんですか?」
「いいえ、貴方はキュートですが、からかってはいません。むしろ貴方が地球生まれと聞かされてこちらが驚いています」
「大混乱だったと聞いているわ、地球だけではなく地球で作られた技術でさえもいっしょに消失したんだから。宇宙で使われている六割の技術は地球で発明されたもので、それを巡って血みどろの……ごめんなさい、貴方の話だったわね」
そうしてマリーは懐から黒い小さなパイプを取り出すとそれを咥えて深く息を吸った。
次にマリーが息を吐いたときは黒い煙が一緒に流れ出して空中へと霧散し、その煙を見てミリアは少しだけ眉をひそめた。
「とにかく、貴方が昔の地球生まれって思ったのは、何にも知らない無知さにしては自分の過去をしっかり覚えているということからよ。文献に乗るほどに昔の過去……」
「じ、じゃあ今はいつなんですか……僕は一体どのくらい未来で……」
「貴方が消失する前の地球で誕生したと仮定したとしても、最低でも九世紀は経っています」
「きゅっ……」
諸星は言葉を失ってしまった。余りにも遠くに行ってしまった過去が刃となって諸星の心に突き刺さる。
もはや諸星を知る者はこの宇宙の片隅まで調べても誰もいないだろう、家族も友人も、自分の顔までもいなくなった。
広大な宇宙の中でただ一人、永遠の孤独がもたらす暗い影はアンドロイドであるミリアでさえも察するに易い。
「————っ!」
そうしてやがてその思いが限界まで膨らんだとき、諸星は勢いよく立ち上がった。
その勢いで転がった椅子がけたたましい音を立てて壁にぶつかるのと、諸星が部屋から走り去っていくのはほぼ同時であった。
■
そうして当てのない未来から逃げるようにたどり着いたのが、この倉庫であった。
まだ家族は生きているかもしれないという悲観的な希望と、まだ自分には帰るところがあるという最後の希望でさえも打ち砕かれた。
自分はなぜここにいるのか、何故今生き返ったのかさえも分からない。諸星は暗闇の中に只一人取り残されている気分であった。
一体これから何をすればいいのか、そんな考えが頭を埋め尽くす。
「なんだお前、こんなところで何やってんだ?」
「うわっ!?」
そんな時、諸星のすぐ横から声がかかる。自分以外誰もいないはずの部屋からかかった謎の声に諸星は膝を抱えた体勢のまま三センチ程度も飛び上る。
目を凝らして声のする方向を見てみると、上下逆さまになった人間が諸星を見つめていた。
「ば、化け物……!」
「だれが化け物だコノヤロー、また撃たれてえか」
「え? あれ……えっと……イ……何とかさん」
よくよく見てみると、それは諸星の裸を見て銃を船内で乱射した、あの角のついた少女、イヴだった。
銃を乱射し、跳弾した玉で部屋が大混乱になった後に騒ぎを聞きつけたマリーから引っ張られていったのを最後にその姿を見ることは無かったが、まさか倉庫にぶら下げられているとは諸星も思ってはみなかった。
諸星の今の心情からすると放っておいてほしかったのだが、そんなことは知るかとばかりイヴは振り子の如くブランブランと揺れながら無遠慮に話しかけてくる。
「ちっくしょー、晩飯食えなかったらお前のせいだかんな? そもそも、全裸でギャーギャー騒ぐ奴いるか? 普通だったら捕まるのはお前の方だぜ!」
「……入ってきたのはそっちじゃないですか」
「なんだよ、妙に暗いなお前。マリーの奴に狙われたか? それともそっちが素なのか?」
「……別に」
「ふーん……ま、いいけどよー」
諸星が一言二言で口を閉ざすのを見ると、イヴはそれから打って変わって次は何もしゃべらずにまた時計の振り子のように体を揺らす。
どうにもイヴは諸星が何かを言い出すのを待っているかのようであった。といってもイヴは吊り上げられているためどこにも行けず、何処にでも行けるはずの諸星がそこから動かないのは、つまりは誰かに相談したいという現れでもあったのだが。
それからどれくらい待っただろうか、根気負けした諸星は小さな声で喉にたまった行き場のない言葉を零すように喋りはじめた。
地球の事から、自分がいた時代からずっと未来であること、少しだけと思った言葉は滝のように流れ出て行き、いつの間にか最後まで始めてあったばかりのイヴに洗いざらい喋りつくしてしまっていた。
「へー、お前地球生まれなのかよ」
「イヴさん驚かないんですね」
「別に、私がどーこーする話でもねぇし」
イヴの反応といえば全て他人事のような反応であったが、今の諸星にはそれが一番心地よかった。
誰かに愚痴をこぼしたかったのかもしれない。それほど一日でいろんなことが起こり過ぎていた。
「イヴさん、家族はいるんですか?」
「あ? いねぇよそんなもん、どうせ周りと同じくビーカー生まれさ」
「ビーカー?」
「ホント何も知らねぇのな。この時代、親の腹から生まれてくる奴なんざいねぇってこったよ」
