ニキシーと通常攻撃(後)
「ボクは真面目にセカンドキャラへの移行を提案するよ」
場所を大通りに面したカフェに移して。
机の上で手を組みながら、ディーザンは真剣な表情で言った。
ちなみに料理は何も頼んでいない。飯テロはもうこりごりだったので。
「理由はふたつある。まず、派生スキルがひらめかなくなってるからだ」
「派生スキル……というのは?」
「通常攻撃からでは絶対にひらめかなくて、スキルを使わないとひらめかないスキルだよ。わかりやすいのは剣の【三段斬り】かな。【二段斬り】とか複数回攻撃系のスキルからじゃないとひらめかないんだ」
なるほど。とニキシーは頷く。なるほど、スキルを使わないから関係ないな、と。
「そして、取ったスキルが【通常攻撃強化】だってこと。まあ【聴覚強化】とかそういう戦闘に関わらないスキルよりはマシだけど……でもやっぱり、【通常攻撃強化】はないよ」
「どうしてですか?」
とてもいいスキルだと思ったのだが。
「パッシブスキルは効果範囲が限定されているほど強力なんだ。【剣スキル攻撃威力強化】の場合、剣スキルの封印しか対象にならないんだけど、20の一時封印で10%増強されているのが確認されてる」
「運搬の話を聞いてなかったら信じられない話ね」
「ですねぇ。いや、それでもたったの10%? って感じですけどぉ……」
だいぶドロクサーガに毒されてきている一行である。
「でさ、【通常攻撃威力強化】の場合。全戦闘スキルの封印が対象になるんだけど……例の100個スキルの引退者。その人が最後に検証したのが、これの100個完全封印なんだ」
「……その結果は?」
「10個完全封印で効果確認できず、50個で25%、100個で――170%」
「あら……けっこうあるじゃない?」
「ほんとですねぇ、数が多いと伸びるんですね」
「両手剣初級スキルの【スラッシュ】が通常攻撃の4倍あるのに、2.7倍の通常攻撃って何か意味があるかい? 最高位のスキルだと30倍以上って言われてるんだよ? そしてニキシーヤロウの選んだのは威力特化じゃなくて、威力、速度、精度の総合スキルの【通常攻撃強化】なんだからね!?」
「にきしーやろう……ひぇぇ」
ディーザンの中で何かがぷっつりいってしまったらしい。
「特化型の【通常攻撃威力強化】と同じ計算式だったとしても、30個程度じゃ5%しか威力があがってないんだ!」
ダンッ、とディーザンが机を叩き――それを合図に、じっと下を向いていたニキシーが顔を上げる。
「計算式は公開されているんですか?」
「え? いや、プレーヤーの検証でだいたいの推論式は出てるけど……攻撃力はいろんな条件が重なるし測定も難しいから、概算なんだ。け、けどだからって、大きくずれてはいないはずだからね!?」
「では、その推論の式に当てはめたとして――」
ニキシーが尋ねようとした、そのとき――
「騒がしいと思ったら、さっきの坊主じゃねえか」
どすん、と。屈強な男の腕が、テーブルの上に載るのだった。
◇ ◇ ◇
「なっ、ななな、な、なんですか、いったい」
ディーザンが掻き消えそうな声で言う。それも仕方のないことだろう。それほど相手は――恐ろしかった。
丸太のような腕には何と読むのか良くわからない文字のタトゥーが入っている。ギラギラと光るサングラス、スキンヘッド。黒い革鎧には肩や手首などいたるところに金属製のトゲ。
VRだからこそ恐ろしい。こんなファッションの人間が現実にいたら、近づこうなんて誰も考えないだろう。それが至近距離で睨みつけているのだ。ディーザンは声を出せただけでも褒められるべきだった。
「アァ!? なんですか、じゃねえよ! テメーのせいでよぉ、オラ、見ろよ!」
男が背後を指す。そこには、小象ほどの大きさのモンスターが横たわっていた。全体は青っぽくてトカゲに似ているが、ビート板のような形の硬い歯がずらりと下あごに並んでいる。背中には草のような毛がぼうぼうと生えていて、その頂点に鞍が取りつけられていた。よく見れば首には首輪が、口には馬銜と手綱がつけられている。
『沼竜』と呼ばれる、騎乗可能なモンスターだ。【調教】スキルによって飼いならすことができる。
「ヌマタンが楽しみにしてたケーキが台無しになって、こんなに落ち込んでるじゃねーか!」
「え、えぇ……?」
学者ギルドへ行く際にぶつかって、その時ケーキを落としてしまった男だ。
「あ、ほんとですぅ……意外とつぶらな目をしててかわいいですねぇ」
「なんか湿っぽそうね。見た目も性格も」
「そうさ。かわいくて繊細なんだよ、俺のヌマタンは。それをてめぇ、よくもヌマタンのおやつを!」
料理は空気である――プレーヤーには。NPCやモンスターは違う。たいへんおいしそうに食べるので、ペットに与えるものとして料理は確実な需要があった。愛着のあるペットにはいいものを食べさせて、喜ばせたいのが人の情である。
「えぇぇ、いや、ボク、知らない……」
「ハッ! そりゃそーだろなァ! 『そんなことどうでもいい』っつってたもんなァ!?」
男は声のボリュームを上げる。
「せっかくヌマタンのために用意した高品質のケーキをよぉ! どうでもいいだァ!? はッ、さすがハーレムプレイしてるネト充様は違うなァ!?」
「えっ」
ディーザンはセレリアを見て、ニキシーを見て、スタを――スルーして疑問の声を上げる。
「ハーレム……?」
「だろーがよ! かわいい女の子三人もハベらせてよォ!」
