ニキシーと初心者殺し(後)
「あれ? このゲームって、アバター複数作れないよね?」
「えっ」
ニキシーは知らなかった。ドロクサーガは考えが古いのだ。一アカウント一アバター、人生は一度きりだという偏った思想ゆえの仕様。
「ああ……サブアカウントか。よくやるわね、あなた」
「? どういうこと? ヘッドセットとアカウントって紐付けだよね?」
「そのヘッドセットごと買ってやるのよ、このゲームのサブアカはね」
が、金の力には思想も無力だった。ドロクサーガのヘビーユーザーの中には、ヘッドセットをずらりと10個並べているようなやつもいる。ネットのゲームメディアで紹介されるぐらいには珍事ではあるが。
「うわ。ヘッドセット二個とか絶対買えないよ。お金持ちなんですね、ニキシーさん」
「いや、まあ、あはは……」
そんなことはない。ニキシーだって二個目を買ったらしばらくひもじい思いをすることになる。
「じゃあ、わたしはこれで……」
「あ、待ちなさいよ」
いたたまれなくなってその場を離れようとしたニキシーを、セレリアが呼び止める。
「あなた、経験者なんでしょ。ちょうどよかったわ。町抜け手伝ってよ」
「え」
「こんな初心者町さっさとおさらばしたいのよ。あなたも、回復役のディーがいたほうがやりやすいでしょ? 攻略サイトで地図は見てきたけど、実際にこうして中に入ると地形とか複雑だし。その点、経験者に案内してもらえば楽できるわ」
「え、でも」
「ドブネズミに噛まれるぐらいだし、前衛はうまくないんでしょ。ファーストは後衛系? いいじゃない、初心者町周辺ってロクなことないんでしょ。苦行なんてやめてさっさと次に行きましょ」
「え、え」
セレリアに背中を押されて、ニキシーは歩き出す。
「よく今の流れで誘うよね……まあそれがセレリアのすごいとこだけどさ」
その二人の後を、ぽつりとつぶやいてディーザンが追いかけた。
◇ ◇ ◇
道中、ディーザンとセレリアが同じ高校の学生だと聞いて、ますます自分の身の上が話しづらくなったニキシーは、黙々と前衛をこなした。出てくる敵はドブネズミ程度で、ニキシーの槍の一撃で問題なく倒せる。ちょっと進んだ先で出てきた大コウモリも、槍のリーチと攻撃力のおかげでこれも一撃。
戦闘に関しては何も問題なく、ディーザンとセレリアがくだらない喧嘩をしながら歩く余裕もあった。
だが、これはドロクサーガなのだ。
セレリアが先ほど言ったように、『初心者町周辺はロクなことがない』。
「ねえ、この道でいいのかしら?」
「さ、さあ……たぶん?」
初心者町から近い、「次の町」こと「南ルーシグ」は、大まかに東方向に存在する。
ただし、方角やマップは、ゲーム内では通常表示されない。方角を知りたければ、コンパスを使うか太陽の方向を見るか、魔法を使わなければならない。
また東に向かって歩いているようでも、障害物をよけたりするうちに徐々に進行方向を見失っていく。
そしてどういうわけか、素直に地形に沿って歩いていくと、必ずその沼にぶつかるのだ。
「うわっ、うわわわわ! な、なんだこれ!」
「まさか……『初心者殺しの沼ワーム』!?」
沼に行く手をさえぎられて三人が立ち止まった次の瞬間、沼から巨大なミミズが出現する。いや、ミミズっぽいのは胴体だけだ。首から上は醜悪な、鋭い歯を備えたトカゲになっている。
「ちょっと、どうしてここに案内したのよ!?」
「えぇ……その、わたしも初めてで……」
セレリアがすさまじい剣幕で怒鳴ってくるが、ニキシーだってよく分からない。
「初心者殺しの沼ワーム……ってなんですか?」
「経験者でしょ!?」
「その、実は初めてで……」
「はぁ!? なに言って」
「うわああああああ!」
