ニキシーとトレイン
VRMMORPG『ドロクサーガ』は、スマホと連携している。
ペアリング設定を行えばゲーム内でもスマホの機能を一部使えるし、スマホからゲームの機能を使うこともできる。
面倒くさがってペアリングをしていなかったニキシーだが、先日のプレイ中に重要な連絡が入っていたことがわかって、しぶしぶ設定を行った。いちど設定をして見ればなかなか便利である。例えばフレンド機能はだいたいスマホから使える。
ということで、昼休み中ではあるがニキシーはアーシャにフレンドチャットを入れた。さすがにゲーム内とは違って音声入力ではなくテキスト入力だ。
『ちょっと質問があるのだが』
『なんでこっちなのよ、LINEでよくない?』
言われて気づく。アーシャとは現実でも知り合いなので、もちろんフレンドチャット以外で連絡が可能だ。ニキシーは一人で顔を赤くした。
『まあいいけど。何? どうかした? 手伝う!?』
『昨日知り合ったプレーヤーにメールを送りたいんだが』
初心者殺しの沼ワームを屠ったあと。セレリアは戻ってこないし、ディーザンの死体も丸焦げになってしまっていたし、SP枯渇のペナルティで頭は重いしで、ニキシーはしばらく待ってその場でログアウトした。
無事に逃げ帰れたのか、そのあとどうなったのか? 一応、何か詫びをいれたほうがいいのでは? と考えてメールを送ろうとしたのだが――
『メールが送れないんだ』
『エッチな言葉が入力されてると、送れないわよ?』
『しね』
『冗談よ。なんかエラーメッセージ表示されてない?』
『苗字を入力してください』
『入力しなさいよ』
『やっぱり、しないとだめなのか』
ドロクサーガでは苗字も名前も重複が許されているが、苗字と名前そろっての重複は許されない。よってプレーヤーの特定には苗字と名前の両方が必要になっている。
『なになに、誰に連絡取りたいの? あたし知ってるかもよ?』
『セレリアとディーザンというのだが』
『あたしのフレにはいないわね』
『初心者だったようだからな……』
『初心者! めっずらし! しかも二人!? へえー!』
運営三年目の下火のVRMMO、ドロクサーガに初心者が現れることは滅多にない。
『ニキシーのフルネームは向こうは知ってるの? それなら、連絡取りたければ向こうからくるんじゃない? 行動範囲も狭いし、ログインしてたらばったり会うかもよ?』
『そうするか……ありがとう』
『いいのよ。じゃ、また夜ね。今夜は一緒に遊びましょ?』
『そうしよう』
スマホをオフにして、ニキシーはぼんやりと宙を眺めるのだった。
◇ ◇ ◇
「遊ぶどころじゃない」
その日の夜。ドロクサーガにログインしてさっそく、ニキシーは呟いた。
出現地点は、沼の前。初心者殺しの沼ワームの生息地だ。
沼ワームの黒焦げの死体はそのまま残っていた。大きなモンスターほど死体は長く残る。これが消えてしばらくすると、モンスターは再発生する。だから死体がある間は安全だ。ワームは出てこない。
問題は素手で野外にいるということだった。
槍は昨日のスキルに巻き込まれて消滅している。予備の武器はない。解体用のナイフは武器としては使えない。
「なぜ、わたしが覚えたスキルは武器を壊したがるのだ」
せめて覚えるにしても武器を壊さないスキルがよかった。
ひらめいたおかげで死なずに済んだが、この段階での死亡と、上位プレーヤーから貰った武器では、資産価値が違いすぎるのではないか?
ひらめきすぎるのにも困ったものだ。とニキシーは憤慨する。
そもそも三連続は宝くじの一等ではなかったのか。もう二枚も当てたことになる。現実でその運が欲しい。
武器はない。南ルーシグまでの道はよく分からない。帰る道も覚えていない。
どうする? アーシャに相談するか? アーシャならすぐに迎えに来てくれそうだ。
だが、ぜったい迷子になったことをからかわれる。それは嫌だった。
「東の方だったか……たぶん、こっちだろう」
結局、一人で歩いていくことにした。
初心者町の周辺に出現するネズミは、足が遅かった。おそらくこの周囲のモンスターと遭遇しても、逃げ切ることはできるだろう、とニキシーは考える。
「歩いても疲れないのがこのゲームのいいところだな」
そう言って、沼を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
「――疲れてきた」
走りながら、ニキシーはボヤいた。
もう何十分走り回っているだろうか。それほど長く走り回って、ニキシーはひとつ仕様を知った。
走ると、SPが減る。
「Sって、スキルじゃなくてスタミナのSなのか?」
公式サイトの解説では、SPとしか書かれない。Sが何の略かは誰も知らない。
「SPゲージ、残り半分だが――いつまで走ればいいんだ」
ちらり、とニキシーは後ろを振り返る。
そこには――ニキシーを先頭にして、ドブネズミ、コウモリ、ゾンビ、スケルトンなどなどのモンスターが一列になって追いかけてきていた。
始まりはドブネズミ一匹だった。アクティブモンスターなのでニキシーを発見して追いかけてくる。素手のニキシーは走って逃げる。追いかけてくる。走って逃げた先で次のドブネズミに見つかる。追いかけっこに加わる。以下略。気づけばMMORPG名物の「トレイン」ができていた。
トレイン列、およそ100匹。一匹の脱落もなく走り続ける。
SPが減ることに気づいてから、ニキシーはひとつ期待をしていた。モンスターも走ればSPが減って、追いかけるのをやめるのではないかと。