「でへぇ……照れますねぇ……」
スタのだらしない声がして、男はそのときようやくまともにスタの容姿を確認した。
そして、ディーザンに向き直る。
「……二人もハベらせてよォ!」
「あ、あれぇ……?」
「いやその別に偶然っていうか……セレリアはただのリアルの幼馴染だし……」
「リア充じゃねェか!」
男の声に混じる妬みの色が強くなる。
「くそォ、許せねェ……表に出ろ、叩きのめしてやる!」
「えぇ、なんでボクがぁ……」
「んじゃヌマタンのおやつを弁償できンのかァ!? あのレベルのケーキはそうそう作れないんだぜェ!? 材料から高品質なのを選び出して、道具だっていいのに新調したばっかりでなァ!」
「えっ、自分で作ったの?」
「それがどうしたよ?」
「いや意外っていうか……その外見で……いえその……」
「うるせえ! 男が料理して何が悪いってぇんだよ!? アァ!?」
ドンッ! と机に男の太い腕が叩きつけられる。
ディーザンは顔を青ざめさせて、助けを求めてセレリアを見るが。
「今のはあんたが悪いわ、ディー」
「えぇ……」
「というかあんたが最初から最後まで悪いでしょ? ぶつからなければこの人もケーキを落とさなかったわけだし」
「う……わ、わかったよ……」
ディーザンはしぶしぶ口を開く。
「すいません。弁償します。いくらぐらいでしょうか?」
「――もう金の話じゃァねェ」
「えッ」
「かわいい幼馴染に励まされるとかうらやま――いや、そう、男のプライドの問題だ」
男はドンッと厚い胸板を叩く。
「タイマンで勝負だ。それで全部チャラにしてやる」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ボクは支援型で攻撃魔法ないし、武器だってスキルなくて……」
「なーに死んだって何もルートしたりはしねェさ」
男はサングラスの下でニヤリと笑う。
「お嬢ちゃんがたのハートはどうかわかんねェけどなァ」
「うわ……引くわ……」
「でへぇ……照れますねぇ」
セレリアには一切響かなかったが、スタにはなかなか好評だった。
そしてニキシーは。
「待ってください。あなたにぶつかったのはわたしです」
『ルート』が何を意味するのか分からないまま、話に割って入った。
ルートとは要するに死体からアイテムを『盗み取る』ことなのだが……。
「ディーザンさんではなく、言いたいことがあればわたしに」
「はぁ~~~……ッ」
男は、深く溜め息を吐くと、ディーザンを見下ろして言った。
「坊主よォ。女に庇われて情けなくねェのか? あァ?」
「なッ……」
ディーザンの顔がカッと赤くなる。
「なんだよ言わせておけば! そっちこそ、ゲームの中でそんな格好して、恥ずかしくないのかよ!」
「んだとォ!」
「オラついてみっともないったらないね! だいたい、ボクを殴りたいのだってほとんどただの嫉妬じゃないか!」
「テメェ――ッ」
誰も止める暇もなかった。
「【爆拳】!」
一瞬後、机や食器をなぎ倒す音と共に、ディーザンが店内へ吹き飛んでいく。店員たちや周囲にいた通行人が、悲鳴を上げ始める。
「あッ……ぐ」
「チッ。ワンパンじゃねぇのかよ」
机や椅子の残骸に埋もれてうめくディーザンに、男は煙を上げる拳をなでながら近づく。
「やっちまったが、こうなりゃ毒皿だ。トドメさしてやるぜぇ!」
「ひッ!」
「ッ!」
男が振りかぶり、ディーザンが腕を盾に身を縮めて――ニキシーは飛び出した。
原因がケーキであれば悪いのは自分だ。ディーザンじゃない。たとえ彼の口が悪かったとしても。
武器を取り出す暇はないし、やりすぎる気もない。ディーザンから攻撃を逸らす、まずはそれでいい。
とはいえ相手は自分の倍以上もある巨体。中途半端な場所を狙っても効果はないだろう。だから――
「やあッ!」
選択したのは顔面への突き。至近に踏み込んで、放つ。
――轟ッ!
「………え」
それは正確無比、電光石火の一撃だった。男の頬を捕らえた拳は、そのまま男を軽々と吹き飛ばす。ふたたび店内に巻き起こる、家具と食器の破砕音。そのすべてが静まった時、男は身動きしていなかった。
「えぇ……なんです、今のぉ?」
「うわ、死んでるわよこれ。一撃とか何のスキル使ったのよ? やりすぎじゃない?」
瓦礫を乗り越えて、店内に入ってきたスタとセレリアがその惨状に驚きの声をあげる。
ニキシーは……殴った拳をぐっぱーぐっぱーしながら、つぶやいた。
「……ません」
「は?」
「スキルは使ってません。ただ、普通に殴りかかっただけで」
「ああ、なるほどぉ」
ぽん、とスタは手を叩く。
「【通常攻撃強化】の効果ですかぁ。すごいですねぇ」
「い……いやいやいや……おかしいよ!?」
目の前で繰り広げられた異常に固まっていたディーザンが、ようやく動き出す。
「明らかに通常攻撃って威力じゃなかったよ!?」
「でも、通常攻撃です」
「何をどうしたら一撃で倒せる通常攻撃が出るんだよ!?」
「だからぁ、ディーザンさん、【通常攻撃強化】ですってぇ」
「いくつ封印したらそんな威力になるんだよ!?」
「いくつですっけぇ?」
「……数えたことないですね。全部、使わないものですし」
「数えて! 今すぐ!」
「えぇ……」
ディーザンの剣幕に、ニキシーはしぶしぶ自身のスキル一覧を開く。
「えーと」
そう言ったきり、黙り込んで――数分後。
ニキシーは長く息を吐き出してから、答えるのだった。
「だいたい――250個ぐらいですね」