番外編:ニキシーと魔法
序盤か決闘準備中に入れようと思っていたのですが入れ込めなかった話です。
「そういえば少し聞きたいことがあるのだが」
ドロシア王国の首都ドロク。ドロクサーガの物流の中心にある大都市は広く、多数の施設を抱えている。プレーヤーも多く滞在し、喧騒賑わう町ではあるが、静かに話し合うことは難しくない。特定の業種の施設にはプレーヤーが寄り付かないからだ。
それは飲食店。安全規定にうるさいドロクサーガにおいて、無味無臭の空気かつ飯テロを提供する飲食店は、ダントツで不人気の施設なのだ。だが、話し合うには雰囲気もあって悪くない。それに不人気だが店舗数はやたら多かった――NPC、この世界の住民が飲食するために。
ニキシーはカウンターに置かれた酒のグラスを遠ざけて、隣に座る女に話しかけた。豊かな曲線を描く肢体を黒いアオザイのような服に包み、翡翠の装飾をじゃらじゃらとまとった長身の美女。アーシャ・マオドラゴン。
「なになに? なにかしら?」
猫のような目がきらりと輝く。背丈もスタイルも現実とは違うのだが、その目だけは見知ったものだ。
だから、普段のように話すことができる。
「魔法について聞きたい」
「あら……意外ね。ニキシーが魔法だなんて。めんどうくさいって言って聞く耳持たないと思ってたんだけど」
「めんどうくさいとは思っていたが……」
身体を動かせば剣を振ることはできる。なのにいちいちコマンドを発声し、SPやらクールダウンやらを管理してコンボがどうたら……と言われるスキルは本当に面倒くさい。
だが、魔法はちょっと違う。これは現実にないものだ。であれば、多少は仕組みを受け入れられるのではないだろうか? それに、仕組みを知れば対策も立てられるだろう。いいようにやられた闘技場での苦い経験を無駄にしてはいけない。そしてなにより――
「魔法は絶対にひらめかない、と聞いたからな」
「……なるほどね」
アーシャは苦笑する。
「ひらめきすぎたせいで体調崩したんだから、そりゃ気になるわね。……あたしたちとしては、SP枯渇状態でひらめいたことがないから、そっちのほうが気になるんだけど。実際どうなの?」
「……言葉にしづらいのだが……ゼロからイチ以上を汲み出そうとされる理不尽……矛盾……違和感? そんな感触がする」
そういえば最初は気を失ったのだった、とニキシーは思い出す。今となっては耐性もついたのか、そういうこともないのだが。
「とにかく不快だ。だから、ひらめかないなら多少めんどうでも……我慢できるかもしれん」
「なるほどねー。ま、魔法はほとんどのプレーヤーが使うからね、知っておくのはいいことよ」
「……ほとんど?」
「魔法なしプレイとか、どんな苦行? ってレベルよ。数人ぐらいしか知らないわね」
苦行なのか。
「武器スキルは覚えすぎるとひらめきづらくなる、っていう仕様があるけど、魔法はそういうことはないしね~。便利だからどんどん使わないと」
魔法を使ったからといって武器の扱いが鈍ったりはしない、とプレーヤーたちに検証されていた。むしろ武器スキルが例外で、他はどんなに取得しても他に影響はない、と結論付けられている。
「攻撃や回復だけじゃなくて、暗視をつけたり移動を楽にしたり……いろいろ便利なのよ、魔法は。だからよっぽどこだわりのあるバ……ひとだけよ、魔法を一切使わないのは」
今、バカって言った気がする。
「じゃ、まず基本からね。魔法を使うにはスペルブックと触媒が必要よ。こういうのね」
アーシャが胸の谷間から本を、腰のポーチから雑多な品物を取り出してカウンターに並べる。何かの羽、赤黒い色の苔、ピンク色の丸い珠……。
「ゴミか?」
「触媒よ……フィールドで採取したり、モンスターからドロップするのを集めるの。買ってもいいわ。高性能な魔法にはそれに見合った高価な触媒が必要になるわけ。ちなみに、使いきり、消耗品よ」
「金が力になる、ということか」
「そういう面もあるわね。ただ、触媒だけじゃなくてMPも消費するから、金さえあれば無限に使えるわけじゃないのよ」
「SPみたいなものか。……ちなみに、枯渇するのか? そうなったらどうなる?」
「魔法が使えなくなるだけで、SP枯渇みたいに行動できなくなるわけじゃないわ」
事前準備が必要だが、まだなんとか許容できそうだ。ニキシーは少し希望を持った。
「スペルブックというのは?」
「魔法が書き込まれた本ね。この本に書き込んである魔法だけが使用可能よ」
「ずいぶん薄いが……魔法はそんなに数はないのか」
「分厚いのもあるわよ。フルスペルブック、って言われているやつね、ほらこれ」
ドシン、とアーシャが置いた本の厚みに、ニキシーは目を剥いた。電話帳ぐらいある。最初に置かれたのは大きさこそ同じハードカバーサイズだが、厚さはせいぜいコミックス単行本の半分ぐらいだったのだが。
「こんなに魔法が……?」
「厚みのある羊皮紙だからページ数はそれほどないけどね。あと魔法ひとつで複数ページになることもあるから」
「それでもだいぶあるが……」
「これで全部じゃないわよ?」
「……フル、なのに?」
ニキシーが見上げると、アーシャはこくりと頷く。
「基本系統の魔法が全部入ってるけど、それ以外の系統の魔法っていうのもあるからね。あたしが使ってるバブル系とかは、このフルスペルブックには載ってないわ」
「……魔法の総数は?」
「さあ? いまだに新しい魔法が見つかることもあるし……今魔法図鑑に載ってるのだけで、300は超えてるはずね」
気が遠くなってきた。自分が覚えているスキルの数より多い。
「そんなにたくさん使えるのか……」
「装備したスペルブックに書いてある分だけよ。こんな重い本持って戦えるわけないでしょう?」
アーシャは胸元からさらにいくつかのスペルブックを取り出す。どれも表紙の色が違った。
「状況に応じて使い分けられるように、魔法を小分けしてスペルブックを複数用意しておくのが基本ね。普段使い、補助用、移動用、採取用、火力用……重複して書き込んでる魔法もあるけど、これぐらいはしないと」
片手で持てるサイズで、状況に応じたスペルブックを作るのだとアーシャは言う。色分けしているのはインベントリーから取り出すときに見分けをつけるためだそうだ。
……大丈夫だ。まだ、事前準備だ。準備だけなら大丈夫だ……たぶん……。
「――このスペルブックを持って、触媒を用意して、コマンドを唱えれば魔法が使えるんだな?」
「そうね」
よし。
「詠唱が必要な魔法もあるけど」
……詠唱?
