ニキシーと羊(後)
軽く振りかぶったメイスの一撃で、羊は倒れて動かなくなった。
「ドブネズミの方が手ごわいというのはどういうことだ……」
ニキシーは動かなくなった羊を見下ろしてつぶやいた。
ゲームの中とはいえ、無抵抗な動物を殺してしまったことに罪悪感が沸いてくる。
せめて、やってしまったからには無駄にしないようにしよう、と採取用ナイフを押し当てる。するとゲージが現れる。
「ネズミは一瞬だったが……大きいと解体にも時間がかかるのか」
しばらく待つと、羊がぐちゃりとつぶれ、インベントリーに肉と皮が追加される。
「相変わらずグロい……うん?」
ナイフをしまって立ち上がったところで、ニキシーは異変に気づいた。
これまで平和そうにヴェーヴェー鳴いていた羊たちが、ヴェエエ! と怒気をはらんだ鳴き声でこちらを見ていた。それも、一匹や二匹ではない。ぐるりと見渡せば、目が合った羊すべてが、ニキシーを睨みつけていた。
MMORPGではおなじみの、リンク。モンスター同士に仲間意識があり、仲間が攻撃を受けるとそろって反撃に移る行動。ニキシーが羊を攻撃したことで、仲間の羊がニキシーに反撃を開始したのだ。
とはいえ、一般的なリンクならば、対象の周辺のモンスターしか反応しない。
だが、ここでは違った。
見渡す限りの平原に存在する、すべての羊が――明確に敵意を持って、ニキシーに移動を開始した。
「え、うそ」
「ヴェェエエ!」
「きゃっ!?」
愕然としていると、横から羊が体当たりしてきた。HPゲージがガクリと減少する。ネズミに噛まれたときよりも痛い。
「くっ……」
たまらず走り出す。羊は追いかける。たちまち羊たちは巨大な群れとなり、ドドドドド……と地面が揺れる。
「速い……!?」
先日のトレインのようにはいかなかった。つかず離れずの羊の群れの中から、時折羊が飛び出してくる。どうやら【突進】というスキルのようで、それを使われると攻撃が届いてしまう。
この状態で背中に体当たりを受ければ、転ぶ。転べば、あの群れに蹂躙される。
「やるしかないのか……!」
背後を確認しながら走り、【突進】で飛び出してきた羊へカウンター気味にメイスを繰り出す。当たれば一撃、羊が一匹脱落して群れに踏みつけられながら後方へ消えていく。
「よし。なんとかなりそうだ」
一撃で倒せるから、ひらめいてしまうこともない。SPが枯渇する心配はなかった。
「二人には申し訳ないが……いや? 待てよ?」
羊毛を刈ってお金を稼ぐ予定であった。それが羊を倒すしかない状況に陥って困ったと、そう思ったのだが、ニキシーは考え直した。
倒した羊からは、肉と皮が取れた。先ほど倒したのは毛を刈ったあとの羊だが、もしかしてモコモコの羊を倒した後からでも、毛を刈ることはできるのではないだろうか? そうすると、羊毛、肉、皮と三種類も手に入って、売上金は増えるのではないだろうか?
