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番外編:狩人とニキシー

イリシャとの決闘前の話です。

 あのクソ上司ふざけんなよ。


 ――と言うのを口に出して言えればいいのだが、しがないサラリーマンにそれは難しい。三十路に足を踏み入れてもまだまだ出世の道筋が見えないというのに、転職なんてことになったら恐怖でしかない。だから飲み込んで従うしかなかった。

 つまり、残業だ。貴重な週末――金曜日に。いや毎日残業してるけど? でもせめて金曜は帰りたいじゃん? まあ帰れたことはないんだけど。


 体力もないし、なにより時間が惜しい。駅前の牛丼屋で手早く並盛りをかきこみ、一人暮らしのアパートへ帰宅。金曜日は残り2時間。パパッとシャワーと着替えを済ませて、部屋へと急ぐ。


 扉を開ければ、そこにはアパートに似合わない大きなリクライニングチェアがある。椅子の上に置かれたヘッドセットを取り、座って被る。


 ――さあ、ストレス解消の時間だ。


 これを設置するためにわざわざワンルームでなく1DKを借りている。このチェアとベッドで部屋はいっぱいになるのだ。家賃は余計にかかるが、その価値はある――VRMMORPGができる……異世界に行ける、という価値が。


 2022年。科学技術の粋を集めて作られた没入型VR。その第一弾としてサービスを始めたドロクサーガ。

 おそろしく高価なチェアとヘッドセット、安定して静かな部屋が必要な上、サービスに支払う月額料金もかかる。これまでのどんなゲーム機よりも(一時期のソーシャルゲームの重課金を除けば)費用のかかる娯楽。おかげさまで正直、貯金はほとんどできていない。それでも。


 アニメで見てきたVRMMOの世界にいけるなら――安いものだ。


 ◇ ◇ ◇


 ドロクサーガにログインすると、宿の一室で目を覚ます。

 そのまま室内でストレッチ――というか雑に身体を動かして感覚を慣らす。現実世界と変わらない体格でアバターを作っているが、それも3年前のこと。微妙に身長も体重も違うし、準備運動をすると安心できる。


 納得がいったら部屋を出てチェックアウト。表通りに出る。首都ドロクは昼過ぎの時間帯だ。人通りも多い。


 ゲームにログインする人もぼちぼち出てくる時間帯で、その辺でアバターがぽつぽつ出現したりしてる。ログアウトするとき宿にいないといけない、とかいう決まりはないので、金をケチるため多くのプレーヤーは道端でそのままログアウトするからだ。

 ちなみに俺はなるべく宿を取るようにしている。そんなに金を溜めたいわけでもないし、その方が気分が出ていい。……現実じゃ、宿に泊まるなんてこと数年ぐらいないしな。


 道すがらインベントリを覗き、武具を鑑定する。耐久はまだ問題なさそうだ。今日はこのまま行くとしよう。


 ◇ ◇ ◇


 東門から街を出て、丘の麓までランニング。この世界では走ってもSPが減るだけで疲れないのがいいところだ。馬がなくても首都を中心に活動するだけなら、徒歩でなんとかなる。


 何をしにきたのかといえば、狩りだ。ハンティング。狩猟のほう。

 モンスター退治ではなく、野生動物の狩猟が俺のドロクサーガ・ライフである。


 地味だと思っただろうか? でもまあ考えてみてほしい。

 現実で狩猟をしようと思ったら、免許を取るのも維持するのも大変だし、猟期も狩っていい動物も細かく法令で決められている。そして――狩りが成功することも保証されていない。空振りの方が多い、根気の必要な仕事なのだ。気軽にホビーにできるものじゃない。


 ところがドロクサーガは事情が違う。免許はいらないし猟期もない。動物はたくさん生息していて、たとえ狩りつくしてもリポップする。スキルを使えば成功は確実だ。


 サラリーマンが週末の限られた時間にアウトドア活動するのに、もっとも適した楽しみ方じゃないか?


 ――いや、実際にはインドアなわけだが。でもそう思わせるだけの力が、没入型VRにはあるのだ。


 とにかく、凄腕ハンター気分を味わうのに最適なのだ。


 決して――人見知りでパーティが組めないからモンスター狩りに行けないとかじゃなく。


 ◇ ◇ ◇


 丘を適当に散策して、『獣道』を見つける。

 草や低木が、動物が通ったことによって踏み分けられている道だ。現実では動物の定期的な行き来によってできるが、なんとこのドロクサーガでもそうなっている。一度どこかのプレーヤーが山の動物を狩りつくした後に発見されたのだが、動物が通らないと獣道は1日程度で消えてしまうらしい。

 つまり、ドロクサーガにおいて『獣道』は23時間以内に動物が通った証拠なのだ。これを追跡すれば、間違いなく見つけることができる。


 ――まあ、そうでなくても動物はたくさんいるので、適当に歩くだけでエンカウントできるんだが……そこは気分だ。


「さて、なんの動物かな」


 跪いて獣道を視界にいれ、【鑑定】する。獲物はおそらく――イノシシ。標準より大きめ。通ったのは最近。進行方向は向こう側。……獣道の鑑定回数には自信があるし、まず間違いないだろう。