「即時発動の魔法も多いけど、基本的には詠唱時間っていうものが必要なのよ。魔法を使う前にもごもご言っているの見たことない?」
ある。特にイリシャとの戦いのとき、仕切りなおしの間ずいぶん待たされた。
「スペルブックを持って魔法名を発声すると、即時発動でない場合は詠唱モードに入るの。視界にプログレスバーが表示されてね。で、バーが満たされたらもう一度魔法名を発声して発動、っていう流れよ」
………。
「詠唱中の発言は、他の人からはぜんぶもごもごに聞こえるのよ。でも意味がないわけじゃなくて、ターゲットを指定したり範囲を指定する魔法は、その詠唱中に発言で指定する必要があるのね。ちなみに無言で指定がなくてももごもごは言うから……エフェクトみたいなものね」
アーシャは……にこりと笑った。
「……次はスペルブックの用意のための、スクロールの【写本】スキルとかの話をするけど、聞く?」
「もういい。魔法は諦めた」
「でしょうね。そーゆー顔してたわ」
スキルが優しく見えてくるめんどうくささだった。
「魔法があったほうが圧倒的に便利だけど、なくてもなんとかなる手段はあるから……それに、ニキシーには通常攻撃があるから、なんとかなるでしょうね。うん、大丈夫よ、たぶん」
ニキシーはアーシャに、投げやり気味に肯定される。
……魔法を使わない数人のうちの一人が増えるぐらい、きっとなんともないだろう、うん。
「そういえば……」
「うん?」
「セレリアが前に言っていたのだが、バブル系魔法をアーシャが唯一使える、というのはどういうことだ?」
興奮してそう言っていた。アーシャはすごいのだと。
「ああ……どうかしらね。今でも唯一、とは限らないけど……」
アーシャは、隠すことでもないし、と言って肩をすくめる。
「発見したし、あたしがブックを持ってもいるけど、魔法図鑑に登録してないから。今も登録されていないし……他のプレーヤーに使うところを見られているのが、あたしだけだからね。唯一かどうかはわからない、その可能性もあるってぐらい、かな」
「登録しないのか?」
「登録すると、触媒も記載されちゃうのよね」
アーシャは頬杖をついて溜め息を吐く。
「……あたしは登録しないわね」
とくに【バブルゲート】が問題なのだとアーシャは言う。
「物流と経済が組み込まれているこの世界で、瞬間移動が一般公開されると大変なことになるのよ」
輸送にかかる時間がゼロになれば様々な部分に影響を及ぼす。
「同じ商品を運ぶNPCの商人は商材を失うし、隊商がなくなればその護衛も仕事にあぶれる。経済は混乱必至ね……プレーヤーはなんとかなっても、NPCには死者だって出るかもしれないわ」
プレーヤーには『生活』は必要ない。ゲーム内で飲食は不要だし、睡眠もいらない。だがNPCには衣食住の生活が必要だ。生きるための活動が必須なのだ。
「そんなわけだから、バブル系魔法は広めないことにしてるのよ」
「なるほど――本音は?」
「ただでさえ高い触媒使うのよ、触媒が判明したらさらに高騰して、気軽にワープできないじゃない!」
そんなことだろうと思った、とニキシーは冷めた目でアーシャを見つめる。
昔から自分が楽しいことを優先する姿勢は、変わっていない。
「嘘じゃないのよ? 経済とかそういうのもちょっとは考えているのよ?」
「わかったわかった」
「なによう、これでも独占はけっこーしんどいんだからね?」
アーシャは赤い唇を尖らせる。
「頻繁にPKに狙われるし、何かにつけてスクロール分けてくれって言われるし……まあ返り討ちにしてお断りしてるけど」
「貴重品を抱えているんだ、その辺りは仕方ないだろう」
「あら、他人事じゃないわよ?」
「……? 何がだ?」
ニキシーは貴重なものなど何も持っていない。アーシャのことはずいぶん他人事だと思うのだが。
「世の中には戦闘マニアがいるのよ。ニキシーみたいな戦闘スタイル、他にはいないでしょう? どうやったらニキシーを倒せるか? って、ずいぶん話が盛り上がってるみたいよ」
「えぇ……」
「そのうちところ構わず決闘を申し込まれるんじゃない? 似顔絵も出回っているし……」
そんな事態を想像して、ニキシーは頭を抱えてカウンターに突っ伏した。
「……勘弁してくれ……」
「お互い、人気者はつらいわねぇ」
にこにこと。
それこそ他人事のように、アーシャは楽しそうに笑うのだった。