「前向きに考えよう」
ニキシーはやる気を出して羊の撲殺に励んだ。
なんなら後々の解体作業をやりやすくするため、なるべく死体を一箇所に集めるように倒す。
そうして、平原には羊毛ではなくて、羊の死体が積みあがっていった。
「ただいま――なにこれ」
「ひいっ!?」
しばらくしてセレリアとディーザンが帰ってきた頃には、群れの半数は死体に変わっていた。
その様子を見てセレリアは眉をひそめ、ディーザンは顔を青くして悲鳴をあげる。
「に、ニキシー! やめて! 倒しちゃだめだ!」
「なんか襲われてるし、仕方ないんじゃない? そろそろ終わりにするつもりだったし、別に……」
「ちが、ちがうんだよ! ここにはギミックがあって!」
ディーザンは手を振り回してニキシーに呼びかける。
「ニキシー! やめて! 倒すととんでもない敵が!」
「え?」
ようやくその声がニキシーの耳に届いたときには、すべてが遅かった。
天に雷鳴が、響き渡る。
◇ ◇ ◇
羊からドロップする肉と皮は、ネズミからドロップするものより高品質なものと設定されている。
ニキシーの考えていたとおり、まじめに羊毛だけ刈って売るよりも、肉と皮も売ったほうがはるかに収入がよかった。
ではなぜ攻略サイトは、羊毛刈りを金策として薦めるのか。
それはこの南ルーシグの南の平原にある仕掛け――ギミックのためだ。
平原にいる羊はノンアクティブだが、一匹を攻撃するとすべての羊がリンクして敵に回ってしまう。それだけでも面倒なギミックだが、本質はそこではない。
羊を殺したとき、一定の確率でギミックは次の段階へ移行する。
雷鳴が響き渡り、天候が暗雲状態に上書きされ、平原からすべてのプレイヤーが脱出を禁止され。
すべての羊が突然死に至り、その血肉から新たなモンスターが出現するのだ。
◇ ◇ ◇
「い、『怒りの羊公爵』……」
それは、巨体だった。
象よりもはるかに大きい、身長六メートルはある、二足歩行する丸々と太った羊。腕も足も太くたくましく、渦巻状の角は頭の二倍以上の大きさ。
丸でも縦長でもなく、横に伸びた真紅の瞳は、ニキシーをじっと見据える。湿った異臭のする息を吐き出す口は、ニキシーを見て舌なめずりをする。
「ちょ……ちょっと、ディー、なんなのよあれ。絶対やばいやつじゃなくて?」
「『怒りの羊公爵』だよ。ここの羊を殺しまくると出てくるギミックボスで……」
「倒せるの、どうなの?」
「無理だよ! 一年前にようやく、トッププレイヤーたちが大規模レイドを組んで倒したぐらいだよ!?」
なお討伐はその一度しか行われていない。
死者が多数出たにもかかわらず、何もドロップしなかったからだ。
「懲罰タイプのモンスターだって言われてる。プレーヤーの行為に対するペナルティだって……」
「倒せないなら、さっさと逃げないと!?」
「それも無理なんだよ……あれが出てくるとフィールドが閉鎖されて、脱出できなくなるんだ。閉鎖を解除するには……倒すか、フィールド内の全プレーヤーが死亡しないと……」
「ッ……痛いのは嫌だけど、仕方ないみたいね……あとで死体を回収しに来ればいいわ」
「それも無理」
ディーザンは力なく笑う。
「プレーヤーが全滅すると、フィールドの閉鎖解除と同時に死体も消滅するって」
「ちょ……それじゃ、今日の稼ぎがパァってこと!?」
「うん。この間なんとか買いなおしたスペルブックもね。ははは……」
「冗談じゃないわよ……」
セレリアはへたへたと座り込む。
「え……また装備ロスト……? メガネも……?」
「そうなるね……」
「あたしのお小遣いぃ……」
セレリアが涙のにじんだ声をあげて――
ドンッ!!
「――ふぇ……」
セレリアは衝撃音を響かせた隣を見る。
そこでは、ディーザンが潰れて死んでいた。
「え……」
そこでようやく、セレリアは目前に羊公爵が迫っているのに気づいた。
「なんで……ヘイトなんて取ってない……」
ヘイト。モンスターからの敵視。これを集める行動をしたプレーヤーが攻撃されるのがMMORPGの基本で、ドロクサーガもそれにならっている。
だが、この『怒りの羊公爵』はその基本に当てはまらない。ヘイトを無視して、平原内からランダムでターゲットを決定するのだ。
「ひっ」
羊公爵が、ディーザンを潰した拳を振り上げる。
