ニキシーと疑惑(前)
ひらめかない日常回です。
「高い……」
ニキシーは武器屋の前で唸っていた。
ここは初心者町から東の方角にある町、南ルーシグ。
初心者町が白い大理石で舗装され、立派な建物ばかり建っていたのと比べると、南ルーシグは村と言ってもいいかもしれない。地面はむき出しの黒土が踏み固められたもの、建物も土壁どころか、細い竹のようなものを糸でつないだ「ついたて」を壁として、屋根には茅葺がつかわれている貧相なものだ。
だがそれより貧相なのはニキシーの財布の中身だ。
初心者町で狩ったドブネズミから得た肉と皮をすべて売り払って、2シルバー50カッパー。100カッパーで1シルバーなので、2.5シルバーとも書ける。
そして宿の宿泊代、10シルバー。
武器屋で売られている一番安い短剣、50シルバー。
「すいません。物価はどこもこんなものなんですか?」
「王都とか流通のいい都市ならいくらか安いだろうけど、だいたいこんなものだよ」
日に焼けた肌をした武器屋のおじさんが答える。人間のような受け答えだが、彼は中にプレーヤーがいない、ノンプレーヤーキャラクター、NPCだ。AIによる応答でしかない。が、なかなかに人間臭くて、ニキシーは猫をかぶってしまう。
「流通……そういう要素もあるんですか?」
「ああ。在庫が余っているものは安くなるし、ないものは高くなる。危険な場所にある拠点なんかには、大量の護衛を雇って移動しないといけないから、物価は高くなるね。お嬢さん、駆け出しの冒険者なら、隊商の護衛がいい稼ぎになるよ」
「なるほど……」
なかなかリアルだな、とニキシーは感心する。
「……武器を持ってなくても、雇ってもらえるでしょうか?」
「それは無理だろうな」
「ですよね」
ニキシーの装備は、初心者のバックパックと、初心者の服セットだけ。
初心者の武器はホタルイカを、バンカズに貰った槍は沼ワームを倒す際、ひらめいたスキルで勝手に消滅させられた。よって、手持ちの武器はない。
本来なら、初期所持金が100シルバーあるはずである。だがニキシーは持っていない。
なぜならその100シルバーは、まじめにチュートリアルをクリアしたごほうびなので。
クイックチュートリアルで諸々すっとばしたニキシーには、もう100シルバーを手に入れる機会はない。
「流通……そうだ。中古品とかはありませんか? 買い取りもしているんですよね?」
「買い取りはしているが……あまり中古品というのは出回らないな」
ドロクサーガのすべての装備品には、耐久度が設定されている。耐久度が0になると、装備品は容赦なく壊れる仕様だ。いちおう、修理ができないわけではない。が、修理をすると必ず耐久度の上限が減っていく。そのため、店に売り払われるものは、たいていが耐久度上限が実用に耐えないレベルになったものばかりだ。
「武器として売るより、素材に戻したほうがいくらかマシだから、引き取って素材に戻してるんだよ」
耐久度上限の割合によるが、装備を解体すればある程度の素材が帰ってくる仕組みだった。
「では、中古の武器もない……?」
「ああ。いや――」
武器屋のおじさんは、店の奥をちらりと見る。
「――ないことはない。これなんだが……」
「……なるほど」
提示されたものを見て、ニキシーが唸ったそのとき。
「見つけたわよ、この、MPK野郎!」
背後で聞き覚えのある声が、身に覚えのないことを叫んだ。
◇ ◇ ◇
「セレリア、ディーザン。ひさしぶり――」
「白々しい! さあ、ディーから奪った装備を返してよ!」
セレリアは耳まで赤くなって興奮しながら、ニキシーに詰め寄る。セレリアの方が背が高いため、ニキシーは見下ろされる形になった。
「――装備? なんのこと、ですか?」
「MPKしてディーから奪った装備よ!」
「……MPKって?」
「このぉ~!」
セレリアはニキシーを締め上げる。
「しらばっくれるのもいい加減にしてちょうだい、腹が立つわ!」
「くるし……」
「ちょ、ちょっと、セレリア、やめようよ」
ようやく、ディーザンが間に割って入る。
「なくなった装備だって、そんなに高価なものじゃないしさ」
「課金装備があったでしょ!」
「う、うん、まあそうなんだけど……」
そこでニキシーは違和感に気づく。ディーザンの格好が、先日見たときと少し違うのだ。
「……メガネ?」
メガネをしてなかった。
「そうよ、メガネよ! 返しなさい!」
「いや、いえ、その、私は持ってないです……」
「ディーの死体から盗ったでしょう!?」
VRMMORPG、ドロクサーガ。その開発者たちの思想は古臭い。
プレーヤーは死亡すると、初心者装備を除くすべてのアイテムを死体に残してゴースト状態になる。
たいていの町にはゴースト状態から復帰するための施設があり、死亡したプレーヤーは急いでそこへ帰還し、蘇生を受け、死体のある場所へ走っていき、アイテムを回収することになる。
アイテムロストをするわけではない。ロストするわけではないのだが、死体にあるアイテムに保護がかかるような優しいシステムではなかった。
死体に残されたアイテムは、誰でも取得が可能なのだ。
いちおう盗品として記録され、鑑定を受けると盗品であることが判明する、というシステムもあるのだが――とにかく、死体漁りはシステム的に可能になっている。
「ええと、あのさ、ニキシーさん。僕は別に怒ってないんだ。ゲームだしさ。だけど、セレリアが納得しないというか……」
「あんたのメガネでしょう!」