それは半分正解だった。確かにモンスターも走ればSPは減るのだ。
だが、モンスターはSPが尽きても特にペナルティはない。スキルが使えなくなるだけだ。追いかけるのはやめないし、追いつけば通常攻撃でタコ殴りにされる。
「……あれ、南ルーシグ、だろうな」
走っている間に、町を見つける。先を尖らせた丸太で町を囲う壁が作られている、初心者町と比べたら貧相な町だ。
SPゲージ、のこり三分の一。トレイン列、なおも増加中。
「ダメだ。考え方を変えよう」
ここにきてようやく、ニキシーはモンスターのスタミナ切れを諦めた。そもそも次々モンスターがトレインに加わるのだから、たとえ振り切れたとしても自分のSPが切れたとき新入りに殴られる。
「町の中までは追いかけてこないんじゃないか?」
そう考えて、ニキシー、町の門を抜けて中へ。むき出しの土が踏み固められた通りを走り――反対側の門を駆け抜けた。
モンスターは引き連れたままだ。
ドロクサーガでは、モンスターから一度狙いをつけられると、特殊なスキルや魔法を使わない限り逃げ切ることはできない。サービス開始当初、各地でトレインは頻発し、大きな被害をもたらした。初心者町の中でトレインに巻き込まれて死亡し、そのまま一歩も町から出ることなくゲームをやめた者もいるという。
「倒すしかないのか……!?」
槍が欲しい。あのバンカズから貰った槍が欲しかった。
あれからさすがに少し、「ひらめき」の仕組みについて調べていた。その結果、「攻撃をして」「対象が生き残っている時」にひらめくことが基本だと攻略サイトで解説されていた。
つまり通常攻撃で一撃で倒している分には、ひらめくことはない。一対一が作れる状況にもちこみ、通常攻撃で一撃で倒し続ければ状況は打開できるはずだと、ニキシーは考えた。SPが枯渇しなければ、判断を誤ってうかつに取り囲まれることもないだろうと。
だが、いまは武器がない。
そこでニキシーはぐるりと街壁の外周をまわって、再び町に入っていった。
「商店……あれか!」
通りに面している店から、店員が外に出ているものに目をつける。
「すまない! 武器を売ってくれ!」
「はいはい、うちの武器はね~……あれ?」
店員が対応している間に、通り過ぎてしまう。立ち止まれない。トレインは追いかけ続けている。
二周目。
「強い武器が欲しい!」
「このハルバードなんてどうだい? 250シルバーだが……」
「足りん!」
三周目。
「肉と皮の買取を……!」
「全部で2シルバー50カッパーだね」
「足りるか!」
インベントリに詰めたネズミ肉と皮を全部売っても、武器を買う金には足りなかった。
そうこうしているうちに、SPゲージは残り五分の一。
「ダメか……?」
SPが枯渇すると思考が鈍る。体の動きも寝起き並みになるとなれば、追いつかれて囲まれてしまう。もし街中で倒れたら、ニキシーの次は町にいる人たちが狙われるのだろう。
「くぅ……」
南ルーシグから離れる方向に走り始める。地形が利用できないかと、山になっている方向へ。
しかし、それが悪かった。
「きゃあっ!?」
後ろを見ながら山道を走るという愚かな行為をしていたところ、崖から足を踏み外す。
よくよく崖に縁があるな――とニキシーはぼやきながらも手を動かし、なんとか崖の出っ張りに片手をかけてぶらさがった。
「また、高いな。五階建てぐらいか? 待てよ。これなら!?」
モンスターたちが自分を追いかけて次々と崖から落ち、落下死するところを思い描く。それはとても名案のように思えた。勝手に自滅してくれる、なんてすばらしいことだろう。まあそこまでいかなくても、引き返してはくれるのでは?
「……と、そう都合よくいかないか」
だがこれはドロクサーガ。
モンスターたちは崖際で踏みとどまり、ニキシーをじっと見下ろしていた。
「お、おい、やめろ」
それどころかスケルトンの一体が、身を乗り出して拳を振り上げる――が、とどかない。崖の肌を叩いただけだ。ニキシーはホッと息を吐き出し――スケルトンが片方の腕を取り外して、もう一方の手で持ったのを見て目を剥いた。
「アリなのか、そういうの……」
腕二本分のリーチ。余裕でニキシーが崖を掴んでいる手どころか、頭まで届くだろう。
「ちょ、ちょっと待って……」
スケルトンは、待たない。振りかぶって――鋭く振り下ろす!
「ひッ!」
ガシッ!
「……おぉ!?」
頭をかばって持ち上げた手が、うまい具合にスケルトンの骨を掴んで受け止めていた。
「調子に乗るなよ――このッ!」
ニキシーは勢いをつけて掴んだ手を振り下ろす。体重なんてあってないようなもののスケルトンは、すぽん、と引っこ抜かれたかのように宙を舞い、崖に叩きつけられ――
《示せ》
ニキシーのSPゲージが空になる。思考力が低下する。
「【パイルドライバー】」
崖を掴む手を離し、落下中にスケルトンを掴んで頭蓋骨を股に抱え込む。
「……ぅそぉ……」
ぼんやりした頭で呟きながら、空を切り裂いて落下、落下――――衝撃。
スケルトンを完膚なきまでに粉々にして――ニキシーは無傷で立っていた。スキル発動者の落下ダメージは無効、というスキル効果によって。
「………」
ニキシーはとぼとぼと歩いて崖から離れて上を見上げる。
崖の上のモンスターたちは、移動経路を見失って三々五々に散っていった。
「……寝よう」
SP枯渇で重い頭を抱えて、ニキシーはゲームからログアウトした。