 インベントリから弓矢を取り出し、装備する。現代人が現実でイノシシを弓矢で……となると無謀な感じだが、ここはドロクサーガ。スキルがある。先手を取れば問題ない。

 より万全にと思ったら魔法で音消しした方がいいが、そこまですると風情がないだろう。弓なら感知範囲に踏み込まずに攻撃できる。


 腰を落として背を低くして移動を開始する。現実じゃこんな動きをしたら腰を痛めそうだが、ここなら問題ない。


 慎重に、そしてすばやく、俺は獣道を移動していった。


 その先に何が待ち構えているかも知らずに。


 ◇ ◇ ◇


 ………。


 ……ハッ。


 しまった、つい見とれていた。俺は草むらの中でごくりと唾を飲み込む。


 獣道の先には――金髪幼女がいた。


 顎まで伸ばしたショートの金髪。滑らかで白い肌に、かわいらしい鼻と唇。腕を組み顎に指を当てて、眉間にしわを寄せているのは、なんだか子供が無理に大人びた仕草をしているようにしか見えない。白い革鎧の下もパンツルックで大人しめにまとめてあるのが、いっそう背のび感を出している。


 細いし、小さい。この世界じゃ正確な計測はできないが……140cmぐらいか? 小学生か?


 いや――ドロクサーガは小学生は遊べない。規約で16歳からと決まっている。


 かと言ってネカマ――中身が成人男性というのも考えづらい。現実との身長差があるアバターは、ゲーム内で歩行が難しいだけでなく、現実での歩行にも支障をきたすレベルで扱いづらいという。差が5cmを超えると顕著だというから、あのサイズはいくら背の低い男でも難しいだろう。

 というか、実際難しいらしい。サービス開始初日はロリロリしいアバターをよく見たが、翌日から平均身長は上昇し、男女比率は男の方に傾いていった。……まあ大女が闊歩する世界よりはよかったと思うな。


 いちおう……ファナティックムーンの姫という例外もある。

 つまり二択だ。

 ファナの姫(イリシャ)並みに気合の入ったネカマか、背の低い高校生男子か。


 ん? いや、中身は男だろう? アバターの造詣は思わず見とれるほど上手いが……こんなにかわいい女子プレーヤーが存在するわけがない。


 それに幼女……まあ背の低いJKだとしても、解体済みのイノシシの死体を前に考え込むのはどうかと思う。


「!」


 おっと、気づかれた? 金髪幼女は顎を上げてこちらを見てきた。なんとも鋭い……というか……ジト目な目つきでこちらが潜む草むらを睨んでいる。

 ……背筋がうすら寒くなる。殺気……? いやまさかな。とりあえず、出て行こう。


「スマッ」


 やべえ、声が裏返った。咳き込んでごまかそう。


「エッフンエッフン……すまない。驚かせる気はなかったんだ」


 現実の自分の声より、渋めに設定してある。なかなかダンディで信用度高めのはずだ。

 ふふ、こういうシチュエーション、実は少し憧れていた。……これまでまったく機会はなかったが。


「ここで何を?」


 幼女の、涼やかで落ち着いた声。声の高さは身長相応だが、トーンはやけに大人びていた。思わず、こちらの背筋も伸びる。


「獣を狩りに来たんだが、少し遅かったようだ」


 幼女はイノシシと俺を見て、眉を寄せる。困っているらしい。


「いや、いいんだ。どうしてもそいつを狩りたかったわけじゃない。他にもたくさんいるし、早い者勝ちだ」

「そうですか」


 ホッ、と幼女が息を吐く。ほのかに笑んだその表情にドキリとした。

 ……いやほら、生活習慣的にこういう外見の子と会わないし話もしないし、中身がどうでも緊張するのは仕方ない、よな? な?


「あー、ゴホン……ええと……ああ、俺はミトー、という」


 こちらでの名前は現実の苗字ほぼそのままだ。うっかり言い間違えてもごまかせる類の。


「ニキシーです」


 幼女――ニキシーか。なんか聞き覚えがあるな。何か……ゲーム……アニメ……まあいいか。


「何か考え事をしていたようだが、何かあったのかな? 聞かせてもらっても?」


 山の中、幼女一人でイノシシの死体を前に考え事。気にならないわけがない。草むらから出て問いかけると、ニキシーはジト目のまま上目遣いという器用なことをして口を開いた。


「仕組みが良くわからなくて」

「……仕組み?」


 ニキシーはコクリと頷く。頭が身体に対してやや大きいので、人形のような仕草に見える。


「イノシシに攻撃したんですが、倒せなかったんです」

「……ここで死んでいるのに?」

「最終的には倒したんですが……」


 そうだよな、倒してる。


「武器を使わずに倒せるんじゃないかと思って、その辺の枝を折って叩いたり、石を拾って投げたりしたんですが、倒せなかったんです。反応はあるのに……何度試しても……」

「ああ」


 初心者がよくやる『間に合わせ武器』問題か。どうやらニキシーはドロクサーガ暦が長くないらしい。


「枝やその辺の石は『武器』じゃないからな。スキルが使えなかったろう?」

「はあ」


 ニキシーは首をかしげる。髪が揺れるところがかわいらしいが……分かってないよな?