セレリアの瞳を、羊公爵の瞳が占領し――
「――ニキシー?」
ニキシーの小さな背中が、それを遮った。
◇ ◇ ◇
ディーザンは間に合わなかった。だが、セレリアなら間に合う。
ニキシーはそう考え、足を動かした。てっきり自分を攻撃すると思ったのに、急にディーザンの方へ向かうものだから出遅れてしまったのだ。
だが、間に合った。セレリアを背にしてニキシーは羊公爵と対峙する。
「わたしが囮になっている間に、逃げてください!」
ディーザンとセレリアの会話は聞こえていなかった。だから、何も知らないニキシーは羊公爵にメイスを向ける。
「む、無理よ!」
「いいから早く!」
羊公爵が拳を振りかぶる。時間はなかった。丸太よりも太い腕が、大岩のような拳が直進してくる。
「ッ!」
せめてその進路を逸らす。ニキシーは体を裁いて、横からその拳にメイスを叩きつけ――
《示せ》
脳裏に響く内なる声。SPゲージが減少する。
「【岩流し】」
ドゥ! と羊公爵の拳が地面を叩く。ぐらりと地面がゆれ、びりびりと空気が震え、もうもうと土煙が上がる。
スキルで軌道を逸らされた拳は、ニキシーとセレリアのすぐ隣にあった。
「ッ……期待していなかったが……」
SPゲージはまだ残っている。このときばかりはニキシーもひらめきに感謝した。これならあと数回は使って時間を稼げるだろう。めんどうくさいけれど、スキルを使わざるをえない――
《示せ》
SPゲージが、空になる。振動攻撃をトリガーとしてひらめくカウンタースキル。
「【揺り返し】」
ニキシーはメイスを地面に叩きつける。ドォン! と地面が割れる音が響き、羊公爵の拳が反動で宙に跳ね飛ばされる。
《示せ》
「【大激震】」
メイスを振り上げ、地面に叩きつける。激しい揺れが辺りを襲い、羊公爵がバランスを崩す。
《示せ》
三連続。ニキシーはさらに高くメイスを振り上げる。
「【地割れ】」
振り下ろす。これまで以上の轟音。地面が割れ、羊公爵の片足を飲み込む。深さはニキシーの身長程度のため、足を取られて片膝をつくにとどまる。
と――ここで、初心者用のメイスは耐久度が尽きた。元々中古で買って手入れもせず、羊を撲殺して回っていたところに、武器の耐久を著しく減少するスキルを発動したのだ。パリン、とゲーム的な音がしてニキシーの手の中からメイスが消える。
「……ぶき……」
SPが枯渇すると、思考能力が低下する。ひどく眠い寝起きのような状態で、それでもなんとかニキシーはインベントリーから次の武器を取り出した。
「まも……る……」
取り出したのは『初心者の短剣』。短い。ここからでは届かない。
ニキシーは――それを投げつけた。ガツッ、と羊公爵は角で払いのける。
《示せ》
「【十字投げ】」
体が勝手に動く。インベントリーからさらに短剣を取り出し、両手を交差して投げると、短剣は五つに分かれて十字の軌跡を描いて羊公爵へ飛んだ。だがそれも、羊公爵はまとめて角で叩き落す。
《示せ》
「【ハヤブサ】」
インベントリーからまた短剣を取り出し、はるか上空へ投げ飛ばす。黒紫色の空の上で、短剣は意志を持った鳥のように反転し、羊公爵へと急降下して襲いかかる。それはわずかに羊毛を切り裂いて、地面に突き刺さる。
《示せ》
「【影縫い】」
短剣が突き刺さった場所は、羊公爵の影の中だった。拳を振り上げようとしていた羊公爵の疎きが、不自然に止まる。バランスを崩して、片手を地面につく。
インベントリーから短剣が尽きる。ニキシーは次の武器を取り出す。『初心者の大剣』。リーチは十分。ニキシーは羊公爵の手に打ちかかる。
《示せ》
ひっきりなしに、内なる声は叫び続ける。力を示せと。
「【スラッシュ】」
体重を載せた斬撃。大剣使いが初めて覚えるであろう初級のスキル。初心者用の武器では羊公爵に傷ひとつつかない。
《示せ》
「【ダブルスラッシュ】」
【スラッシュ】を二連続で繰り出すスキル。羊毛が舞う。皮膚には届いていない。
「ヴェアオオオオオオゥ!」
羊公爵が怒りの声を上げ、今度こそ拳を振り上げる。――だが。
《示せ》
「【カッティングアウト】」
ニキシーの体が急加速する。羊公爵の羊毛を切り裂いて、その背後へと回り――パリン。大剣が壊れて、消失する。壊れる間近で売り払われていたらしい。
