ニキシーと羊(前)
「本当に、スキル使わないのね、あなた……」
翌日。南ルーシグの南に位置する平原に到着したところで、ニキシーはセレリアに呆れ顔で言われた。
「スキルとかコンボとか、難しくてわからないので」
「そう……いやコマンド言って使うだけで難しくないと思うけど……まあいいわ。そこは。それより聞きたいんだけど――その武器、なに?」
ニキシーは手に持った武器を見て、首をかしげた。
「……初心者用の武器、ですけど?」
◇ ◇ ◇
ドロクサーガの装備品には耐久度がある。そのため耐久度が減った武器は素材に還元されるのが一般的だが、一種類だけ素材に戻せないものがあった。それが、『初心者の武器』シリーズだ。
刃が潰されたり軽く作られたりしていて攻撃力は著しく低いため、南ルーシグまで到着した冒険者たちは装備を新調すると、さっさと店に売り払っていた。素材に戻せないため、それらの武器はずっと南ルーシグの武器屋の倉庫にしまいこまれることになり――だぶだぶに余った中古は最低価格の2カッパーで売りに出されていた。
短剣が50シルバー。価格にして約2500分の1で手に入る中古の初心者の武器。金欠のニキシーにはとてもありがたかった。ついでに複数種類の武器を仕入れてしまうぐらい、ありがたかった。
「いくらお金がないからって……チュートリアルで100シルバーもらえたでしょう? それでまともな武器を買えば、しばらくは修理して使い続けられるじゃない」
「もらっていない、ですね」
「はぁ?」
「あー、クイックチュートリアルしちゃったんじゃない? あれ、罠だよね。クイックだとお金もらえないの。攻略サイトに書いてあったよ」
ディーザンが割って入って解説する。今日はメガネをしていた。おそらく再び課金したのだろう。
「まあ、初心者用の武器でもいいじゃないか。ここまで来れたし」
「来れたけど……」
セレリアは言いよどむ。
「たかがゾンビとかスケルトン相手に、回復が挟まるのは効率悪くない? それに痛いし」
セレリアが細剣でスキルを使って攻撃し、ニキシーが初心者の武器で通常攻撃。
これだけで倒れるほど、ドロクサーガの雑魚は優しくなかった。
結果、より多くダメージを与えているセレリアに反撃が入り、もう一度どちらかが通常攻撃を入れてようやく倒す。
「せめて武器がよければ反撃受けないと思わない?」
「ボクは魔法の訓練になっているからありがたいんだけど」
「魔法もタダじゃないでしょ」
「まあまあ、ここで稼げばいいだけの話だよ」
ディーザンは平原を指し示す。
「さあ、羊毛を刈ろう!」
◇ ◇ ◇
初心者町から東に位置する、南ルーシグ。サービス開始当初、南があるなら北ルーシグもあるに違いない、と数々のプレーヤーが北に向かって出発し、返り討ちにあった。北には墓地が存在し、強力なボスが出てくるからだ。
南ルーシグ周辺も墓地も、雑魚はゾンビとスケルトンしか出てこない。そのうえ、この二種類は何もドロップしない。強さもそれほどないので、特にひらめかない。得られるのは『虚無』。ここまで到達したプレーヤーでも次第に武器が壊れ金が尽きて、ゲームをやめていった。
発見があったのは数日してから。南ルーシグを南下すると、茂みを抜けた先に羊の生息する平原があったのだ。
おそらく全プレイヤーが初めて見るノンアクティブモンスターだっただろう。そして、いい収入源であった。毛刈りハサミを使えば羊毛が手に入り、それが町でいい値段で売れたのだ。
――流通の仕組みがあるため、しばらくすると最低価格での取引になり、おいしい、とはとても言えなくなってしまったのだが、それでも当時は重宝された。
三年経った現在では価格が落ち着き、初心者の数も減ったことから、攻略サイトでもおすすめされている序盤の金策である。
「はい、毛刈りハサミ」
「ありがとう」
ディーザンからハサミを受け取る。ニキシーにはハサミを買うお金もなかったのだ。
「さあ、どんどん刈るわよ!」
平原には羊が群れを成していた。数匹ずつ固まって草を食んでおり、近づいても特に逃げない。
ニキシーはハサミで羊に触れる。と、目の前にゲージが表示され、時間と共に減少していく。ゲージが完全に消えると、もこもこしていた羊はつるりと丸裸になり、ニキシーのインベントリに羊毛が追加された。
楽だ。これはいい。とニキシーはご満悦の一方。
「なんか、味気ないわね……」
「まあ……実際に体を動かすよりはいいんじゃない?」
セレリアとディーザンは手軽すぎてやや不満そうであった。
「それもそうね。じゃ、どんどん刈っていきましょう」
「あの」
セレリアが気を取り直したタイミングで、ニキシーは声をかける。
「次のを刈ろうとしたら、インベントリーがいっぱいでできません、って表示されたんだけど、どうしたらいいですか?」
「は?」
沈黙が降りる。いや、周囲の羊はヴェーヴェー言っていてうるさいのだが。
「……ディー、あんたインベントリーは?」
「ああ、これけっこうスペースと重量あるね。僕はあと四枚ぐらいしか入らないかな」
