親不孝号
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「そのままでは、流石に何処にも行けないな、服を持ってこよう」
諸星が自己崩壊の危機から逃れた後、そう言ってオードックが部屋から出ていくと、諸星はまた部屋で一人になった。
最初は喋る巨大タコのオードックに困惑していたが、こうしていなくなると不安を感じてしまう。
今の諸星はいわばこの世界で目をあけたばかりの雛鳥でオードックが初めて見た親鳥、親ダコであった。どうにもいないと誰かから取って食われるのではないかという根拠のない被害妄想が頭を駆け巡る。
「……よし」
なので、諸星は全裸ながらに少しだけ部屋の中を歩き回ることにした。
生き返る前からじっとはしていられない性分でもあったし、何より汗で濡れたシーツから早く抜け出したかったのもあった。
「五体満足っと」
未だに自分の体とは思えないが、足や腕に不自由は無い。
そっと足をベットから下ろすとひんやりとした床の冷たさが昇ってきてさっきの出来事で火照っていた体が静まるようだった。
ぺた、ぺた、とそのまま近くの窓から外を見てみると、そこには自分が知っている街並みの代わりに、無窮の暗闇の中に数えきれないほどの煌きが瞬いていた。
窓に反射して映る新しい自分の顔に重なって映り、本当に自分が別の世界に来てしまったのだと実感してしまう。
母は元気だろうか、父は無事だろうか、妹はまた体を壊していないだろうか、そんな思いがふつふつとわき出てくるが、会えなくなってから寂しくなる、戻れなくなってから帰りたくなるのは人生の常らしい。
少しだけ泣きたくなるがさっきの騒ぎで体が乾ききったのかうるう涙も出ない、むしろ酷く喉が渇いていることを自覚するだけであった。
「一体、これから……」
どうすればという前にため息が出た。窓から見える光景が美しい半分、目の前の光景のように先が見えないのが半分、深い吐息が窓を少し曇らせる。
そうしていると、ドアが開いた音が聞こえたので、オードックが帰ってきたかと諸星は振り向いた。
「オードックさ……」
「あら……」
が、ドアの前にいたのはクラシックメイド風の服装に身を包んだ女性が立っていた。
青がかかった美しい髪を腰まで伸ばしており、トレイを持っている手から大人びている顔まで精巧にできた陶磁の人形のように繊細で美しい。
そんな女性は一糸も纏わぬ諸星を見ると徐々に目線を顔から下半身に持っていく。
「キャーアァァ!?」
そんな遠慮のない視線に女性のような叫びを上げたのは諸星であった。
もしかしてこの宇宙では男の女の立場が逆だったりするのだろうか、そんなことを考えながら諸星は近くにあった花瓶を持って股間を隠した。刺してある花はどうやらホログラムらしく体に当たるとその部分だけが乱れて消えた。
「なんだなんだ? あぁミリア、どうしたんだい?」
「えぇ、船長様が先生とお客様にお茶を持って差し上げる様にと……」
「あぁ、ご苦労様、そこに置いてくれたまえ」
騒ぎを聞きつけてか、オードックがふわふわと部屋に帰ってきた。その触手には男の物の服がぶら下がっており、花瓶を持ったまま顔を真っ赤にしている諸星を見て一つ笑い声を漏らした。
「あ、あの……! この人!」
「あぁ、ミリアだよ。この船の家事担当、舵も取れる」
「ミリアと申します。再装着されたとお聞きしましたが————」
そう言ってミリアが美しくお辞儀をしたが、その際に首がポロリと落ちたかと思うと勢いよく転がって諸星の足元に到着した。
「ご気分はいかがですか?」
「ギャァァァーーッ!?」
そのまま頭部が上を向いて何事も無く挨拶を交わすので、今度は部屋が震えるぐらいの大きさで諸星は叫ぶ破目になった。今にも口から心臓が飛び出しそうな勢いである。
当の首だけの本人はなぜ叫ぶか分からないと言った表情でオードックを見るが、そのオードックも大笑いして止めようがない。
首のない胴体はトレイを持ったままおろおろと右往左往していてはっきりと言ってホラー映画のワンシーンである。
「うっせーぞーー!!」
