ニキシーと決闘(6)
『敗因は【パリィ】だろう。ビビらず回避するべきだったね。自動で防御してくれる便利なスキルだけど、その分足が止まってしまうんだから。ま、あの様子じゃ回避もいつまでできたかわからないけど──いや、なにはともあれ、決着だね。そうだろう? ほら、アナウンス』
『あ、ああ――はい。それでは、えー、意外な結末でした! 勝者は、ニキ――』
『まだですよ?』
実況席が沈黙する。今まで散々「仕様です」としか言っていなかったGMリリアンが、ローブの裾から手を伸ばし、倒れ伏したイリシャを指す。
『まだ死んでませんよ?』
『え? いや、しかし――』
『ああ――忘れてた、そうだったね』
解説者がいち早く状況を理解して頷いた。
そして――動き始めるイリシャを見て、解説する。
『【リヴァイヴァ】――最初に魔法でバフかけてた時に使ってたねえ。一度だけ死亡を回避できるやつをさ』
ゆらり、とイリシャが立ち上がる。
だがその体に力はない。【リヴァイヴァ】が発動した場合、すべての効果はリセットされる。加えてHPはわずかしか回復しない。
そのイリシャに、ニキシーは斧を向けて問う。
「……降参しますか?」
返事はなかった。顔を伏せているので表情も読めない。かといってニキシーは、今すぐ攻撃に移る気にもなれなかった。
死亡はSP枯渇と同じで、思考力が低下すると聞いている。もしかしたらその影響かもしれない――
「……く……」
「……?」
「く……ふふ……くっくっく……」
イリシャが――笑う。腹を抱えて、静かに笑っていた。ニキシーはどうしていいかわからず、そのまま様子を伺う。
それがいけなかった。
「まだじゃ」
イリシャが腹を抱えた腕を解くと、そこから何かが床に落ちる。
表示サイズ可変、位置自由、伸縮自在の課金専用インベントリ。革鎧の腹部に仕込んだそれからイリシャが取り出した人形は、次の瞬間爆発的に膨れ上がった。ニキシーは何か硬いものに弾き飛ばされ、闘技場の壁に叩きつけられる。
「きゃあ!?」
HPゲージがガクッと減少する。地響きと轟音と土煙が闘技場内に押し寄せ、何が起きたのか分からない。
なんとかポーションホルダーに手を伸ばすが、今の衝撃で一本割れていた。残り一本――最後のHP回復ポーションを使う。
「いったい……」
土煙が晴れるのを待ち――やがてその正体が明らかになる。
『これは――ドラゴン? ドラゴンかっ!? ドラゴンだァー!!』
『うわ……フォートレスドラゴンじゃないか。二度もペット使っておとなげ……っていうか、こんなの人形化できるのか? サイズに比例するんだぞ、儀式の詠唱時間……十時間ぐらいかかるんじゃないか? いやそもそも調教できるのか? あきらかに過剰戦力だろ? チートじゃない?』
『仕様です』
要塞竜。その名に『要塞』を冠するとおり、巨大な鋼の要塞をその身に纏う竜である。上から見れば亀に似ているかもしれないが、その頭、手足は竜なのだ。
「ふ、ふふふ――ハーッハッハッハ! まだじゃ! わしの『底』はここからじゃぁ!」
要塞竜の背に仁王立ちになり、イリシャが哄笑する。その姿は、ニキシーのいる場所からは見えない――それほどまでに、竜は巨大だった。闘技場の端から端まで、要塞が埋め尽くしている。
「さあっ! やれッ、オシロン! 生意気な小娘を踏み潰せッ!!」
「ッ……」
ニキシーは慌てて身構える。
足――要塞から生えている、あの鱗の生えた太い塔のようなものがそれだろうか? あんなのが上から降ってきたら逃げようがない……!
「さあ、やれッ……!」
………。
「………」
………。
「………」
「………」
『……えーと、動きませんね、ドラゴン。どうしたんでしょう?』
イリシャが指示を出してしばらく経っても、要塞竜は動かなかった。要塞の門のようなところから突き出ている竜の顔は、オロオロと辺りを見回しており、何の反応もしていないわけではなさそうだったが。
『あー……これは、そういうことかな?』
『ど、どういうことです? カニカンさん』
『いや、サイズを見てごらんよ。あのドラゴン、闘技場にギッチギチに収まってるだろう?』
ニキシーが吹き飛ばされた場所以外、どこにもスペースは残されていなかった。
『闘技場ってさ、プレーヤーが場外のプレーヤー攻撃するのは禁止というか、フィールドの制限上でできないんだよね。で、ペットはプレーヤーの一部だから……』
『なるほど。図体の大きいドラゴンが身動きすると、場外のプレーヤーに対する攻撃になってしまうから……動けない、と』
「はあ!? な、なんじゃと!? そんなデタラメ――」
『仕様です』
がくり、と要塞竜の上でイリシャがくずおれる。
「よく分かりませんが……」
動けないなら脅威ではない。ニキシーは斧を握る。
竜が纏う鋼の要塞までたどり着ければ、足場も出っ張りも豊富だから上っていけるだろう。なんなら梯子や階段も見える。が、柱のような足は意外と背が高くて、届きそうにない。
ならば、打ち壊すのみ。もう遠慮はしていられない。
「やあッ!」
ドガッ! 斧で要塞竜の足を切りつける。高速、高威力の通常攻撃を繰り出し続ける。
ドガッドガッドガッ!!