ニキシーは次の武器を取り出す。『初心者の鎖』。長い金属製の鎖だ。ドロクサーガは初期武器の豊富さに異様なこだわりを見せている。ニキシーはそれを振り上げて――
「……あれ……?」
羊公爵に叩きつけようとして、失敗した。へなへなと鎖は曲がり、逆にニキシーの足首を捕らえる。
スキルを発動した場合、体の動きにはゲームシステム側から補正が入る。ありえない移動力や跳躍力をみせるのはそのためだ。
しかし、通常攻撃については、何の補正もない。
ましてやSP枯渇の空っぽ頭では、鎖なんていうテクニックの必要な武器は取り扱えなかった。
ニキシーはぶざまに転ぶ。
「ヴェアオオオオオーーーーウ!」
うろちょろと小うるさい人間がようやく動きを止めて、羊公爵はおたけびを上げる。これまでダメージは一切入っていなかったが、ニキシーの存在はうっとおしくなっていた。羊公爵は舌なめずりをしながら、ニキシーに向かって拳を振り下ろし――
《示せ》
「【空蝉】」
ドンッ! 拳がニキシーに叩きつけられる。だが、拳を上げてもそこにニキシーの死体はない。
《示せ》
「【影ノ絡メ】」
羊公爵の影から、ニキシーが姿を現す。【空蝉】により防具――『初心者の服』が身代わりになってダメージを防止して破壊されたため、ニキシーはいま、ダサい下着姿だった。胸を覆うのはさらしのような茶色い布で、下のほうは『オムツ』と揶揄される茶色いぶかぶかパンツ。
だがSP枯渇により正常な思考ができないニキシーは気にしない。スキルに動かされるまま、鎖で羊公爵の首を絡め取る。
《示せ》
「【レッドヒートエンド】」
「ヴェエエェ!?」
鎖が赤熱の光を放つ。真っ赤に光って熱による継続ダメージを与え続けた鎖は、羊公爵がもがいた勢いかスキルの効果によるものか、ぶつりと切れて、消滅する。
「ヴエ! ヴエッ!」
羊公爵は喉を押さえて咳き込む。この戦闘で初めてまともに受けたダメージだった。その事実に、羊公爵は少し混乱する。楽勝の相手だったはずなのに、と。
「やぁ……!」
だから、許してしまう。ニキシーが最後の武器を取り出し、通常攻撃を当ててくるのを。
《示せ》
「【切り倒し】」
振り回したのは、『初心者の斧』。木を切り倒すように、羊公爵の脛を叩き――弾かれる。
《示せ》
「【相活殺斬】」
二連続、双方向からの斬撃。高威力のスキルも――初心者用の武器では、ダメージは入らない。
《示せ》
ニキシーの目が光る。体中からオーラがにじみ出て、ゆらめく。
「【虚空斬】」
斧が、虚空を纏う。斧系スキル最上位スキルとして知られる、空間を削り取る三連撃。
一撃――羊公爵の左肩を消し飛ばす。
二撃――羊公爵の右脇腹を消し飛ばす。
三撃――……羊公爵の左角を消し飛ばす。
「ヴェアアアオオオオ!」
羊公爵が悲鳴を上げる。
それは致命的なダメージだった。左腕はちぎれて地面に落ち、消し飛ばされた箇所からはどくどくと出血する。左目に血が入り、視界の半分も失われる。
だが、それが致命的たりうるのは、対等な戦力が目の前にいるときだ。
今の状態で初心者が何人束になってかかっていったとしても、羊公爵はものともせずに返り討ちにできる。
ただの初心者ならば。
《示せ》
四連続、0.000000001%のひらめき。前人未到の運を連発し続けるニキシーでなければ。
「【次元斬】」
斧が虹色に輝く。ニキシーはそれを腰だめに構え、空間を一文字に切り裂く。
斬ったのは羊公爵ではなく、その背後の空間。その次元に斧が裂け目をいれ、強引に切り開く。
極彩色の裂け目に、羊公爵はその巨体を吸い込まれる。悲鳴を上げ、手足を動かして抵抗するが――何も掴むところのない空で、何が抵抗できるというのだろう?
「ヴェェェェ………………」
そして、羊公爵は別の次元に消えていった。
フィールドを覆っていた暗雲は急に散り散りになって消えていき、青い空が戻ってくる。
平原に残っているのは、ディーザンの潰れた死体と、腰を抜かして座り込んだセレリアと、ダサい下着姿のニキシーだけだった。
「………」
ニキシーの手から、斧が消失する。ニキシーは下を向いて立ち尽くす。
「……あ、あの、ニキシー?」
セレリアが声をかけると――
「あれっ? ちょ、ちょっと!?」
ニキシーの姿は、フッと消えてしまったのだった。
誤字修正しました。ご指摘ありがとうございました。