更にすったもんだの騒ぎを聞きつけたのかもう一人少女が更に大きな怒声を鳴り響聞かせながら部屋に入ってくる。
露出が多めの服を着たホットパンツが眩しい褐色肌をした少女で、スラリとしたスレンダーな体をしている。がさらに目立つのはその額に突いている機械で出来た角で、感情とリンクしているのか激しく点滅しながら蒸気を出している。
「これはイヴ殿、申し訳ございません。ボディの方が興奮してしまったみたいでまた首が」
「こっちは寝てんだ! 騒ぐんなら外で……」
イヴと呼ばれた少女がメイドのミリアに文句を言おうとしてふと諸星に気付いた。
つい先ほどのミリアと同じく全裸の諸星の顔を見てそのまま下半身に視線を移していく、ホログラムのバラが一本華麗に咲き誇っていた。
「ニャアアーアーアー!?」
叫び声のコーラスにイヴが加わった。先ほどのドスの利いた声に比べて非常に可愛らしいものではあるが、同時に腰から取り出した銃はまったく可憐のかの字のない物で一気に諸星の背筋が凍る。とても子供が扱う様な玩具には見えない。
助けを請うようにオードックを見ると、本人は笑い過ぎて茹でダコの様に真っ赤になりながら床で痙攣していた。
「ま、まってそれはさすがに洒落になら————」
「死ね変態―――!」
室内に数発の銃声が響いた。
■
「親不孝号」。
横に翼のついたエイ型の小型戦闘艇を輸送船に改造したものであり、量より速さを選んだ輸送船としてその界隈では有名な船である。
通路は二人も通れないほど狭いが、操縦室と貨物室の間はダイニングルームとそれぞれの船員の部屋に医療室があり、広さ的には二階建ての一軒家に近い。
「んもーう、ごめんなさいね。うちの子が馬鹿やらかして……馬鹿なのホント。あ、紅茶はお好きかしら?」
「あ、はい。じゃなくて、いえ……自分が全裸だったせいですし……」
不意に話しかけられ、諸星は慌てて首と手を同時に横に振った。
今、諸星はその親不孝号の船長からお誘いを受け、ダイニングルームのテーブルに着席していた。
名はマリー。おそらく偽名であり、花崗岩の擬人化のような厳つい顔と、低い声を無理矢理高音にしたような声色が酷く怪しさ満点だが、オードックの話によると諸星のスタックを義体に装着して生き返らせたのはこの船長の指示であり、諸星にとってはある意味命の恩人の一人であった。
透明なテーブルにはホログラムで投影された様々な植物が咲いては枯れを繰り返しており、見る者を飽きさせないようできており、周りを見回すと白を基調とした部屋に質素ながらに整然としている。
テーブルの奥には、諸星よりも二回りも大きな男が鼻歌を歌いながらキッチンらしい設備の前で紅茶の葉っぱの様な物やらクッキーの生地らしきものやらを取り出して並べていた。
「今日のお紅茶はダゴン・パープルだからっと」
「えっ……?」
マリーが指を一つ鳴らすと、部屋が全て崩れたかと思うと、いつの間にか諸星は煌びやかな太陽とここに良い風が吹く、丘の上にテーブルと共に移動していた。
今までいた宇宙船はどこへやら、遠くに見える海と大きく白い雲が流れ、潮風の香りまで感じる。
「え、あっ、船は?」
「ここにあるわよ。閉鎖型拡張空間は初めて?」
「初めてというかなんというか……」
「失礼いたします、イヴ様からもうそろそろ下ろせとの要請がありました。先生はまだ笑い転げています」
そうしていると何もない空間の一部がスライドしたかと思うと、先ほどの首が分離したメイドロボット、ミリアが現れた。
ミリアの後ろにはちゃんと廊下が見えており、ドア一枚を隔てて別の空間になっているかのようだ。
「夕飯の時間まで下ろすつもりないわよー船の中でぶっ放すってアホじゃないのホント。クリニックにぶち込んで精神治療受けさせてやりたいくらいよ」
「では、後数時間はあのままの状態ということになりますが」
「いい薬よん。ミリアちゃんもこっち来て手伝ってちょうだい」
「承りました」
そのままミリアは深くお辞儀をするとクッキーをオーブンらしき箱から取り出したり、ティーカップを並べ始めた。