「えぇいッ!」
ドガッ――パリン。アイテムの破壊音。イリシャの猛攻を防ぎ、規格外の通常攻撃を叩き込み続けた斧が、ついに破壊される。
だが――要塞竜はびくともしない。
「これは……」
「ふふ……ふふふふ、ははッ、ハァーッハッハッハ!」
竜の上で、イリシャが息を吹き返して高らかに笑う。
「ここまでじゃな、小娘! オシロンは防御力の鬼なのじゃ。単なる高位スキル程度では防御を抜けない、それはもうカッチカチのモンスターでのう。ダメージを与えようと思ったら、防御無視のスキルを使うか、より高火力のスキルを使う必要があるんじゃが……」
にんまりと――イリシャは悪い顔で笑う。
「ふっふっふ。オシロンのHPはビタイチ減っておらんわ。お主の通常攻撃は、防御を抜けないようじゃの?」
「………」
「どうした? 防御無視スキルを使わんのか? ふふ――フハハハ! できんじゃろうなあ! あったらとっくに使っておるじゃろおが! うっふふふ……そうじゃ、そうじゃとも。どーせ、アホみたいな火力の通常攻撃を得る代償に、スキルが使えないのじゃろ? じゃがの、このゲームではスキルがなければ意味がないのじゃよ。通常攻撃でゴリ押し、そんなもんで勝てるわけないのじゃア! アハハハハハハ!」
アハハハハハ――と、イリシャの笑いが闘技場内に響き渡る。
『あー、イリシャ。それで君はどうするんだい? ドラゴンは動けないよ?』
が、解説席からの一言で、それはぴたりと止んだ。
『君、遠隔は魔法しかなかったよね? とはいえさすがに視線取りに顔は出せないだろ? 投石されるし』
「………」
『膠着状態、ってことでいいよね。お互いこれ以上は手がないだろう? じゃあさ、引き分けってことにしよう。いい戦いだったよ。これで満足だろう? ――さ、そういうことで、引き分けを宣言してくれよ』
『え……あ、ああ、はい……そうですね。これ以上は状況も動かないようですし……それでは、引き』
「だまれ」
幕を引こうとした実況者が、ぴたりと口をつぐむ。
「誰が引き分けじゃと……? そんなわけあるか……わしはファナティックムーンのクランマスター、イリシャ・ラスクイーターじゃぞ……初心者相手に、ここまで切り札を切っておいて――決着をつけずに終われるかァァァ!! アハハハハハ! ハーハッハッハッハッハ!」
狂気じみた笑いを響かせて――イリシャは命令を下す。
「オシロン。――リリース」
ペットを支配下から解き放つ命令を。
◇ ◇ ◇
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!」
要塞竜が吼える。その巨体が、主従契約という枷から解き放たれて動き出す。
最初に犠牲になったのは、要塞竜の背後に位置した観客席だった。おとなしく体の下に丸め込まれていた竜の尾が、鞭のようにしなって観客席をなぎ倒す。大人二人分の身長ほどもある直径の、鋼鉄の鱗に覆われた尾。その場にいた観客のほとんどが巻き込まれて死亡した。
《【全砲門開ケ】》
ペットではなくなり、ただのモンスターとなった要塞竜は、闘技場のルールに縛られない。スキルの発動と共に、背負った要塞のあちこちで機械音がし始める。
『いけな――防御! 防御するんだッ! 全員防御ッ!』
解説のカニカンが切迫した指示を出した直後――要塞のいたるところから顔を出した大砲が、観客席をでたらめに砲撃し始めた。轟音と共に座席が吹き飛び、巻き込まれた観客が無残な姿に変わっていく。
『ひっ!』
そして巨大な砲弾は、実況席にも飛び――
『――あ、あれ? ノーダメージ? どういうことだ?』
『仕様です』
『いや、どういうことだよ!?』
『GMの周囲には無敵バリアがありますので』
GMリリアンのバリアが砲弾を弾き、実況席の三人は傷ひとつなかった。
『あ……そうなんだ。じゃあここにいれば安全?』
『そうですね』
『なんだそうか。はっはっは。というわけでみんな、ここから離れたほうがいいよ。なんならログアウトしたほうがいいね。百人レイド規模のモンスターだからね、準備もなしに戦える相手じゃない』
どがんどがんと周囲が砲撃され続ける中、解説のカニカンはのんきに避難の案内をした。調子を取り戻したアナウンスとは裏腹に、砲弾は雨あられと降り注ぎ続け、観客席はいまだに阿鼻叫喚の地獄だったが。
「……これが」
逃げるものは逃げ、死ぬものは死に、徐々に悲鳴が少なくなっていく闘技場の中で。
ニキシーはひとり、ぽつりと呟いた。
「これが……本気でやること、だと?」
イリシャの言う本気。ニキシーはそれを自分と似たようなものだと思っていた。
このゲームに対して真剣になること。
もっと言えば、世界を世界として受け入れること。
要塞竜は暴れ続ける。観客席にはNPCもいる。NPCはプレーヤーと違って、生き返らない。モンスターも同じだ。ヌマタンは帰ってこない。ミストキャットも帰ってこない。
ゲームだから平気なのか?
それとも――その上で、本気なのか?
「いずれにしろ……」
ニキシーは砲撃の及ばない竜の足元で、かすかに聞こえる笑い声の方向を見上げて、言った。
「望みどおり――決着をつけてやろう」
最終形態です。次回まで少し時間がかかりそうです