ドロクサーガのインベントリーには、個数制限はない。ひとつのアイテムが99個とか255個とか9999個でストップすることはない。
その代わり、アイテムごとの「スペース」「重量」で制限があった。
重いアイテムはたくさん持てない。かさばるアイテムはたくさん入らない。スペースか重量、どちらかのリミットに達すればそれ以上アイテムは取得できない。あまりの厳しさに何度もプレーヤーから改善要望が出されたが、ドロクサーガの運営の古臭い信念は覆らなかった。
「あたしはあと五枚は入るわね。で、なんであんたは一枚でいっぱいになるわけ? そのインベントリーに何を突っ込んでるの?」
「予備の武器……です」
数種類の初心者用武器。
「なんでインベントリーがいっぱいになるまで予備を抱えてるのよ」
「よく壊れるので……」
新品同様の武器を二度もスキルに壊されている身としては、予備の武器はいくらあっても足りなかった。
「武器なんて砥石で修理すればいいじゃない」
「砥石より武器のほうが安いんです」
余りに余った初心者用武器ゆえの事情だった。砥石一個を買う値段で、初心者用武器は25本買える。そして砥石は一回の修理で一個消耗するのだ。割に合わない。
「採取って言ったのに、どうしてインベントリーを空けてこないのかしら?」
「道中には敵がいるという話だったので……」
「まあまあ。とりあえずさ、インベントリーに入ってる羊毛を地面に置けば、また刈れるから。あと九枚、三人で三枚ずつ刈っちゃおうよ」
「しょうがないわねー」
「すいません」
ニキシーはインベントリーから羊毛を取り出す。ぼんっ、と腕の中がモコモコでいっぱいになった。顔まで埋もれてしまう。
「うわぁ。この大きさならスペースと重量も納得だね」
「そうね。……? ニキシー、早く地面に置いたら?」
「――あ、はい、そうですね」
モコモコの感触にしばし時を奪われていた。ニキシーは羊毛を地面に置く。
そうしてしばらく羊と戯れて、三人で羊毛を九枚刈り取り終わる。
「刈ってる間に考えたんだけどさ」
全員がインベントリーに羊毛を納めた後、ディーザンが言う。
「町との往復にも時間がかかるだろ? 一枚しか運べないニキシーは効率が悪いと思うんだ。だから町との往復はボクとセレリアがして、ニキシーには羊毛を刈っててもらうのがいいと思うんだけど」
「ディー、あんたね、それ――」
「いいですよ」
ニキシーが首肯して、ディーザンを咎めかけたセレリアは口をパクパクさせる。
「わたしが刈っているほうが効率がいいですよ?」
「……あたしたちが売上金を持ち逃げするとかは考えなかった? そうでなくても、金額をごまかすとか」
「……考えませんでした」
「お人よしね。人生経験が足りないんじゃない?」
言い返したいところだが、ニキシーはぐっとこらえた。
「まあまあ、信頼されてるってことで、ボクたちも信頼を裏切らないようがんばろうよ」
「そうね。スキル二回使えば敵も倒せるでしょうし……じゃあ、行ってくるわ」
「毛刈り、よろしくね。羊は放っておけばまた毛が生えるから、倒さないようにね」
「わかりました」
二人を見送って、ニキシーは作業に戻った。
もこもこしている羊に近づいて、ハサミを押し当てる。羊毛を置いてあるところまで戻って、インベントリーから取り出して重ねる。そして次の羊を探す。その繰り返しだ。
単純作業は嫌いではない。ニキシーはもくもくと作業をこなした。
しばらくして、二人が戻ってくる。
「わ、もうこんなに刈ったんだ。これならボクらは荷運びだけでよさそうだね」
「そうね。SP回復も町で休憩すれば持ちそうだし……ニキシーはそれでもいいかしら?」
「大丈夫です」
「売り上げはまとめて三分割でいいよね。じゃ、行こう、セレリア」
再び二人が出発し、ニキシーは作業に戻る。
ニキシーは、単純作業は嫌いではない。
だが嫌いではないのと、飽きてくるのとはまた別の話だった。
「さすがに、毛のある羊は居場所が遠くなったな」
セレリアとディーザンが町へ四度目の出発をした後、平原を眺めてニキシーはつぶやく。近くにいるのは丸裸の羊ばかりで、毛を刈ろうと思ったらそこそこ歩かないといけなくなっていた。インベントリーにひとつしか入らないので、行ったりきたりで時間がかかる。
「……そうだ。羊飼いという職が現実にあるじゃないか」
ぽん、とニキシーは手を叩く。羊を誘導しようと考えたのだ。
「羊飼いといえば、杖を持っていて……犬がいて……」
犬に追い立てさせていた気がする。だが、犬はいない。
そこで試しに、近くの裸の羊に声をかけてみることにした。
「わっ!」
羊、無反応。ニキシーの大声を無視して、草を食んでヴェーヴェー言っている。
「わー! わーわー! 進め進め! 前へ進め!」
羊、完全にスルー。
「……杖って、叩いて使うんだったか?」
ニキシーはインベントリーから『初心者のメイス』を取り出した。鈍器として手ごろなのが、この鉄の塊しかなかったのだ。とはいえ、初心者用なので軽量化されているのだが。
「ほーれほれ、動け動け」
メイスでつつく。羊は動かない。
「もっと強くしないと駄目か」
ニキシーはメイスを振り上げる。
ガッ!
「……あ」