それは瓶の中の小人と呼ばれる、両親から摂取した遺伝子を遺伝病や精神病、また劣性遺伝子や顔の形などすべてを親の望みどおりに改造して、専用のポッドを母の胎盤代わりにして成長させる最も安全で安価な確実な妊娠方法であった。
殆どの胎児は何百ものポッドが並べられた施設に収容され、出産時期になると親が迎えに来る。
「迎えに来なかったやつ? きかねぇ方がいい」
「寂しくなったりはしないんですか?」
そう諸星が聞くと、ワザと恐ろしげな顔をしていたイヴは愉快そうに宙吊りのまま蒼玉色の美しい瞳が細くして笑い始めた。
「寂しい? へっ、私にとっちゃ拾ってくれた海賊達が家族さ。自分がどんな遺伝子しているのかとか、親の顔がどうなんだとか一回も思った事ねぇよ」
「そう……ですか……」
また諸星が少し沈んだ顔をするとイヴは大きなため息をついて、諸星と向き合った。
「出来ねぇことを何時まで悩んでんだよったく。地球は消えちまってんだ、ならごちゃごちゃ悩まずに何か楽しいこと考えてた方が人生特だろーがッと……このっ……! おい、このナノロープをほどいてくれよ、お前と話してたら頭に血ィ上った」
「えぇ? でも、それマリーさんから縛られたんでしょ? 罰で」
ぐるぐる巻きにまかれたロープを解こうとミノムシみたいに動きながら、イヴは自身の額についている角で誘導して、足付近のロープについているスイッチを押す様に諸星に指示するが、諸星の方はどうにも渋ってやろうとはしない。
「ったく、元々はお前のせいだってによ! 分かった分かった、このロープ解いたら良いこと教えてやるから!」
「何ですかそれ……」
「いいから外してみろ、お前に一番必要な事だ」
余りにもずっと懇願するので、押しに弱い諸星はついに折れてロープについてあるスイッチを押してしまった。
ずっと自分のせいだ、自分のせいだと根に持たれるのも避けたかったし、自分に一番必要なことと言われて少しだけ気になったものもある。
スイッチが押された瞬間ロープはひとりでに解けるとそのまま自動で近くの入れ物に入って行き、自分自身を収納した。
イヴはロープがほどけると猫のような反応速度で身をひるがえし、華麗に着地すると諸星に一つ白い歯と共に笑みを見せた。
「おう、ありがとよ。優しいんだなお前」
「べ、別に優しくは……」
「そんな優しいお前に約束通り良いことを教えてやろう……」
「ヘっ?」
「————てぃ」
イヴがにこやかに諸星に近づいたと思うと、そのまま中指を折り曲げて親指をストッパーにすると力を籠め、そのままイヴの綺麗な顔が近づいて少しばかり頬を赤くしているそのデコへと強烈な一発を見舞った。
細い指からは考えられない衝撃は、諸星の脳を駆け抜けて、そのまま二、三歩後ずさってしまうほどでジワリと涙が目に浮かぶほどであった。
「いっ……たぁー!」
「良いことってのはな。そんな甘ちゃんしてたらすぐに義体が廃品送りになるってことだ!」
「おっ……横暴……!」
そうしてイヴは痛がる諸星の横を通り抜け、そのまま倉庫の出入り口へと歩いていくと、ふと歩みを止めて振り返った。
「それと、特別もう一つ教えてやる。人間が旅に出るときはな、何もかも失った時が一番なんだとよ! ま、受け入りだがな。船を降りたきゃマリーに話しな、あのお人好しだ仕事も面倒見てくれるだろうよ」
そういってイヴが部屋から出て行ったあと、諸星は煙が出そうなくらい赤くなって痛むデコを抑えながら、彼女が言っていた言葉を思い出していた。
「失った時が一番、か……」
なんだかごちゃごちゃと頭の中で蠢いていた悩みたちが一気に無くなってしまったかのように、頭がクリアになったのを諸星は感じていた。乱暴で粗野な方法であったが彼女の言葉は、諸星にとって確かに胸に宿る星の光になっていた。
その光の名前は希望というに違いない。
「(家族の事も、地球の事も、今僕が此処にいることも、全部忘れる事なんて出来ないけど確かにうじうじ悩んだってしょうがないか)」
諸星は立ち上がると、イヴの後を追う様にして倉庫を出て行った。
見つけたい人はすぐに見つかった。オードックと一緒にダイニングルームで紅茶を飲んでいる。
生きてきた十八年と、死んでいた九世紀を超えて初めての試みで心臓は自分の耳に聞こえるほど高鳴っている。
「あぁ、彼だよ」
「あらよかった、元気になったみたいねん。私のせいで思いつめたりしてはしないか心配で————」
「お願いします!」
「あら?」
諸星はマリーを見ると、すぐにその頭を床につくぐらいの勢いで下げ始めた。
いきなりの行動にマリーは勿論オードックでさえ、そのタコ顔でも分かるくらいに目を丸くしている。
「僕が出来る事なら何でもやります! 飯だって作れますし、掃除や洗濯だって何でもやります! だから……だから……」
必死に次の言葉を出そうとする諸星に、マリーは目の前の少年が何を言いたいのか察すると、静かに微笑んでその続きを待った。
「此処で働かせてください!」
それは確かに旅の始まりを意味する言葉であった。