言い合いをしている間に、恐怖に耐え切れなくなったディーザンが悲鳴を上げて踵を返す。後ろも見ずに来た道を戻ろうとして――
「ぎゃあっ!」
ワームの体当たりを受けて転倒し、動かなくなった。HPはゼロ。死亡だ。
「回復役が最初に死んでどうするのよ! ああもう!?」
「戦うしかない……?」
「『初心者殺しの沼ワーム』よ!? 倒せるわけないじゃない……」
初心者殺しの沼ワーム。
初心者町から南ルーシグへ行く方角、素直に歩いていけばかならずぶつかる沼に存在するモンスター。
サービス開始から一週間、何百という初心者がその牙にかかって死亡していった。
その一年後に、鍛えに鍛えたプレーヤーたちがリベンジしに来てようやく初討伐が報告されたモンスター。初討伐時には、多くのプレーヤーからその討伐者に賞賛の声が送られた。ようやくカタキをとってくれたか、と。
ちなみにそれから数回討伐された後は放置されている。特に何のレアアイテムも落とさないことが判明したからだ。
「二手に分かれて逃げるわよ。どっちかは殺されるでしょうけど、どっちが生き残っても恨みっこ無し! いいわね――今よ!」
セレリアが走り出す。ニキシーも走り出すしかなかった。突っ立っていたら機会はない。
そして――選ばれたのは、ニキシー。
鎌首をもたげたワームが、ニキシーに牙を突きたて――
「あ」
――なかった。つまずいて転んだニキシーの背の上で、ガチンッ、と牙のかみ合うにしては異質な、金属音が鳴り響く。そして。
《示せ》
ニキシーの脳裏には、声が響く。SPゲージが一気に空になる。
「【大風車】」
回避をトリガーとしてひらめく、カウンター技。ニキシーは地面から跳ね上がり、足で槍を挟んでバク転。その穂先が、ワームの目を縦に切り裂く。痛みと驚きに、ワームが悲鳴を上げる。
ドッ……と、思考が重くなる。立って、槍を構えてはいるが、ニキシーはどうしたらいいか考えられない。SP枯渇のペナルティが、判断力を奪う。
目の前には、苦痛にもだえる敵。
無意識に体ごと槍を突き出す。だが、回避され――
《示せ》
「【幻槍】」
ニキシーの「移動前」の場所から、蜃気楼の槍が放たれる。攻撃ミスをトリガーとしてひらめく、追撃技。それはワームの体に突き刺さり、血を流させた。しかし、それで逆にワームは冷静さを取り戻す。ニキシーを正面から睨みつける。
《【毒ノブレス】》
ワームが口を大きく開き、その口腔から異臭を伴う霧を吐き出す。
毒。桁外れの攻撃力に加えて、この広範囲の毒の息が、これも数々の初心者を屠ってきた。ディーザンのように初心者町で初期所持金をすべてなげうって【キュアポイズン】の魔法を購入しない限り、直す手立てがないからだ。
ジュッ、とニキシーの肌が焼け、毒のバッドステータスが入る。痛み――ニキシーは反射的に槍を繰り出す。だが、当たったのは顔の硬い鱗の部分で、弾かれ――
《示せ》
「【注ぎ槍】」
ドンッ! 体ごと突き刺した槍が、ワームの鱗を貫く。ニキシーの毒が解除され、ワームに毒が注入される。自身の状態異常を攻撃対象に移すスキル。
《示せ》
「【串刺し】」
パッとワームから離れたニキシーは、すばやくその顎下にもぐりこみ、槍を天に向けて貫く。顎から頭へと、槍が貫通し、ワームの口を縫いとめる。
《示せ》
三連続。ニキシーの眼が光る。
「【天ノ崩雷】」
直後、現実にはありえないほど太く眩い光が天から降ってくる。鼓膜をつんざく雷鳴が体を、地面を、空気を震わせる。
――数秒後。焼け焦げて元が何だったのかわからなくなったワームの体から発せられた煙が晴れたとき。ワームの体が、槍が、消し炭になってぼろぼろと崩れ落ちる。
そこに立っているのは、ニキシーだけだった。