おしゃれ用のアイテムは、一部現実世界の現金で販売されている。メガネはそういうおしゃれ課金装備だ。
なお、おしゃれ課金装備であろうと、保護はされない。課金装備の盗難に対して、ドロクサーガの運営は一切の保証を行わず、その点でついていけなくなったプレーヤーも多い。
「MPKはマナー違反よ! きっちり返してもらわなきゃ、気がすまないわ!」
「すいません、MPKってなんですか?」
「えぇ……? 経験者なのに知らないの?」
「はい」
経験者だというのは嘘だし、VRどころかMMOどころかRPGも初心者のニキシーは、まだ冷静に答えてくれそうなディーザンに質問した。ディーザンは困惑しながらも解説をする。
「PKって分かる? プレーヤーキラー、つまりプレーヤーを殺す行為なんだけど、まあゲーム内でも犯罪扱いされてる。MPKは、モンスターを利用したPKで、プレーヤーを騙すとかモンスターをつれてくるとかしてプレーヤーを殺す行為。手を下してるのはモンスターだから、プレーヤーの手は直接汚れてはいないけど、悪意を持って行っているわけだから、PKと同様の扱いを受けるよね」
なるほど、とニキシーは納得する。
この二人にとってニキシーは、騙して強力なモンスターがいる場所へつれていき、そのモンスターを利用して殺して荷物を奪った悪人ということだ。
――いやいや、納得できない。
「そういうつもりは……というか、あそこにあんなモンスターがいるなんて、知らなかったんです」
「嘘ね。経験者なら『初心者殺しの沼ワーム』の話を知らないわけがないもの」
「……そんなに有名なんですか?」
「当時のブログとかすごかったよ。攻略サイトの初心者情報にも、詳しく書かれているし」
経験者だと名乗っている以上、知らないで通る話ではないようだった。
かといって初心者だと事情を明かせば、槍の件がある。貢がせていると勘違いされるのも嫌だった。
進退窮まったニキシーは、何かうまい言い訳はないかと目をぐるぐると回して――
「あ、やっと見つけた。何してるのかしらん?」
この日二度目の、聞き覚えのある声を背後から聞くのだった。
「……誰?」
聞き覚えのある声ではあったが、見覚えはなかった。黒く長い髪の、初心者服を着た女性。
「あ、フレ登録まだだった」
新たに登場した人物はそう言うと、宙で何か操作した。
〈イーシャ・マオドラゴンからフレンド登録の要請がありました。受理しますか?〉
「――アーシャ?」
「今はイーシャね」
イーシャはウインクする。
「誰よ、あんた」
「ニキシーの友達よ。まーまー、立ち話もなんだし、そのへんの食堂に入ってお話しましょ!」
睨み付けるセレリアをものともせず、イーシャはその背中を押して食堂に入っていく。当事者であるニキシーは当然その後を追い、困惑しながらもディーザンもそれに続いた。
◇ ◇ ◇
「ふむふむ、なるほどねー」
友達ならあんたが弁償しなさいよ、と言ったセレリアの話を聞いて、イーシャは頷いた。
食堂の中はあまり快適とはいえなかった。机を囲んで四人で座っているが、家の隙間から虫が入ってくるのかブンブンと飛び回っている。かといって叩き殺そうとすると貫通するので、ただただ不快なだけのエフェクトであるらしい。
「そうね、まずひとつ誤解をとかなきゃ。ニキシーはね、経験者じゃなくて初心者なの」
「は? どういうことよ?」
「おおかた、武器を貢がれたのを知られたくなかったんじゃない? 姫プレイだと思われたくなかったってこと。でしょ?」
ニキシーは口をへの字にして頷く。実情を知る相手がいるのに抵抗は無意味だ。
「バンカズってやつがね、ニキシーに貢いだのよ、あの槍。ふふ、まあ、バンカズとしては女の子に贈り物をするのはいつものことだし、特別ってわけじゃないけど」
「え、そうなの……?」
「そうよ」
それは――悪いことをした、とニキシーは口の中で呟いた。
アーシャから槍を受け取った後、バンカズへ気持ちにはこたえられない旨のメールを送信していたのだ。長々と、丁重に。そういう気持ちでなかったのなら、迷惑だったかもしれない。
「だから何よ、MPKしたことには変わりないでしょ」
「故意じゃなかったらMPKにならないでしょう?」
「でも、こいつ、自分は沼ワームを倒す手段を用意してたのよ? それはやっぱり故意じゃない!」
「えっ――倒したの? 沼ワーム」
イーシャが目を丸くする。
「僕と沼ワームが黒こげの死体になってて、ニキシーさんの姿はなかったから、そういうことじゃないですか?」
「うそぉ」
イーシャは開いた口がふさがらない。
「え、どうやったの? あの槍があった程度じゃまるで歯が立たないはずなんだけど」
「いや、いえ……突いたら倒せました、よ?」
「なんか、すごいスキルコンボ放ってましたよ」
ごまかそうとするニキシーの退路を、ディーザンが絶つ。
「ゴースト状態だからよくわかんなかったですけど、ビカビカーって」
「ニキシー? あたし、詳しく知りたいな?」
「……うぅ」
別に――ニキシーは秘密にしたいわけではなかった。スキルをひらめいたことぐらい、言ってもいいと思う。
だが、言ってしまうと、許されないのではないだろうか。
「ひとつ、約束してほしいんですけど」
「何を?」
「わたし――」
ニキシーは、きっぱりと言う。
「スキルとかコンボとかめんどくさいから、使いたくないんです。だから、使いませんよ」
強いスキルがあるんだから使え、と言われるのだけが嫌だった。