その動きは一つ一つが繊細でメイド服を着ていることもあってか、優雅さも兼ね備えていたがどうにも諸星は何時その首がまた先ほどのようにポロっと落ちるか気が気ではなかった。
さらに時折、体は前を向いているのに首だけが回ってこちらをみたり、わざとなのか時々首をずらしたりするので落ち着く暇もない。
「こらミリアちゃんからかわないの。ごめんね、貴方がどうにも珍しいみたいで」
「はい、とてもキュートです。私の事を人間だと思っています」
「えっと、それも義体ではないんです……か?」
「私は、頭部分離型アンドロイド、デュラハンです。確かにあまり生産されなかった機種とはいえまさか……ユニークな体験です」
「頭は頭脳労働に、体は肉体労働に、一粒で二度おいしいって売れ込みで発売されたのはいいけど、体と頭で思考回路が違うわ、修理代も二度かかるわってことですぐに生産終了したのよねぇ」
「そ、そうだったんですね。一見したら綺麗な女の人にしか見えませんでした、首が落ちましたけど」
「良い口説き文句です、後三回ほど繰り返してもらえればデートもやぶさかではないでしょう」
「……からかってます?」
「からかってるわね。さ、出来たわよ」
そうしていると、マリーが出来立てのクッキーを皿に盛りつけてテーブルに置き始めた。その横でミリアが紅茶をティーポッドに注いでいく。
テーブルに並んだクッキーは宇宙の深淵もかくやと言うぐらいに真っ黒で、紅茶は紫色で怪しい光を放っていたが、その匂いはどれも優しく鼻孔をくすぐり、諸星の腹の虫を騒がせる。
そう言えばこの体になってから何も食べていない。
「えっと、いただきます」
そう思うと、引き気味だった手もいつの間にかクッキーに伸びて一枚口の中で噛み砕いていた。
ふんわりと口の中にバニラの味が広がると、その次に少しだけコショウのようなスパイシーな味が舌を刺激した。
紅茶はブルーベリーに良く似た味で、飲んだ後に吐いた息が紫色になって空中に霧散していき諸星を楽しませた。
十五分も経つと皿の上のクッキーは綺麗さっぱりになくなっていた。紅茶も数えられないほどお代わりをしてしまい、なんだか不躾のような気がして後から恥ずかしくなってくる。
「食欲旺盛、やはり男の子でしょうか?」
「あ、つい……すいません、不躾でした」
「いいのよ、ミリアが言ったのは義体と魂の性別が一致してたかってことだから。それよりもドクが言っていた通り、何にも知らないのね。記憶障害ってわけでは無さそうだけど……メッシュは正常に動いているようだし」
「メッシュ……?」
「人間のここに埋め込んであるナノレベルのコンピューターみたいなものよん」
そう言ってマリーが自分の頭を指で軽くたたいた。
「簡単に言うと、義体にはなくてはならない物。様々な機能を搭載していて拡張現実機能や自動翻訳機能もその一つ。貴方が何の言語を話してるか分からないけれど、貴方には私の言葉が貴方の国の言語で聞こえているでしょう?」
「では、私の口の動きに注目してみてください」
そう言われてのミリアの口元を見てみると、口の動きと聞こえてくる言葉が一致していないことに諸星は気付いた。圧倒的に口の動きの方が早いのだ。
オードックはタコなので口元も何もなかったがよくよく考えてみると、地球でもないこの宇宙空間で皆が日本語を話すというのも変な話であった。
それと同時にこの空間に本物としか思えない風が吹いてくるが、それもまたここにいる人間の服や髪を一切揺らしていない。この部屋も同じようにメッシュというものが映し出している只の風景なのだ。
「貴方のスタックから、言語野部分の情報を読み取ってその場で翻訳プログラムを構築する、これのおかげで今の世の中通じない言語は無いの。これを知らない人間はまずいないはずなのだけど……」
そう言ってマリーが片腕をついてため息を吐いた、諸星がどういう人間なのかまるで見当がつかないらしい。
そうしてうーんとライオンが唸るような声を上げたあと、マリーが片手を上げる。
「ねぇ、一つ聴いていいかしら」
「え、はい」
「貴方……地球生まれだったりしない? それも大昔の」
それは諸星にとってある意味自分が最も知りたいことであった。