「でも通常攻撃しましたよ?」


 うん、分かってないな。


「きちんと武器にカテゴリされていないアイテムは、それを使っても攻撃扱いにならない。『釣り』用には使えるがね」

「……石で『釣り』を?」


 どうやらゲーム用語にも詳しくないようだ。いや――演技かもしれないけどな?


「魚釣りの方じゃない。気を引いてターゲットをこっちに向けることだ。武器以外の物は、当たった衝撃や音は発生する……だが攻撃には使えない」

「なぜですか?」

「ひらめかないから、と言われているな」


 このゲームの武器種は異様に多い。20種類それぞれに30程度のスキルが用意されている。そして武器は通常攻撃することによりスキルをひらめく。

 ということは開発のポリシーとして『通常攻撃したらひらめく』が鉄則なのではないか、と検証勢に言われている。そしてだからこそ、すべての物体で通常攻撃できるようにすると、スキルの設定が大変なことになるから――武器以外では通常攻撃できないのではないか、と。

 ……そんな難しいこと考えず、ダメなもんはダメでもいいと思うが、検証勢は必死だ。


「ひらめかないんですか」

「ああ。……例えばそのへんの椅子で殴って何かひらめく、とかもなんか嫌だろう?」

「そうですね」


 ニキシーは何故か遠い目をする。


「……そうなると、石では攻撃できないんですね」

「いや、そんなことはない」


 俺はインベントリーから石袋を取り出す。


「こういう店で売っている投石用の石なら、攻撃ができる。あくまでその辺で調達する『間に合わせのもの』がダメなんだ」

「投石用……ですか」


 ニキシーはジッと石袋を見つめる。……欲しいのかな?


「お近づきの印に、あげよう」

「いえ、自分で買いますから……」

「買うなら余計に受け取って欲しい。10カッパーもしないし、気にすることはない」


 ……お金を出してガッカリするより、貰い物でガッカリしたほうがいいだろうからな。

 なんたって、投石は基礎ダメージが低い。ニキシーが期待する――イノシシを倒せるほどのダメージは出ないのだ。

 そもそも俺が持っていたのも、曲射効果のあるスキルで音を立てて釣るためだけだし。【隕石】や【超電磁砲】ぐらいの最上位スキルならある程度期待できるらしいが……それを取得するための労力とリターンを考えると、極める気にはさっぱりなれない。


「地味に重いし、荷物がかさんだときは捨てるものだから」

「……では、ありがたく」


 ニキシーが手を伸ばして、石袋を受け取る。ちょっと手が触れてドキッとしてしまった。なぜ、こういう些細な熱量をこのゲームは再現したがるのか。



 ――ガサッ



「あっ」


 物音。振り返る――ヤバイ。


「熊ですね」


 ですね、じゃない。


 熊はこのゲームにおいてモンスター並に強かったりする。現実の熊よりやばい、とマタギがコメントしたこともあるらしい。

 茂みから出てきた熊との彼我の距離は5メートルもない。一瞬で詰められる距離だ。弓で対応できる間合いじゃないし――俺は弓専門で近接武器スキルがない。


 俺は――


「逃げろ!」


 かっこよくニキシーと熊の間に立ちふさがった。

 いやもう、この距離じゃね、対抗できないから。死ぬだけならもう、いいとこ見せたほうがね? 憧れるじゃん? こういうシチュエーション。男の子ならさ? いやニキシーの中身も男の子かもしれないけどもうここはいっそ女子だと思い込んだほうが。

 というかもう女子、女子だよニキシーは。ちょっと成長のよくないJKプレーヤーだよ。細くてか弱い、愛らしい初心者JKだよ。やった、俺、JKと話してる! JKを庇ってヒーローしてる! ナイスタイミング、熊! インベントリ全損したって惜しくない! うおおおお俺が輝けぇぇえええええ――


「やあッ!」


 轟ッ!!


 バゴッッ! ……ズズゥン。


「……は?」

「あ、攻撃できましたね」


 何が起こった。


 いや、背後からなんか飛んできて、熊の眉間に当たって熊の顔ごと粉砕して、熊が倒れたのは分かった。


 ……え? 一撃? 投石で? 熊を?


「ありがとうございます、ミトーさん。弓とか難しかったので……これでなんとかなりそうです」

「えっと……あの、今のは?」


 振り返って尋ねると、ニキシーは真剣に頷いて言った。


「通常攻撃です」



 ……うそォ?

あとひとつ番外編を投稿したらいったん完結済みにします。

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